黒き心を無くして、丹き心を以ちて、清潔く斎慎み、左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に廻る事も万事違ふ事なくして、太神に仕へ奉れ。
元を元とし、本を本とする故なり。
415
昨晩、長野県のとある神主さんのお通夜にお参りに行ってまいりました。
歳は私の一つ下。
お子さんは10歳の女の子と3歳の双子の男の子の3人。
長くつらい闘病生活の中、精一杯生きて来られたました。
これも運命でしょうが、悔しくやりきれない思いです。
納棺の時、こらえていたものが、溢れ出たのでしょう、お姉ちゃんが大声で泣き出し、…
それでも、振り絞るように、
「パパありがとう」
と何度も何度も繰り返す健気な姿には、目頭を押さえずにはいられませんでした。
同世代、同志の無念を思うと、今、生を受けて、生かされている我々は、出来るだけのことを精一杯努めて行かなければならないんだと、強く思い知らされました。
御霊の安らかならんことを心からお祈り申し上げます。
昨夜遅くに帰宅し、SSKの用務にて今朝は朝一番で上京です。
精一杯努めて来たいと存じます。

先月導入された新幹線のEX-ICサービスを初めて利用しました。
携帯電話を駅の自動改札機にかざすと、利用票が出てきます。
歳は私の一つ下。
お子さんは10歳の女の子と3歳の双子の男の子の3人。
長くつらい闘病生活の中、精一杯生きて来られたました。
これも運命でしょうが、悔しくやりきれない思いです。
納棺の時、こらえていたものが、溢れ出たのでしょう、お姉ちゃんが大声で泣き出し、…
それでも、振り絞るように、
「パパありがとう」
と何度も何度も繰り返す健気な姿には、目頭を押さえずにはいられませんでした。
同世代、同志の無念を思うと、今、生を受けて、生かされている我々は、出来るだけのことを精一杯努めて行かなければならないんだと、強く思い知らされました。
御霊の安らかならんことを心からお祈り申し上げます。
昨夜遅くに帰宅し、SSKの用務にて今朝は朝一番で上京です。
精一杯努めて来たいと存じます。
先月導入された新幹線のEX-ICサービスを初めて利用しました。
携帯電話を駅の自動改札機にかざすと、利用票が出てきます。
411
伊勢街道の下見に行ってまいりました。
伊勢街道は、東海道から分岐して伊勢神宮へと続く街道で、日永の追分(現:四日市市)から白子、津、六軒、松 坂、斎宮、そして伊勢へと続いています。
近世には幕府によって脇街道として整備され、多くの人々がお伊勢まいりに往来しました。
「伊勢に行きたい。伊勢路が見たい。せめて一生に一度でも。」と伊勢音頭に唄われるぐらいで、「お蔭参り」という凡そ60年周期のお伊勢まいりブームの記録も残っています。
来月の伊勢街道参宮団では、この伊勢街道を2泊3日の行程で歩きます。
今回は下見ということで、委員会のメンバーを3班に分け、
1班.四日市~津 約30Km
2班.津~松阪 約22Km
3班.松阪~伊勢 約27Km
で分担して進めました。
私の担当は最長距離の1班^^;
生憎の雨の中での下見となりましたが、合羽を羽織って、いざ出陣!
9時40分、日永の追分を出発です。

先ずはひたすら南下です。
1㎞約15分。時速4キロのペースです。
内部川(河原田橋)、鈴鹿川(高岡橋)を越えて、神戸宿を目指します。
街道沿いの風情ある旧家は勿論のこと、あちらこちらで立派な常夜燈や山神さまが迎えて下さっています。


神戸の町は街道沿いにスーパー等もあり、色々調達できそうです。
神戸を抜けて、東玉垣町の彌都加岐神社に到着。
ここまでで10㎞くらいでしょうか。
時刻は12時少し前。予定通りのペースです。

ここが当日の昼食場所となります。
今回は近くのお店でとなりましたが、昼食休憩をおよそ30分。
まだ、道のりが三分の二残ってます^^;
休憩もそこそこに午後の部のスタートです。
ところが・・・
休憩した途端に、足が午前中とは違います。
足の付け根に少し違和感が・・・。
むむむ・・・
大丈夫だろうか?
心配しつつも、行けるところまで行こうと歩き続けます。
港町として栄えた白子を抜けて、上野を目指します。



途中、磯山八幡神社で15分の小休憩。
時刻は14時30分。これまた予定通りです^^;
一服後、また更に足にダメージが・・・。
一段と足が重くなった感じがします。
ふくらはぎも張ってきました。
更に歩き進め、上野の町(約20キロ地点)を通過したのが15時30分ごろ。
上野を越えれば、後は津を目指すだけですが、
さすがに今までの疲労を考えると、もう1箇所小休憩の場所が欲しいところです。

およそ25㎞地点にあたる逆川神社で小休憩を取ることに決定。
時刻は16時25分。
ここを出てから、あとはゴールの津、三重県護国神社をめざして最後の力を振り絞るだけです。

ここまで来たらあと少し。
そう言い聞かせながら、何とか18時前に護国神社に到着。
もう足全体がパンパンに張っています(T_T)
如何に普段歩いていないかが分かります。
昔の人は、江戸から伊勢まで、12日で歩いたそうです。
1日平均10里(40㎞)を12日続けて歩く・・・
如何に健脚だったかが分かりますね。
一夜明けた今朝。
まともに歩けなかったことは言うまでもありません。
参加される皆さん。
事前のトレーニングが大切ですよ^^;
伊勢街道は、東海道から分岐して伊勢神宮へと続く街道で、日永の追分(現:四日市市)から白子、津、六軒、松 坂、斎宮、そして伊勢へと続いています。
近世には幕府によって脇街道として整備され、多くの人々がお伊勢まいりに往来しました。
「伊勢に行きたい。伊勢路が見たい。せめて一生に一度でも。」と伊勢音頭に唄われるぐらいで、「お蔭参り」という凡そ60年周期のお伊勢まいりブームの記録も残っています。
来月の伊勢街道参宮団では、この伊勢街道を2泊3日の行程で歩きます。
今回は下見ということで、委員会のメンバーを3班に分け、
1班.四日市~津 約30Km
2班.津~松阪 約22Km
3班.松阪~伊勢 約27Km
で分担して進めました。
私の担当は最長距離の1班^^;
生憎の雨の中での下見となりましたが、合羽を羽織って、いざ出陣!
9時40分、日永の追分を出発です。
先ずはひたすら南下です。
1㎞約15分。時速4キロのペースです。
内部川(河原田橋)、鈴鹿川(高岡橋)を越えて、神戸宿を目指します。
街道沿いの風情ある旧家は勿論のこと、あちらこちらで立派な常夜燈や山神さまが迎えて下さっています。
神戸の町は街道沿いにスーパー等もあり、色々調達できそうです。
神戸を抜けて、東玉垣町の彌都加岐神社に到着。
ここまでで10㎞くらいでしょうか。
時刻は12時少し前。予定通りのペースです。
ここが当日の昼食場所となります。
今回は近くのお店でとなりましたが、昼食休憩をおよそ30分。
まだ、道のりが三分の二残ってます^^;
休憩もそこそこに午後の部のスタートです。
ところが・・・
休憩した途端に、足が午前中とは違います。
足の付け根に少し違和感が・・・。
むむむ・・・
大丈夫だろうか?
心配しつつも、行けるところまで行こうと歩き続けます。
港町として栄えた白子を抜けて、上野を目指します。
途中、磯山八幡神社で15分の小休憩。
時刻は14時30分。これまた予定通りです^^;
一服後、また更に足にダメージが・・・。
一段と足が重くなった感じがします。
ふくらはぎも張ってきました。
更に歩き進め、上野の町(約20キロ地点)を通過したのが15時30分ごろ。
上野を越えれば、後は津を目指すだけですが、
さすがに今までの疲労を考えると、もう1箇所小休憩の場所が欲しいところです。
およそ25㎞地点にあたる逆川神社で小休憩を取ることに決定。
時刻は16時25分。
ここを出てから、あとはゴールの津、三重県護国神社をめざして最後の力を振り絞るだけです。
ここまで来たらあと少し。
そう言い聞かせながら、何とか18時前に護国神社に到着。
もう足全体がパンパンに張っています(T_T)
如何に普段歩いていないかが分かります。
昔の人は、江戸から伊勢まで、12日で歩いたそうです。
1日平均10里(40㎞)を12日続けて歩く・・・
如何に健脚だったかが分かりますね。
一夜明けた今朝。
まともに歩けなかったことは言うまでもありません。
参加される皆さん。
事前のトレーニングが大切ですよ^^;
379
石垣港から高速船で65分。
波照間島につきました。
早速、島の最南端へ。
ここには、日本最南端の碑の他、波照間の碑、聖寿奉祝の碑などがあります。
波照間の碑は、昭和47年5月15日の沖縄本土復帰を記念して、全国各都道府県の名石を集めて、それを礎石として建設された碑で、SSKの他有志青年団体で建立したものです。
当時の建設趣意書には「全国の青年代表が各地から寄せられた石を持ち寄り、神青沖縄の出発を祝し、またわが国の礎となることを願って参加します」とあります。当時の先輩諸賢の意気込みが感じられます。
主碑の周りには、2頭の竜を象って螺旋状に石積が施され、その間に全国から寄せられた石がはめ込まれています。参加者一同で、草を取り、砂を払いのけて清掃奉仕をいたしました。
愛知県からの石もありました。
以下、N副会長の思い出話です。
6歳の頃だったか、ある日突然、我が家に全国から「石ころ」が次々と送られてきました。訳も分からないまま、仕分けと梱包作業を手伝わされたなぁ・・・N副会長の父君がこの碑の建立に尽力されていたんですね。
あの石がこれだったんだ・・・。
とても感慨深げでした。
聖寿奉祝の碑は、昭和天皇の御在位60年を奉祝して建立したもので、それまであった国旗掲揚塔(昭和52年)が、現地の強風等で損傷も酷く、国旗ももたないので、日の丸を銘板形式に改めたものです。
清掃終了後、一同で国歌を斉唱。
聖寿奉祝の碑を通し、国の安寧を祈願いたしました。
この日の宿泊は「みのる荘」
前日の役員会に引き続き、熱い議論が交わされたのは言うまでもありません。
唯一の心残りは、生憎の曇天で、星空が見られなかったこと・・・。
これは次回?のお楽しみ??
377
那覇の翌朝。
石垣島にやって参りました。
そう言えば、石垣市は岡崎の姉妹都市だったなぁ・・・と思いつつ。
集合時間まで、2時間ほどの空き時間があったので、六弦師さんとともにタクシーに乗って暫し市内観光。
今回、石垣観光は全く予定していなかったので、予習は全く無し(T_T)
タクシーのウンちゃんに全てお任せで回ってもらいました^^;
具志堅用高記念館、船蔵公園(かつて連合国軍の駐屯地だったとか)を車中から横目に見つつ・・・
まずは、唐人墓です。

過去の悲しい歴史の遺産ですが・・・
イデオロギー的なことはともかく、島民の優しさ暖かさを感じます。
詳しくはコチラをご覧下さい。
続いて桃林寺。

権現堂は国の重要文化財に指定されています。
今は臨済宗妙心寺派のお寺ですが、権現というくらいですから神仏混交の名残もあります。
波上宮と同じく、熊野権現だったような・・・ちがったかな?
続いて、宮良殿内(みやらどぅんち)へ。
ここも重要文化財です。

八重山の頭職にあった宮良親雲上当演(みやらぺーちんとうえん)が、琉球の貴族屋敷を模して建てたもので、琉球王府に身分不相応として取り壊しを命じられたとか。しかし・・・
それに従わなかったために検使の譴責にあい、葦葺きに改めたものの、廃藩置県後に現在の本瓦葺きに戻したとか。
現在も宮良家の住居だそうです。
行ったときは、奥でテレビがついてました^^;
そして、フルスト原遺跡へ・・・。
ウンちゃんも迷うくらい分かりにくい場所でした^^;
(写真は撮り忘れましたゴメンナサイ)
遠弥計赤蜂(おやけあかはち)の居城跡と伝承されている史跡で、現在も発掘調査が進行中とのことでした。
我々が行ったときには誰もいませんでしたし、立ち入り制限もされてませんでした。(恐るべし・・・)
復元された石積が彼方此方にあり、整備されれば立派な史跡公園になるでしょうね・・・
そうこうするうちに、おなかも空いてきたので、ソーキそばで腹ごしらえ。
味噌味のスープで、美味しかったです。
さて、イイ時間になってきたので、集合場所の石垣港旅客ターミナルへ向かいます。
石垣島にやって参りました。
そう言えば、石垣市は岡崎の姉妹都市だったなぁ・・・と思いつつ。
集合時間まで、2時間ほどの空き時間があったので、六弦師さんとともにタクシーに乗って暫し市内観光。
今回、石垣観光は全く予定していなかったので、予習は全く無し(T_T)
タクシーのウンちゃんに全てお任せで回ってもらいました^^;
具志堅用高記念館、船蔵公園(かつて連合国軍の駐屯地だったとか)を車中から横目に見つつ・・・
まずは、唐人墓です。
過去の悲しい歴史の遺産ですが・・・
イデオロギー的なことはともかく、島民の優しさ暖かさを感じます。
詳しくはコチラをご覧下さい。
続いて桃林寺。
権現堂は国の重要文化財に指定されています。
今は臨済宗妙心寺派のお寺ですが、権現というくらいですから神仏混交の名残もあります。
波上宮と同じく、熊野権現だったような・・・ちがったかな?
続いて、宮良殿内(みやらどぅんち)へ。
ここも重要文化財です。
八重山の頭職にあった宮良親雲上当演(みやらぺーちんとうえん)が、琉球の貴族屋敷を模して建てたもので、琉球王府に身分不相応として取り壊しを命じられたとか。しかし・・・
それに従わなかったために検使の譴責にあい、葦葺きに改めたものの、廃藩置県後に現在の本瓦葺きに戻したとか。
現在も宮良家の住居だそうです。
行ったときは、奥でテレビがついてました^^;
そして、フルスト原遺跡へ・・・。
ウンちゃんも迷うくらい分かりにくい場所でした^^;
(写真は撮り忘れましたゴメンナサイ)
遠弥計赤蜂(おやけあかはち)の居城跡と伝承されている史跡で、現在も発掘調査が進行中とのことでした。
我々が行ったときには誰もいませんでしたし、立ち入り制限もされてませんでした。(恐るべし・・・)
復元された石積が彼方此方にあり、整備されれば立派な史跡公園になるでしょうね・・・
そうこうするうちに、おなかも空いてきたので、ソーキそばで腹ごしらえ。
味噌味のスープで、美味しかったです。
さて、イイ時間になってきたので、集合場所の石垣港旅客ターミナルへ向かいます。
名前:一文字

