黒き心を無くして、丹き心を以ちて、清潔く斎慎み、左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に廻る事も万事違ふ事なくして、太神に仕へ奉れ。
元を元とし、本を本とする故なり。
当ブログ管理人の一文字です。
愛知県岡崎市の田舎神主。
融通の利かない頑固者です。
神社のこと、神道のこと、
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目次
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年03月23日:「え」の話 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年03月16日:「う」の話 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年03月09日:「い」の話 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年03月02日:「あ」の話 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年02月23日:竹島の日 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年02月16日:愛国心 【心の宅急便】
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平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年01月05日:初夢と七福神 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年12月29日:もういくつ寝るとお正月 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年12月22日:冬至 【心の宅急便】
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平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年12月09日:秋葉さん 【心の宅急便】
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FMおかざき76.3「心の宅急便」の76回目の放送です。
言霊シリーズの第4弾「え」の話です。
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みなさんこんにちは。
私たちの日本は「言霊の幸ふ国」と言われてきました。
「言霊(ことだま)」というのは、「言葉に宿る霊的な力」のことです。
「善いことばは吉事を招き、不吉なことばは凶事をもたらす」という信仰ですね。
これは、「言(こと)」=「事(こと)」という考えから来ています。
この言霊信仰は、我々神主が神前に奏上する「祝詞(のりと)」や、忌み言葉などにみられます。
そこで、色々な「言葉」について考えてみたいと思います。
先週までの「あ」~「う」の話に続いて第4弾!「え」という言葉についてみてみましょ う。
さて、「え」というのは・・・・
と始めたいところですが、実はこの「え」というのは非常に難しいのです。
言霊とか、やまとことばを考えるときは、今の形で考えてはいけません。
出来るだけ古い形はどうだったのかを考えなければなりません。
で、この「え」について考えるときは、二つの「え」があることを見逃してはいけないんです。
何のこっちゃっとお思いの方も、ちょっとご辛抱下さいね。
まず、50音図を思い描いて下さい。
歴史的仮名遣では、ワ行の「ゐ」「ゑ」を書き分けますので、
このヤ行の「え」が問題なんです。
ア行の「え」に対し、ヤ行の「え」は「いぇ」のように発音されていたようですが、・・・
この二つの「え」は厳密に区別されていたんです。
このことを発見したのは、江戸時代の国学者の奥村栄実です。
奥村先生は万葉仮名を研究し、ア行の「え(衣)」とヤ行の「え(延)」の使い分けについて、その研究成果を
『古言衣延辨』に著しました。
万葉仮名のうち、・・・
■ア行の「え」で用いられるのは、
ひらがなの「え」は「衣」という漢字を崩したもので、カタカナの「エ」は「江」という漢字のつくりから来ています。
何かお気づきでしょうか?
そう。ひらがなの「え」はア行の「え」。カタカナの「エ」はヤ行の「エ」なんです。
「え~~~っ!」と驚きでしょうか?
「え?」とお思いでしょうか^^;
これは、本来別々の「え」だったものが、ひらがな、カタカナが作られる平安時代になると混同され、区別が無くなっていたということを意味しています。
いろは歌のような手習いの歌に、ア行の「え」とヤ行の「エ」が区別されていたとしたら、もしかしたら状況は変わっていたかも知れませんね。
このようにア行とヤ行の違いに注意しながら、「え」という言葉についてみてみましょう。
ただ、面白いことに「え」で始まる言葉ってそんなに多くないんです。
ご存じでした?
例えば、手元の某国語辞典。
ア行の「あ」「い」「う」「お」はどれも30頁~40頁の分量がありますが「え」はその半分の15頁ほど。
これは何を意味するんでしょう?
またこの中から漢語や外来語を除外し、和語・やまとことばを探すと本当に少ないですね。
それはさておき。
ア行の「え」についてみてみましょう。
まず、接頭語の「え」があります。
何じゃそれ?とお思いの方も多いでしょう。
古事記のイザナギ・イザナミの国生み神話に出てきます。
イザナギ・イザナミノミコトがプロポーズしたときの言葉です。
「あなにやし えをとこを」
「あなにやし えをとめを」
この「え」ですね。
愛らしいとか、愛しいという意味を表す接頭語です。
「なんてイイ男でしょう」
「なんてイイ女でしょう」
と求婚をされ、国生みをされたんですね。
可能の意味の副詞「え(得)」もありますね。
樹木の「えのき(榎)」の「え」もそうです。
この語源として、「エは枝で、枝の多い木であるから」というのもありますが、「枝」はヤ行の「エ」ですから、これはちょっと疑問が残ります。
また、「エリノキ(選木)の意。一里塚に植えさせたから〔名言通〕。」なんてのもあります。これは一理あるかな。
「えらぶ(選)」「える(選)」もア行の「え」です。
語源については「える(得)」に通じるとも言われます。
他には、「えぞ(蝦夷)」「えみし(蝦夷)」「えびす(夷)」
或いは、「えび(葡萄)」(「ぶどう(葡萄)」の古名。蝦蔓(えびづる))
なんてのもア行の「え」です。
う~ん。
ざっと見て、よく分かりません。
非常に難解な「え」ですね。
もう一つのヤ行の「エ」についてみてみましょう。
「え(江)」がありますね。
元来、川、海、湖、堀などの一般的な呼び名ですが、特に陸に入り込んでいる部分をさすことが多いそうです。
「入り江」の「え」ですね。
語源は、エ(枝)からといいます。湖や海の枝の意味でしょうか。
「え(枝)」もヤ行の「エ」です。
言うまでもなく、えだ(枝)のことですね。
この「え(枝)」から派生して、「え(柄)」もあります。
枝(え)から転じたものといい、手で持つために、器物に取り付けた棒状の部分ですね。
ひしゃくなどの「柄」です。
古語でお兄ちゃんのことを「え(兄)」といいます。
反対は「おと(弟)」ですね。
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の「え」ですね。
「えと(干支)」というのも、「え」は兄(え)、「と」は弟(おと)の意です。
また「えし(良・吉・善)」もそうです。
「よい(良)」の古形。よい。いい。すばらしい。という意味ですね。
ざっと見てきましたが、実はア行。ヤ行がはっきりしているのはこれぐらいなんです。
勿論、ア行かヤ行か区別の付かないものも沢山あります。
それだけ難解で分かりにくいのが「え」ということなんです。
「えさ(餌)」「えがお(笑顔)」とか「えくぼ」は?
そうですね。
この「え」はワ行の「ゑ」になりますから、またちょっと違いますね。
何だかとりとめもない話になってしまいましたが・・・・
「え?」「え~っ!」
と怒らないで下さいね。
「ええ」
と中には納得された方もいらっしゃるでしょうか。
「もう、ええ。」
と呆れられた方もみえるかも知れませんね。
う~ん。えも言われぬ気持ちでございます。
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言霊シリーズの第4弾「え」の話です。
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みなさんこんにちは。
私たちの日本は「言霊の幸ふ国」と言われてきました。
「言霊(ことだま)」というのは、「言葉に宿る霊的な力」のことです。
「善いことばは吉事を招き、不吉なことばは凶事をもたらす」という信仰ですね。
これは、「言(こと)」=「事(こと)」という考えから来ています。
この言霊信仰は、我々神主が神前に奏上する「祝詞(のりと)」や、忌み言葉などにみられます。
そこで、色々な「言葉」について考えてみたいと思います。
先週までの「あ」~「う」の話に続いて第4弾!「え」という言葉についてみてみましょ う。
さて、「え」というのは・・・・
と始めたいところですが、実はこの「え」というのは非常に難しいのです。
言霊とか、やまとことばを考えるときは、今の形で考えてはいけません。
出来るだけ古い形はどうだったのかを考えなければなりません。
で、この「え」について考えるときは、二つの「え」があることを見逃してはいけないんです。
何のこっちゃっとお思いの方も、ちょっとご辛抱下さいね。
まず、50音図を思い描いて下さい。
ア行 ・・・ あ い う え お
ヤ行 ・・・ や (い) ゆ (え) よ
ワ行 ・・・ わ (い) (う) (え) を
ですね。ヤ行にもワ行にも「え」があるはずですね。ヤ行 ・・・ や (い) ゆ (え) よ
ワ行 ・・・ わ (い) (う) (え) を
歴史的仮名遣では、ワ行の「ゐ」「ゑ」を書き分けますので、
ア行 ・・・ あ い う え お
ヤ行 ・・・ や (い) ゆ (え) よ
ワ行 ・・・ わ ゐ (う) ゑ を
となります。ヤ行 ・・・ や (い) ゆ (え) よ
ワ行 ・・・ わ ゐ (う) ゑ を
このヤ行の「え」が問題なんです。
ア行の「え」に対し、ヤ行の「え」は「いぇ」のように発音されていたようですが、・・・
この二つの「え」は厳密に区別されていたんです。
このことを発見したのは、江戸時代の国学者の奥村栄実です。
奥村先生は万葉仮名を研究し、ア行の「え(衣)」とヤ行の「え(延)」の使い分けについて、その研究成果を
『古言衣延辨』に著しました。
万葉仮名のうち、・・・
■ア行の「え」で用いられるのは、
愛・亞・埃・哀・衣・依・荏・得・榎
■ヤ行の「え」で用いられるのは、
叡・延・鹽・曳・要・遙・縁・睿・裔・江・枝・兄・吉・柄
であって、これらがキチンと区別されていたということです。ひらがなの「え」は「衣」という漢字を崩したもので、カタカナの「エ」は「江」という漢字のつくりから来ています。
何かお気づきでしょうか?
そう。ひらがなの「え」はア行の「え」。カタカナの「エ」はヤ行の「エ」なんです。
「え~~~っ!」と驚きでしょうか?
「え?」とお思いでしょうか^^;
これは、本来別々の「え」だったものが、ひらがな、カタカナが作られる平安時代になると混同され、区別が無くなっていたということを意味しています。
いろは歌のような手習いの歌に、ア行の「え」とヤ行の「エ」が区別されていたとしたら、もしかしたら状況は変わっていたかも知れませんね。
このようにア行とヤ行の違いに注意しながら、「え」という言葉についてみてみましょう。
ただ、面白いことに「え」で始まる言葉ってそんなに多くないんです。
ご存じでした?
例えば、手元の某国語辞典。
ア行の「あ」「い」「う」「お」はどれも30頁~40頁の分量がありますが「え」はその半分の15頁ほど。
これは何を意味するんでしょう?またこの中から漢語や外来語を除外し、和語・やまとことばを探すと本当に少ないですね。
それはさておき。
ア行の「え」についてみてみましょう。
まず、接頭語の「え」があります。
何じゃそれ?とお思いの方も多いでしょう。
古事記のイザナギ・イザナミの国生み神話に出てきます。
イザナギ・イザナミノミコトがプロポーズしたときの言葉です。
「あなにやし えをとこを」
「あなにやし えをとめを」
この「え」ですね。
愛らしいとか、愛しいという意味を表す接頭語です。
「なんてイイ男でしょう」
「なんてイイ女でしょう」
と求婚をされ、国生みをされたんですね。
可能の意味の副詞「え(得)」もありますね。
①あとに肯定表現を伴って用いる。よく…できる。
②あとに否定や反語の表現を伴って用いる。とても…できない。
②あとに否定や反語の表現を伴って用いる。とても…できない。
えも言わず・・・の「え」ですね。
樹木の「えのき(榎)」の「え」もそうです。
この語源として、「エは枝で、枝の多い木であるから」というのもありますが、「枝」はヤ行の「エ」ですから、これはちょっと疑問が残ります。
また、「エリノキ(選木)の意。一里塚に植えさせたから〔名言通〕。」なんてのもあります。これは一理あるかな。
「えらぶ(選)」「える(選)」もア行の「え」です。
語源については「える(得)」に通じるとも言われます。
他には、「えぞ(蝦夷)」「えみし(蝦夷)」「えびす(夷)」
或いは、「えび(葡萄)」(「ぶどう(葡萄)」の古名。蝦蔓(えびづる))
なんてのもア行の「え」です。
う~ん。
ざっと見て、よく分かりません。
非常に難解な「え」ですね。
もう一つのヤ行の「エ」についてみてみましょう。
「え(江)」がありますね。
元来、川、海、湖、堀などの一般的な呼び名ですが、特に陸に入り込んでいる部分をさすことが多いそうです。
「入り江」の「え」ですね。
語源は、エ(枝)からといいます。湖や海の枝の意味でしょうか。
「え(枝)」もヤ行の「エ」です。
言うまでもなく、えだ(枝)のことですね。
この「え(枝)」から派生して、「え(柄)」もあります。
枝(え)から転じたものといい、手で持つために、器物に取り付けた棒状の部分ですね。
ひしゃくなどの「柄」です。
古語でお兄ちゃんのことを「え(兄)」といいます。
反対は「おと(弟)」ですね。
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の「え」ですね。
「えと(干支)」というのも、「え」は兄(え)、「と」は弟(おと)の意です。
また「えし(良・吉・善)」もそうです。
「よい(良)」の古形。よい。いい。すばらしい。という意味ですね。
ざっと見てきましたが、実はア行。ヤ行がはっきりしているのはこれぐらいなんです。
勿論、ア行かヤ行か区別の付かないものも沢山あります。
それだけ難解で分かりにくいのが「え」ということなんです。
「えさ(餌)」「えがお(笑顔)」とか「えくぼ」は?
そうですね。
この「え」はワ行の「ゑ」になりますから、またちょっと違いますね。
何だかとりとめもない話になってしまいましたが・・・・
「え?」「え~っ!」
と怒らないで下さいね。
「ええ」
と中には納得された方もいらっしゃるでしょうか。
「もう、ええ。」
と呆れられた方もみえるかも知れませんね。
う~ん。えも言われぬ気持ちでございます。
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FMおかざき76.3「心の宅急便」の75回目の放送です。
言霊シリーズの第3弾「う」の話です。
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みなさんこんにちは。
私たちの日本は「言霊の幸ふ国」と言われてきました。
「言霊(ことだま)」というのは、「言葉に宿る霊的な力」のことです。
「善いことばは吉事を招き、不吉なことばは凶事をもたらす」という信仰ですね。
これは、「言(こと)」=「事(こと)」という考えから来ています。
この言霊信仰は、我々神主が神前に奏上する「祝詞(のりと)」や、忌み言葉などにみられます。
そこで、色々な「言葉」について考えてみたいと思います。
先々週の「あ」、先週の「い」の話に続いて第3弾!「う」のつく言葉についてみてみましょう。
「う」にはア行の「う」とワ行の「う」(居(う)、座(う)など)がありますが、今日お話しするのは、先ずア行の「う」です。
さて・・・
皆さんが「う」のつく言葉で思いつくのは何でしょう?
うみ(海)、うえ(上)、うし(牛)、うつ(打)、うける(受)、うる(得)、・・・など
色々ありますね。
「う」一音でその名前になる動物は、ウサギの「う(卯)」や長良川の鵜飼いで有名な「う(鵜)」などがありますね。
「う(卯)」や「う(鵜)」は何故「う」なんでしょうか?
定説は無いようですが、「う」という言葉についてちょっと調べてみましょう。
先ず始めに、「うん」という言葉を見てみましょう。
もともとは「う(諾)」という言葉ですね。
これは言うまでもなく、承諾の意を表わす言葉です。お(諾)とも言うそうですが・・・。
いまでは「うん」です。これは「う(諾)」の音便形ですね。
「はい」よりもくだけた感じでしょうか。
でもこの「うん」にもう一つ「う」が付くと「ううん」になります。
これは否定の意味ですね。
「うん」がYESで、「ううん」がNO。面白いものです。
また「うん」の間を伸ばすと「う~ん」となります。
これはYESかNOか悩んでいる状態でしょうか。
実につかみどころのない「う」ですが、これは生物的に一番簡単に発することが出来る音が「う」ということかも知れませんね。
自然発生的につい発してしまう音の「う」ということでしょうか。
「う‐な・る 【唸・呻】」とか「う‐め・く 【呻】」という言葉もありますね。
「う~~~~」という「う」です。
踏ん張るときも「う」ですね。
さてさて、「うむ(産、生)」という言葉があります。
出産することですが、この「産む」とか「生まれる」というのは、「子を生む時に発するうなり声から出た語」というのが語源だそうです。
お母さんが「う~~~」といきむから、「うむ(産む)」なんだということですね。
なるほど。
また、「うひ(初)」という言葉。「初陣」とか「初産」の「初」ですね。
「最初。初め。」という意味ですが、この「うい(初)」は「生まれて初めて」の意なんだそうです。
この「うひ(初)」の「う」も、「産む」「生む」の「う」と繋がっています。
もしかしたら生命の源である「うみ(海)」も「産む」「生み」と何か関わりがあるような気もしますね。
いろいろと繋がっていきます。
「うみ」つながりで「うみ(膿)」という言葉がありますね。
傷口が化膿したときの「うみ(膿)」ですが、実は「うみじる(熟汁)」の略なんだそうです。
「うみ(膿)」は成熟するという意味の「う・む 【熟】」から来ているんですね。
生まれるのも「う」、成熟するのも「う」なんです。
さらに見ていくと、人が死ぬことを「うす(失)」とか「うせる(失)」といいます。
これも面白いですね。
「誕生」から「成長」「完熟」そして「死」まで、全てに関わる「う」です。
更に言えば、埋葬するのも「うむ(埋)」「うめる(埋)」なんです。
正にゆりかごから墓場まで、「う」なんですね。
更に更に・・・。
人一人の一生だけではありません。
「うじ(氏)」という言葉がありますね。
古くは「うぢ(氏)」と書きますが、この「うぢ(氏)」の語源は、ウミヂ(生路)の略かとも、ウミスヂ(生筋)から、あるいはウミツチ(生土)の意か、はたまたウチ(生血)かと色々考えられています。
ただ、全部「う(生)」なんですね。
「う」の「路」であり「筋」であり「地」であり「血」であるのが「うじ(氏)」。
地縁、血縁関係の一族、家族の絆を表すのがこの「うじ(氏)」です。
祖先を大切にする日本人の感覚は、この辺からも窺い知ることが出来ますね。
「氏神さま」とか「氏子」の「氏」も全く同じですね。
ちょっと目先を変えて「うえ[うへ]【上】」という言葉。
空間的に高い位置を意味しますし、物事の表面も意味します。「おもて」という意味ですね。
「うわべ」とか「うわぎ」「うわっつら」なんていう言葉をイメージすると分かりやすいですかね。
「うえ」の対義語は、古代から現代に至るまでやはり「した」ですが、中古から中世にかけて「うえ」は、表面の意も持っていたため、「うら」とも対義関係を持っていました。「うらうえ」という複合語がその証です。
でもこの対義関係は、中世頃から次第に「うら─おもて」という対義関係にとってかわられたと言います。
この「うへ(上)」に対する「うら(裏)」。
物事において、人の目にふれない部分を意味します。
そしてその意味から「心」という意味にもなります。
上代において同じく「心」の意をもつ「うら」と「した」のちがいは、「うら」が、意識して隠すつもりはなくても表面にはあらわれず隠れている心であるのに 対し、「した」は、表面にあらわすまいとしてこらえ隠している心であるとも言われています。
ややこしいですが、なかなか奥が深いですね。
「うらなひ(占)」は、神意をうかがうことですが、この「うら」もズバリ「神様の心」ということですね。
ちょっと怖いのが、「怨恨」。
「うら・む 【恨・怨・憾】」の語源は「うら(心)み(見)る」で、「自分に対する相手のやり方に不満をもちながらも、相手がどういう気持でいるのかを知りたくて、自分の不満をこらえている」というのが原義だともいわれています。
また「うら‐や・む 【羨】」は、「心(うら)病(や)む」の意だそうです。
心はキチンとしていなければなりませんが、「う」には空っぽの意味もあります。
「うつ(空)」です。「空蝉」の「うつ(空)」です。
この「うつ(空)」は、「うつほ(空・虚・洞)」だとか、「うつろ(空・虚・洞)だとか、「うつけ(空・虚)」という言葉とも関連していますね。
面白いですね。
さて、重たくて、マイナスのイメージのある事ばかりも行ってられませんね。
言霊の幸ふ国ですから。
もちろん「う」にもプラスのイメージのある言葉も沢山あります。
先ずは「う(得・獲)」ですね。「える(得)」と同義です。
「う・る(売)」というのもそうですね。
儲かりそうです。
「うるお・う[うるほふ]【潤・霑】なんかも良いですね。
楽しくなってきます。
そう。
「うれし・い 【嬉・快・歓】」もそうですね。
この「うれ」もさっきの「うら(心)」なんだそうです。
「うるわし・い[うるはしい] 【美・麗】」とか、「うつくし・い 【美・愛】」もありますね。
「うた 【歌・唄】」も良いですね。
このように見てきますと「う」にも色んな意味があります。
「十【う】十色」といった感じでしょうか。
最近、閉塞感のある世情ですが、「恨み」や「膿」だらけの世の中ではなくて、・・・・
人々が「潤い」、「美しい」自然や文化に囲まれ、「嬉し」くて、思わずみんなが「歌っちゃう」世の中になって欲しいものですね。
うん。
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言霊シリーズの第3弾「う」の話です。
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みなさんこんにちは。
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「言霊(ことだま)」というのは、「言葉に宿る霊的な力」のことです。
「善いことばは吉事を招き、不吉なことばは凶事をもたらす」という信仰ですね。
これは、「言(こと)」=「事(こと)」という考えから来ています。
この言霊信仰は、我々神主が神前に奏上する「祝詞(のりと)」や、忌み言葉などにみられます。
そこで、色々な「言葉」について考えてみたいと思います。
先々週の「あ」、先週の「い」の話に続いて第3弾!「う」のつく言葉についてみてみましょう。
「う」にはア行の「う」とワ行の「う」(居(う)、座(う)など)がありますが、今日お話しするのは、先ずア行の「う」です。
さて・・・
皆さんが「う」のつく言葉で思いつくのは何でしょう?
うみ(海)、うえ(上)、うし(牛)、うつ(打)、うける(受)、うる(得)、・・・など
色々ありますね。
「う」一音でその名前になる動物は、ウサギの「う(卯)」や長良川の鵜飼いで有名な「う(鵜)」などがありますね。
「う(卯)」や「う(鵜)」は何故「う」なんでしょうか?
定説は無いようですが、「う」という言葉についてちょっと調べてみましょう。
先ず始めに、「うん」という言葉を見てみましょう。
もともとは「う(諾)」という言葉ですね。
これは言うまでもなく、承諾の意を表わす言葉です。お(諾)とも言うそうですが・・・。
いまでは「うん」です。これは「う(諾)」の音便形ですね。
「はい」よりもくだけた感じでしょうか。
でもこの「うん」にもう一つ「う」が付くと「ううん」になります。
これは否定の意味ですね。
「うん」がYESで、「ううん」がNO。面白いものです。
また「うん」の間を伸ばすと「う~ん」となります。
これはYESかNOか悩んでいる状態でしょうか。
実につかみどころのない「う」ですが、これは生物的に一番簡単に発することが出来る音が「う」ということかも知れませんね。
自然発生的につい発してしまう音の「う」ということでしょうか。
「う‐な・る 【唸・呻】」とか「う‐め・く 【呻】」という言葉もありますね。
「う~~~~」という「う」です。
踏ん張るときも「う」ですね。
さてさて、「うむ(産、生)」という言葉があります。
出産することですが、この「産む」とか「生まれる」というのは、「子を生む時に発するうなり声から出た語」というのが語源だそうです。
お母さんが「う~~~」といきむから、「うむ(産む)」なんだということですね。
なるほど。
また、「うひ(初)」という言葉。「初陣」とか「初産」の「初」ですね。
「最初。初め。」という意味ですが、この「うい(初)」は「生まれて初めて」の意なんだそうです。
この「うひ(初)」の「う」も、「産む」「生む」の「う」と繋がっています。
もしかしたら生命の源である「うみ(海)」も「産む」「生み」と何か関わりがあるような気もしますね。
いろいろと繋がっていきます。
「うみ」つながりで「うみ(膿)」という言葉がありますね。
傷口が化膿したときの「うみ(膿)」ですが、実は「うみじる(熟汁)」の略なんだそうです。
「うみ(膿)」は成熟するという意味の「う・む 【熟】」から来ているんですね。
生まれるのも「う」、成熟するのも「う」なんです。
さらに見ていくと、人が死ぬことを「うす(失)」とか「うせる(失)」といいます。
これも面白いですね。
「誕生」から「成長」「完熟」そして「死」まで、全てに関わる「う」です。
更に言えば、埋葬するのも「うむ(埋)」「うめる(埋)」なんです。
正にゆりかごから墓場まで、「う」なんですね。
更に更に・・・。
人一人の一生だけではありません。
「うじ(氏)」という言葉がありますね。
古くは「うぢ(氏)」と書きますが、この「うぢ(氏)」の語源は、ウミヂ(生路)の略かとも、ウミスヂ(生筋)から、あるいはウミツチ(生土)の意か、はたまたウチ(生血)かと色々考えられています。
ただ、全部「う(生)」なんですね。
「う」の「路」であり「筋」であり「地」であり「血」であるのが「うじ(氏)」。
地縁、血縁関係の一族、家族の絆を表すのがこの「うじ(氏)」です。
祖先を大切にする日本人の感覚は、この辺からも窺い知ることが出来ますね。
「氏神さま」とか「氏子」の「氏」も全く同じですね。
ちょっと目先を変えて「うえ[うへ]【上】」という言葉。
空間的に高い位置を意味しますし、物事の表面も意味します。「おもて」という意味ですね。
「うわべ」とか「うわぎ」「うわっつら」なんていう言葉をイメージすると分かりやすいですかね。
「うえ」の対義語は、古代から現代に至るまでやはり「した」ですが、中古から中世にかけて「うえ」は、表面の意も持っていたため、「うら」とも対義関係を持っていました。「うらうえ」という複合語がその証です。
でもこの対義関係は、中世頃から次第に「うら─おもて」という対義関係にとってかわられたと言います。
この「うへ(上)」に対する「うら(裏)」。
物事において、人の目にふれない部分を意味します。
そしてその意味から「心」という意味にもなります。
上代において同じく「心」の意をもつ「うら」と「した」のちがいは、「うら」が、意識して隠すつもりはなくても表面にはあらわれず隠れている心であるのに 対し、「した」は、表面にあらわすまいとしてこらえ隠している心であるとも言われています。
ややこしいですが、なかなか奥が深いですね。
「うらなひ(占)」は、神意をうかがうことですが、この「うら」もズバリ「神様の心」ということですね。
ちょっと怖いのが、「怨恨」。
「うら・む 【恨・怨・憾】」の語源は「うら(心)み(見)る」で、「自分に対する相手のやり方に不満をもちながらも、相手がどういう気持でいるのかを知りたくて、自分の不満をこらえている」というのが原義だともいわれています。
また「うら‐や・む 【羨】」は、「心(うら)病(や)む」の意だそうです。
心はキチンとしていなければなりませんが、「う」には空っぽの意味もあります。
「うつ(空)」です。「空蝉」の「うつ(空)」です。
この「うつ(空)」は、「うつほ(空・虚・洞)」だとか、「うつろ(空・虚・洞)だとか、「うつけ(空・虚)」という言葉とも関連していますね。
面白いですね。
さて、重たくて、マイナスのイメージのある事ばかりも行ってられませんね。
言霊の幸ふ国ですから。
もちろん「う」にもプラスのイメージのある言葉も沢山あります。
先ずは「う(得・獲)」ですね。「える(得)」と同義です。
「う・る(売)」というのもそうですね。
儲かりそうです。
「うるお・う[うるほふ]【潤・霑】なんかも良いですね。
楽しくなってきます。
そう。
「うれし・い 【嬉・快・歓】」もそうですね。
この「うれ」もさっきの「うら(心)」なんだそうです。
「うるわし・い[うるはしい] 【美・麗】」とか、「うつくし・い 【美・愛】」もありますね。
「うた 【歌・唄】」も良いですね。
このように見てきますと「う」にも色んな意味があります。
「十【う】十色」といった感じでしょうか。
最近、閉塞感のある世情ですが、「恨み」や「膿」だらけの世の中ではなくて、・・・・
人々が「潤い」、「美しい」自然や文化に囲まれ、「嬉し」くて、思わずみんなが「歌っちゃう」世の中になって欲しいものですね。
うん。
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FMおかざき76.3「心の宅急便」の74回目の放送です。
先週の「あ」のお話に引き続き「い」のお話です。
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みなさんこんにちは。
私たちの日本は「言霊の幸ふ国」と言われてきました。
「言霊(ことだま)」というのは、「言葉に宿る霊的な力」のことです。
「善いことばは吉事を招き、不吉なことばは凶事をもたらす」という信仰ですね。
これは、「言(こと)」=「事(こと)」という考えから来ています。
この言霊信仰は、我々神主が神前に奏上する「祝詞(のりと)」や、忌み言葉などにみられます。
そこで、色々な「言葉」について考えてみたいと思います。
先週の「あ」の話に続いて第二弾!「い」のつく言葉についてみてみましょう。
「い」のつく言葉も色々ありますね。
いし(石)、いわ(岩)、いろ(色)、いけ(池)、いぬ(犬)、いた(板)、・・・・
ここで一つ注意しておかなければならないのは、「い」に3種類あると言うことです。
それは、
ア行の「い」「イ」… いのち、いね、息、寝ぬ、五十、今、…
ワ行の「ゐ」「ヰ」… 居る、井戸、…
ヤ行の「い」「イ」… 射る、鋳る、…
という3種類です。
今日は時間の都合もありますので、この中のア行の「い」についてみてみましょう。
「い」のつく言葉で最初に思いつくのは何でしょうか。
いろいろ有りますが、先ずは・・・そうですね、「いのち」という言葉。
「いのち(命)」というのは、「いのうち(息の内)」「いきのうち(息気の内)」というのが語源だそうです。
「いき(息)」は、呼吸のことですね。
「いきる(生)」も、息があって生きることが出来るといえますね。
「いのち」「いき」「いきる」の「い」はみんな同根だと考えられます。
生命にとって大切な「い」ということですね。
また、「いね(稲)」という言葉がありますね。この「いね」は「いのち(命)」の「ね(根)」という意味です。
お米は日本人の主食。神事にも欠かせません。
まさに日本人にとって生命の源というのが「いね(稲)」なんです。
天孫降臨の際、天照大御神さまは、皇孫瓊瓊杵尊に、籾種を授けられました。
そして現在でも宮中で、天皇陛下が稲作をなさっています。
神話の時代から連綿とつながる、日本文化の源が「い」なのかもしれません。
お米を炊いてご飯にします。これを昔の言葉で「いひ(飯)」と言います。
「飯田さん」や「飯島さん」の「イイ」ですね。
これも「い」です。
稲作と同様、日本人の生活、日本文化にとって重要なのが養蚕です。
天皇陛下が稲作をなさるように、皇后陛下は宮中で今も養蚕をされています。
この養蚕でつくるのが、そう、「いと(糸)」ですね。
「いと(糸)」は、繭、綿、麻、毛など、いろいろな繊維がありますが、もっとも大切なのはやはり御蚕さんの 「きいと(生糸)」でしょう。絹ですね。もちろん神事にも欠かせません。
こんな「いと(糸)」ですが、ここにも「い」があります。
さらに・・・
「食」と「衣」が出てきましたので・・・・
じゃあ「住」は?
そうです。「いえ(家)」ですね。
ほら。ここにも「い」がついています。
「いへ(家)」は住居、建物のことですが、それ以外にも家族。先祖から代々伝えてきた家族団体というつながりも意味します。「○○家」といった場合の「いへ(家)」ですね。
いかがでしょう。
衣食住すべてに「い」のつく言葉があります。
「い」が如何に大事な言葉かお分かりいただけたのではないでしょうか。
次に動詞について見てみましょう。
先ず「いう」という言葉です。
「いふ(言)」というのは、言葉として表現するということです。述べるとか、しゃべることですね。
もっと深く考えてみれば、「い」が「いのち」「いき」の「い」だとすれば、「い(息)」を表に出すことが「いふ(言)」なのかもしれませんね?
「息」は「生命」であり、「魂」であります。
言霊の信仰についてもお話ししましたが、正にそうですね。
言霊のこもった言葉を、息ともに発することが「いふ(言)」ということなんです。
次に「いる(入)」と「いず(出)」という言葉もあります。
対義語ですが、ともに「い」のつく言葉です。
「いる(入)」は、中に入ること。「息有る」が語源でしょうか。
「いづ(出)」は、外に出ること。「息出づ」が語源でしょうか。
動作以外に状態変化を表すこともありますので、補助動詞として・・・
「消え入る」「寝入る」「思い入る」「泣き入る」「痛み入る」…
「歩みいづ」「起きいづ」「逃げいづ」「降りいづ」…
などとも使われますね。
他にも・・・、
「い(寝)」という言葉があります。「ねむること。ねむり。睡眠。」を表しますが、
「いぬ(寝)」(名詞「い(寝)」と動詞「ぬ(寝)」との複合語)となって、「寝る。眠る。」という意味の動詞になります。
古文で「いを寝(ぬ)」「いも寝」「いの寝らえぬ」「いこそ寝られね」など、助詞を介して「い…ぬ」の形で 用いられるのをご存じの方も多いと思います。
その「い(寝)」ですね。
安眠は最高の休息でしょうか。
ここら辺にも「い(息)」と「い(寝)」が、つながるところがあるのかも知れませんね。
ちなみに「いぬ」つながりで、「いぬ(犬)」。
家畜となった最初の動物だともいわれています?
古事記や万葉集にも既に出てきます。
この「いぬ(犬)」の語源は、「いへ(家)」に「ぬ(寝)る」なんだそうです。
なるほど。
さらに、「五十」と書いてなんと読むでしょう。
答えは「い」です。
今で言うと、「五十嵐さん」「五十鈴さん」の「い(五十)」といったら分かりやすいでしょうかね。
「万葉集」には
「五十日太(いかだ)」(一・五〇)
「五十母不宿二(いも寝ずに)」(九・一七八七)
「五十寸手(生きて)」(一二・二九〇四)
「五十戸常 (言へど)」(四・六七四)
のように「五十」を借訓仮名の「イ」として用いた例が多数出てきます。
この「い(五十)」は、単に数字としての50という意味の他に、たくさんのという意味があります。
「五十瀬」という言葉があります。「たくさんの瀬」という意味ですが、「いせ」と読みます。
そしてこれが「伊勢」という地名の由来だという説もあります。
伊勢神宮の御手洗川も「五十鈴川」
う~ん。何か関係はあるのでしょうかねぇ。
少々話がそれましたが、「い」というのが、「いのち」「いき」の「い」であること。そして日本文化と深い関わりをもつ言葉に使われていることはおわかりいただけたと思います。
ここで、今の我が国の世情をみてみるといかがでしょう。
実に混沌としていますよね。
景気は芳しくなく、政治と金の問題もあります。
世界的に見ても、中国におされ、日本の国力も低下の一途を辿っているような気がします。
そんなことを思うと、力強い「いぶき(息吹)が今の日本には必要なんじゃないかな」という気がしてきます。
「いぶき(息吹)」は、
①息を吹くこと。呼吸。
②(神が息を吹く意で)風。
③(比喩的に用いて)活動をもよおす気分。生気。活気。
ですが、「い」にパワーのこもった「息吹」が必要かもしれませんね。
そうしたら、自ずと「いきおい(勢)」が出てくるはずです。
「いきほひ(勢)」は、「い(息)」+「きほふ(競)」です。
①他を圧倒する力。元気。活気。気勢。士気。
②政治力、経済力、武力などによる社会的な支配力。人を従わせる威徳。
③自然界のエネルギー。「火の勢い」「風の勢い」
ここにも強烈な「い」が必要なんです。
私共神主の仕事は「祈る」ことです。
この「いのり」「いのる」も「い」なんですね。
「いのる(祈)」というのは、言葉に出して請い願うことです。
「い」は「神聖」とか「斎」の意がありますし、「のる」は「宣る」という意で、「神の名を唱える」が原義だとも言われます。
また、「い(息)の(宣)る」とも考えられます。
「神聖なことばを、魂を込めて宣る」これが「祈り」であり「祈る」ことです。
まさに言霊信仰そのものですね。
私自身毎日、少しでもこの国が良い国になるよう祈り続けていきたいと思います。
ちなみに私の名字も「いな」ですから^^;
いろいろ見てきましたが、他にも「い」のつく言葉はたくさんあります。
「いし(石)」と「いは(岩)」、「いた(板)」「いも(芋)」「いそ(磯)」「いけ(池)」などなど。
色々探して、語源などを調べたり、関連を推理したりするのも楽しいですね。
来週は「う」の話の予定です。
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先週の「あ」のお話に引き続き「い」のお話です。
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みなさんこんにちは。
私たちの日本は「言霊の幸ふ国」と言われてきました。
「言霊(ことだま)」というのは、「言葉に宿る霊的な力」のことです。
「善いことばは吉事を招き、不吉なことばは凶事をもたらす」という信仰ですね。
これは、「言(こと)」=「事(こと)」という考えから来ています。
この言霊信仰は、我々神主が神前に奏上する「祝詞(のりと)」や、忌み言葉などにみられます。
そこで、色々な「言葉」について考えてみたいと思います。
先週の「あ」の話に続いて第二弾!「い」のつく言葉についてみてみましょう。
「い」のつく言葉も色々ありますね。
いし(石)、いわ(岩)、いろ(色)、いけ(池)、いぬ(犬)、いた(板)、・・・・
ここで一つ注意しておかなければならないのは、「い」に3種類あると言うことです。
それは、
ア行の「い」「イ」… いのち、いね、息、寝ぬ、五十、今、…
ワ行の「ゐ」「ヰ」… 居る、井戸、…
ヤ行の「い」「イ」… 射る、鋳る、…
という3種類です。
今日は時間の都合もありますので、この中のア行の「い」についてみてみましょう。
「い」のつく言葉で最初に思いつくのは何でしょうか。
いろいろ有りますが、先ずは・・・そうですね、「いのち」という言葉。
「いのち(命)」というのは、「いのうち(息の内)」「いきのうち(息気の内)」というのが語源だそうです。
「いき(息)」は、呼吸のことですね。
「いきる(生)」も、息があって生きることが出来るといえますね。
「いのち」「いき」「いきる」の「い」はみんな同根だと考えられます。
生命にとって大切な「い」ということですね。
また、「いね(稲)」という言葉がありますね。この「いね」は「いのち(命)」の「ね(根)」という意味です。
お米は日本人の主食。神事にも欠かせません。
まさに日本人にとって生命の源というのが「いね(稲)」なんです。
天孫降臨の際、天照大御神さまは、皇孫瓊瓊杵尊に、籾種を授けられました。
そして現在でも宮中で、天皇陛下が稲作をなさっています。
神話の時代から連綿とつながる、日本文化の源が「い」なのかもしれません。
お米を炊いてご飯にします。これを昔の言葉で「いひ(飯)」と言います。
「飯田さん」や「飯島さん」の「イイ」ですね。
これも「い」です。
稲作と同様、日本人の生活、日本文化にとって重要なのが養蚕です。
天皇陛下が稲作をなさるように、皇后陛下は宮中で今も養蚕をされています。
この養蚕でつくるのが、そう、「いと(糸)」ですね。
「いと(糸)」は、繭、綿、麻、毛など、いろいろな繊維がありますが、もっとも大切なのはやはり御蚕さんの 「きいと(生糸)」でしょう。絹ですね。もちろん神事にも欠かせません。
こんな「いと(糸)」ですが、ここにも「い」があります。
さらに・・・
「食」と「衣」が出てきましたので・・・・
じゃあ「住」は?
そうです。「いえ(家)」ですね。
ほら。ここにも「い」がついています。
「いへ(家)」は住居、建物のことですが、それ以外にも家族。先祖から代々伝えてきた家族団体というつながりも意味します。「○○家」といった場合の「いへ(家)」ですね。
いかがでしょう。
衣食住すべてに「い」のつく言葉があります。
「い」が如何に大事な言葉かお分かりいただけたのではないでしょうか。
次に動詞について見てみましょう。
先ず「いう」という言葉です。
「いふ(言)」というのは、言葉として表現するということです。述べるとか、しゃべることですね。
もっと深く考えてみれば、「い」が「いのち」「いき」の「い」だとすれば、「い(息)」を表に出すことが「いふ(言)」なのかもしれませんね?
「息」は「生命」であり、「魂」であります。
言霊の信仰についてもお話ししましたが、正にそうですね。
言霊のこもった言葉を、息ともに発することが「いふ(言)」ということなんです。
次に「いる(入)」と「いず(出)」という言葉もあります。
対義語ですが、ともに「い」のつく言葉です。
「いる(入)」は、中に入ること。「息有る」が語源でしょうか。
「いづ(出)」は、外に出ること。「息出づ」が語源でしょうか。
動作以外に状態変化を表すこともありますので、補助動詞として・・・
「消え入る」「寝入る」「思い入る」「泣き入る」「痛み入る」…
「歩みいづ」「起きいづ」「逃げいづ」「降りいづ」…
などとも使われますね。
他にも・・・、
「い(寝)」という言葉があります。「ねむること。ねむり。睡眠。」を表しますが、
「いぬ(寝)」(名詞「い(寝)」と動詞「ぬ(寝)」との複合語)となって、「寝る。眠る。」という意味の動詞になります。
古文で「いを寝(ぬ)」「いも寝」「いの寝らえぬ」「いこそ寝られね」など、助詞を介して「い…ぬ」の形で 用いられるのをご存じの方も多いと思います。
その「い(寝)」ですね。
安眠は最高の休息でしょうか。
ここら辺にも「い(息)」と「い(寝)」が、つながるところがあるのかも知れませんね。
ちなみに「いぬ」つながりで、「いぬ(犬)」。
家畜となった最初の動物だともいわれています?
古事記や万葉集にも既に出てきます。
この「いぬ(犬)」の語源は、「いへ(家)」に「ぬ(寝)る」なんだそうです。
なるほど。
さらに、「五十」と書いてなんと読むでしょう。
答えは「い」です。
今で言うと、「五十嵐さん」「五十鈴さん」の「い(五十)」といったら分かりやすいでしょうかね。
「万葉集」には
「五十日太(いかだ)」(一・五〇)
「五十母不宿二(いも寝ずに)」(九・一七八七)
「五十寸手(生きて)」(一二・二九〇四)
「五十戸常 (言へど)」(四・六七四)
のように「五十」を借訓仮名の「イ」として用いた例が多数出てきます。
この「い(五十)」は、単に数字としての50という意味の他に、たくさんのという意味があります。
「五十瀬」という言葉があります。「たくさんの瀬」という意味ですが、「いせ」と読みます。
そしてこれが「伊勢」という地名の由来だという説もあります。
伊勢神宮の御手洗川も「五十鈴川」
う~ん。何か関係はあるのでしょうかねぇ。
少々話がそれましたが、「い」というのが、「いのち」「いき」の「い」であること。そして日本文化と深い関わりをもつ言葉に使われていることはおわかりいただけたと思います。
ここで、今の我が国の世情をみてみるといかがでしょう。
実に混沌としていますよね。
景気は芳しくなく、政治と金の問題もあります。
世界的に見ても、中国におされ、日本の国力も低下の一途を辿っているような気がします。
そんなことを思うと、力強い「いぶき(息吹)が今の日本には必要なんじゃないかな」という気がしてきます。
「いぶき(息吹)」は、
①息を吹くこと。呼吸。
②(神が息を吹く意で)風。
③(比喩的に用いて)活動をもよおす気分。生気。活気。
ですが、「い」にパワーのこもった「息吹」が必要かもしれませんね。
そうしたら、自ずと「いきおい(勢)」が出てくるはずです。
「いきほひ(勢)」は、「い(息)」+「きほふ(競)」です。
①他を圧倒する力。元気。活気。気勢。士気。
②政治力、経済力、武力などによる社会的な支配力。人を従わせる威徳。
③自然界のエネルギー。「火の勢い」「風の勢い」
ここにも強烈な「い」が必要なんです。
私共神主の仕事は「祈る」ことです。
この「いのり」「いのる」も「い」なんですね。
「いのる(祈)」というのは、言葉に出して請い願うことです。
「い」は「神聖」とか「斎」の意がありますし、「のる」は「宣る」という意で、「神の名を唱える」が原義だとも言われます。
また、「い(息)の(宣)る」とも考えられます。
「神聖なことばを、魂を込めて宣る」これが「祈り」であり「祈る」ことです。
まさに言霊信仰そのものですね。
私自身毎日、少しでもこの国が良い国になるよう祈り続けていきたいと思います。
ちなみに私の名字も「いな」ですから^^;
いろいろ見てきましたが、他にも「い」のつく言葉はたくさんあります。
「いし(石)」と「いは(岩)」、「いた(板)」「いも(芋)」「いそ(磯)」「いけ(池)」などなど。
色々探して、語源などを調べたり、関連を推理したりするのも楽しいですね。
来週は「う」の話の予定です。
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FMおかざき76.3「心の宅急便」の73回目の放送です。
明日は楽しいひな祭り。
「あ」かりをつけましょぼんぼりに~♪
ということで、今日は、「あ」のお話です。
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先ず始めに、先日のチリでの大地震、被災された方々に心からお見舞い申し上げますとともに、行方不明の方々の一日も早い救出と、被災地の一日も早いご復興をお祈り申し上げます。
それにしても、現地の略奪行為の映像は衝撃的でした。
日本なら決してあんなことは起こらないだろうと思うと、国民性ということをつくづく考えさせられますね。
さて、私たちの日本は「言霊の幸ふ国」と言われてきました。
「言霊(ことだま)」というのは、「言葉に宿る霊的な力」のことです。
「善いことばは吉事を招き、不吉なことばは凶事をもたらす」という信仰ですね。
これは、「言(こと)」=「事(こと)」という考えから来ています。
この言霊信仰は、我々神主が神前に奏上する「祝詞(のりと)」や、忌み言葉などにみられます。
そこで、色々な「言葉」について考えてみたいと思います。
先ずは最初ですから「あ」についてみてみましょう。
「あ」という言葉は・・・
すべての音の源であるとも言えます。
50音の始めの音ですね。
梵語でも「阿吽」というように最初に出てきます。
アルファベットのAもそうですね。
いろんな音の最初に来るのが「あ」と言うわけですから、それだけ基本的な言葉と言えます。
驚いたときの「あっ!」
感動したときの「ああ!」
落胆したときの「あぁ…」
安堵したときの「あぁ。」
いろんな「あ」があります。
赤ちゃんが最初に発するのも「アー、アー」ですね。
もっとも基本的な言葉と言えるでしょう。
そしていろんな意味合いで発せられるのが「あ」です。
人の基本的な感情・言霊の動きが「あ」とも言えるのではないでしょうか。
また、大切なものには「あ」がつくとも言われます。
例えば、「あめ」、「あま」がありますね。
神々のいらっしゃる世界を「高天原」といいます。「天」=「あめ」「あま」ですね。
「天地」を「あめつち」と読みます。
その「天から降ってくる水」も、「あめ(雨)」ですね。生命力の源の水です。
七五三で戴くのも「あめ(千歳飴)」これも関係があるでしょうか?
神様のお恵みを戴いて色々なものが生まれます。
「生まれる」ことを、「生(あ)れる」「生(あ)れ出でる」といいます。
これも「あ」ですね。
人や生物以外のもの、例えば現象などが生じることを「あらわれる(現・顕)」といいます。
これも「あ」です。
そして全てのものが存在することを、「あり(有)」「ある(有)」といいますね。
これも「あ」ですね。
伊勢の皇大神宮。
天照大御神さまの荒御魂(あらみたま)をおまつりする荒祭宮(あらまつりのみや)という別宮があります。
この「荒御魂」というのも「あ」ですね。
こうみてくると「あ」という言葉が、とても尊い言葉に見えてきますね。
二つの「あ」が出会い結びつくことを「あう」といいます。
「合う」「逢う」「遭う」「会う」などいろんな漢字が当てられますね。
あてる漢字が多いと言うことも、それだけ「あう」という言葉の持つ多様性を示していると言えましょう。
あ、「充てる」「当てる」も「あ」ですね。
我々がものを視覚で認識するには、光と色が必要ですね。
やまとことばには、色を表すことばが4つあります。
「あを」「あか」「しろ」「くろ」の4つです。
光の三原色=青・赤・緑(RGB)
色の三原色=青・赤・黄(CMY)
ですが、この「あを」「あか」がちゃんと入っていますね。
そしてこのふたつも「あ」のつく言葉です。
「あか」は、「赤」「明け」「明く」「明け」で、「くろ」の「黒」「暗し」「暮る」「暮れ」と対になっているようですね。
また、「あを」の示す色相は広くって、青だけでなく、緑・紫、さらに黒・白・灰色も含んだ幅広い色のようです。。
古くは、シロ(顕) アヲ(漠)と対立して、ほのかな光の感覚を示す「白雲・青雲」なんて言葉もありました。
さらにアカ(熟) アヲ(未熟)と対立して、未成熟状態を示したりもします。
複雑な関係になっていますが、「あ」が「あか」にも「あを」にもなる。そこがポイントだと思います。
もっと単純に「あ」そのものの意味を考えてみましょう。
「あ」には、「あ(吾)」という意味があります。
一人称の「私」ですね。「あれ」とか「われ」のことです。
なんでも「わ(我)」よりも私的、親密なのが「あ」だそうです。「あたし」と「わたし」で考えれば分かりやすいでしょうか。
その一方で、「あ」には、「あ(彼)」という遠くのものをさして言う意味があります。「あれ」「かれ」のことですね。
「あれ」・「それ」・「これ」、「あの」・「その」・「この」というときの「あ」です。
「あ」の距離感、面白いと思いませんか?
あるときは最も近い自分を差し、あるときは遠いものを差す。
遠近の両面性とでもいいましょうか。これもポイントです。
「あ」には、「畔」「畦」という意味もあります。
田んぼの畦(あぜ)のことですね。
「畔放ち(あはなち)」といえば、素戔嗚尊が高天原で犯した大罪(天つ罪)の一つです。
「あ」がとても大切なものだということを示しています。
人の身体にも大切な「あ」があります。
そう「あたま」ですね。
「あたま」は、「あ(天)」+「たま(玉)」でしょうか。
人は頭から生まれてきます。
「あたま」の善し悪しがその人生を左右したりもします。
その反対が「あし」です。
「はし(端)」が語源かとも言われますが、これも「あ」がつきますね。
ひとはその「あし」でしっかり立って、自立した人生をおくらなければなりません。
ということは・・・
人は「あめ(天)」の神様から、尊い魂(いのち)を授かって、
「あたま」から「あ(生)れ出でる」
そして成長し、自らの「あし」でしっかりと自立した状態で「有ら」なければならない。
ということでしょうか。
「あ」という言葉についてみてきましたが、色んな意味、時には正反対の意味が含まれることが分かりました。
「あを(青)」や「あか(赤)」。
「あに(兄)」や「あね(姉)」もそうですね。
でもこれが重要なんです。
如何に「深み」があるかということですね。
皆さんも色々と、考えてみて下さい。
きっと色々な発見があると思いますよ。
言霊というのは、現代の子育てにも有効です。
「善いことばは吉事を招き、不吉なことばは凶事をもたらす」
ということと、「子供は叱るのではなく、褒めて育てろ」というのは同じ事ですね。
「馬鹿だ」「駄目だ」と言われ続けた子はそうなっちゃうんです。
「良い子だ」「すごいね」「よくやった」と褒め続けなくちゃ行けませんね。
なかなか出来ることではないんですが(笑)
ちなみに「アホ」というのは決して悪い言葉ではありません。
かつて平城天皇の第一皇子は「阿保親王」でした。
大阪の松原市には「阿保神社」という天神様をおまつりする神社があります。
皇子や神社の名前に、悪い言葉は使いませんよね。
事実、「あほ」はもともと「母」とか「乳母」を意味する言葉だったようです。
いつまでも「母」や「乳母」の庇護が必要だから、おバカさんという意味になったのか、母が無償の愛を子に与える姿から純粋なと意味で「阿呆」となったのかわかりませんが、言葉を考えるときは、やっぱりその元々の姿というか意味合いをしっかり調べて考えないといけませんね。
いろいろ面白いものです。
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これから、ちょっとシリーズ化してみようかと思います。
次は・・・。
明日は楽しいひな祭り。
「あ」かりをつけましょぼんぼりに~♪
ということで、今日は、「あ」のお話です。
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先ず始めに、先日のチリでの大地震、被災された方々に心からお見舞い申し上げますとともに、行方不明の方々の一日も早い救出と、被災地の一日も早いご復興をお祈り申し上げます。
それにしても、現地の略奪行為の映像は衝撃的でした。
日本なら決してあんなことは起こらないだろうと思うと、国民性ということをつくづく考えさせられますね。
さて、私たちの日本は「言霊の幸ふ国」と言われてきました。
「言霊(ことだま)」というのは、「言葉に宿る霊的な力」のことです。
「善いことばは吉事を招き、不吉なことばは凶事をもたらす」という信仰ですね。
これは、「言(こと)」=「事(こと)」という考えから来ています。
この言霊信仰は、我々神主が神前に奏上する「祝詞(のりと)」や、忌み言葉などにみられます。
そこで、色々な「言葉」について考えてみたいと思います。
先ずは最初ですから「あ」についてみてみましょう。
「あ」という言葉は・・・
すべての音の源であるとも言えます。
50音の始めの音ですね。
梵語でも「阿吽」というように最初に出てきます。
アルファベットのAもそうですね。
いろんな音の最初に来るのが「あ」と言うわけですから、それだけ基本的な言葉と言えます。
驚いたときの「あっ!」
感動したときの「ああ!」
落胆したときの「あぁ…」
安堵したときの「あぁ。」
いろんな「あ」があります。
赤ちゃんが最初に発するのも「アー、アー」ですね。
もっとも基本的な言葉と言えるでしょう。
そしていろんな意味合いで発せられるのが「あ」です。
人の基本的な感情・言霊の動きが「あ」とも言えるのではないでしょうか。
また、大切なものには「あ」がつくとも言われます。
例えば、「あめ」、「あま」がありますね。
神々のいらっしゃる世界を「高天原」といいます。「天」=「あめ」「あま」ですね。
「天地」を「あめつち」と読みます。
その「天から降ってくる水」も、「あめ(雨)」ですね。生命力の源の水です。
七五三で戴くのも「あめ(千歳飴)」これも関係があるでしょうか?
神様のお恵みを戴いて色々なものが生まれます。
「生まれる」ことを、「生(あ)れる」「生(あ)れ出でる」といいます。
これも「あ」ですね。
人や生物以外のもの、例えば現象などが生じることを「あらわれる(現・顕)」といいます。
これも「あ」です。
そして全てのものが存在することを、「あり(有)」「ある(有)」といいますね。
これも「あ」ですね。
伊勢の皇大神宮。
天照大御神さまの荒御魂(あらみたま)をおまつりする荒祭宮(あらまつりのみや)という別宮があります。
この「荒御魂」というのも「あ」ですね。
こうみてくると「あ」という言葉が、とても尊い言葉に見えてきますね。
二つの「あ」が出会い結びつくことを「あう」といいます。
「合う」「逢う」「遭う」「会う」などいろんな漢字が当てられますね。
あてる漢字が多いと言うことも、それだけ「あう」という言葉の持つ多様性を示していると言えましょう。
あ、「充てる」「当てる」も「あ」ですね。
我々がものを視覚で認識するには、光と色が必要ですね。
やまとことばには、色を表すことばが4つあります。
「あを」「あか」「しろ」「くろ」の4つです。
光の三原色=青・赤・緑(RGB)
色の三原色=青・赤・黄(CMY)
ですが、この「あを」「あか」がちゃんと入っていますね。
そしてこのふたつも「あ」のつく言葉です。
「あか」は、「赤」「明け」「明く」「明け」で、「くろ」の「黒」「暗し」「暮る」「暮れ」と対になっているようですね。
また、「あを」の示す色相は広くって、青だけでなく、緑・紫、さらに黒・白・灰色も含んだ幅広い色のようです。。
古くは、シロ(顕) アヲ(漠)と対立して、ほのかな光の感覚を示す「白雲・青雲」なんて言葉もありました。
さらにアカ(熟) アヲ(未熟)と対立して、未成熟状態を示したりもします。
複雑な関係になっていますが、「あ」が「あか」にも「あを」にもなる。そこがポイントだと思います。
もっと単純に「あ」そのものの意味を考えてみましょう。
「あ」には、「あ(吾)」という意味があります。
一人称の「私」ですね。「あれ」とか「われ」のことです。
なんでも「わ(我)」よりも私的、親密なのが「あ」だそうです。「あたし」と「わたし」で考えれば分かりやすいでしょうか。
その一方で、「あ」には、「あ(彼)」という遠くのものをさして言う意味があります。「あれ」「かれ」のことですね。
「あれ」・「それ」・「これ」、「あの」・「その」・「この」というときの「あ」です。
「あ」の距離感、面白いと思いませんか?
あるときは最も近い自分を差し、あるときは遠いものを差す。
遠近の両面性とでもいいましょうか。これもポイントです。
「あ」には、「畔」「畦」という意味もあります。
田んぼの畦(あぜ)のことですね。
「畔放ち(あはなち)」といえば、素戔嗚尊が高天原で犯した大罪(天つ罪)の一つです。
「あ」がとても大切なものだということを示しています。
人の身体にも大切な「あ」があります。
そう「あたま」ですね。
「あたま」は、「あ(天)」+「たま(玉)」でしょうか。
人は頭から生まれてきます。
「あたま」の善し悪しがその人生を左右したりもします。
その反対が「あし」です。
「はし(端)」が語源かとも言われますが、これも「あ」がつきますね。
ひとはその「あし」でしっかり立って、自立した人生をおくらなければなりません。
ということは・・・
人は「あめ(天)」の神様から、尊い魂(いのち)を授かって、
「あたま」から「あ(生)れ出でる」
そして成長し、自らの「あし」でしっかりと自立した状態で「有ら」なければならない。
ということでしょうか。
「あ」という言葉についてみてきましたが、色んな意味、時には正反対の意味が含まれることが分かりました。
「あを(青)」や「あか(赤)」。
「あに(兄)」や「あね(姉)」もそうですね。
でもこれが重要なんです。
如何に「深み」があるかということですね。
皆さんも色々と、考えてみて下さい。
きっと色々な発見があると思いますよ。
言霊というのは、現代の子育てにも有効です。
「善いことばは吉事を招き、不吉なことばは凶事をもたらす」
ということと、「子供は叱るのではなく、褒めて育てろ」というのは同じ事ですね。
「馬鹿だ」「駄目だ」と言われ続けた子はそうなっちゃうんです。
「良い子だ」「すごいね」「よくやった」と褒め続けなくちゃ行けませんね。
なかなか出来ることではないんですが(笑)
ちなみに「アホ」というのは決して悪い言葉ではありません。
かつて平城天皇の第一皇子は「阿保親王」でした。
大阪の松原市には「阿保神社」という天神様をおまつりする神社があります。
皇子や神社の名前に、悪い言葉は使いませんよね。
事実、「あほ」はもともと「母」とか「乳母」を意味する言葉だったようです。
いつまでも「母」や「乳母」の庇護が必要だから、おバカさんという意味になったのか、母が無償の愛を子に与える姿から純粋なと意味で「阿呆」となったのかわかりませんが、言葉を考えるときは、やっぱりその元々の姿というか意味合いをしっかり調べて考えないといけませんね。
いろいろ面白いものです。
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これから、ちょっとシリーズ化してみようかと思います。
次は・・・。
FMおかざき76.3「心の宅急便」の72回目の放送です。
先週の「愛国心」に引き続き、ちょっと堅めですが、「竹島の日」のお話です。
昨年もこの時期に同じような話をしていますが、大事なことですから、手抜きだとは言わないで下さいね^^;
----------------------------------------------------------------------
みなさん、こんにちは。
昨日は、平成22年2月22日という「2」並びの日でしたね。
記念切符も発売されていたようですし、当宮にも御朱印を受けられる方もチラホラお見えになりました。
我が家では、子供たちが夜の22時22分22秒になるのを楽しみにしていました(笑)。
何でも全部で「2」が11個。全部足すとこれまた「22」になるんだそうです。
よくもまぁ、2が並んだものですね。
ただこれも「平成」という元号があるからなんですね。
西暦だけではこんな事は楽しめません^^;
改めて有り難いことだと思いますし、これを機会に、多くの皆さんに「元号」をもっと使って欲しいと思います。
話がそれました。
実は昨日の2月22日は、それとは別に意味のある日でした。
昨年も同じような話をさせていただきました。
そうです。「竹島の日」だったんですね。
皆さんご存じでしたか?
「竹島」って分かります?
韓国の人たちは「独島」って呼んでますが・・・。
この「竹島」は我が国固有の領土なんですが、韓国が不法占拠したまま今に至っています。
その状況を何とかしたいと、地元の島根県が立ち上がって、平成17年に「竹島の日」を制定したんですね。
以来毎年、この2月22日に記念式典を開催しています。
私も以前参列したことがありますが、改めて領土問題について考えさせられます。
今年は特に政権交代してから初めての式典ですから、新政権の対応が注目されていましたが、案の定、政府関係者、民主党の国会議員の出席はゼロだったようです。
実に情けないことだと思います。
当日、平野官房長官は記者会見で、「この問題は我が国の立場を堅持しつつ、粘り強く韓国に訴えていく」としながらも、政府として改めて記念日を制定することについては、「現時点では考えていない」とコメントしたそうです。
また、昨年末に発表された高校の指導要領解説書からは、「竹島問題」の記述自体が削除されており、非常に鳩山政権の弱腰の姿勢が明確になっています。
さらに、最近民主党議員へのヤミ献金で話題になった北教組が「竹島は韓国領だ」と主張したことが報じられ、それが韓国内で大きく取り上げられたということもありました。
現在開催中のバンクーバーオリンピックの会場でも、韓国側は、韓国領「独島」を大々的に世界にPRしているようです。これに対する日本政府の抗議は一体どうなっているのでしょうか???
色々な資料を読んでみれば、竹島が我が国固有の領土であることは間違いありません。
韓国側が不服なら、国際司法裁判所で、白黒決着をつければ良いだけです。
韓国がそれに応じるよう日本政府は断固とした姿勢を示さなければなりません。
韓国が領有権を主張し「独島」と呼ぶ島は、「竹島」ではありません。
「竹島」は「松島」と呼ばれた時期もありましたが、「男島」「女島」からなる夫婦島です。
けっして「独島」ではないんです。そこからして矛盾があります。
韓国側の主張が正しいのなら、正々堂々と国際司法裁判所で平和的に争えば良いんです。
武力で不法占拠する韓国のやり方はフェアではありません。
皆さんはいかがお考えでしょうか。
この問題を解決するには、政府の努力も大切ですが、やはり世論の盛り上がりも不可欠です。
小さな島の問題と笑って済ますわけにはいきません。
膨大な排他的経済水域に関わる問題です。
海洋国家の日本にとってはまさに生命線と言えましょう。
そして、米軍は守ってくれません。
先日の国会質疑の中でも明らかになりました。
米軍基地の移設先にでもなれば別でしょうが^^;
物理的にそれは無理ですね。
是非皆さんに関心を持って戴きたいと思います。
そして、子供たちにもちゃんと教えて行かなくてはいけません。
やっぱり、それしかないでしょうかね。
----------------------------------------------------------------------
昨年お話しした内容を纏めたものはこちら。
やはり手抜きでしたかね^^;
先週の「愛国心」に引き続き、ちょっと堅めですが、「竹島の日」のお話です。
昨年もこの時期に同じような話をしていますが、大事なことですから、手抜きだとは言わないで下さいね^^;
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みなさん、こんにちは。
昨日は、平成22年2月22日という「2」並びの日でしたね。
記念切符も発売されていたようですし、当宮にも御朱印を受けられる方もチラホラお見えになりました。
我が家では、子供たちが夜の22時22分22秒になるのを楽しみにしていました(笑)。
何でも全部で「2」が11個。全部足すとこれまた「22」になるんだそうです。
よくもまぁ、2が並んだものですね。
ただこれも「平成」という元号があるからなんですね。
西暦だけではこんな事は楽しめません^^;
改めて有り難いことだと思いますし、これを機会に、多くの皆さんに「元号」をもっと使って欲しいと思います。
話がそれました。
実は昨日の2月22日は、それとは別に意味のある日でした。
昨年も同じような話をさせていただきました。
そうです。「竹島の日」だったんですね。
皆さんご存じでしたか?
「竹島」って分かります?
韓国の人たちは「独島」って呼んでますが・・・。
この「竹島」は我が国固有の領土なんですが、韓国が不法占拠したまま今に至っています。
その状況を何とかしたいと、地元の島根県が立ち上がって、平成17年に「竹島の日」を制定したんですね。
以来毎年、この2月22日に記念式典を開催しています。
私も以前参列したことがありますが、改めて領土問題について考えさせられます。
今年は特に政権交代してから初めての式典ですから、新政権の対応が注目されていましたが、案の定、政府関係者、民主党の国会議員の出席はゼロだったようです。
実に情けないことだと思います。
当日、平野官房長官は記者会見で、「この問題は我が国の立場を堅持しつつ、粘り強く韓国に訴えていく」としながらも、政府として改めて記念日を制定することについては、「現時点では考えていない」とコメントしたそうです。
また、昨年末に発表された高校の指導要領解説書からは、「竹島問題」の記述自体が削除されており、非常に鳩山政権の弱腰の姿勢が明確になっています。
さらに、最近民主党議員へのヤミ献金で話題になった北教組が「竹島は韓国領だ」と主張したことが報じられ、それが韓国内で大きく取り上げられたということもありました。
現在開催中のバンクーバーオリンピックの会場でも、韓国側は、韓国領「独島」を大々的に世界にPRしているようです。これに対する日本政府の抗議は一体どうなっているのでしょうか???
色々な資料を読んでみれば、竹島が我が国固有の領土であることは間違いありません。
韓国側が不服なら、国際司法裁判所で、白黒決着をつければ良いだけです。
韓国がそれに応じるよう日本政府は断固とした姿勢を示さなければなりません。
韓国が領有権を主張し「独島」と呼ぶ島は、「竹島」ではありません。
「竹島」は「松島」と呼ばれた時期もありましたが、「男島」「女島」からなる夫婦島です。
けっして「独島」ではないんです。そこからして矛盾があります。
韓国側の主張が正しいのなら、正々堂々と国際司法裁判所で平和的に争えば良いんです。
武力で不法占拠する韓国のやり方はフェアではありません。
皆さんはいかがお考えでしょうか。
この問題を解決するには、政府の努力も大切ですが、やはり世論の盛り上がりも不可欠です。
小さな島の問題と笑って済ますわけにはいきません。
膨大な排他的経済水域に関わる問題です。
海洋国家の日本にとってはまさに生命線と言えましょう。
そして、米軍は守ってくれません。
先日の国会質疑の中でも明らかになりました。
米軍基地の移設先にでもなれば別でしょうが^^;
物理的にそれは無理ですね。
是非皆さんに関心を持って戴きたいと思います。
そして、子供たちにもちゃんと教えて行かなくてはいけません。
やっぱり、それしかないでしょうかね。
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昨年お話しした内容を纏めたものはこちら。
やはり手抜きでしたかね^^;
FMおかざき76.3「心の宅急便」の71回目の放送です。
ちょっと堅めですが、「愛国心」のお話です。
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みなさん、こんにちは。
今日は「愛国心」の話をします。
「愛国心というのは、文字通り「国を愛する心」です。
自分の国を大切に思う気持、祖国愛ともいいますね。
日本人なら、日本という国をを愛する心です。
数年前の教育基本法改正の議論の中で、この「愛国心」が焦点になりました。
「愛国心」を盛り込むかどうかということですね。
私自身は、おかしな事だと思うのですが、どうも「愛国心」=「軍国主義」という刷り込みがあったり、国旗国歌の日の丸・君が代に対し、異常な嫌悪感を抱く方もいるようです。
そのこともあってか、戦後「愛国心」を育む教育が避けられてきたのも事実でしょう。
しかしながら、「愛国心」は「国を愛する心」です。
日本人が「祖国日本を愛する心」です。
何にも悪いものじゃないですよね。
もっとも、この場合の「国」というのは「国家権力」や「政府」を意味するわけではありません。
裁判などでは「国」=「日本政府」ということになりますが、そんな限定的な意味での「国」ではありません。
四季折々の美しい自然に満ち溢れた国土と、皇室を中心とした悠久の歴史の中で育まれた伝統文化、そしてそこに脈々と息づく勤勉な日本国民。全部ひっくるめて「日本という国」なんです。
「愛国心」というときの「国」は、まさにこのような「国」ですね。
一言で言えば、やっぱり「ニッポン大好き」という素直な気持ちが「愛国心」です。
「愛国心」というのは、教育で教えるものではない。という意見があるのも承知しています。
「愛国心」が教えられるものではなく、自ら育むものだというのも分かります。
しかしながら、今まではこの「愛国心」の醸成に悪影響を及ぼすような教育がなされてきたことが問題だと思っています。その最たるものが自虐史観に基づく歴史教育でしょう。
教育においては、「日本が如何に悪い国だったか」を強調して教えるより、「日本という国はこんなに素敵な国だ」と教える方が、遙かに良い成果をもたらすことに間違いはありません。
さて、今、バンクーバーオリンピック真っ直中ですね。
日本選手の活躍を心から期待しています。
頑張って欲しいですね。
この日本選手を応援する気持ちこそ、愛国心の素直な発露と言えます。
オリンピックと言えば、先日スノーボードの國母選手の服装問題が話題になりました。
一言で言えば、TPOの感覚、常識の欠如なんでしょうが、記者会見での態度も悪い印象を与えてしまいましたね。
確かに、あのようなファッションをする若者を最近良く目にします。
着こなしと言いますが、私にはだらしないとしか見えません。
服装の乱れは、精神の乱れにも通じます。
本来、スポーツは厳格なルールと礼節に則って行われます。
スポーツマンシップですね。
そのことを考えれば、やはり彼も考えが足りなかったんでしょうね。
今回の國母選手の問題で、思わず、長野五輪で表彰式国旗掲揚の時に帽子を取らなかった里谷多英選手を思い出しました。
彼女も国旗掲揚の時に脱帽するという常識を知らなかったんです。
ちなみに、このシーズン、当神社にも合格祈願のご祈祷に多くの学生さんがお参りにみえますが、中には???という服装の子もチラホラいらっしゃいます(笑)。
多いのは、室内で帽子を取らない若者です。
部屋の中、まして挨拶やお辞儀をするときには、帽子をとるのが常識だと思うのですが・・・。
帽子をかぶったままお参りしても・・・・。
それを注意しない(出来ない?)親も親ですね。
こんなことを色々と考えてみますと、常識の欠如というか、教育の荒廃というか。
日本の今のさまざまな病状を端的に表しているような気がします。
そんなこと教えて貰っていない。
そうならそうと早く言えと逆ギレされる世の中です。
道義やモラルはどこに行ってしまったんでしょう?
政治家を見てみても
すべて「知らなかった」で許されるような世の中ですからね。
困ったものです。
言うまでもなく、本来はそうあるべきではありません。
先日2月11日は「建国記念の日(紀元節)」でした。
日本は、神話の時代から連綿と伝わる世界最長の「素晴らしい国」です。その誇りをもって、いつまでも「日本」が「すてきな国」であって欲しいと思いますし、そういう国を子々孫々に伝えていくことが今に生きる我々のつとめだと思います。
これこそ「愛国心」ですね。
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ちょっと堅めですが、「愛国心」のお話です。
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みなさん、こんにちは。
今日は「愛国心」の話をします。
「愛国心というのは、文字通り「国を愛する心」です。
自分の国を大切に思う気持、祖国愛ともいいますね。
日本人なら、日本という国をを愛する心です。
数年前の教育基本法改正の議論の中で、この「愛国心」が焦点になりました。
「愛国心」を盛り込むかどうかということですね。
私自身は、おかしな事だと思うのですが、どうも「愛国心」=「軍国主義」という刷り込みがあったり、国旗国歌の日の丸・君が代に対し、異常な嫌悪感を抱く方もいるようです。
そのこともあってか、戦後「愛国心」を育む教育が避けられてきたのも事実でしょう。
しかしながら、「愛国心」は「国を愛する心」です。
日本人が「祖国日本を愛する心」です。
何にも悪いものじゃないですよね。
もっとも、この場合の「国」というのは「国家権力」や「政府」を意味するわけではありません。
裁判などでは「国」=「日本政府」ということになりますが、そんな限定的な意味での「国」ではありません。
四季折々の美しい自然に満ち溢れた国土と、皇室を中心とした悠久の歴史の中で育まれた伝統文化、そしてそこに脈々と息づく勤勉な日本国民。全部ひっくるめて「日本という国」なんです。
「愛国心」というときの「国」は、まさにこのような「国」ですね。
一言で言えば、やっぱり「ニッポン大好き」という素直な気持ちが「愛国心」です。
「愛国心」というのは、教育で教えるものではない。という意見があるのも承知しています。
「愛国心」が教えられるものではなく、自ら育むものだというのも分かります。
しかしながら、今まではこの「愛国心」の醸成に悪影響を及ぼすような教育がなされてきたことが問題だと思っています。その最たるものが自虐史観に基づく歴史教育でしょう。
教育においては、「日本が如何に悪い国だったか」を強調して教えるより、「日本という国はこんなに素敵な国だ」と教える方が、遙かに良い成果をもたらすことに間違いはありません。
さて、今、バンクーバーオリンピック真っ直中ですね。
日本選手の活躍を心から期待しています。
頑張って欲しいですね。
この日本選手を応援する気持ちこそ、愛国心の素直な発露と言えます。
オリンピックと言えば、先日スノーボードの國母選手の服装問題が話題になりました。
一言で言えば、TPOの感覚、常識の欠如なんでしょうが、記者会見での態度も悪い印象を与えてしまいましたね。
確かに、あのようなファッションをする若者を最近良く目にします。
着こなしと言いますが、私にはだらしないとしか見えません。
服装の乱れは、精神の乱れにも通じます。
本来、スポーツは厳格なルールと礼節に則って行われます。
スポーツマンシップですね。
そのことを考えれば、やはり彼も考えが足りなかったんでしょうね。
今回の國母選手の問題で、思わず、長野五輪で表彰式国旗掲揚の時に帽子を取らなかった里谷多英選手を思い出しました。
彼女も国旗掲揚の時に脱帽するという常識を知らなかったんです。
ちなみに、このシーズン、当神社にも合格祈願のご祈祷に多くの学生さんがお参りにみえますが、中には???という服装の子もチラホラいらっしゃいます(笑)。
多いのは、室内で帽子を取らない若者です。
部屋の中、まして挨拶やお辞儀をするときには、帽子をとるのが常識だと思うのですが・・・。
帽子をかぶったままお参りしても・・・・。
それを注意しない(出来ない?)親も親ですね。
こんなことを色々と考えてみますと、常識の欠如というか、教育の荒廃というか。
日本の今のさまざまな病状を端的に表しているような気がします。
そんなこと教えて貰っていない。
そうならそうと早く言えと逆ギレされる世の中です。
道義やモラルはどこに行ってしまったんでしょう?
政治家を見てみても
すべて「知らなかった」で許されるような世の中ですからね。
困ったものです。
言うまでもなく、本来はそうあるべきではありません。
先日2月11日は「建国記念の日(紀元節)」でした。
日本は、神話の時代から連綿と伝わる世界最長の「素晴らしい国」です。その誇りをもって、いつまでも「日本」が「すてきな国」であって欲しいと思いますし、そういう国を子々孫々に伝えていくことが今に生きる我々のつとめだと思います。
これこそ「愛国心」ですね。
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FMおかざき76.3「心の宅急便」の70回目の放送です。
昨日の「針供養」にちなんだお話です。
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皆さんこんにちは。
「針供養」というのは、「女性が裁縫を休み、古針や折れた針を集めて、豆腐や蒟蒻などにさして供養する」年中行事です。
テレビのニュースや新聞等でも取り上げられることがありますので、ご存じの方も多いと思います。
でも、実際に針供養をされる方は、年々少なくなってきているのでしょうか?
皆さんは、いかがでしょうか?
さて、この「針供養」は、「針に感謝し、裁縫の上達を祈る行事」でもあります。
2月8日に行われることが多いのですが、地方によっては12月8日に行われるところもあります。
「針供養」の有名な社寺といえば、
これ以外にも、全国の社寺で針供養、針まつりが行われたことだと思います。
岡崎天満宮は神社の祭事としては行っていません。
数年前までは、某女子高校の和洋裁部や某企業の洋裁部の皆さんが団体で御参拝になり、御神前で針に感謝する神事を行っていましたが、今は廃部になってしまったようです。
少し寂しい気がしますね。
そもそも「裁縫」「針仕事」は女性にとって重要な役目の一つでした。
神話の時代から、天照大御神さまをはじめ女神さまたちは機織りなどをされています。これは今でも、皇后陛下が養蚕から連綿と受け継いでみえます。
庶民においても「花嫁修業」の大切なものとして、「料理」や「裁縫」が挙げられますね。
江戸時代には「女訓物」「女式目」といった女性の徳目を記したもの(女はかくあるべしといった内容のもの)などを見ても、「裁縫」を婦道の一つにあげています。
私たちの生活に欠かせないものは「衣・食・住」ですが、その最初に「衣」がくるくらいですから、「裁縫」「針仕事」が如何に大切なものであるかは言うまでもありませんね。
ところで「針供養」は何故2月8日(12月8日)なんでしょうか?
これには「事八日(ことようか)」という年中行事が関わっていると考えられています。
「事八日」というのは、「陰暦12月8日と2月8日とに行なわれた年中行事」で、一方を「事始め」、もう一方を「事納め」とするものです。
「こと」には祭祀(おまつり)の意があり、家庭祭祀であるともいわれます。具体的には、年間の農耕儀礼のだったり、正月祭だったりします。その「物忌みの日」という意味合いもあったのでしょう。
この「事八日」の一連の行事の中に、「針供養」が含まれたので、「2月8日」であったり「12月8日」であったりするようです。
「針供養」の方言で面白いものもあります。
「ハリセンボン」ってわかりますか?
お笑いコンビじゃないですよ(笑)
普通「ハリセンボン」というと、フグ目ハリセンボン科の魚のことをいいますが、石川・富山など、北陸地方の方言では「ハリセンボン」=「針供養」のことなんだそうです。
豆腐や蒟蒻に針をたくさん刺した形状からでしょうか。またこの地方では、12月8日が針供養の日のようですが、この日には魚のハリセンボンが、この日に吹き寄せられるという伝承もあるようです。
もう一つ、北陸地方では「針供養」のことを「針歳暮(はりせいぼ)」ともいうようです。
12月8日の「針供養」のことですが、この日に女性の実家から婚家へ大きな大福餅を届ける慣わしがあるんだそうです。
「針供養」→「ハリセンボン」→「針歳暮」でしょうか?
ところ変われば風習も色々で面白いですね。
ちなみに、「裁縫」に関わる禁忌俗信とでもいいましょうか、タブーみたいなものはたくさん知られています。
例えば、・・・
由来は不明ですが、「8日」は先ほどお話しした「事八日」や「針供養」の「8日」からきているのでしょうか。
「寅の日」は分かりませんが、もしかしたら「鬼門(艮 うしとら)」と関係しているかもしれませんね。
これも地方によっては「申寅八日にもの裁つな」というところもあるようです。
「申の日」も出てきました。こちらは「裏鬼門(坤 ひつじさる)」からかもしれません。
他には、
何故だか分かります?
辞書をひけばすぐに分かります。
他にも「出針(でばり)」といって外出直前に針を使うことや、裸で物を縫うこと、朝に針を使うこと、人に針を貸すこと、夜に針を買いに行くことも禁忌であったようです。
更に、着物の袖を縫ったり、袖付けをするときは、両袖を同じ明かりで縫わなければいけないともいわれます。昼と夜の明かりですることは駄目ということですね。袖の片方だけで仕事を中断すると、その着物は不幸をもたらすといわれていたようです。
衿付けも同様だったようです。途中でやめると幸福が逃げてしまうといわれています。
また、できあがった着物を、まず柱に着せると良いいう「着はじめ」の習俗も広く知られています。
話がだいぶそれました。
さて「針供養」で、「豆腐や蒟蒻にさした針は、その後どうするのか?」という質問をうけました。
これも色々あるとは思いますが、塩を掛けて(お祓いをするということですね)錆びさせ、土中に埋めて土に返すようにしたり(針塚のあるところもありますね)、川に流したりします。
間違ってもゴミ箱に棄ててはいけませんね。
この「針供養」ルーツについては、民間習俗と深く関わっていますので、分からないことも多いのですが、その一つに「淡嶋信仰」が考えられます。
和歌山の加太に鎮座する淡嶋神社を中心とする信仰です。
淡嶋神社の御祭神は少彦名命で、医薬の神様。特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかで、女性の苦しみを救う神様だとか、裁縫の道を初めて伝えた神様だとも言われています。。
3月3日の雛流しで有名な神社ですから、ご存じの方も多いと思います。
この淡嶋神社には近世、「淡嶋願人」という強力な宣教部隊?がいたそうです。
全国各地を回って、淡嶋大明神の御利益を説いて歩いたと言われています。
その中で、淡嶋神社あるいは淡嶋堂が各地にまつられたようです。
まさに浅草寺の淡嶋堂もそうだったのでしょう。
本地垂迹説(本地仏が神道の神さまに姿を変えて現れたとする考え方)の影響で「少彦名命と虚空蔵菩薩」が習合して広まっていたようです。
だから、淡嶋神をまつる神社や虚空蔵菩薩をまつるお寺で盛んに針供養が行われるんですね。
このように針供養が広まったのは近世、特に江戸時代です。
戦国乱世もおさまり、泰平の世になって、町人たち庶民の生活文化も向上していきます。
その中で、寺子屋などの学問や、子女としての資質を身につける裁縫教室もたくさん開設されました。
そのような流れの中で、針供養が広まっていったことも容易に想像できますね。
しかしながら、最近めっきり行われなくなったのもこの「針供養」です。
ライフスタイルの変化だといってしまえばそれまでですが・・・。
ものを大切にしなくなったのでしょうか?
或いは、裁縫そのものをしなくなった?
家事分担など男女平等の考えの影響なんでしょう?
いずれにしても、「針」という道具に感謝し、ものを大切にする心を養う「針供養」という文化は大切に子供たちにも伝えていきたいですね。
他の伝統行事でも同じ事ですが、現代の我々は改めて「針供養」について見直すことが必要かも知れません。
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昨日の「針供養」にちなんだお話です。
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皆さんこんにちは。
という俳句がありますが、昨日2月8日は「針供養の日」でしたね。色さめし 針山並ぶ 供養かな (高浜虚子)
「針供養」というのは、「女性が裁縫を休み、古針や折れた針を集めて、豆腐や蒟蒻などにさして供養する」年中行事です。
テレビのニュースや新聞等でも取り上げられることがありますので、ご存じの方も多いと思います。
でも、実際に針供養をされる方は、年々少なくなってきているのでしょうか?
皆さんは、いかがでしょうか?
さて、この「針供養」は、「針に感謝し、裁縫の上達を祈る行事」でもあります。
2月8日に行われることが多いのですが、地方によっては12月8日に行われるところもあります。
「針供養」の有名な社寺といえば、
などがありますね。和歌山の淡嶋神社(少彦名命をおまつりしている)
東京の浅草寺(淡島堂で行われる)
京都嵐山の法輪寺(虚空蔵菩薩をおまつりしている)
大阪天満宮(境内社の吉備真備をまつる吉備社で行われる)
これ以外にも、全国の社寺で針供養、針まつりが行われたことだと思います。
岡崎天満宮は神社の祭事としては行っていません。
数年前までは、某女子高校の和洋裁部や某企業の洋裁部の皆さんが団体で御参拝になり、御神前で針に感謝する神事を行っていましたが、今は廃部になってしまったようです。
少し寂しい気がしますね。
そもそも「裁縫」「針仕事」は女性にとって重要な役目の一つでした。
神話の時代から、天照大御神さまをはじめ女神さまたちは機織りなどをされています。これは今でも、皇后陛下が養蚕から連綿と受け継いでみえます。
庶民においても「花嫁修業」の大切なものとして、「料理」や「裁縫」が挙げられますね。
江戸時代には「女訓物」「女式目」といった女性の徳目を記したもの(女はかくあるべしといった内容のもの)などを見ても、「裁縫」を婦道の一つにあげています。
私たちの生活に欠かせないものは「衣・食・住」ですが、その最初に「衣」がくるくらいですから、「裁縫」「針仕事」が如何に大切なものであるかは言うまでもありませんね。
ところで「針供養」は何故2月8日(12月8日)なんでしょうか?
これには「事八日(ことようか)」という年中行事が関わっていると考えられています。
「事八日」というのは、「陰暦12月8日と2月8日とに行なわれた年中行事」で、一方を「事始め」、もう一方を「事納め」とするものです。
「こと」には祭祀(おまつり)の意があり、家庭祭祀であるともいわれます。具体的には、年間の農耕儀礼のだったり、正月祭だったりします。その「物忌みの日」という意味合いもあったのでしょう。
この「事八日」の一連の行事の中に、「針供養」が含まれたので、「2月8日」であったり「12月8日」であったりするようです。
「針供養」の方言で面白いものもあります。
「ハリセンボン」ってわかりますか?
お笑いコンビじゃないですよ(笑)
普通「ハリセンボン」というと、フグ目ハリセンボン科の魚のことをいいますが、石川・富山など、北陸地方の方言では「ハリセンボン」=「針供養」のことなんだそうです。
豆腐や蒟蒻に針をたくさん刺した形状からでしょうか。またこの地方では、12月8日が針供養の日のようですが、この日には魚のハリセンボンが、この日に吹き寄せられるという伝承もあるようです。
もう一つ、北陸地方では「針供養」のことを「針歳暮(はりせいぼ)」ともいうようです。
12月8日の「針供養」のことですが、この日に女性の実家から婚家へ大きな大福餅を届ける慣わしがあるんだそうです。
「針供養」→「ハリセンボン」→「針歳暮」でしょうか?
ところ変われば風習も色々で面白いですね。
ちなみに、「裁縫」に関わる禁忌俗信とでもいいましょうか、タブーみたいなものはたくさん知られています。
例えば、・・・
という諺があります。「寅の日」と「8日」には布を裁ってはいけないというタブーですね。破ると常に不幸がつきまとうというものです。「寅(とら)と八日にもの裁つな、いつも袖(そで)に涙あふるる」
由来は不明ですが、「8日」は先ほどお話しした「事八日」や「針供養」の「8日」からきているのでしょうか。
「寅の日」は分かりませんが、もしかしたら「鬼門(艮 うしとら)」と関係しているかもしれませんね。
これも地方によっては「申寅八日にもの裁つな」というところもあるようです。
「申の日」も出てきました。こちらは「裏鬼門(坤 ひつじさる)」からかもしれません。
他には、
もタブーです。「買い切り裁ち」・・・布を買ったその日のうちに裁つこと
「ひっぱり縫い」・・・二人で一つのものを縫うことや糸の尻を結ばずに縫うこと。
何故だか分かります?
辞書をひけばすぐに分かります。
ともに、死者の衣を縫うことを連想させるからですね。まさに縁起の悪い事なんです。「買い切り裁ち」
死者に着せる帷子(かたびら)は、買った当日に急いで裁つところから、日常には忌みきらう。
「ひっぱり縫い」
死者に着せる白衣を、親類や近隣の女が寄り合い、ひっぱりあうようにして、糸尻はとめないままに縫うこと。いろぬい。
他にも「出針(でばり)」といって外出直前に針を使うことや、裸で物を縫うこと、朝に針を使うこと、人に針を貸すこと、夜に針を買いに行くことも禁忌であったようです。
更に、着物の袖を縫ったり、袖付けをするときは、両袖を同じ明かりで縫わなければいけないともいわれます。昼と夜の明かりですることは駄目ということですね。袖の片方だけで仕事を中断すると、その着物は不幸をもたらすといわれていたようです。
衿付けも同様だったようです。途中でやめると幸福が逃げてしまうといわれています。
また、できあがった着物を、まず柱に着せると良いいう「着はじめ」の習俗も広く知られています。
話がだいぶそれました。
さて「針供養」で、「豆腐や蒟蒻にさした針は、その後どうするのか?」という質問をうけました。
これも色々あるとは思いますが、塩を掛けて(お祓いをするということですね)錆びさせ、土中に埋めて土に返すようにしたり(針塚のあるところもありますね)、川に流したりします。
間違ってもゴミ箱に棄ててはいけませんね。
この「針供養」ルーツについては、民間習俗と深く関わっていますので、分からないことも多いのですが、その一つに「淡嶋信仰」が考えられます。
和歌山の加太に鎮座する淡嶋神社を中心とする信仰です。
淡嶋神社の御祭神は少彦名命で、医薬の神様。特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかで、女性の苦しみを救う神様だとか、裁縫の道を初めて伝えた神様だとも言われています。。
3月3日の雛流しで有名な神社ですから、ご存じの方も多いと思います。
この淡嶋神社には近世、「淡嶋願人」という強力な宣教部隊?がいたそうです。
全国各地を回って、淡嶋大明神の御利益を説いて歩いたと言われています。
その中で、淡嶋神社あるいは淡嶋堂が各地にまつられたようです。
まさに浅草寺の淡嶋堂もそうだったのでしょう。
本地垂迹説(本地仏が神道の神さまに姿を変えて現れたとする考え方)の影響で「少彦名命と虚空蔵菩薩」が習合して広まっていたようです。
だから、淡嶋神をまつる神社や虚空蔵菩薩をまつるお寺で盛んに針供養が行われるんですね。
このように針供養が広まったのは近世、特に江戸時代です。
戦国乱世もおさまり、泰平の世になって、町人たち庶民の生活文化も向上していきます。
その中で、寺子屋などの学問や、子女としての資質を身につける裁縫教室もたくさん開設されました。
そのような流れの中で、針供養が広まっていったことも容易に想像できますね。
しかしながら、最近めっきり行われなくなったのもこの「針供養」です。
ライフスタイルの変化だといってしまえばそれまでですが・・・。
ものを大切にしなくなったのでしょうか?
或いは、裁縫そのものをしなくなった?
家事分担など男女平等の考えの影響なんでしょう?
いずれにしても、「針」という道具に感謝し、ものを大切にする心を養う「針供養」という文化は大切に子供たちにも伝えていきたいですね。
他の伝統行事でも同じ事ですが、現代の我々は改めて「針供養」について見直すことが必要かも知れません。
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FMおかざき76.3「心の宅急便」の69回目の放送です。
今日は田野さんが体調不良でお休み。大島さんがピンチヒッターでお相手してくれました。
先週に引き続き、「節分の話」です。
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明日はいよいよ節分ですね。
先週も「節分」について、・・・
「節分」が年4回あること、
節分行事の起源は、平安時代の追儺の行事であること、
豆まきの話、恵方巻の話などをさせていただきました。
豆まきの時のかけ声といえば、ご存じ「鬼は外 福は内」ですね。
ところがこの「鬼は外、福は内」には、様々なバリエーションがあるんです。
例えば、
「鬼は外」と「福は内」のどちらを先にいうのか?
また、何回ずつ唱えるのか?
2回ずつでしょうか?3回ずつでしょうか?
ところによって、寺社によって実際は様々なようです。
また、「鬼は外」と言わない例もあります。
「鬼は内」とか「鬼も内」というんですね。
え?っとお思いかも知れませんが、例えば鬼に縁のある寺社などです。
鬼藤さん、鬼頭さん、鬼沢さん、鬼塚さん、鬼武さん、九鬼さん・・・などですね。
色々なバリエーションがあるものです。
それはそうと、私自身幼い頃、「福は内」で何故豆を撒くのか?非常に疑問でした。
福の神に豆をぶつける?
福の神が逃げて言っちゃうんじゃないか?
神さまに失礼じゃないか?
とまぁ、素朴な疑問です。
皆さんは、どう答えます?
そもそも、豆まきは「おにやらい」です。あくまでも豆をぶつけるのは鬼に対してなんですね。
「鬼は外」は言うに及ばず、「福は内」の時も豆をぶつけるの対象は鬼なのかも知れませんね。
散供だという説もあるようです。
ところで豆まきで追い払われる「鬼」について考えてみましょう。
「鬼」と聞いて皆さんはどんなイメージを持つでしょうか。
赤鬼・青鬼のイメージでしょうかねぇ。
頭に角があり、トラのパンツ、大きな金棒・・・・
人間生活を脅かす醜悪怪力の想像上の妖怪(ようかい)?が「鬼」ですね。
昔話の桃太郎や一寸法師に登場する「鬼」のイメージです。
実はこれらのような「鬼」のイメージは、陰陽道や仏教の影響をうけて徐々に形成されていったものなんだそうです。
ではもともとの鬼はどうだったのでしょう?
『日本書紀』では、皇威に従わぬ種族を、「邪鬼(あしきもの)、邪神(あしきかみ)」と表しています。
『万葉集』では「鬼」を「しこ(醜)」とか「もの(物の怪)」と訓じています。
辞書によると、
実際、愛知県内でみても
北設楽の「花祭り」の鬼などは、幸福をもたらす「鬼」です。
決して悪い鬼ではありません。
鬼=超人的な力を持つ存在=神に近いものということでしょうか。
また、タン切り飴で有名な、豊橋・安久美神戸神明社の鬼祭の鬼は、愛嬌のある鬼ですね。
このように一口に「鬼」といっても、悪い鬼もいれば、良い鬼やかわいらしい鬼もいるということですね。。
では、豆まきで追い払う「鬼」はどうでしょう。
この鬼は、邪気、疫病、様々な災いごとを象徴する「鬼」だということですね。
目には見えないけれども、様々な災いをもたらすもの、罪や穢れすべてをひっくるめて「鬼」としたのだと思います。
勿論、心の中の悪い心、きたない心も含まれますね。
そしてそれらを祓い清めるのが節分の「豆まき」なんですね。
そして家の中も、身体の中もすっかりきれいに、さっぱりとした状態で、春を迎える。
それが節分行事の根本です。
「節分」の日に行ってこそ意味があるわけです。
ところが近年、「節分」の日に行わない節分行事が目につくようになってきました。
日曜日等に日にちを替えて行う社寺が出てきたということです。
それも有名社寺の節分祭や節分会などです。
どことは言いませんが・・・(笑)
更に、新聞広告やTVコマーシャルも派手に行っているところもありますので、余計目につきます。
少なくとも寺社は「節分」にこだわるべきだと思いますが、いかがでしょう。
しかも芸能人や有名人で客寄せしたり、高価な景品を用意した福引きなど。
いかにも商業主義的な感じがします。
これでは、信仰を基礎とした神事・行事ではなく、単なる商業イベントですね。
恵方巻と同じです。
節分の日に、彼方此方で豆まきが行われ、鬼やらいが行われます。
節分の日に追い出されたたくさんの鬼は、どこに行くのでしょう?。
節分前に豆まきをして鬼を追い払っても、節分に余所で追い払われた鬼がまたやってきてしまうかもしれませんね。
やっぱり節分の豆まきは、節分の日に行うべきだと思います。
もちろん、岡崎天満宮の節分豆まき祭は、節分当日2月3日午後1時から執り行います。
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今日は田野さんが体調不良でお休み。大島さんがピンチヒッターでお相手してくれました。
先週に引き続き、「節分の話」です。
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明日はいよいよ節分ですね。
先週も「節分」について、・・・
「節分」が年4回あること、
節分行事の起源は、平安時代の追儺の行事であること、
豆まきの話、恵方巻の話などをさせていただきました。
豆まきの時のかけ声といえば、ご存じ「鬼は外 福は内」ですね。
ところがこの「鬼は外、福は内」には、様々なバリエーションがあるんです。
例えば、
「鬼は外」と「福は内」のどちらを先にいうのか?
また、何回ずつ唱えるのか?
2回ずつでしょうか?3回ずつでしょうか?
ところによって、寺社によって実際は様々なようです。
ちなみに、岡崎天満宮では、先ず「鬼は外」を3回、次に「福は内」を3回唱えます。○諸国風俗問状答〔19C前〕紀伊国和歌山風俗問状答・一二月・一〇二
「追儺とて大豆を煎、升に入、戸障子を明放し、家の内へ向ひ福は内と三遍、外へ向ひ鬼は外と二遍云ひて、豆を打、是を年男と云ふ」
○慶長見聞集〔1614〕九
「節分の夜鬼は外へ福は内へとおさめ、煎大豆を数へ、船をゑかきて敷なとするを」
また、「鬼は外」と言わない例もあります。
「鬼は内」とか「鬼も内」というんですね。
え?っとお思いかも知れませんが、例えば鬼に縁のある寺社などです。
「福は内」しか言わないところもあるようです。大須観音、成田山新勝寺などですね。●鬼鎮神社(埼玉県比企郡嵐山町) →「福は内、鬼は内、悪魔外」
鎌倉時代の勇将・畠山重忠の館の鬼門除けとして建立したので「悪魔外」。また、金棒を持った鬼が奉納されているので「鬼は内」です。
●元興寺(奈良県奈良市) →「福は内、鬼は内」
寺に元興神(がごぜ)という鬼がいて、悪者を退治するという言い伝えがあります。
●稲荷鬼王神社(新宿区歌舞伎町) →「福は内、鬼は内」
「鬼王」として「月夜見命」「大物主命」「天手力男命」の三神を祀っています。
●天河神社(奈良県天川村) →「鬼は内、福は内」
鬼は全ての意識を超えて物事を正しく見るとされているため、前日に「鬼の宿」という鬼迎えの神事を行い、鬼を迎い入れてから節分会をします。
●金峯山寺蔵王堂(奈良県吉野郡吉野町)→「福は内、鬼も内」
全国から追われた鬼を迎い入れ、仏教の力で改心させます。
●千蔵寺(神奈川県川崎市) →「福は外、鬼は内」
厄神鬼王(やくじんきおう)という神様が鬼を堂内に呼び込み、悪い鬼に説教をして改心させ社会復帰させます。
また、「鬼」字のつく姓の家でも「鬼は外」を避けるようですね。●大須観音(愛知県名古屋市) →「福は内」のみ
伊勢神宮の神様から授けられた鬼面を寺宝としているため「鬼は外」は禁句です。
●成田山新勝寺(千葉県成田市) →「福は内」のみ
ご本尊の不動明王の前では鬼も改心するとされています。
鬼藤さん、鬼頭さん、鬼沢さん、鬼塚さん、鬼武さん、九鬼さん・・・などですね。
色々なバリエーションがあるものです。
それはそうと、私自身幼い頃、「福は内」で何故豆を撒くのか?非常に疑問でした。
福の神に豆をぶつける?
福の神が逃げて言っちゃうんじゃないか?
神さまに失礼じゃないか?
とまぁ、素朴な疑問です。
皆さんは、どう答えます?
そもそも、豆まきは「おにやらい」です。あくまでも豆をぶつけるのは鬼に対してなんですね。
「鬼は外」は言うに及ばず、「福は内」の時も豆をぶつけるの対象は鬼なのかも知れませんね。
散供だという説もあるようです。
ところで豆まきで追い払われる「鬼」について考えてみましょう。
「鬼」と聞いて皆さんはどんなイメージを持つでしょうか。
赤鬼・青鬼のイメージでしょうかねぇ。
頭に角があり、トラのパンツ、大きな金棒・・・・
人間生活を脅かす醜悪怪力の想像上の妖怪(ようかい)?が「鬼」ですね。
昔話の桃太郎や一寸法師に登場する「鬼」のイメージです。
実はこれらのような「鬼」のイメージは、陰陽道や仏教の影響をうけて徐々に形成されていったものなんだそうです。
ではもともとの鬼はどうだったのでしょう?
『日本書紀』では、皇威に従わぬ種族を、「邪鬼(あしきもの)、邪神(あしきかみ)」と表しています。
『万葉集』では「鬼」を「しこ(醜)」とか「もの(物の怪)」と訓じています。
辞書によると、
だそうです。豆まきの方法同様、「鬼」にもいろいろあるんですね。①(「隠(おん)」が変化したもので、隠れて人の目に見えないものの意という)死者の霊魂。精霊。
②人にたたりをすると信じられていた無形の幽魂など。もののけ。幽鬼。
③想像上の怪物。仏教の羅刹(らせつ)と混同され、餓鬼、地獄の青鬼、赤鬼などになり、また、美男、美女となって人間世界に現われたりする。また、陰陽道 (おんようどう)の影響で、人間の姿をとり、口は耳まで裂け、鋭い牙(きば)をもち、頭に牛の角があり、裸に虎の皮の褌をしめ、怪力をもち、性質が荒々し いものとされた。夜叉(やしゃ)。羅刹(らせつ)。
④民間の伝承では、巨人信仰と結びついたり、先住民の一部や社会の落伍者およびその子孫としての山男と考えられ、見なれない異人をさす場合がある。また、山の精霊や耕作を害し、疫病をもたらし人間を苦しめる悪霊をもさす場合がある。
⑤修験道者などが奥地の山間部に土着した無名の者、または山窩(さんか)の類をいう。
⑥(比喩的に用いて)鬼のような性質をもっている人。また、鬼の姿と類似点のある人。
・・・・
【語誌】
1)日本の「鬼」はモノ、シコなどと訓まれて、目にみえない悪しき霊やモノノケを意味していた。死者を意味する中国の「鬼(き)」とは本来異なる概念であったが、かなり早い時期から習合、混同され、「おに」という語の意味する範囲が拡大したと思われる。「今昔物語集」など中世の説話集によると、中国の思想、仏教で説かれる地獄の獄卒や夜叉、陰陽道の悪鬼などの影響を受けて多様な広がりを有していた。
2)元来は姿形の見えない存在とされるが、室町時代には、虎皮の褌に筋骨たくましい体、頭の角、といった型がつくられ、お伽草子などを通じて流布されていった。近世、近代になると、粗暴さや凶悪さを表わすための比喩として用いられることが多くなる。
(日本国語大辞典)
実際、愛知県内でみても
北設楽の「花祭り」の鬼などは、幸福をもたらす「鬼」です。
決して悪い鬼ではありません。
鬼=超人的な力を持つ存在=神に近いものということでしょうか。
また、タン切り飴で有名な、豊橋・安久美神戸神明社の鬼祭の鬼は、愛嬌のある鬼ですね。
このように一口に「鬼」といっても、悪い鬼もいれば、良い鬼やかわいらしい鬼もいるということですね。。
では、豆まきで追い払う「鬼」はどうでしょう。
この鬼は、邪気、疫病、様々な災いごとを象徴する「鬼」だということですね。
目には見えないけれども、様々な災いをもたらすもの、罪や穢れすべてをひっくるめて「鬼」としたのだと思います。
勿論、心の中の悪い心、きたない心も含まれますね。
そしてそれらを祓い清めるのが節分の「豆まき」なんですね。
そして家の中も、身体の中もすっかりきれいに、さっぱりとした状態で、春を迎える。
それが節分行事の根本です。
「節分」の日に行ってこそ意味があるわけです。
ところが近年、「節分」の日に行わない節分行事が目につくようになってきました。
日曜日等に日にちを替えて行う社寺が出てきたということです。
それも有名社寺の節分祭や節分会などです。
どことは言いませんが・・・(笑)
更に、新聞広告やTVコマーシャルも派手に行っているところもありますので、余計目につきます。
少なくとも寺社は「節分」にこだわるべきだと思いますが、いかがでしょう。
しかも芸能人や有名人で客寄せしたり、高価な景品を用意した福引きなど。
いかにも商業主義的な感じがします。
これでは、信仰を基礎とした神事・行事ではなく、単なる商業イベントですね。
恵方巻と同じです。
節分の日に、彼方此方で豆まきが行われ、鬼やらいが行われます。
節分の日に追い出されたたくさんの鬼は、どこに行くのでしょう?。
節分前に豆まきをして鬼を追い払っても、節分に余所で追い払われた鬼がまたやってきてしまうかもしれませんね。
やっぱり節分の豆まきは、節分の日に行うべきだと思います。
もちろん、岡崎天満宮の節分豆まき祭は、節分当日2月3日午後1時から執り行います。
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FMおかざき76.3「心の宅急便」の68回目の放送です。
今週と来週、2週間掛けて「節分の話」をさせていただきます。
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1月も、もう末となってまいりました。来週は節分ですね。
そこで、節分にちなんだお話をさせていただこうかと思います。
「節分」というのは、辞書をひきますと、
そうなんです。「節分」は年に4回あるんですね。
文字通り「季節の分かれ目」ですから、立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日が「節分」なんです。
その中でも特に一年の始まりでもある「立春の前日の節分」が重要視されてきたんですね。
陰陽道や、四柱推命や風水などの占いでは、節分までは前年に属し、立春をもって年が変わるとしています。
ちなみに、節分は2月3日になることが多いですが、2日や4日になることもあります。
「立春」が「太陽黄経が315度を含む1日」となっているからですね。
ところで、「年内立春」といって、旧暦では、年によっては年が明けるよりも先に立春が来ることがあります。
『古今和歌集』の巻頭に以下のような歌があります。
今年も 立春→2月4日 旧暦1月1日→2月14日 だそうです。
こんなことも影響したのでしょうか、旧暦の元日を迎えるための大晦日の諸行事と、立春を迎えるための節分行事は様々に混同が起きやすかったと言えます。
十二月の大祓、追儺行事、鬼やらい、厄祓い、土牛童子、物忌みなど・・・
色々なものが重なりあって今に伝わる大晦日や節分の行事ができあがってきています。
節分行事のことを理解しようとする時に、このことはしっかりと抑えておく必要がありますね。
さて、今の「豆撒き」などの節分行事の起源は、宮中で行われた「追儺(ついな)」の儀式にあります。
それが、寺社で広く行われるようになりました。もとは大晦日の行事でした。
そして、室町時代ぐらいから、「節分」にその追儺の行事が行われるようになっていきます。
「追儺(ついな)」というのは、
桃の弓や葦の矢で鬼やらいをしたんですね。
そしてこの「追儺」の行事が、時代の変遷を経て、「節分の豆撒き」に発展していきます。
豆撒きについては、皆さんもご存じでしょう。
災いを祓い、新年の幸せを祈る行事です。
なぜ「豆」なんでしょう?
さらに、煎り大豆である理由は、「煎る」「炒る」が「射る」に通じることとか、拾い忘れた大豆から芽が出てしまうと「災いの芽が出る」ということで縁起が悪いからといったものがあります。
豆は撒くだけではなく、「歳の数だけ食べる」とか「歳の数より一つ多く食べる」という習慣があります。
これは、豆の力で、身体の中の鬼やらいという意味もあるんだと思います。
ならば、寺社で戴く「福豆」がそれにはピッタリですね。
神仏のお力のこもった豆で行えば、更なるパワーを戴けそうです。
スーパーなどで購入した豆で行う場合でも、先ずは神棚にお供えするなどされた方がよろしかろうと思います。
では、誰がまくのでしょうか?
本来は家長や長男が一家を代表して撒くものでした。
あるいは家族の中で、厄年だとか年男年女のものが勤めたりもしました。
時代の趨勢か、最近では父親は鬼役なのかもしれませんね。
その善し悪しは別として、家族みんなで行い、それぞれの厄を祓うことも意義あることだと思います。
ちなみに、岡崎天満宮の節分祭では、参詣者全員に豆撒きをしていただきます。
また、落花生を使うこともありますね。
片付けが楽だから?でしょうか。
幼稚園や保育園の豆撒きで多いような気もします。
これには、アレルギーの問題もありますので充分気をつけて欲しいと思いますが、いずれにしても、その理由が「楽だから」というのであれば、それはちょっとどうなのかとも思います。
まあ、やらないよりは良いですが・・・。
節分といえば、「鰯の頭」と「柊」などもありますね。
鰯の頭はその悪臭で、柊の葉はその先のとがったところで、鬼を追い払うというものです。
にんにくや、ネギ、髪の毛という地方もあるようです。
いずれも邪気を祓うためのものです。
調べてみると、もっと沢山地方色豊かな節分行事が出てくると思います。
それだけ、生活に密着した年中行事だということでしょうか。
ところで「恵方巻き」というのが最近流行しています。
丸かぶり寿司ともいいますね。
その年の恵方に向かって太巻き寿司を食べるんだそうですが・・・。
もともと大阪?の方のお寿司屋さんだか海苔屋さんが仕掛けたもののようですが、私個人的には、どうも商業主義的な感じがして、違和感を感じます。節分本来の行事ではないような気がします。
大手スーパーやコンビニ等の影響もあるんでしょう。
こんな訴訟まで出てきてしまっています。
挙句の果てには、恵方ロールパン、恵方ロールケーキなども登場しているようですし、ここまでくると便乗商法ですね。
さらには、「○○神社ご祈祷済みの海苔使用」を謳った恵方巻きを売り出す業者もあるようです。
神仏さまを商売に利用する不敬な行為だと私は思います。
もっとも、このようなご時世で、各社色々工夫をされてご商売をされることを批判しているわけではありませんが、豆撒きより太巻きで済ませた方が「楽だから」で、伝統的な節分行事が衰退していってしまうことを危惧しているわけです。
「節分」にはやっぱり「豆撒き」ですよね。
皆さんはいかがお考えでしょうか。
続きは、また来週。
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今週と来週、2週間掛けて「節分の話」をさせていただきます。
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1月も、もう末となってまいりました。来週は節分ですね。
そこで、節分にちなんだお話をさせていただこうかと思います。
「節分」というのは、辞書をひきますと、
とあります。①季節の変わり目。四季それぞれの季節の分かれる日。立春、立夏、立秋、立冬の前日をさす。せちぶ。せちぶん。
②特に立春の前日。四季のうち、冬から春になる時を一年の境と考えた時期があり、大晦日(おおみそか)と同類の年越行事が行なわれる。近代はこの夜、ヒイラ ギの枝にイワシの頭を刺したものを戸口にはさみ、節分豆と称して、煎った大豆をまいて、厄払いの行事を行なう。せちぶ。せちぶん。《季・冬》
(日本国語大辞典)
そうなんです。「節分」は年に4回あるんですね。
文字通り「季節の分かれ目」ですから、立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日が「節分」なんです。
その中でも特に一年の始まりでもある「立春の前日の節分」が重要視されてきたんですね。
陰陽道や、四柱推命や風水などの占いでは、節分までは前年に属し、立春をもって年が変わるとしています。
ちなみに、節分は2月3日になることが多いですが、2日や4日になることもあります。
「立春」が「太陽黄経が315度を含む1日」となっているからですね。
ところで、「年内立春」といって、旧暦では、年によっては年が明けるよりも先に立春が来ることがあります。
『古今和歌集』の巻頭に以下のような歌があります。
これは珍しいことではなくて、およそ2年に1回回ってくるようですね。年のうちに 春は來にけり 一年(ひととせ)を去年(こぞ)とやいはむ 今年とやいはむ
今年も 立春→2月4日 旧暦1月1日→2月14日 だそうです。
こんなことも影響したのでしょうか、旧暦の元日を迎えるための大晦日の諸行事と、立春を迎えるための節分行事は様々に混同が起きやすかったと言えます。
十二月の大祓、追儺行事、鬼やらい、厄祓い、土牛童子、物忌みなど・・・
色々なものが重なりあって今に伝わる大晦日や節分の行事ができあがってきています。
節分行事のことを理解しようとする時に、このことはしっかりと抑えておく必要がありますね。
さて、今の「豆撒き」などの節分行事の起源は、宮中で行われた「追儺(ついな)」の儀式にあります。
それが、寺社で広く行われるようになりました。もとは大晦日の行事でした。
そして、室町時代ぐらいから、「節分」にその追儺の行事が行われるようになっていきます。
「追儺(ついな)」というのは、
というものです。①朝廷の年中行事の一つ。大晦日の夜、悪鬼を追いはらうための儀式。疫病その他の災難を追放しようとするもので、古く 中国に始まり、わが国では慶雲三年(七〇六)に初めて行なわれ、次第に社寺・民間でも行なわれるに至った。後世は節分の夜、豆をまいて禍を追う行事となっ た。おにやらい。なやらい。な。《季・冬》
*延喜式〔927〕四三・春宮坊「凡十二月晦日戌時追儺。坊官率 品官舎人等 候 南門外 。兵衛開門如 常。内裏儺声如発、大夫以下各執 桃弓葦矢 」
*紫式部日記〔1010頃か〕寛弘五年一二月三〇日「つこもりの夜、ついなはいととくはてぬれば」
*徒然草〔1331頃〕一九「追儺より四方拝につづくこそ、面白けれ」
(日本国語大辞典)
桃の弓や葦の矢で鬼やらいをしたんですね。
そしてこの「追儺」の行事が、時代の変遷を経て、「節分の豆撒き」に発展していきます。
豆撒きについては、皆さんもご存じでしょう。
というのものですね。節分の夜、「福は内、鬼は外」と唱えながら、煎(い)った豆をまくこと。まめうち。まめはやし。《季・冬》
(日本国語大辞典)
災いを祓い、新年の幸せを祈る行事です。
なぜ「豆」なんでしょう?
とも言われます。また、昔々、京都鞍馬山に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけて退治したという話もあるようです。魔の目(魔目=まめ)に豆を投げつけて、魔を滅する(魔滅=まめ)
さらに、煎り大豆である理由は、「煎る」「炒る」が「射る」に通じることとか、拾い忘れた大豆から芽が出てしまうと「災いの芽が出る」ということで縁起が悪いからといったものがあります。
豆は撒くだけではなく、「歳の数だけ食べる」とか「歳の数より一つ多く食べる」という習慣があります。
これは、豆の力で、身体の中の鬼やらいという意味もあるんだと思います。
ならば、寺社で戴く「福豆」がそれにはピッタリですね。
神仏のお力のこもった豆で行えば、更なるパワーを戴けそうです。
スーパーなどで購入した豆で行う場合でも、先ずは神棚にお供えするなどされた方がよろしかろうと思います。
では、誰がまくのでしょうか?
本来は家長や長男が一家を代表して撒くものでした。
あるいは家族の中で、厄年だとか年男年女のものが勤めたりもしました。
時代の趨勢か、最近では父親は鬼役なのかもしれませんね。
その善し悪しは別として、家族みんなで行い、それぞれの厄を祓うことも意義あることだと思います。
ちなみに、岡崎天満宮の節分祭では、参詣者全員に豆撒きをしていただきます。
また、落花生を使うこともありますね。
片付けが楽だから?でしょうか。
幼稚園や保育園の豆撒きで多いような気もします。
これには、アレルギーの問題もありますので充分気をつけて欲しいと思いますが、いずれにしても、その理由が「楽だから」というのであれば、それはちょっとどうなのかとも思います。
まあ、やらないよりは良いですが・・・。
節分といえば、「鰯の頭」と「柊」などもありますね。
鰯の頭はその悪臭で、柊の葉はその先のとがったところで、鬼を追い払うというものです。
にんにくや、ネギ、髪の毛という地方もあるようです。
いずれも邪気を祓うためのものです。
調べてみると、もっと沢山地方色豊かな節分行事が出てくると思います。
それだけ、生活に密着した年中行事だということでしょうか。
ところで「恵方巻き」というのが最近流行しています。
丸かぶり寿司ともいいますね。
その年の恵方に向かって太巻き寿司を食べるんだそうですが・・・。
もともと大阪?の方のお寿司屋さんだか海苔屋さんが仕掛けたもののようですが、私個人的には、どうも商業主義的な感じがして、違和感を感じます。節分本来の行事ではないような気がします。
大手スーパーやコンビニ等の影響もあるんでしょう。
こんな訴訟まで出てきてしまっています。
本当に御利益あるんでしょうか?節分巻きずし「招福巻」呼び名は一般的 イオン逆転勝訴
2010年1月23日13時12分 asahi.com
節分用の巻きずしを 「招福巻」の名称で販売した大手スーパー「イオン」(千葉市)と、同名の商標登録を持つ大阪の老舗(しにせ)すし店「すし萬」側が商標権の侵害にあたるか どうかをめぐって争った訴訟の控訴審判決が22日、大阪高裁であった。塩月秀平裁判長は、「招福巻」は巻きずしの名称として一般化していると判断。イオン による商標権侵害を認めた一審判決を変更し、イオン側逆転勝訴の判決を言い渡した。
判決は「招福巻」の名称は全国のスーパーや百貨店で広く使われており、社会的にも特定業者の商標とは認識されていないと指摘。商標法が独占的使用の例外とする「普通名称」にあたると判断した。
判決によると、すし萬(1653年創業)の運営会社「小鯛雀鮨鮨萬(こだいすずめずしすしまん)」(本社・大阪市西区)は古くから「招福巻」を販売し、 1988年に商標登録。イオンは06、07年の節分の時期、全国の店舗で「十二単(ひとえ)の招福巻」の名称で巻きずしを販売した。
08年10月の一審・大阪地裁判決は、提訴したすし萬側の訴えを認め、イオンに商標使用料など約51万円の支払いを命じていた。
挙句の果てには、恵方ロールパン、恵方ロールケーキなども登場しているようですし、ここまでくると便乗商法ですね。
さらには、「○○神社ご祈祷済みの海苔使用」を謳った恵方巻きを売り出す業者もあるようです。
神仏さまを商売に利用する不敬な行為だと私は思います。
もっとも、このようなご時世で、各社色々工夫をされてご商売をされることを批判しているわけではありませんが、豆撒きより太巻きで済ませた方が「楽だから」で、伝統的な節分行事が衰退していってしまうことを危惧しているわけです。
「節分」にはやっぱり「豆撒き」ですよね。
皆さんはいかがお考えでしょうか。
続きは、また来週。
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FMおかざき76.3「心の宅急便」の67回目の放送です。
今日は、T家の葬儀の関係で、放送時間に対応できませんでした。
関係各位に種々ご迷惑をお掛けしましたこと、伏してお詫び申し上げます。
実際の放送の方は、パーソナリティのたのあやさんが上手に凌いで下さったようです。
で、今日お話をしようと思っていた内容を書きます^^;
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先週のことを思うと、今日はずいぶん暖かい日ですが、ご存じのように暦の上では、明日(1月20日)は「大寒」になります。
「大寒」は、二十四節気の一つです。文字通り「寒」の真ん中で、一年で最も寒い時期であります。
『暦便覧』には「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」とあります。
「小寒」(今年は1月5日でしたね)から、15日後の「大寒」更に15日後の「立春」の前日、即ち「節分」までのこの期間が「寒」ということです。
そしてこの期間に出すのが「寒中見舞い」ですね。
「寒」中に相手を気遣い、出す手紙です。
一年で一番寒い時期ですから、身体の調子を崩したり、ご不幸が多くなる時期でもあります。
だからこそ、お見舞いを出す習慣が生まれたんだと思います。
ちなみに、年賀状は松の内の1月7日までに出すのがマナーだそうです。それ以降の「節分」までに出すのが「寒中見舞い」で、喪中の場合の年賀状の代用にされるのが多いでしょうか。
また何らかの理由で、立春を過ぎで出す場合は、「余寒見舞い」というそうです。
最近では、年賀状すらメールで済ませる人が増えてきたようですから、こういった文化もだんだん廃れていくのでしょうかね・・・・。少し寂しいような気もします。
さて、二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた期間を「七十二候(しちじゅうにこう)」といいます。
「大寒」の期間の七十二候は、
巷では「大寒の卵」というのが重宝されているようで、卵屋さんもしきりに宣伝しておりますが、昔から「大寒の卵は滋養に富んでいるので、食べると健康に暮らせる」と言われているんだそうです。
最近では風水でも人気だとか。
七十二候の「鶏始乳」という鶏が卵を抱き始める時候にちなんでいるようで、「大寒の日の卵を食べると、金運が上昇する」ということのようです。
不況の昨今、明日の大寒にいかがでしょう?
「寒」と言えば、「寒の水」というものもあります。
「寒中の水は腐らない」とか「健康に良い」とか「薬になる」と言われています。
この寒の水は、味噌、醤油、酒つくりに利用されています。所謂「寒仕込み」というやつですね。
また「寒中禊」や「大寒禊」というのも古くから行われています。
寒の水、極寒の水で心身を清めるもので、精神修養そのものです。
我々神主の世界でも好んで行われています。
冷た~いだからこそ、身の引き締まる思いがするのも事実ですね。
一般の方でも、様々な祈願を込めて寒中禊ぎを体験される方がありますが、実は禊には作法があります。
素人がいきなりやるのは危険ですから、くれぐれもお気をつけ下さいませ。
「禊ぎ」と恐らく同根のものに「寒稽古」や「寒中水泳」もありますね。
武道やスポーツなどの鍛錬であったり、芸道の修行であったりします。
言うまでもなく自己鍛錬であり、自分に打ち克つ「克己」を目指すものですね。
極限での修行は、それなりに精神力をつけるのに役立ちます。
将又、寒の時期に美味しいものと言えば・・・
私の場合、真っ先に「寒ブリ」が思い浮かびます。
寒の時期のブリは、脂がのって最も美味しいと言われています。
良質のたんぱく質が豊富で、脂肪、ビタミンB群・Dを多く含むんだそうです。
血合いの色が赤く鮮やかなものほど新鮮だといいます。
刺身にしても良し。しゃぶしゃぶや照り焼きにしても良し。寒ぶり大根なども美味しそうです。
有名なのは、氷見の寒ブリですね。
私も一度食してみたいと思うのですが、なかなか叶いません。
同じく食物で「寒」から連想するものに「寒天」があります。
テングサなどの紅藻類を煮溶かして固めたもの、これが心太(ところてん)ですね。これををいったん凍らせて乾燥したものが寒天です。寒くて乾燥した気候がこの寒天作りには不可欠なんだそうです。
「寒天」の語源も、寒晒(かんざら)しでつくる「ところてん」というところから来ているようですね。
以前、寒天ダイエットのブームでスーパーなどから寒天が消えたのも思い出します。
「寒晒し」と言えば「寒晒し蕎麦」というのもありますね。
秋に穫れた新蕎麦を保存しておいて、翌年の大寒の頃から2週間ほど清流に浸し、その後日光と寒風に晒して乾燥させた蕎麦だそうですが、甘味のあるまろやかな味わいが特徴なんだそうです。
寒中に舌で楽しむものの他に、目で楽しむものも忘れてはなりません。
寒中に鑑賞する花があります。
寒梅、寒椿、寒牡丹 などですね。
人間寒いのは厭ですし、一日でも早く春が来ないかと思うんですが、この冬の寒さもやっぱり必要不可欠なものなんですね。
寒い季節はそれなりに、寒中の風情を楽しむことも有意義だと思います。
明日は大寒ですが、古くはこの大寒の前日(つまり今晩ですね)にある風習がありました。
「土牛童子」ってご存じでしょうか?
大寒の日の前夜、疫病を祓うために宮城の門口に立てる土牛の像と子どもの人形のことを言います。
『続日本紀』の慶雲三年〔706〕一二月己卯の条に、
『延喜式』の陰陽寮には、
これを復活させたら、日本も少しは良くなっていくんでしょうかねぇ。
だらだらと「寒」にまつわるお話をしましたが、最後に・・・
「裘(きゅう)」というのは「毛のころも」のことです。今で言えばコートでしょうか。
つまり寒さが厳しくなってから、あわてて冬支度を始める余裕のなさを戒める言葉です。
「事が起こってからにわかに騒ぎたてる」ことのたとえですね。
今更のようにJALの問題を始め、経済も政治も「大寒にして後、裘(きゅう)を求む」状態だなぁと思うのは私だけでしょうか。
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今日は、T家の葬儀の関係で、放送時間に対応できませんでした。
関係各位に種々ご迷惑をお掛けしましたこと、伏してお詫び申し上げます。
実際の放送の方は、パーソナリティのたのあやさんが上手に凌いで下さったようです。
で、今日お話をしようと思っていた内容を書きます^^;
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先週のことを思うと、今日はずいぶん暖かい日ですが、ご存じのように暦の上では、明日(1月20日)は「大寒」になります。
「大寒」は、二十四節気の一つです。文字通り「寒」の真ん中で、一年で最も寒い時期であります。
『暦便覧』には「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」とあります。
「小寒」(今年は1月5日でしたね)から、15日後の「大寒」更に15日後の「立春」の前日、即ち「節分」までのこの期間が「寒」ということです。
そしてこの期間に出すのが「寒中見舞い」ですね。
「寒」中に相手を気遣い、出す手紙です。
一年で一番寒い時期ですから、身体の調子を崩したり、ご不幸が多くなる時期でもあります。
だからこそ、お見舞いを出す習慣が生まれたんだと思います。
ちなみに、年賀状は松の内の1月7日までに出すのがマナーだそうです。それ以降の「節分」までに出すのが「寒中見舞い」で、喪中の場合の年賀状の代用にされるのが多いでしょうか。
また何らかの理由で、立春を過ぎで出す場合は、「余寒見舞い」というそうです。
最近では、年賀状すらメールで済ませる人が増えてきたようですから、こういった文化もだんだん廃れていくのでしょうかね・・・・。少し寂しいような気もします。
さて、二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた期間を「七十二候(しちじゅうにこう)」といいます。
「大寒」の期間の七十二候は、
だそうです。(日本)
初候 款冬華(ふきのはな さく) : 蕗の薹(ふきのとう)が蕾を出す
次候 水沢腹堅(さわみず こおりつめる) : 沢に氷が厚く張りつめる
末候 鶏始乳(にわとり はじめて とやにつく) : 鶏が卵を産み始める
(中国)
初候 鶏始乳(にわとり はじめて にゅうす) : 鶏が卵を産み始める
次候 鷙鳥厲疾(しちょう れいしつす) : 鷲・鷹などが空高く速く飛び始める
末候 水沢腹堅(すいたく あつく かたし) : 沢に氷が厚く張りつめる(中国)
巷では「大寒の卵」というのが重宝されているようで、卵屋さんもしきりに宣伝しておりますが、昔から「大寒の卵は滋養に富んでいるので、食べると健康に暮らせる」と言われているんだそうです。
最近では風水でも人気だとか。
七十二候の「鶏始乳」という鶏が卵を抱き始める時候にちなんでいるようで、「大寒の日の卵を食べると、金運が上昇する」ということのようです。
不況の昨今、明日の大寒にいかがでしょう?
「寒」と言えば、「寒の水」というものもあります。
「寒中の水は腐らない」とか「健康に良い」とか「薬になる」と言われています。
この寒の水は、味噌、醤油、酒つくりに利用されています。所謂「寒仕込み」というやつですね。
また「寒中禊」や「大寒禊」というのも古くから行われています。
寒の水、極寒の水で心身を清めるもので、精神修養そのものです。
我々神主の世界でも好んで行われています。
冷た~いだからこそ、身の引き締まる思いがするのも事実ですね。
一般の方でも、様々な祈願を込めて寒中禊ぎを体験される方がありますが、実は禊には作法があります。
素人がいきなりやるのは危険ですから、くれぐれもお気をつけ下さいませ。
「禊ぎ」と恐らく同根のものに「寒稽古」や「寒中水泳」もありますね。
武道やスポーツなどの鍛錬であったり、芸道の修行であったりします。
言うまでもなく自己鍛錬であり、自分に打ち克つ「克己」を目指すものですね。
極限での修行は、それなりに精神力をつけるのに役立ちます。
将又、寒の時期に美味しいものと言えば・・・
私の場合、真っ先に「寒ブリ」が思い浮かびます。
寒の時期のブリは、脂がのって最も美味しいと言われています。
良質のたんぱく質が豊富で、脂肪、ビタミンB群・Dを多く含むんだそうです。
血合いの色が赤く鮮やかなものほど新鮮だといいます。
刺身にしても良し。しゃぶしゃぶや照り焼きにしても良し。寒ぶり大根なども美味しそうです。
有名なのは、氷見の寒ブリですね。
私も一度食してみたいと思うのですが、なかなか叶いません。
同じく食物で「寒」から連想するものに「寒天」があります。
テングサなどの紅藻類を煮溶かして固めたもの、これが心太(ところてん)ですね。これををいったん凍らせて乾燥したものが寒天です。寒くて乾燥した気候がこの寒天作りには不可欠なんだそうです。
「寒天」の語源も、寒晒(かんざら)しでつくる「ところてん」というところから来ているようですね。
以前、寒天ダイエットのブームでスーパーなどから寒天が消えたのも思い出します。
「寒晒し」と言えば「寒晒し蕎麦」というのもありますね。
秋に穫れた新蕎麦を保存しておいて、翌年の大寒の頃から2週間ほど清流に浸し、その後日光と寒風に晒して乾燥させた蕎麦だそうですが、甘味のあるまろやかな味わいが特徴なんだそうです。
寒中に舌で楽しむものの他に、目で楽しむものも忘れてはなりません。
寒中に鑑賞する花があります。
寒梅、寒椿、寒牡丹 などですね。
人間寒いのは厭ですし、一日でも早く春が来ないかと思うんですが、この冬の寒さもやっぱり必要不可欠なものなんですね。
寒い季節はそれなりに、寒中の風情を楽しむことも有意義だと思います。
明日は大寒ですが、古くはこの大寒の前日(つまり今晩ですね)にある風習がありました。
「土牛童子」ってご存じでしょうか?
大寒の日の前夜、疫病を祓うために宮城の門口に立てる土牛の像と子どもの人形のことを言います。
『続日本紀』の慶雲三年〔706〕一二月己卯の条に、
とあるのが初見のようですが、文武天皇の頃には既にあったということですね。「是年天下諸国疫疾、百姓多死、始作土牛大儺」
『延喜式』の陰陽寮には、
とあります。詳しく調べてみますと、「凡土牛童子等像〈請 内匠寮 〉大寒之日前夜半時、立 於諸門 」
ということが行われていたようです。大寒(12月節)の日に宮中の12の門に12組の土牛童子を立てる。これは童子が牛を引く形の人形であるが、東の陽明門・待賢門には青い土牛童子、南の美福門・朱雀門には赤い土牛童子、西の談天門・藻壁門には白い土牛童子、北の安嘉門・偉鑒門には黒い土牛童子、そして残りの、東の郁芳門・南の皇嘉門・西の殷富門・北の達智門には黄色い土牛童子を立てる。これを立春(1月節)の日の前夜半時に撤去する。
これを復活させたら、日本も少しは良くなっていくんでしょうかねぇ。
だらだらと「寒」にまつわるお話をしましたが、最後に・・・
という諺をご存じでしょうか?「大寒にして後、裘(きゅう)を求む」
「裘(きゅう)」というのは「毛のころも」のことです。今で言えばコートでしょうか。
つまり寒さが厳しくなってから、あわてて冬支度を始める余裕のなさを戒める言葉です。
「事が起こってからにわかに騒ぎたてる」ことのたとえですね。
今更のようにJALの問題を始め、経済も政治も「大寒にして後、裘(きゅう)を求む」状態だなぁと思うのは私だけでしょうか。
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FMおかざき76.3「心の宅急便」の66回目の放送です。
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昨日(1月11日)は、鏡開きの日でしたね。
お正月に歳神さまへのお供えとしてお飾りした鏡餅をお下げし、神さまの恵みに感謝してお雑煮などにしていただく日です。
と同時に、昨日(1月11日)は成人の日でもありましたね。
当宮にも、振り袖姿の新成人が何名か参詣されました。
今年の岡崎市の新成人は、男性2,056人、女性1,972人、合計4,028人だそうです。
新成人となられた皆さん、おめでとうございました。
成人としての自覚をもって、責任ある大人としてのご活躍を心からご期待申し上げます。
さて今日は、「成人式」「成人の日」について思うところをお話しさせていただきたいと思います。
言うまでもなく、「成人の日」は国民の祝日ですから、「国民の祝日に関する法律(祝日法)」に規定されています。「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」日ですね。
皆さんもご存じの通り、昔は1月15日でしたが、今では1月の第2月曜日に改訂されています。
昭和23年(祝日法制定)から、平成11年(1999)までは1月15日。
平成12年(2000)から、1月第2月曜日。
ということですね。所謂ハッピーマンデーというやつです。
成人を国民全体で一斉に祝う「成人の日」というのは、世界的には大変珍しい祝日なんだそうです。
そこで「成人の日」「成人式」の由来を少し調べてみましょう。
「成人式の発祥の地」というのがあるそうです。どこだかご存じですか?
埼玉県の蕨市だそうです。
調べてみますと、
これが現行の成人式の由来ですが、終戦後の混乱した時代、焦土と化した日本再生のため、新成人の若い力に期待し、社会全体でエールを贈るという意義が明確に感じられますね。
時代と共に、こういった意識が薄れてしまってきているのでしょうか。
ちなみに、「新成人」の定義は、
ただ、これだと同じ学年でも早生まれの人とそうでない人と一年ずれてしまいますね。
そこで最近では、
戦後の成人式についてお話ししましたが、更にさかのぼれば、成人式のルーツは昔の「元服」や「裳着」の儀式にあることは皆さんもご存じですね。
まず、男子の成人を示すものとして行われる儀式が「元服」です。
「元」というのは「首」「頭」のことで、「服」には「着用する」という意味があります。
つまり「頭に冠をつける」という意味なんですね。
「加冠」とか「初冠(ういこうぶり)」とも言われます。
武家の場合は、「烏帽子」をかぶったり、初めて「甲冑」をつけたりしたようです。
公家や武家で行われていた成人儀礼が、一般庶民にも浸透してきたものですね。
一方、女子の場合は、「裳着(もぎ)」という儀式がありました。
文字通り「裳」を「着ける」ということで、「着裳」とも言われます。
「裳(も)」というのは、十二単(正式には「五衣唐衣裳(いつつぎぬ、からぎぬ、も)」という)の「裳」です。
腰に着ける装束ですが、この「裳」をつけることが正装の証でもあり、自分より身分の高い人や目上の人の前に出る場合は、「裳」の着用が礼儀だったようです。
つまり大人と同じ正装をつけ、髪上げをし、お歯黒をし、引眉をしたんですね。
いずれにしても、髪形や、服装を大人と同じものに改め、これを期に社会的に一人前の扱いを受けるものです。
年齢は15、16歳から20歳ぐらいまでで、特に定まっているわけではなく、結婚と併せて行われることも多かったといいます。
世が世なら、元服後すぐに初陣ということもあったんですね。
先ほど「成人の日」が以前は1月15日だったと言いました。
では、何故「1月15日」だったのでしょう?
これは「数え年」を理解すれば、分かりやすいでしょう。
「数え年」は正月に歳神さまから「とし」を一つ貰って、すべての人が一つ歳をとります。
(生まれたときが一つ(一歳)で、お正月を迎えるたびに二歳、三歳、・・・・と歳をとる)
お正月に家族親族が一堂に会し、
「おまえはいくつになった?」
「おまえは?」・・・
「ほう、もう15か。そろそろ元服じゃのぉ・・・」
という会話があったかどうかは分かりませんが(笑)、
それで、正月早々に「元服」や「裳着」が行われたと考えるのは合点がいきますね。
事実、歴代天皇の元服は、正月1日より5日の間の吉日を選ぶ定めがあったそうです。
吉日は陰陽師が占って決めたようですね。
そして、一般でもこれに倣って正月に行うことが多かったといいます。1月1日~7日ですね。
そして、次第に小正月(1月15日)に行うように定着していったようです。
小正月までが「松の内」です。また、小正月(旧暦1月15日)は望月(満月)。
正月が無事終わって、無事に一つ歳をとることが出来た。そして一人前として扱われる歳になった。
めでたい満月の日に、お祝いしよう。という流れがみえてきます。
もう、おわかりですね。
かつて小正月(1月15日)に元服の儀式をしていたので、「成人の日」は1月15日に定められていたのです。
ところが、平成12年(2000)から、所謂ハッピーマンデー法案で、「成人の日のハッピーマンデー化」が起こりました。これについて、私個人的には元の15日に戻すべきなんじゃないかと思っています。
他の「体育の日」などもそうですが、祝日には記念日としての性格もあるわけですから、月日は固定であるべきだと思います。
「成人の日はどうして1月第2月曜なの?」
と聞かれたら、皆さんはどう答えます?
「昔は1月15日だったんだけど・・・・」
説明も煩雑になってしまいます。
「昔は『元服』という儀式があって、それが小正月の1月15日に行われていたからだよ」
という簡潔な説明ができる方がどれだけ意義あることでしょう。
結果として、「成人式」の由来が分かりづらくなるのも危惧されますし、所謂「荒れる成人式」が増えてきたのもこのことが影響しているのかも知れません。
また、関連して1月15日が祝日ではなくなったため、他の小正月の行事も、今後廃れていく運命を辿っていくでしょう。
伝統的な日本文化の破壊につながるかもしれないという点から考えると、やはり「成人の日」は1月15日に戻すべきですね。
近年「荒れる成人式」が増えてきたのは、毎年、マスコミが取り上げるのが影響しているとも思います。問題提起なのかも知れませんが、逆効果ですよね?
ごく一部の幼稚な成人の問題でしょうが、それにしても酷すぎます。
「成人式」=「元服」の意識、何のための「成人式」かという自覚をもって貰いたいと思います。
じゃあ、どうすれば良いんでしょう。
あくまでも私の浅はかな考えですが、こうしたら有意義な通過儀礼に出来るんじゃないかという提案をいくつか申し上げさせていただきます。
●提言1:「成人の日」は1月15日に戻すべき
「成人の日」に限らず、ハッピーマンデーで変えられてしまった祝日はすべて元に戻すべきだと思います。
●月●日であることこそが重要だと思うからです。
もし誕生日が毎年変わるとしたら、どうなんでしょう・・・。
●提言2:その上で「成人の日」の祝日名は廃止して「小正月」の祝日にすべき
そもそも、成人(元服)は個人的な節目のお祝いです。
本来、国民すべてがお祝いする祝日の性格には合わないんじゃないかとも思います。
「成人の日」があるなら、「七五三の日」や「厄年の日」があっても良いと思いますし、大正月の元日が祝日ですから15日の「小正月」も祝日にすれば良いと思います。そしてこの小正月に併せて、新成人が同級生や家族親族そろってお祝いするという形が理想のような気がします。
●提言3:地方自治体主催の「成人式」を止めるべき。
せめて学区単位で、成人自らが企画運営する自主的な式にすべきだとも思いますし、本来、戦後復興の原動力としての青年に対する期待と激励ではじまった自治体企画の「成人式」の役目は終わったような気もします。
意義が分からないような式典では、無駄以外の何ものでもないですね。
これは少々過激でしょうか・・・。
もしかして、今のような「成人式」が無くなると、呉服屋さんや美容師さん、写真屋さんが困るのでしょうかねぇ・・・?
でもこれは大丈夫だと思います。
●提言4:成人式は神社(氏神さま)で行うべき。
我田引水のような流れですが、お許しを(笑)。
皆さん、生まれたときには、初宮参りをしますよね。幼児期には七五三まいりをします。
新入学の節目にもお参りしますよね。
その時々には、健やかに成長しますように。立派な大人になれますように。・・・・といったお願いを神さまにしているはずです。
だからこそ、成人した暁には、先ず氏神さまに「成人したことの報告」と「ご加護に対する御礼」を氏神さまにしなければなりません。
これが人としての礼儀だと思いますがいかがでしょう?
幸い今年も1月15日の小正月に未だ間に合います。初宮参り、七五三などで、お願いしたことのお礼参りとして成人式のお参りを必ずしましょうね。
もちろん、この時には晴れ着を着けて。
呉服屋さんも美容師さん写真屋さんも困りません。
●提言5:成人の報告をご先祖様に。
忘れてならないのが、ご先祖さまへのご挨拶です。
御霊舎、仏壇、お墓参り、どんな方法でも構わないと思いますが、今自分が存在していること自体、ご先祖様のお蔭です。成人の報告には、きっとご先祖様もさぞお慶びになろうかと存じます。
以上、勝手なご提案ですが、皆様はいかがお考えでしょうか?
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昨日(1月11日)は、鏡開きの日でしたね。
お正月に歳神さまへのお供えとしてお飾りした鏡餅をお下げし、神さまの恵みに感謝してお雑煮などにしていただく日です。
と同時に、昨日(1月11日)は成人の日でもありましたね。
当宮にも、振り袖姿の新成人が何名か参詣されました。
今年の岡崎市の新成人は、男性2,056人、女性1,972人、合計4,028人だそうです。
新成人となられた皆さん、おめでとうございました。
成人としての自覚をもって、責任ある大人としてのご活躍を心からご期待申し上げます。
さて今日は、「成人式」「成人の日」について思うところをお話しさせていただきたいと思います。
言うまでもなく、「成人の日」は国民の祝日ですから、「国民の祝日に関する法律(祝日法)」に規定されています。「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」日ですね。
皆さんもご存じの通り、昔は1月15日でしたが、今では1月の第2月曜日に改訂されています。
昭和23年(祝日法制定)から、平成11年(1999)までは1月15日。
平成12年(2000)から、1月第2月曜日。
ということですね。所謂ハッピーマンデーというやつです。
成人を国民全体で一斉に祝う「成人の日」というのは、世界的には大変珍しい祝日なんだそうです。
そこで「成人の日」「成人式」の由来を少し調べてみましょう。
「成人式の発祥の地」というのがあるそうです。どこだかご存じですか?
埼玉県の蕨市だそうです。
調べてみますと、
とあります。終戦間もない1946年11月22日、埼玉県北足立郡蕨町(現蕨市)において実施された「青年祭」がルーツとなっている。敗戦により虚脱の状態にあった当時、次代を担う青年達に明るい希望を持たせ励ますため、当時の埼玉県蕨町青年団長高橋庄次郎が主唱者となり青年祭を企画、会場となった蕨第一国民学校(現蕨市立蕨北小学校)の校庭にテントを張り、青年祭のプログラムとして行われた。この「成年式」が全国に広まり現在の成人式となった。蕨市では現在も「成年式」と呼ばれており、1979年の成人の日には市制施行20周年、成人の日制定30周年を記念して同市内の蕨城址公園に「成年式発祥の地」の記念碑が同市によって建立された。
蕨市の「青年祭」に影響を受けた国は、1948年に公布・施行された祝日法により、「おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」の趣旨のもと、翌年から1月15日を成人の日として制定した。それ以降、ほとんどの地方で成人式はこの日に行われるようになった。その後、1998年の祝日法改正(通称:ハッピーマンデー法)に伴って、2000年より成人の日は1月第2月曜日へ移動している。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
これが現行の成人式の由来ですが、終戦後の混乱した時代、焦土と化した日本再生のため、新成人の若い力に期待し、社会全体でエールを贈るという意義が明確に感じられますね。
時代と共に、こういった意識が薄れてしまってきているのでしょうか。
ちなみに、「新成人」の定義は、
というのが、もともとだったようです。前年の「成人の日」の翌日からその年の「成人の日」までに誕生日を迎える人
ただ、これだと同じ学年でも早生まれの人とそうでない人と一年ずれてしまいますね。
そこで最近では、
という学齢方式が定着してきたということのようです。なるほど。前年の4月2日からその年の4月1日に成人する人
戦後の成人式についてお話ししましたが、更にさかのぼれば、成人式のルーツは昔の「元服」や「裳着」の儀式にあることは皆さんもご存じですね。
まず、男子の成人を示すものとして行われる儀式が「元服」です。
「元」というのは「首」「頭」のことで、「服」には「着用する」という意味があります。
つまり「頭に冠をつける」という意味なんですね。
「加冠」とか「初冠(ういこうぶり)」とも言われます。
武家の場合は、「烏帽子」をかぶったり、初めて「甲冑」をつけたりしたようです。
公家や武家で行われていた成人儀礼が、一般庶民にも浸透してきたものですね。
一方、女子の場合は、「裳着(もぎ)」という儀式がありました。
文字通り「裳」を「着ける」ということで、「着裳」とも言われます。
「裳(も)」というのは、十二単(正式には「五衣唐衣裳(いつつぎぬ、からぎぬ、も)」という)の「裳」です。
腰に着ける装束ですが、この「裳」をつけることが正装の証でもあり、自分より身分の高い人や目上の人の前に出る場合は、「裳」の着用が礼儀だったようです。
つまり大人と同じ正装をつけ、髪上げをし、お歯黒をし、引眉をしたんですね。
いずれにしても、髪形や、服装を大人と同じものに改め、これを期に社会的に一人前の扱いを受けるものです。
年齢は15、16歳から20歳ぐらいまでで、特に定まっているわけではなく、結婚と併せて行われることも多かったといいます。
世が世なら、元服後すぐに初陣ということもあったんですね。
先ほど「成人の日」が以前は1月15日だったと言いました。
では、何故「1月15日」だったのでしょう?
これは「数え年」を理解すれば、分かりやすいでしょう。
「数え年」は正月に歳神さまから「とし」を一つ貰って、すべての人が一つ歳をとります。
(生まれたときが一つ(一歳)で、お正月を迎えるたびに二歳、三歳、・・・・と歳をとる)
お正月に家族親族が一堂に会し、
「おまえはいくつになった?」
「おまえは?」・・・
「ほう、もう15か。そろそろ元服じゃのぉ・・・」
という会話があったかどうかは分かりませんが(笑)、
それで、正月早々に「元服」や「裳着」が行われたと考えるのは合点がいきますね。
事実、歴代天皇の元服は、正月1日より5日の間の吉日を選ぶ定めがあったそうです。
吉日は陰陽師が占って決めたようですね。
そして、一般でもこれに倣って正月に行うことが多かったといいます。1月1日~7日ですね。
そして、次第に小正月(1月15日)に行うように定着していったようです。
小正月までが「松の内」です。また、小正月(旧暦1月15日)は望月(満月)。
正月が無事終わって、無事に一つ歳をとることが出来た。そして一人前として扱われる歳になった。
めでたい満月の日に、お祝いしよう。という流れがみえてきます。
もう、おわかりですね。
かつて小正月(1月15日)に元服の儀式をしていたので、「成人の日」は1月15日に定められていたのです。
ところが、平成12年(2000)から、所謂ハッピーマンデー法案で、「成人の日のハッピーマンデー化」が起こりました。これについて、私個人的には元の15日に戻すべきなんじゃないかと思っています。
他の「体育の日」などもそうですが、祝日には記念日としての性格もあるわけですから、月日は固定であるべきだと思います。
「成人の日はどうして1月第2月曜なの?」
と聞かれたら、皆さんはどう答えます?
「昔は1月15日だったんだけど・・・・」
説明も煩雑になってしまいます。
「昔は『元服』という儀式があって、それが小正月の1月15日に行われていたからだよ」
という簡潔な説明ができる方がどれだけ意義あることでしょう。
結果として、「成人式」の由来が分かりづらくなるのも危惧されますし、所謂「荒れる成人式」が増えてきたのもこのことが影響しているのかも知れません。
また、関連して1月15日が祝日ではなくなったため、他の小正月の行事も、今後廃れていく運命を辿っていくでしょう。
伝統的な日本文化の破壊につながるかもしれないという点から考えると、やはり「成人の日」は1月15日に戻すべきですね。
近年「荒れる成人式」が増えてきたのは、毎年、マスコミが取り上げるのが影響しているとも思います。問題提起なのかも知れませんが、逆効果ですよね?
ごく一部の幼稚な成人の問題でしょうが、それにしても酷すぎます。
「成人式」=「元服」の意識、何のための「成人式」かという自覚をもって貰いたいと思います。
じゃあ、どうすれば良いんでしょう。
あくまでも私の浅はかな考えですが、こうしたら有意義な通過儀礼に出来るんじゃないかという提案をいくつか申し上げさせていただきます。
●提言1:「成人の日」は1月15日に戻すべき
「成人の日」に限らず、ハッピーマンデーで変えられてしまった祝日はすべて元に戻すべきだと思います。
●月●日であることこそが重要だと思うからです。
もし誕生日が毎年変わるとしたら、どうなんでしょう・・・。
●提言2:その上で「成人の日」の祝日名は廃止して「小正月」の祝日にすべき
そもそも、成人(元服)は個人的な節目のお祝いです。
本来、国民すべてがお祝いする祝日の性格には合わないんじゃないかとも思います。
「成人の日」があるなら、「七五三の日」や「厄年の日」があっても良いと思いますし、大正月の元日が祝日ですから15日の「小正月」も祝日にすれば良いと思います。そしてこの小正月に併せて、新成人が同級生や家族親族そろってお祝いするという形が理想のような気がします。
●提言3:地方自治体主催の「成人式」を止めるべき。
せめて学区単位で、成人自らが企画運営する自主的な式にすべきだとも思いますし、本来、戦後復興の原動力としての青年に対する期待と激励ではじまった自治体企画の「成人式」の役目は終わったような気もします。
意義が分からないような式典では、無駄以外の何ものでもないですね。
これは少々過激でしょうか・・・。
もしかして、今のような「成人式」が無くなると、呉服屋さんや美容師さん、写真屋さんが困るのでしょうかねぇ・・・?
でもこれは大丈夫だと思います。
●提言4:成人式は神社(氏神さま)で行うべき。
我田引水のような流れですが、お許しを(笑)。
皆さん、生まれたときには、初宮参りをしますよね。幼児期には七五三まいりをします。
新入学の節目にもお参りしますよね。
その時々には、健やかに成長しますように。立派な大人になれますように。・・・・といったお願いを神さまにしているはずです。
だからこそ、成人した暁には、先ず氏神さまに「成人したことの報告」と「ご加護に対する御礼」を氏神さまにしなければなりません。
これが人としての礼儀だと思いますがいかがでしょう?
幸い今年も1月15日の小正月に未だ間に合います。初宮参り、七五三などで、お願いしたことのお礼参りとして成人式のお参りを必ずしましょうね。
もちろん、この時には晴れ着を着けて。
呉服屋さんも美容師さん写真屋さんも困りません。
●提言5:成人の報告をご先祖様に。
忘れてならないのが、ご先祖さまへのご挨拶です。
御霊舎、仏壇、お墓参り、どんな方法でも構わないと思いますが、今自分が存在していること自体、ご先祖様のお蔭です。成人の報告には、きっとご先祖様もさぞお慶びになろうかと存じます。
以上、勝手なご提案ですが、皆様はいかがお考えでしょうか?
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FMおかざき「心の宅急便」の65回目の放送です。
新年最初の放送です。
twitterでリクエストをいただいたお話です。
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平成22年(皇紀2670年)庚寅の新年、あけましておめでとうございます。
皆様それぞれにすがすがしい新年をお迎えのことと存じます。
さて「初夢」はご覧になりましたか?
ご存じの通り「初夢」は「その年のはじめに見る夢」のことですね。
1月1日の夜から2日の朝にかけて見る夢のことです。
私の場合は、毎年、大晦日の31日早朝から元日の夜まで殆ど寝ませんので、この夜は熟睡してしまい、夢を見るどころではありませんが・・・(笑)
新年最初の放送です。
twitterでリクエストをいただいたお話です。
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平成22年(皇紀2670年)庚寅の新年、あけましておめでとうございます。
皆様それぞれにすがすがしい新年をお迎えのことと存じます。
さて「初夢」はご覧になりましたか?
ご存じの通り「初夢」は「その年のはじめに見る夢」のことですね。
1月1日の夜から2日の朝にかけて見る夢のことです。
私の場合は、毎年、大晦日の31日早朝から元日の夜まで殆ど寝ませんので、この夜は熟睡してしまい、夢を見るどころではありませんが・・・(笑)
「初夢」を辞書で引いてみますと、
元日の夜に見る夢。また、正月2日の夜に見る夢。
古くは、節分の夜から立春の明けがたに見る夢。
(広辞苑)
とあります。また別の辞書では、
年の初めに見る夢。イ)節分の夜から立春の明けがたに見る夢。
*山家集〔12C後〕上「たつ春の朝よみける 年くれぬ春来べしとは思ひ寝にまさしく見えてかなふ初夢」
*俳諧・増山の井〔1663〕正月「初夢 立春の朝の夢也」
*随筆・嬉遊笑覧〔1830〕八「いつにても節分の夜のを初夢とするなり。今江戸にて元日をおきて二日の夜とするものは其故をしらず」
ロ)大晦日の夜から元日の朝にかけて見る夢。または正月元日の夜の夢。また、二日の夜の夢。宝船の絵を枕の下に敷いて寝ると吉夢を見るといわれる。《季・新年》
*俳諧・曠野〔1689〕二・歳旦「初夢や浜名の橋の今のさま〈越人〉」
*俳諧・改正月令博物筌〔1808〕正月「初夢(ハツユメ) 大晦日夜より元日あかつきにいたるまでに見る夢也」
*随筆・守貞漫稿〔1837~53〕二三「正月二日〈略〉今夜の夢を初夢と云」
(日本国語大辞典)
とあります。
いずれにしても正月最初に見る夢のことですが、時代と共に節分から立春にかけてみる夢だったものが、元日の朝だったり、夜だったり、2日の夜だったり色々と変遷してきたようですね。
小林一茶はこんな俳句を残しています。
いずれにしても正月最初に見る夢のことですが、時代と共に節分から立春にかけてみる夢だったものが、元日の朝だったり、夜だったり、2日の夜だったり色々と変遷してきたようですね。
小林一茶はこんな俳句を残しています。
初夢に古郷(ふるさと)を見て涙かな
皆さんはどんな初夢を見たのでしょうか?
また、古くから「初夢」でその年の吉凶を占う「夢占」の習慣もありました。
縁起の良い夢としては、「一富士、二鷹、三茄子・・・」が有名ですね。
諺にもなっています。この由来はいくつかあるようですが、
また、古くから「初夢」でその年の吉凶を占う「夢占」の習慣もありました。
縁起の良い夢としては、「一富士、二鷹、三茄子・・・」が有名ですね。
諺にもなっています。この由来はいくつかあるようですが、
①本来は駿河の国の諺で、駿河の名物を順に挙げたもの〔笈埃随筆・俚言集覧・嬉遊笑覧〕。
②駿河の国の高いものを順に挙げたもので、一に富士、二に足高山、三に初茄子の値段のことというもの。徳川家康がいいだしたとか。甲子夜話〕。
③縁起の良い物を順に挙げた(富士は高大、鷹はつかみ取る、茄子は成す)〔続五元集〕。
などがあるようです。
では、四以降はなんでしょうか?
これにも色々なバリエーションがあるようです。
四扇(しおうぎ、よんせん)、五煙草(多波姑)(ごたばこ)、六座頭(ろくざとう)
というものや、
四葬式、五雪隠や四葬式、五火事
というものもあるようです。
お葬式は意外ですが、これは「逆夢」と解釈するものですね。
雪隠はトイレの事ですからウンがつくということでしょうか。
火事は煙が高くのぼるので、運気上昇につながるみたいです。
昔から、夢は何かの予兆が現れるものと考えられていました。
神仏の啓示とでもいうべきでしょうか。
その夢で、吉凶を占ったのは自然の流れだったのかも知れませんね。
「歯の欠けた夢をみると身内の人が死ぬ」というのは、「欠ける」の直接連想でしょうし、・・・
「洪水の夢をみると火事にあう」というのは、「火事」―「放水」―「洪水」の間接連想でしょう。
同時に悪い夢をみたときの対処方法も昔の人は考えています。
「バクバク」と唱えて獏に夢を食わせるとか、真っ先にナンテンの木に話して木を揺すぶると、難を転じることができるというものですね。
さて、一年で一番はじめに見る「初夢」ですから、その吉凶は一年の吉凶につながります。
出来るだけ吉夢を見たいのいうのが人情でしょう。
それが「七福神の宝船図」です。
すでに室町時代には正月2日夜に、「宝船」の紙を枕の下に置いて寝る風習が始まっていたといいます。
そして江戸時代に下るとその絵を売り歩く「宝船売り」が江戸の風物詩として広く親しまれるようになりました。
それで一気にメジャーになったわけですね。
ちなみに、七福神の宝船図には有名な回文が添えられていました。
これにも色々なバリエーションがあるようです。
四扇(しおうぎ、よんせん)、五煙草(多波姑)(ごたばこ)、六座頭(ろくざとう)
というものや、
四葬式、五雪隠や四葬式、五火事
というものもあるようです。
お葬式は意外ですが、これは「逆夢」と解釈するものですね。
雪隠はトイレの事ですからウンがつくということでしょうか。
火事は煙が高くのぼるので、運気上昇につながるみたいです。
昔から、夢は何かの予兆が現れるものと考えられていました。
神仏の啓示とでもいうべきでしょうか。
その夢で、吉凶を占ったのは自然の流れだったのかも知れませんね。
「歯の欠けた夢をみると身内の人が死ぬ」というのは、「欠ける」の直接連想でしょうし、・・・
「洪水の夢をみると火事にあう」というのは、「火事」―「放水」―「洪水」の間接連想でしょう。
同時に悪い夢をみたときの対処方法も昔の人は考えています。
「バクバク」と唱えて獏に夢を食わせるとか、真っ先にナンテンの木に話して木を揺すぶると、難を転じることができるというものですね。
さて、一年で一番はじめに見る「初夢」ですから、その吉凶は一年の吉凶につながります。
出来るだけ吉夢を見たいのいうのが人情でしょう。
それが「七福神の宝船図」です。
すでに室町時代には正月2日夜に、「宝船」の紙を枕の下に置いて寝る風習が始まっていたといいます。
そして江戸時代に下るとその絵を売り歩く「宝船売り」が江戸の風物詩として広く親しまれるようになりました。
それで一気にメジャーになったわけですね。
ちなみに、七福神の宝船図には有名な回文が添えられていました。
ながきよのとおのねぶりのみなめざめ、なみのりふねのおとのよきかな
どうです?逆さまか読んでも一緒ですね。
この宝船図は「吉夢」をみようという一種のおまじないですが、情緒を感じますね。
さてこの絵に登場する「七福神」ですが、この神さまもユニークな神さまです。
どの神さまも福徳をもたらす神さまですが、日本(神道)・インド(ヒンズー教・仏教)・中国(仏教・道教)の諸神が組み合わさって、ごちゃ混ぜになった神さまです。
その分庶民的な神さまとも言えるでしょうか。
言うまでもなく、「七福神」は
この宝船図は「吉夢」をみようという一種のおまじないですが、情緒を感じますね。
さてこの絵に登場する「七福神」ですが、この神さまもユニークな神さまです。
どの神さまも福徳をもたらす神さまですが、日本(神道)・インド(ヒンズー教・仏教)・中国(仏教・道教)の諸神が組み合わさって、ごちゃ混ぜになった神さまです。
その分庶民的な神さまとも言えるでしょうか。
言うまでもなく、「七福神」は
① 大黒天 福徳の神 大国主命と同一視。
② 恵美須 漁業の神、海運守護、商売繁盛の神。
③ 毘沙門天 財宝、福徳・子宝の神、多聞天。
④ 弁財天 音楽、弁舌、知恵の神 市杵嶋姫命と同一視。
⑤ 布袋 福徳・円満の神 布袋和尚
⑥ 福禄寿 長寿の神 中国道教の神
⑦ 寿老人 長寿の神 中国道教の神
(寿老人の代わりに吉祥天を加えることもある。毘沙門天の妃。幸福、知恵、美の神。)
ですね。まさに幸運を運んでくれる神さまです。
古から「七福神まいり」も盛んに行われています。
正月元日から七日までに、一年の幸運を祈って、七福神をまつった社寺を巡拝することですね。
ご当地にも「三河七福神」というのがありますね。
古から「七福神まいり」も盛んに行われています。
正月元日から七日までに、一年の幸運を祈って、七福神をまつった社寺を巡拝することですね。
ご当地にも「三河七福神」というのがありますね。
* 法蔵寺(岡崎市) - 恵比須
* 安楽寺(蒲郡市) - 大黒天
* 宝福寺(岡崎市) - 福禄寿
* 三明寺(豊川市)- 弁才天
* 妙福寺(碧南市) - 毘沙門天
* 長圓寺(西尾市) - 布袋
* 宝珠院(吉良町) - 寿老人
(全部お寺なのが気になりますが(笑))
一度全部回ってみるのも良いかもしれません。
最後に、「夢」には、「目標としての夢」の意味もあります。
「一年の計は元旦にあり。」とも言います。
皆さんにとって、この一年の目標は何でしょうか?
目標を持った計画作りがとても大切だと思います。
「めあてを高くできるまでやれ」これは私の母校・梅園小学校の校訓です。
私の夢は秘密ですが・・・・^^;
「夢」を現実にするため、いや一歩でも二歩でも近づくために努力し続けたいと思います。
この一年が皆さんにとって素晴らしい一年でありますように。
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最後に、「夢」には、「目標としての夢」の意味もあります。
「一年の計は元旦にあり。」とも言います。
皆さんにとって、この一年の目標は何でしょうか?
目標を持った計画作りがとても大切だと思います。
「めあてを高くできるまでやれ」これは私の母校・梅園小学校の校訓です。
私の夢は秘密ですが・・・・^^;
「夢」を現実にするため、いや一歩でも二歩でも近づくために努力し続けたいと思います。
この一年が皆さんにとって素晴らしい一年でありますように。
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FMおかざき「心の宅急便」の64回目の放送です。
今年最後の放送になりました。
年末年始にちなんだお話です。
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今年も残すところあと3日となりました。
岡崎天満宮では、今日午前中に、氏子総代さんたちにお手伝いいただきながら、門松をたてました。
他の迎春準備も着々と進んでいます。
世間では、昨日(28日)が仕事納めだったでしょうか。
今日が仕事納めの方もおみえでしょうね。
いよいよ正月休みですね。
先ずは大掃除、そして迎春準備といったところでしょうか。
さて、お正月にはいろいろな正月行事があります。
正月は、単に年が変わるというだけでないからです。
新年を迎えるための正月行事は、そもそも「歳神(としがみ)さま」を家にお招きし、新年の幸福を祈願する行事なんです。
このことを押さえておくと、色々な正月行事・しきたりなどが理解できると思います。
「歳神さま」は、恵方にみえる歳徳神とも、ご先祖神とも、田の神(農耕の神)ともいわれています。色んな性格の神さまが一緒になって「歳神さま」と称されるわけです。
一年の幸福、五穀豊穣をもたらして下さる神さまであり、「福の神」と言った方がわかりやすいかも知れませんね。
昔から「数え年」という年齢の数え方があります。これは「歳神さま」から正月に、一つ「年」=「命」をいただくという信仰に由来します。だからこそお正月は、めでたいもので、ありがたいものなんですね。
来る新年は、是非とも「歳神さま」のお恵みに感謝しながら「あけましておめでとうございます。」と言いましょうね。
さて、大掃除ですが・・・
「今年の汚れ、今年のうちに。・・・」という某社のCMが浮かびますが、言うまでもなく、すがすがしい環境で新年を迎えるために普段はなかなか手の届かないところまで、家の隅々まで掃除することですね。
でも、よくよく考えてみると、一年の罪汚れを祓い清める意味もあるのではないかと思います。
有り難い「歳神さま」をお迎えするのですから、汚いところでは申し訳ありませんね。
神さまをお迎えするための大掃除と理解すると、大掃除のやりがいも増すのではないかと思います。
そして、隅々まで綺麗にしたら、清浄な場所ですよということを表すために、注連飾りを飾ります。
この注連飾りは神社の注連縄同じで、神聖な場所と俗世間との結界の意味もあります。
もう一つ「歳神さま」をお迎えするのに欠かせないのが「門松」です。
門松は歳神さまの依代(よりしろ)とも、歳神さまが訪れる目印とも言われます。
最近では、個人のお宅で門松を立てることは少なくなったかも知れませんが、門松の代わりにせめても、松竹梅の寄せ植えや、生け花は飾りたいものですね。
ところで、「松竹梅」にはどんな意味があるのでしょう。
これは「歳寒の三友(さいかんのさんゆう)」という、古代中国の画題に由来します。
昔から絵画や陶器の図柄としてよく用いられていたんですね。
高潔・節操・清純などの象徴だとも言います。
これが奈良時代以降日本に伝わり、おめでたいもの、縁起物になってきました。
「松」は常緑樹で1年中枯れることがなく、また1株に雄と雌を有することから大変めでたい樹とされ、日本では古くから神の宿る神聖な樹ともされてきました。何十年、何百年とその姿を保つことから、「節操・長寿・不老不死」を表します。また、二股に分かれている葉には殺菌効果があり、今でもお祝いの食事、お赤飯などの上に飾られることがあります。
「竹」も常緑で1年中枯れることがなく、根が周囲にはびこって次々と新芽を出して広がる様は「子孫繁栄」の象徴とされてきました。節の中の水は飲み水となり、葉は薬草ともなり、筍は食用になります。竹になってからは食器・家具・建築材・楽器・玩具など多用途に役立つことから、生活に密着した貴重な植物とされてきました。
「梅」は苔が生える程の樹齢となっても、早春に他の花より先駆けて気高い香りをともなって美しく花を咲かせる生命力の強さから、「気高さや長寿」の象徴とされてきました。熟すと健康に良いとされる梅酒や梅干しなどをはじめ、乾燥させて薬としても用いられます。
いずれも、有り難い植物なんですね。
余談になりますが、「松竹梅」は序列を表す時にも使われます。
これは寿司屋さんやおそば屋さんが、メニューの「上」とか「並」の代わりに用いたものが始まりと言われています。「上寿司」とか「並寿司」と頼むより「松」とか「梅」でと注文した方が、抵抗がないという理由からのようですが、これも固定化されてくると、意味をなさなくなってきます。
一般に「松」が一番上で、次が「竹」一番下が「梅」という順序でしょうか。「松竹梅」の言葉通りですね。
さらに余談になりますが、当宮では節分祭に福引きをしています。
その福引きで以前、「1等賞」「2等賞」「3等賞」の代わりに「松」「竹」「梅」を使ったことがあります。
勿論、最初は「松」=「1等賞」でしたが・・・。
ところが、当時の某総代さんから、「天満宮だから『梅』が1等賞の方が良いんじゃないか」という意見が出てきました。
なるほどということで、「梅」=「1等賞」、「竹」=「2等賞」、「松」=「3等賞」としたことがあります。
ところがところが、今度は「松」をひいた人からクレームが出ます。「松」を引いたのに一番悪い景品とは何事かと。
景品係も、どうも混乱してしまいます。「梅」が1等賞は間違えないのですが、「松」「竹」がどうしてもごっちゃになっちゃうんです。
結局、数字が一番間違いないということで、今では「1等賞」「2等賞」「3等賞」に戻しています。
ずいぶん話がそれてしまいましたね。
正月につきものと言えば「鏡餅」がありますね。
これも単なるお餅、飾りではありません。
「歳神さま」へのお供えであるということを忘れてはなりません。
鏡(神さまの御神体の丸鏡や、神事に使う丸鏡)の鏡の丸い形から「鏡餅」というのですが、丸い形は、家庭円満を表します。
お餅を重ねるのは、年を重ねるということですね。
二段重ねが一般的ですが、地方によっては三段重ねの所もあるようです。
様々な縁起物を併せて飾ることもありますね。橙、海老、ウラジロなど、それぞれに、子孫繁栄とか不老長寿とかのおめでたい意味が付されています。
歳神さまがメインですが、それ以外にもお正月には鏡餅を色々な神さまにお供えします。
神棚はもちろんのこと、玄関、台所、トイレ、などそれぞれの神さまにも小さくても良いですからお供えされると良いと思います。
森羅万象すべてのものに神さまが宿ると考えるのが日本人の信仰であり、文化ですからね。
さて、子どもたちにとってお正月の楽しみは「お年玉」でしょうか。
現代では金銭を渡すのが殆どだと思いますが、本来のお年玉は違います。
神様のお供えには、神霊がこもります。
神事などで神さまにお供えした神饌をお下がりとしていただくことで、神さまのお恵みを分けいただくと言うのが神道の信仰でもあります。
これは歳神さまへのお供えの鏡餅でも同じなんですね。
正月が終わって、鏡開き(鏡割り)の時に、家族親族みんなでそれを分けいただくのがお年玉の由来です。
「お年玉」の「年」は「歳神さま」の「歳(年)」。
「お年玉」の「玉」は「御霊(みたま)」の「霊(たま)」なんです。
つまり「お年玉」=「歳神さまの御霊」ということなんですね。
それが、時代と共に金銭に変わっていったんです。
「不況の昨今。本来のお年玉に立ち戻ろう!!」とキャンペーンをしたら、子どもたちの暴動が起きるでしょうかね。
話があちこち飛びますが、迎春準備で欠かせないものに「神棚」がありますね。
神棚におまつりする神札は、・・・
神宮大麻(伊勢神宮の御神札)・・・天下国家をお守り下さる神様
氏神さまの御神札 ・・・・・・・・・・・・・地域をお守り下さる神様
その他の崇敬する神社の神様・・・家族・個人をお守り下さる神様
です。一つだけでは駄目とは言いませんが、この三つをおまつりいただければ、相乗効果で、さらに神さまのお恵みが増加します。最高の新年を迎えるなら、せっかくですから、すべてを揃えておまつり下さることをおすすめします。
また、御神札は毎年新しいものに取り替えます。
毎年毎年、定期的に新しい御神札に替えることで、常に新しく常に瑞々しい御神徳を戴くことになります。
20年に一度御社殿を建て替える伊勢神宮の式年遷宮につながる思想ですね。
更新することで常に新しく最良の状態が保たれるという日本人の知恵です。
さて、新年となったら、まず初詣ですね。
先ずは一番身近な氏神さまへお参りするのがいいでしょう。
その後で、崇敬する神社へお参りいただければと思います。
そして出来るだけ多くの神社にお参りいただき、多くの神さまとご縁を結ばれることをおすすめします。
俗に言う「神さま同士が喧嘩する」ということはありませんので、ご安心を。
また「七所(ななとこ)まいり」をされる方も多くいらっしゃいます。
7社の神社に初詣をすることですが、岡崎は中心部にたくさんの神社が集中していますのでこれもお薦めです。
龍城神社、六所神社、伊賀八幡宮、能見神明宮、菅生神社、徳王神社、そして岡崎天満宮。
これらの神社は、いずれも神職が常駐しています。
丁度7社ですね。
最後に当宮・岡崎天満宮の初詣のご案内です。
1月1日午前0時より、参詣者の皆様に甘酒接待(無料)を行います。
大晦日から元旦にかけて寒波がくるような予報ですが、温かい甘酒で、温まっていただきたいと思います。
沢山用意しますが、無くなり次第終了となりますのでご了承下さい。
また、新春の特別祈祷(合格祈願、厄祓、家内安全など)は正月中随時受付いたします。
直接、社務所の御祈祷受付までお申し出下さい。
また1日午前9時から、 元旦祭を斎行し、天神さまに新年の寿詞を申し上げ、氏子崇敬者のご多幸をお祈りします。
宮司以下、皆様方のご参詣を心よりお待ち申し上げておりますので、ご家族ご友人お誘い合わせの上、多数御参拝下さいますようご案内申し上げます。
それでは皆さん。良いお年を!!
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今年最後の放送になりました。
年末年始にちなんだお話です。
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今年も残すところあと3日となりました。
岡崎天満宮では、今日午前中に、氏子総代さんたちにお手伝いいただきながら、門松をたてました。
他の迎春準備も着々と進んでいます。
世間では、昨日(28日)が仕事納めだったでしょうか。
今日が仕事納めの方もおみえでしょうね。
いよいよ正月休みですね。
先ずは大掃除、そして迎春準備といったところでしょうか。
さて、お正月にはいろいろな正月行事があります。
正月は、単に年が変わるというだけでないからです。
新年を迎えるための正月行事は、そもそも「歳神(としがみ)さま」を家にお招きし、新年の幸福を祈願する行事なんです。
このことを押さえておくと、色々な正月行事・しきたりなどが理解できると思います。
「歳神さま」は、恵方にみえる歳徳神とも、ご先祖神とも、田の神(農耕の神)ともいわれています。色んな性格の神さまが一緒になって「歳神さま」と称されるわけです。
一年の幸福、五穀豊穣をもたらして下さる神さまであり、「福の神」と言った方がわかりやすいかも知れませんね。
昔から「数え年」という年齢の数え方があります。これは「歳神さま」から正月に、一つ「年」=「命」をいただくという信仰に由来します。だからこそお正月は、めでたいもので、ありがたいものなんですね。
来る新年は、是非とも「歳神さま」のお恵みに感謝しながら「あけましておめでとうございます。」と言いましょうね。
さて、大掃除ですが・・・
「今年の汚れ、今年のうちに。・・・」という某社のCMが浮かびますが、言うまでもなく、すがすがしい環境で新年を迎えるために普段はなかなか手の届かないところまで、家の隅々まで掃除することですね。
でも、よくよく考えてみると、一年の罪汚れを祓い清める意味もあるのではないかと思います。
有り難い「歳神さま」をお迎えするのですから、汚いところでは申し訳ありませんね。
神さまをお迎えするための大掃除と理解すると、大掃除のやりがいも増すのではないかと思います。
そして、隅々まで綺麗にしたら、清浄な場所ですよということを表すために、注連飾りを飾ります。
この注連飾りは神社の注連縄同じで、神聖な場所と俗世間との結界の意味もあります。
もう一つ「歳神さま」をお迎えするのに欠かせないのが「門松」です。
門松は歳神さまの依代(よりしろ)とも、歳神さまが訪れる目印とも言われます。
最近では、個人のお宅で門松を立てることは少なくなったかも知れませんが、門松の代わりにせめても、松竹梅の寄せ植えや、生け花は飾りたいものですね。
ところで、「松竹梅」にはどんな意味があるのでしょう。
これは「歳寒の三友(さいかんのさんゆう)」という、古代中国の画題に由来します。
昔から絵画や陶器の図柄としてよく用いられていたんですね。
高潔・節操・清純などの象徴だとも言います。
これが奈良時代以降日本に伝わり、おめでたいもの、縁起物になってきました。
「松」は常緑樹で1年中枯れることがなく、また1株に雄と雌を有することから大変めでたい樹とされ、日本では古くから神の宿る神聖な樹ともされてきました。何十年、何百年とその姿を保つことから、「節操・長寿・不老不死」を表します。また、二股に分かれている葉には殺菌効果があり、今でもお祝いの食事、お赤飯などの上に飾られることがあります。
「竹」も常緑で1年中枯れることがなく、根が周囲にはびこって次々と新芽を出して広がる様は「子孫繁栄」の象徴とされてきました。節の中の水は飲み水となり、葉は薬草ともなり、筍は食用になります。竹になってからは食器・家具・建築材・楽器・玩具など多用途に役立つことから、生活に密着した貴重な植物とされてきました。
「梅」は苔が生える程の樹齢となっても、早春に他の花より先駆けて気高い香りをともなって美しく花を咲かせる生命力の強さから、「気高さや長寿」の象徴とされてきました。熟すと健康に良いとされる梅酒や梅干しなどをはじめ、乾燥させて薬としても用いられます。
いずれも、有り難い植物なんですね。
余談になりますが、「松竹梅」は序列を表す時にも使われます。
これは寿司屋さんやおそば屋さんが、メニューの「上」とか「並」の代わりに用いたものが始まりと言われています。「上寿司」とか「並寿司」と頼むより「松」とか「梅」でと注文した方が、抵抗がないという理由からのようですが、これも固定化されてくると、意味をなさなくなってきます。
一般に「松」が一番上で、次が「竹」一番下が「梅」という順序でしょうか。「松竹梅」の言葉通りですね。
さらに余談になりますが、当宮では節分祭に福引きをしています。
その福引きで以前、「1等賞」「2等賞」「3等賞」の代わりに「松」「竹」「梅」を使ったことがあります。
勿論、最初は「松」=「1等賞」でしたが・・・。
ところが、当時の某総代さんから、「天満宮だから『梅』が1等賞の方が良いんじゃないか」という意見が出てきました。
なるほどということで、「梅」=「1等賞」、「竹」=「2等賞」、「松」=「3等賞」としたことがあります。
ところがところが、今度は「松」をひいた人からクレームが出ます。「松」を引いたのに一番悪い景品とは何事かと。
景品係も、どうも混乱してしまいます。「梅」が1等賞は間違えないのですが、「松」「竹」がどうしてもごっちゃになっちゃうんです。
結局、数字が一番間違いないということで、今では「1等賞」「2等賞」「3等賞」に戻しています。
ずいぶん話がそれてしまいましたね。
正月につきものと言えば「鏡餅」がありますね。
これも単なるお餅、飾りではありません。
「歳神さま」へのお供えであるということを忘れてはなりません。
鏡(神さまの御神体の丸鏡や、神事に使う丸鏡)の鏡の丸い形から「鏡餅」というのですが、丸い形は、家庭円満を表します。
お餅を重ねるのは、年を重ねるということですね。
二段重ねが一般的ですが、地方によっては三段重ねの所もあるようです。
様々な縁起物を併せて飾ることもありますね。橙、海老、ウラジロなど、それぞれに、子孫繁栄とか不老長寿とかのおめでたい意味が付されています。
歳神さまがメインですが、それ以外にもお正月には鏡餅を色々な神さまにお供えします。
神棚はもちろんのこと、玄関、台所、トイレ、などそれぞれの神さまにも小さくても良いですからお供えされると良いと思います。
森羅万象すべてのものに神さまが宿ると考えるのが日本人の信仰であり、文化ですからね。
さて、子どもたちにとってお正月の楽しみは「お年玉」でしょうか。
現代では金銭を渡すのが殆どだと思いますが、本来のお年玉は違います。
神様のお供えには、神霊がこもります。
神事などで神さまにお供えした神饌をお下がりとしていただくことで、神さまのお恵みを分けいただくと言うのが神道の信仰でもあります。
これは歳神さまへのお供えの鏡餅でも同じなんですね。
正月が終わって、鏡開き(鏡割り)の時に、家族親族みんなでそれを分けいただくのがお年玉の由来です。
「お年玉」の「年」は「歳神さま」の「歳(年)」。
「お年玉」の「玉」は「御霊(みたま)」の「霊(たま)」なんです。
つまり「お年玉」=「歳神さまの御霊」ということなんですね。
それが、時代と共に金銭に変わっていったんです。
「不況の昨今。本来のお年玉に立ち戻ろう!!」とキャンペーンをしたら、子どもたちの暴動が起きるでしょうかね。
話があちこち飛びますが、迎春準備で欠かせないものに「神棚」がありますね。
神棚におまつりする神札は、・・・
神宮大麻(伊勢神宮の御神札)・・・天下国家をお守り下さる神様
氏神さまの御神札 ・・・・・・・・・・・・・地域をお守り下さる神様
その他の崇敬する神社の神様・・・家族・個人をお守り下さる神様
です。一つだけでは駄目とは言いませんが、この三つをおまつりいただければ、相乗効果で、さらに神さまのお恵みが増加します。最高の新年を迎えるなら、せっかくですから、すべてを揃えておまつり下さることをおすすめします。
また、御神札は毎年新しいものに取り替えます。
毎年毎年、定期的に新しい御神札に替えることで、常に新しく常に瑞々しい御神徳を戴くことになります。
20年に一度御社殿を建て替える伊勢神宮の式年遷宮につながる思想ですね。
更新することで常に新しく最良の状態が保たれるという日本人の知恵です。
さて、新年となったら、まず初詣ですね。
先ずは一番身近な氏神さまへお参りするのがいいでしょう。
その後で、崇敬する神社へお参りいただければと思います。
そして出来るだけ多くの神社にお参りいただき、多くの神さまとご縁を結ばれることをおすすめします。
俗に言う「神さま同士が喧嘩する」ということはありませんので、ご安心を。
また「七所(ななとこ)まいり」をされる方も多くいらっしゃいます。
7社の神社に初詣をすることですが、岡崎は中心部にたくさんの神社が集中していますのでこれもお薦めです。
龍城神社、六所神社、伊賀八幡宮、能見神明宮、菅生神社、徳王神社、そして岡崎天満宮。
これらの神社は、いずれも神職が常駐しています。
丁度7社ですね。
最後に当宮・岡崎天満宮の初詣のご案内です。
1月1日午前0時より、参詣者の皆様に甘酒接待(無料)を行います。
大晦日から元旦にかけて寒波がくるような予報ですが、温かい甘酒で、温まっていただきたいと思います。
沢山用意しますが、無くなり次第終了となりますのでご了承下さい。
また、新春の特別祈祷(合格祈願、厄祓、家内安全など)は正月中随時受付いたします。
直接、社務所の御祈祷受付までお申し出下さい。
また1日午前9時から、 元旦祭を斎行し、天神さまに新年の寿詞を申し上げ、氏子崇敬者のご多幸をお祈りします。
宮司以下、皆様方のご参詣を心よりお待ち申し上げておりますので、ご家族ご友人お誘い合わせの上、多数御参拝下さいますようご案内申し上げます。
それでは皆さん。良いお年を!!
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FMおかざき「心の宅急便」の63回目の放送です。
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今日12月22日は「冬至」ですね。
「冬至」というのは、
誤解しやすいのですが、1年で日の出の時刻が最も遅い日・日の入りの時刻が最も早い日ではありません。
暦をよく見てみれば分かりますが、日の出が最も遅い日は冬至の半月後頃、日の入りが最も早い日は冬至の半月前頃になっています。
いずれにしても、「冬至から 畳の目ほど 日が延びる」と言われるように、冬至を過ぎると、わずかずつではあるが日一日と昼の時間が長くなっていきます。
ちなみに、旧暦(太陽太陰暦)では、11月であり、冬の真ん中にあたります。
さて、「冬至」といえば・・・
ゆず湯に入り、冬至がゆ(小豆がゆ)やカボチャを食べると風邪をひかない、などが思いつくでしょうか。
昼がもっとも短く、太陽のパワーももっとも衰える日ですから、植物も衰弱しますし、農耕生活に一種の危機が訪れる日でもあります。
同時に、この日からふたたび昼の日照時間が長くなり、太陽のエネルギーも徐々に回復していく節目でもあります。
世界の諸民族の中で、この日を陽気の回復、再生を願う日、また太陽の誕生日とする観念が多く見られます。
西洋のクリスマスも、もとは陽気回復を祝う風習がその背景にあると言われています。
クリスマスツリーやサンタさんの由来もここにあります。
「一陽来復」として、農耕の再生の力をもたらす神聖な旅人が村にやってくる日だとする信仰も世界中に見られますし、日本では弘法大師(こうぼうだいし)が村を巡るという伝承もあります。
「大師講」というもので、弘法大師の命日の旧暦11月24日に由来し、小豆粥(あずきがゆ)や団子をつくって供える慣習が各地に残っています。
いずれも、衰弱からの再生という冬至をめぐる観念に基づく儀礼といえるでしょう。
さて「朔旦冬至(さくたんとうじ)」という言葉をご存じでしょうか?
「朔旦」というのは「一日(ついたち)の朝」という意味です。
冬至の日が陰暦の11月1日にあたることで、19年に一度やってきます。
冬至が暦作成の基準であるため、この「朔旦冬至」は特に瑞祥(縁起が良い)とされ、宮中では祝宴が行なわれたそうです。
ちなみに、次の朔旦冬至は、平成26年(2014年)だそうです。
先ほど、冬至と言えば、「柚子湯」や「南瓜」と言いましたね。
まず、冬至とゆず湯の由来は何でしょう。
柚子(ゆず)=「融通」がきく、冬至=「湯治」の語呂合せからという説もありますが、もともとは運を呼びこむ前に厄祓いするための禊(みそぎ)かもしれません。
「一陽来復」の大事な日を迎えるために身を清めるというものです。
新年や大切な儀式に際しての入浴・潔斎ということですね。
冬が旬の柚子は、香りも強く、その強い香りで邪気を祓います。
端午の節句の菖蒲湯と同じですね。
また、柚子湯には血行を促進して冷え性を緩和したり、体を温めて風邪を予防する効果もあるそうですし、果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果や、芳香によるリラックス効果もあると言われます。
なるほどですね。
次に、冬至とカボチャの由来ですが・・・
冬至には「ん」のつくものを食べると「運」がつくんだそうです。
にんじん、だいこん、れんこん、うどん、ぎんなん、きんかん……などでしょうか。
縁起かつぎだけでなく、栄養をつけて寒い冬を乗りきるための知恵とも言えそうです。
カボチャに「ん」はつかないんじゃ・・・とお思いかもしれませんね。
カボチャは漢字で「南瓜」と書きます。音読みすると「なんきん」です。ちゃんと「ん」がつきますね。
特にかぼちゃはビタミンAやカロチンが豊富だと言われますし、風邪や中風(脳血管疾患)予防に効果的とも言われています。
また「ん」は50音の最後の音ですね。冬至の「一陽来復」につながります。
「一陽来復」というのは、「陰が窮まって陽にかえること。悪い事が続いたあと、ようやく好運に向かうこと。」です。
地方によっては、冬至にこんにゃくを食する習慣のあるところもあるようです。
「砂おろし」といって、こんにゃくを食べて体内にたまった砂を出すんだそうです。
これも、身体の中をきれいにするという意味では、柚子湯の禊ぎに通じるところがあるかもしれませんね。
宮中祭祀の中に、12月15日夕刻から行われる「賢所御神楽の儀」というお祭りがあります。
皇祖天照大御神さまに、御神楽を捧げ、神霊をお慰めするお祭りです。
当日黄櫨染御袍という正装をお召しになられた陛下が拝礼された後、6時間あまりも御神楽が奏されるそうです。
言うまでもなく天照大御神さまは日の大神さまです。
太陽の再生を願う冬至の行事とこの宮中の賢所御神楽の儀は無関係ではありません。
常に「神事を先にし、他事を後にす」という皇室の伝統を重んじられる陛下にとっては重要なお祭りです。
陛下御自ら身を清められ、この日は国事行為も行わず、外部の方とお会いになることも慎まれ、大事な神事に臨まれるのが慣例です。
にも関わらず、先週の15日は・・・・
敢えて申しません。
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今日12月22日は「冬至」ですね。
「冬至」というのは、
です。また、二十四節気の一つ。太陽黄経が270度のときで、12月22日ごろ。
ですね。北半球では太陽の南中高度が最も低く、昼が最も短く夜が最も長くなる日。
日の出・日の入りの方角が最も南寄りになる日。
誤解しやすいのですが、1年で日の出の時刻が最も遅い日・日の入りの時刻が最も早い日ではありません。
暦をよく見てみれば分かりますが、日の出が最も遅い日は冬至の半月後頃、日の入りが最も早い日は冬至の半月前頃になっています。
いずれにしても、「冬至から 畳の目ほど 日が延びる」と言われるように、冬至を過ぎると、わずかずつではあるが日一日と昼の時間が長くなっていきます。
ちなみに、旧暦(太陽太陰暦)では、11月であり、冬の真ん中にあたります。
さて、「冬至」といえば・・・
ゆず湯に入り、冬至がゆ(小豆がゆ)やカボチャを食べると風邪をひかない、などが思いつくでしょうか。
昼がもっとも短く、太陽のパワーももっとも衰える日ですから、植物も衰弱しますし、農耕生活に一種の危機が訪れる日でもあります。
同時に、この日からふたたび昼の日照時間が長くなり、太陽のエネルギーも徐々に回復していく節目でもあります。
世界の諸民族の中で、この日を陽気の回復、再生を願う日、また太陽の誕生日とする観念が多く見られます。
西洋のクリスマスも、もとは陽気回復を祝う風習がその背景にあると言われています。
クリスマスツリーやサンタさんの由来もここにあります。
「一陽来復」として、農耕の再生の力をもたらす神聖な旅人が村にやってくる日だとする信仰も世界中に見られますし、日本では弘法大師(こうぼうだいし)が村を巡るという伝承もあります。
「大師講」というもので、弘法大師の命日の旧暦11月24日に由来し、小豆粥(あずきがゆ)や団子をつくって供える慣習が各地に残っています。
いずれも、衰弱からの再生という冬至をめぐる観念に基づく儀礼といえるでしょう。
さて「朔旦冬至(さくたんとうじ)」という言葉をご存じでしょうか?
「朔旦」というのは「一日(ついたち)の朝」という意味です。
冬至の日が陰暦の11月1日にあたることで、19年に一度やってきます。
冬至が暦作成の基準であるため、この「朔旦冬至」は特に瑞祥(縁起が良い)とされ、宮中では祝宴が行なわれたそうです。
ちなみに、次の朔旦冬至は、平成26年(2014年)だそうです。
先ほど、冬至と言えば、「柚子湯」や「南瓜」と言いましたね。
まず、冬至とゆず湯の由来は何でしょう。
柚子(ゆず)=「融通」がきく、冬至=「湯治」の語呂合せからという説もありますが、もともとは運を呼びこむ前に厄祓いするための禊(みそぎ)かもしれません。
「一陽来復」の大事な日を迎えるために身を清めるというものです。
新年や大切な儀式に際しての入浴・潔斎ということですね。
冬が旬の柚子は、香りも強く、その強い香りで邪気を祓います。
端午の節句の菖蒲湯と同じですね。
また、柚子湯には血行を促進して冷え性を緩和したり、体を温めて風邪を予防する効果もあるそうですし、果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果や、芳香によるリラックス効果もあると言われます。
なるほどですね。
次に、冬至とカボチャの由来ですが・・・
冬至には「ん」のつくものを食べると「運」がつくんだそうです。
にんじん、だいこん、れんこん、うどん、ぎんなん、きんかん……などでしょうか。
縁起かつぎだけでなく、栄養をつけて寒い冬を乗りきるための知恵とも言えそうです。
カボチャに「ん」はつかないんじゃ・・・とお思いかもしれませんね。
カボチャは漢字で「南瓜」と書きます。音読みすると「なんきん」です。ちゃんと「ん」がつきますね。
特にかぼちゃはビタミンAやカロチンが豊富だと言われますし、風邪や中風(脳血管疾患)予防に効果的とも言われています。
また「ん」は50音の最後の音ですね。冬至の「一陽来復」につながります。
「一陽来復」というのは、「陰が窮まって陽にかえること。悪い事が続いたあと、ようやく好運に向かうこと。」です。
地方によっては、冬至にこんにゃくを食する習慣のあるところもあるようです。
「砂おろし」といって、こんにゃくを食べて体内にたまった砂を出すんだそうです。
これも、身体の中をきれいにするという意味では、柚子湯の禊ぎに通じるところがあるかもしれませんね。
宮中祭祀の中に、12月15日夕刻から行われる「賢所御神楽の儀」というお祭りがあります。
皇祖天照大御神さまに、御神楽を捧げ、神霊をお慰めするお祭りです。
当日黄櫨染御袍という正装をお召しになられた陛下が拝礼された後、6時間あまりも御神楽が奏されるそうです。
言うまでもなく天照大御神さまは日の大神さまです。
太陽の再生を願う冬至の行事とこの宮中の賢所御神楽の儀は無関係ではありません。
常に「神事を先にし、他事を後にす」という皇室の伝統を重んじられる陛下にとっては重要なお祭りです。
陛下御自ら身を清められ、この日は国事行為も行わず、外部の方とお会いになることも慎まれ、大事な神事に臨まれるのが慣例です。
にも関わらず、先週の15日は・・・・
敢えて申しません。
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FMおかざき「心の宅急便」の62回目の放送です。
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一昨日の13日は、「正月事始め」でした。
年末年始の準備を始められた方も多かったことでしょう。
それにちなんで、門松や正月にゆかりのある「松竹梅のお話」をさせていただこうと思っていましたが・・・
今日は、おめでたい話をする気にどうもなれませんので、急遽ですが、今般の天皇陛下の特例会見を巡る問題について思うところをお話しさせていただきたいと思います。
私は、政府がとんでもない過ちを犯してしまったと思っています。
ここ数日、マスコミを賑わしている問題ですから、ご存じの方も多いと思います。
今上陛下は、きのう14日に来日した中国の習近平国家副主席と今日午前11時ごろから20分間、ご会見になりました。ご案内の通り、「1か月ルール」をやぶり、強引に強行されたもので、「天皇の政治利用」との批判が強まっています。
このことについては、皇室のことについて大変造詣の深い、斎藤吉久先生がご自身のメールマガジンで、端的にその問題点をご指摘されています。
また、昨夜の小沢幹事長の発言には、正直激しい憤りを感じずにはいられませんでした。
小沢氏の発言には陛下への敬意が微塵もありません。
陛下に対する冒涜すら感じられます。
会見で記者たちに憲法講義をぶったようですが、その憲法には陛下は国民統合の象徴であると規定されているのですから、陛下を冒涜することは即ち国民を冒涜することに他なりません。
まるでどこかの国の独裁者になったかのような印象さえ感じられます。
また大国も小国も分け隔て無く対応するのが陛下のお立場です。公正無私であらせられる天皇陛下だからこそ、世界の尊崇を得ていらっしゃるわけです。
だからこそルールは厳格に守られるべきであると思います。
やむを得ず「特例」を設けるならば、そのやむを得ない理由を、しっかりと国民に説明しなければなりません。
「政治利用には当たらない」だけでは納得できない国民が多いのではないでしょうか。
もちろん今回の会見について、陛下御自らは是が非かなどということは何もおっしゃらないと思います。しかし中国という一国の都合、小沢幹事長や鳩山首相の思惑によって、無理矢理事を推し進めたことはまさしく「政治利用」だと言えるでしょう。
この中国共産党と鳩山政権の愚行は、断じて許されるべきではありません。
その責任の所在について、我々国民は徹底追求していかなければならないと思います。
「松竹梅のお話」また今度。
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一昨日の13日は、「正月事始め」でした。
年末年始の準備を始められた方も多かったことでしょう。
それにちなんで、門松や正月にゆかりのある「松竹梅のお話」をさせていただこうと思っていましたが・・・
今日は、おめでたい話をする気にどうもなれませんので、急遽ですが、今般の天皇陛下の特例会見を巡る問題について思うところをお話しさせていただきたいと思います。
私は、政府がとんでもない過ちを犯してしまったと思っています。
ここ数日、マスコミを賑わしている問題ですから、ご存じの方も多いと思います。
今上陛下は、きのう14日に来日した中国の習近平国家副主席と今日午前11時ごろから20分間、ご会見になりました。ご案内の通り、「1か月ルール」をやぶり、強引に強行されたもので、「天皇の政治利用」との批判が強まっています。
このことについては、皇室のことについて大変造詣の深い、斎藤吉久先生がご自身のメールマガジンで、端的にその問題点をご指摘されています。
今回の訪日の目的、天皇陛下との特例会見の目的を知ると、空恐ろしい感じがするのは私だけではないと思います。この国はどうなってしまうのでしょうか?□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
1 ポスト胡錦涛権力闘争に政治利用される皇室?
───習近平国家副主席「特例天皇会見」の意味
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▽なぜ中国側の作業が遅れたのか
別項に資料として、マスメディアが伝えているご会見決定までの経緯をまとめてみましたので、ご覧いただきたいのですが、今回の特例会見設定で考えなければならないのは、次の3点かと思います。
(1)習近平国家副主席とは何者なのか? なぜ陛下との会見が設定されなければならないか?
(2)中国側は年初から「国家指導者」来日を打診してきたが、それが習近平国家副主席であるとの説明があったのは10月になってからだった。陛下との会見も希望されたので、日本の外務省は具体的日程の連絡を中国側に再三求めたが、遅れた。この中国側の遅れがなければゴリ押しも不要だったはずだが、なぜこのように作業が遅れたのか?
(3)首相官邸は12月7日、日中関係の政治的重要性、中国側の強い希望を強調して宮内庁に対応を試みたが、宮内庁は拒否した。2日後、小沢大訪中団の離日の前日に崔天凱中国大使が小沢幹事長に直接、要求し、小沢・胡錦涛会談の当日、会見が決まった。この背景に何があるのか?
つまり、ご会見の政治利用について、日本の国内問題としてだけでなく、中国の国内問題、国際的問題として理解する必要があり、そのように考えると、首相のいう「国際関係を好転させる」ためとはほど遠い、じつに恐るべきことが浮かび上がってくると私は考えます。
▽中国による皇室の政治利用
まず、習近平国家副主席について、です。
日本の一般メディアは、ポスト胡錦涛の最右翼、と繰り返し報じています。しかし権力闘争が日常的に休まることがない中国共産党内部で、後継者が簡単に定まることなどあり得ません。
昨年春、国家副主席となった習近平は、胡錦涛国家主席ら「団派」(共産主義青年団)と対立関係にある「上海派(江沢民派)」「太子党」であり、ポスト胡錦涛をめぐっては団派で胡錦涛直系の李克強との暗闘が繰り返されていると聞きます。
事実、今年9月、中国共産党第17期中央委員会第4回総会(4中総会)で習近平は軍事委員会副主席入りが確実といわれたものの、予想に反して実現しませんでした。
今年の初めからすでに「国家指導者」の来日が予告されながら、名前が伏せられ、10月になってようやく習近平の名前が告げられ、陛下との会見が希望されたのは、この期間の中国国内の権力闘争の激しさを想像させるのに十分です。
また、陛下との会見を希望する理由として、平成10(1998)年に当時、国家副主席だった胡錦涛が会見していることがあげられているのは、胡錦涛と同じ扱いを望み、天皇会見を利用して共産党内で巻き返しを図り、権力掌握に弾みを付けたいという思惑が感じられます。
だとすれば、これは中国による皇室の政治利用そのものです。
つまり、鳩山政権は、単に憲法に「国政上の権能を有しない」と定められているということではなくて、古来、日本の最高権威であり、それゆえ現実の権力政治から超然たる地位にあるべき天皇が、国内的に政治利用されるのではなくて、外国の政治闘争の道具として利用されることを、愚かにも許したということになります。
▽繰り返される政治利用
中国による皇室の政治利用はこれまで何度も繰り返されています。そもそも政治性のない中国人など聞いたことがありません。
たとえば平成4年の今上天皇の訪中は、3年前の血なまぐさい天安門事件以来、西側諸国がとるきびしい対中制裁を打破するのに大きく貢献した、と中国政府側は理解しています。
このおぞましい血の弾圧のあと、国際的な汚名をそそぐのに積極的役割を果たしたのが日本政府でした。西側首脳たちが「弾圧のシンボル」である人民英雄記念碑に献花を避けるなか、先進国首脳としてまっ先に花輪を捧げたのが海部首相だったのです。海部訪中は翌年の陛下の訪中の露払いでしたが、さすがに陛下は記念碑を表敬することはありませんでした。
天皇が日本の最高権威であることを、中国の権力者たちは、日本の政治家以上に熟知しているのでしょう。だからこそ、政治利用しようとするのです。それに対して、日本側はあまりに無防備で、完全に足元を見透かされています。
いや、日本の政治家もまた、天皇を政治利用しています。
ギリギリの段階での天皇会見の設定は、陳情窓口を一本化し、政治判断を一元化した民主党の小沢幹事長によって決まったようです。日米同盟が普天間基地移設問題で混乱し、危機に瀕するというとき、小沢幹事長および民主党のあからさまな中国重視の姿勢が中国による皇室の政治利用を許したのです。
600人を超える小沢大訪中団の1人1人と胡錦涛国家主席がにこやかに、無邪気に握手を交わし、いやが上にも小沢幹事長の政治的存在感が増すなか、天皇の政治利用は決められたのです。胡錦涛派と上海派との日中外交をめぐる主導権争いに、天皇会見が利用されたのではないかという疑いが、いよいよ濃厚です。
これに対して陛下を守るべき宮内庁が抗しきれなかったのは返す返すも残念ですが、宮内庁が内閣府の一外局に過ぎないことによる限界なのでしょう。羽毛田長官も記者に弁明する程度で、職を賭して天皇の政治利用を阻止するほどの気概はなかったのでしょう。
ご即位20年の記者会見で陛下は「我が国の安寧を願い,国民の健康と幸せを祈ります」と述べられています。昨年のご不例は、「皇室に関わるもろもろの問題をご憂慮」(羽毛田長官所見)になったというのではなく、百年に一度ともいわれる深刻な経済危機で国民の苦しみを思われてのことでしょう。この年末、不況にあえぐ多くの国民に陛下はどれほど心を痛めておられることか。
はるかに高い次元で国と民を思う天皇となまぐさい政治に明け暮れる権力者たちとは違います。だからこそ、天皇の政治的中立性が必要なのです。
(斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」vol.109より引用)
また、昨夜の小沢幹事長の発言には、正直激しい憤りを感じずにはいられませんでした。
小沢氏の発言には陛下への敬意が微塵もありません。
陛下に対する冒涜すら感じられます。
会見で記者たちに憲法講義をぶったようですが、その憲法には陛下は国民統合の象徴であると規定されているのですから、陛下を冒涜することは即ち国民を冒涜することに他なりません。
まるでどこかの国の独裁者になったかのような印象さえ感じられます。
また大国も小国も分け隔て無く対応するのが陛下のお立場です。公正無私であらせられる天皇陛下だからこそ、世界の尊崇を得ていらっしゃるわけです。
だからこそルールは厳格に守られるべきであると思います。
やむを得ず「特例」を設けるならば、そのやむを得ない理由を、しっかりと国民に説明しなければなりません。
「政治利用には当たらない」だけでは納得できない国民が多いのではないでしょうか。
もちろん今回の会見について、陛下御自らは是が非かなどということは何もおっしゃらないと思います。しかし中国という一国の都合、小沢幹事長や鳩山首相の思惑によって、無理矢理事を推し進めたことはまさしく「政治利用」だと言えるでしょう。
この中国共産党と鳩山政権の愚行は、断じて許されるべきではありません。
その責任の所在について、我々国民は徹底追求していかなければならないと思います。
「松竹梅のお話」また今度。
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FMおかざき「心の宅急便」の61回目の放送です。
一日遅れのUPになりました。昨日の放送分です^^;
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今日はずいぶん寒く、師走らしいお天気ですね。
さて、「常夜燈」ってご存じですよね?
街道沿いなど、各町、各村に必ずと言っていいほどある石造りの「常夜燈」ですが、これらは江戸時代頃から、町内安全を祈願して建立されたものです。そしてこの三河地方では、その殆どが「秋葉山」の常夜燈と言っても過言ではないでしょう。ちなみに伊勢街道に行くと、殆どが「太神宮」の常夜灯ですが。
この秋葉さんの常夜燈ですが、岡崎市に153基もあるそうです。
みなさんのお家の近くにもきっとあるのではないでしょうか。
また、秋葉さんの御神札も各家庭でおまつりされているのではないでしょうか。
台所に貼られる御神札ですね。
「正一位秋葉神社火防守護」「秋葉三尺坊大権現」などの御神札です。
このように我々庶民にとって「秋葉信仰」はもっとも盛んな信仰の一つです。
そもそもこの「秋葉信仰」は「秋葉山本宮秋葉神社」(静岡県浜松市天竜区春野町領家841)を中心とする信仰です。
赤石山脈の最南端、天竜川の上流に位置する標高866mの秋葉山が御神体山で、初めて御社殿が建ったのは、今から凡そ1300年前の和銅2年(西暦709年)だそうです。
秋葉神社の神様は、火の幸を恵み、悪火を鎮め、火を司り給う神様で、お名前を「火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)」と申し上げます。
秋葉信仰の歴史ですが、明治以前は「秋葉大権現」と称していました。神仏混交の信仰でさらに各地の民間信仰とも結びついて様々なバリーエーションがあり分かりにくいですが、もとは天台宗系の修験道の霊場だったそうです。山岳信仰でもあり、修行の場でもあったわけですね。
時代と共にその霊場も廃れていきましたが、室町時代に「三尺坊」という修験者が再興します。
この三尺坊という方、信濃出身の方のようですが、観音の化身で火伏せの法に通じた天狗(てんぐ)ともいわれていました。越後国から飛来して秋葉山の鎮守となったという伝説もあり、「三尺坊大権現」と称して大登山秋葉寺に祀られたといわれています。
貞享2年(1685)頃には、各地で三尺坊大権現を祀ることが流行し、祠や常夜灯がたくさん作られたと言います。
この秋葉三尺坊大権現を信仰する神仏混淆の信仰は、中部地方を主として、東海道筋から関東地方にかけて講社を結成するなど庶民の信仰と深く結び付いていきました。
現在、各町内ごとに代参で御神札を受けに行くのも、この講の名残ですね。
また、お伊勢参りと併せて参詣されることも多かったといいます。
如何に信仰が深かったかがわかります。
さて、明治に入ると、明治初期の神仏分離令で。「秋葉神社」と改称します。
秋葉寺は廃寺となったため、三尺坊の像などは可睡斎(袋井市)に移したと伝えられています。
全国の秋葉大権現も「秋葉神社」や「秋葉山○○寺」「○○山秋葉寺」となりました。
神社になったところと、お寺になったところがあります。
熱田神宮のおとなりに「秋葉山円通寺」というお寺がありますね。
日本武尊が火攻めにあったときに、秋葉大権現が助けたという伝説に由来のお寺ですね。
さて御本宮の「秋葉神社」ですが、昭和27年に「秋葉山本宮秋葉神社」と改称し現在に至っています。
毎年12月15日、16日が例祭で、「火祭り」は有名ですね。
いずれにしても秋葉さんの信仰は「火防の信仰」です。
それ故「町内安全」を祈願し、防犯灯の役割と「防火の役割」を願って常夜灯が建立されたのですね。
何しろ火災が一番怖いですから。
そして、毎年常夜灯の前で神事を行い、祈りを込めることが重要です。
現代の街灯とはその意味ではひと味違うと言えましょうか。
さて、今年の秋葉神社は、御鎮座1300年を迎えています。
6月2日には、御鎮座1300年式年大祭が厳粛に斎行されたそうです。
記念事業としては、「西の閽(こん)の神門」が立派に竣功した由も聞いています。
同社々有林より産出された樹齢300年生の秋葉杉を主体に地元天竜杉だけを用い、平成14年より工事に着手したそうで、足掛け4年の歳月をかけ、高さ13mの重曹の神門が雲海に浮かび赫々と輝く姿を見ることができるそうです。
今年の火祭りにお出かけになってはいかがでしょうか?
余談ですが、東京のアキバ。正式には秋葉原(あきはばら)ですが、この地名も秋葉神社に由来しています。
また全国各地にも「秋葉」と名のつく地名がたくさんありますが、殆どが秋葉神社にちなむものです。
また、関東から中部地方に多く見られる秋葉信仰ですが、関西では、愛宕信仰が多いんだそうです。
愛宕神社(京都市右京区嵯峨愛宕町、愛宕山に鎮座。)の愛宕権現の信仰ですね。
そういえば「愛宕」という地名もたくさんありますし、岡崎にもありますね。
ともにご祭神は「火之迦具土神」
この神様は、伊弉諾神、伊弉册神の二柱の大神さまの国生み神話の中で最後にお生まれになります。
伊弉册神は、大八洲の国土をお生みになり、そして山川草木の神々をお生みになります。最後に火之迦具土神をお生みになったときに、大やけどをされ、伊弉册神はお亡くなりになります。
火は数々の恵みをもたらすと共に、取り扱いを一つ間違えれば、災いにもなりかねません。
これからの季節、皆さんくれぐれも火の元には十分ご留意されますようお願い申し上げます。
火の用心!
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一日遅れのUPになりました。昨日の放送分です^^;
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今日はずいぶん寒く、師走らしいお天気ですね。
さて、「常夜燈」ってご存じですよね?
街道沿いなど、各町、各村に必ずと言っていいほどある石造りの「常夜燈」ですが、これらは江戸時代頃から、町内安全を祈願して建立されたものです。そしてこの三河地方では、その殆どが「秋葉山」の常夜燈と言っても過言ではないでしょう。ちなみに伊勢街道に行くと、殆どが「太神宮」の常夜灯ですが。
この秋葉さんの常夜燈ですが、岡崎市に153基もあるそうです。
みなさんのお家の近くにもきっとあるのではないでしょうか。
また、秋葉さんの御神札も各家庭でおまつりされているのではないでしょうか。
台所に貼られる御神札ですね。
「正一位秋葉神社火防守護」「秋葉三尺坊大権現」などの御神札です。
このように我々庶民にとって「秋葉信仰」はもっとも盛んな信仰の一つです。
そもそもこの「秋葉信仰」は「秋葉山本宮秋葉神社」(静岡県浜松市天竜区春野町領家841)を中心とする信仰です。
赤石山脈の最南端、天竜川の上流に位置する標高866mの秋葉山が御神体山で、初めて御社殿が建ったのは、今から凡そ1300年前の和銅2年(西暦709年)だそうです。
秋葉神社の神様は、火の幸を恵み、悪火を鎮め、火を司り給う神様で、お名前を「火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)」と申し上げます。
秋葉信仰の歴史ですが、明治以前は「秋葉大権現」と称していました。神仏混交の信仰でさらに各地の民間信仰とも結びついて様々なバリーエーションがあり分かりにくいですが、もとは天台宗系の修験道の霊場だったそうです。山岳信仰でもあり、修行の場でもあったわけですね。
時代と共にその霊場も廃れていきましたが、室町時代に「三尺坊」という修験者が再興します。
この三尺坊という方、信濃出身の方のようですが、観音の化身で火伏せの法に通じた天狗(てんぐ)ともいわれていました。越後国から飛来して秋葉山の鎮守となったという伝説もあり、「三尺坊大権現」と称して大登山秋葉寺に祀られたといわれています。
貞享2年(1685)頃には、各地で三尺坊大権現を祀ることが流行し、祠や常夜灯がたくさん作られたと言います。
この秋葉三尺坊大権現を信仰する神仏混淆の信仰は、中部地方を主として、東海道筋から関東地方にかけて講社を結成するなど庶民の信仰と深く結び付いていきました。
現在、各町内ごとに代参で御神札を受けに行くのも、この講の名残ですね。
また、お伊勢参りと併せて参詣されることも多かったといいます。
如何に信仰が深かったかがわかります。
さて、明治に入ると、明治初期の神仏分離令で。「秋葉神社」と改称します。
秋葉寺は廃寺となったため、三尺坊の像などは可睡斎(袋井市)に移したと伝えられています。
全国の秋葉大権現も「秋葉神社」や「秋葉山○○寺」「○○山秋葉寺」となりました。
神社になったところと、お寺になったところがあります。
熱田神宮のおとなりに「秋葉山円通寺」というお寺がありますね。
日本武尊が火攻めにあったときに、秋葉大権現が助けたという伝説に由来のお寺ですね。
さて御本宮の「秋葉神社」ですが、昭和27年に「秋葉山本宮秋葉神社」と改称し現在に至っています。
毎年12月15日、16日が例祭で、「火祭り」は有名ですね。
いずれにしても秋葉さんの信仰は「火防の信仰」です。
それ故「町内安全」を祈願し、防犯灯の役割と「防火の役割」を願って常夜灯が建立されたのですね。
何しろ火災が一番怖いですから。
そして、毎年常夜灯の前で神事を行い、祈りを込めることが重要です。
現代の街灯とはその意味ではひと味違うと言えましょうか。
さて、今年の秋葉神社は、御鎮座1300年を迎えています。
6月2日には、御鎮座1300年式年大祭が厳粛に斎行されたそうです。
記念事業としては、「西の閽(こん)の神門」が立派に竣功した由も聞いています。
同社々有林より産出された樹齢300年生の秋葉杉を主体に地元天竜杉だけを用い、平成14年より工事に着手したそうで、足掛け4年の歳月をかけ、高さ13mの重曹の神門が雲海に浮かび赫々と輝く姿を見ることができるそうです。
今年の火祭りにお出かけになってはいかがでしょうか?
余談ですが、東京のアキバ。正式には秋葉原(あきはばら)ですが、この地名も秋葉神社に由来しています。
また全国各地にも「秋葉」と名のつく地名がたくさんありますが、殆どが秋葉神社にちなむものです。
また、関東から中部地方に多く見られる秋葉信仰ですが、関西では、愛宕信仰が多いんだそうです。
愛宕神社(京都市右京区嵯峨愛宕町、愛宕山に鎮座。)の愛宕権現の信仰ですね。
そういえば「愛宕」という地名もたくさんありますし、岡崎にもありますね。
ともにご祭神は「火之迦具土神」
この神様は、伊弉諾神、伊弉册神の二柱の大神さまの国生み神話の中で最後にお生まれになります。
伊弉册神は、大八洲の国土をお生みになり、そして山川草木の神々をお生みになります。最後に火之迦具土神をお生みになったときに、大やけどをされ、伊弉册神はお亡くなりになります。
火は数々の恵みをもたらすと共に、取り扱いを一つ間違えれば、災いにもなりかねません。
これからの季節、皆さんくれぐれも火の元には十分ご留意されますようお願い申し上げます。
火の用心!
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FMおかざき「心の宅急便」の60回目の放送です。
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師走となりましたが、今日は師走らしくないくらい暖かい日ですね。
さて、昨日、松平元康公の石像の除幕式がありました。
岡崎葵ライオンズクラブの結成40周年記念事業で、JR岡崎駅の東口ロータリーに、元康公(若き頃の徳川家康公)の石像が寄贈されたのです。その除幕式があり、宮司と私でご奉仕させていただきました。当日の式典の様子は拙ブログでもご紹介させていただいております。
若き頃の家康はその当時何を見、何を考えていたのでしょうか?
松平元康と言う名前は、家康公が元服から21歳までの名前です。
まさに青年時代の家康公です。
ちなみに「元康」と言う名前は、今川義元の「元」を貰ったのだそうです。
さて、若き頃の元康公ですが、元服後・・・
永禄元年(1558)に、織田氏に寝返った寺部城主・鈴木日向守を攻めました。これが初陣です。
永禄2年(1559)3月には、長男(信康公)が誕生します。家康公17歳のことですね。
そして永禄3年(1560)5月、家康公にとって運命の時がやってきます。有名な「桶狭間の戦い」です。今川義元が織田信長に討たれるという戦です。
この時、今川軍本隊とは別働で前線の尾張国・大高城を攻略中であった元康は、大高城から撤退。今川軍が放棄した岡崎城に入ると、祖父・清康の代で確立した三河国の支配権回復を志し、今川氏から独立したとされています。
また、大樹寺で切腹を図ろうとしたとも伝わっています。しかし、住職より「泰平の世を築くべく生きよ」と諭された家康は切腹を思いとどまり、今川家からの自立を決意したというのです。
いずれにしても、大きく悩み、そして思い切った決断をしたことは確かでしょう。
2年後の永禄5年(1562)、信長との清洲同盟が成立します。今川から織田へ。まさに戦国の世の習いともいえましょうか。敵が味方に、味方が敵に、大変なドラマがあったことでしょう。
そして永禄6年(1563)には、「元」字を返上し、「家康」と改名します。
名実共に今川家と袂を分かつことになったのです。
また同じ頃、永禄6年(1563)~永禄7年(1564)には、三河一向一揆がありました。
本證寺(ほんしょうじ・安城市野寺町)、上宮寺(じょうぐうじ・岡崎市上佐々木町)、勝鬘寺(しょうまんじ・岡崎市針崎町)を拠点にした一向衆との戦いは、さぞ元康を悩ませたことと思います。
今回元康像が建立されたのも、勝鬘寺の近くですよね。なにか因縁めいたものを感じます。
当時の元康公は弱小大名です。如何に苦労が多かっことでしょうか。
また戦国の激動の時代を如何に見つめたのでしょうか。
そして、混沌とした現代の世情を如何に見つめているのでしょうか。
さて、石像の周りには松の木が植えられました。三河黒松は岡崎市の木(昭和46年12月21日告示第56号)ですね。そしてこの松の木は以前市役所前の太陽緑道に植えられていたものを移植したものです。
話は少し飛びますが、家康と門松の由来にちなんだおもしろい話があるのでご紹介します。
菊池貴一郎の『絵本江戸風俗往来』(一九六五年・平凡社東洋文庫)という本に載っている「将軍家吉例門松御飾り」という話です。
三方ヶ原の戦いで、徳川家康が武田信玄に敗れ、浜松の居城へ逃げこみました。
武田勢は、なぜか勢いに乗って浜松城を取り囲んだのですが、正月を迎えたため、一時休戦となりました。
このとき武田側からの使者が新年の挨拶にひとつの句をもってきたといいます。
これに対し徳川方の智将酒井忠次は、この句に少しだけ手を加えて信玄のもとに送り返しました。
この機知に富んだ対応に、こんな智将がいるのでは迂闊に城攻めはできないと考えたのかどうか、やがて信玄は兵を引く。あげくに、そのあと武田勢はどんどん衰えていくのです。
かたや、家康の武運はそれから開けて天下をとるにいたり、戦乱おさまり、泰平の江戸時代となります。
江戸城のすべての門には毎年、先(首)を切り落とした三本の竹でこしらえた縁起のよい門松が飾られるようになったというものです。
つまり門松の切り口が斜めになっているのは、敵対する軍勢の大将の首を切った形ということですね。
もうすぐお正月です。
門松にこんなエピソードがあると知って見つめると、趣が違ってくるかもしれませんね。
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師走となりましたが、今日は師走らしくないくらい暖かい日ですね。
さて、昨日、松平元康公の石像の除幕式がありました。
岡崎葵ライオンズクラブの結成40周年記念事業で、JR岡崎駅の東口ロータリーに、元康公(若き頃の徳川家康公)の石像が寄贈されたのです。その除幕式があり、宮司と私でご奉仕させていただきました。当日の式典の様子は拙ブログでもご紹介させていただいております。
若き頃の家康はその当時何を見、何を考えていたのでしょうか?
松平元康と言う名前は、家康公が元服から21歳までの名前です。
まさに青年時代の家康公です。
ちなみに「元康」と言う名前は、今川義元の「元」を貰ったのだそうです。
さて、若き頃の元康公ですが、元服後・・・
永禄元年(1558)に、織田氏に寝返った寺部城主・鈴木日向守を攻めました。これが初陣です。
永禄2年(1559)3月には、長男(信康公)が誕生します。家康公17歳のことですね。
そして永禄3年(1560)5月、家康公にとって運命の時がやってきます。有名な「桶狭間の戦い」です。今川義元が織田信長に討たれるという戦です。
この時、今川軍本隊とは別働で前線の尾張国・大高城を攻略中であった元康は、大高城から撤退。今川軍が放棄した岡崎城に入ると、祖父・清康の代で確立した三河国の支配権回復を志し、今川氏から独立したとされています。
また、大樹寺で切腹を図ろうとしたとも伝わっています。しかし、住職より「泰平の世を築くべく生きよ」と諭された家康は切腹を思いとどまり、今川家からの自立を決意したというのです。
いずれにしても、大きく悩み、そして思い切った決断をしたことは確かでしょう。
2年後の永禄5年(1562)、信長との清洲同盟が成立します。今川から織田へ。まさに戦国の世の習いともいえましょうか。敵が味方に、味方が敵に、大変なドラマがあったことでしょう。
そして永禄6年(1563)には、「元」字を返上し、「家康」と改名します。
名実共に今川家と袂を分かつことになったのです。
また同じ頃、永禄6年(1563)~永禄7年(1564)には、三河一向一揆がありました。
本證寺(ほんしょうじ・安城市野寺町)、上宮寺(じょうぐうじ・岡崎市上佐々木町)、勝鬘寺(しょうまんじ・岡崎市針崎町)を拠点にした一向衆との戦いは、さぞ元康を悩ませたことと思います。
今回元康像が建立されたのも、勝鬘寺の近くですよね。なにか因縁めいたものを感じます。
当時の元康公は弱小大名です。如何に苦労が多かっことでしょうか。
また戦国の激動の時代を如何に見つめたのでしょうか。
そして、混沌とした現代の世情を如何に見つめているのでしょうか。
さて、石像の周りには松の木が植えられました。三河黒松は岡崎市の木(昭和46年12月21日告示第56号)ですね。そしてこの松の木は以前市役所前の太陽緑道に植えられていたものを移植したものです。
話は少し飛びますが、家康と門松の由来にちなんだおもしろい話があるのでご紹介します。
菊池貴一郎の『絵本江戸風俗往来』(一九六五年・平凡社東洋文庫)という本に載っている「将軍家吉例門松御飾り」という話です。
三方ヶ原の戦いで、徳川家康が武田信玄に敗れ、浜松の居城へ逃げこみました。
武田勢は、なぜか勢いに乗って浜松城を取り囲んだのですが、正月を迎えたため、一時休戦となりました。
このとき武田側からの使者が新年の挨拶にひとつの句をもってきたといいます。
松は「松平」の松をさし、竹は「武田」をさしています。松平家は滅んで武田家のみが栄えゆく、よき年の始めであることよ、という意味でしょう。松枯れて竹たぐひなきあした哉
これに対し徳川方の智将酒井忠次は、この句に少しだけ手を加えて信玄のもとに送り返しました。
松(松平)は枯れずに武田信玄の首がとぶ、なんともめでたい元旦であることよ、と。松枯れで武田首なきあした哉
まつかれて たけたぐひなき あしたかな
よく比べてみてください。仮名で並べて書くと酒井忠次の返した句は、たんに濁点を加え、あるいは濁点の位置を変えただけのこと。澄むと濁るじゃ大違いですね。まつかれで たけだくびなき あしたかな
この機知に富んだ対応に、こんな智将がいるのでは迂闊に城攻めはできないと考えたのかどうか、やがて信玄は兵を引く。あげくに、そのあと武田勢はどんどん衰えていくのです。
かたや、家康の武運はそれから開けて天下をとるにいたり、戦乱おさまり、泰平の江戸時代となります。
江戸城のすべての門には毎年、先(首)を切り落とした三本の竹でこしらえた縁起のよい門松が飾られるようになったというものです。
つまり門松の切り口が斜めになっているのは、敵対する軍勢の大将の首を切った形ということですね。
もうすぐお正月です。
門松にこんなエピソードがあると知って見つめると、趣が違ってくるかもしれませんね。
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FMおかざき「心の宅急便」の59回目の放送です。
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昨晩は宮中において、新嘗祭が執り行われました。
天皇陛下が天神地祇とともに新穀を聞こし召され、感謝の誠を捧げられたわけですね。一言で言えば収穫感謝の祭ですが、この祭を陛下御自ら遊ばされることは、まことに有り難いことだと存じます。
またこの新嘗祭は宮中のみならず、全国の神社でもこれから年末にかけて斎行されます。ちなみに、岡崎天満宮では、明日25日に斎行いたします。
収穫感謝と言えば、今春以来皆さんにお願いしていたバケツ稲の収穫の件ですが、お陰様で全国から神様へのメッセージと共に集まっているようです。
それぞれが苦労して収穫されたお米、その中のほんの少しずつをお伊勢さんに奉納しましょうと呼びかけたところ、現在全国からのバケツ稲の奉納米が約40キロくらいになっているようです。明後日、11月26日に私も伊勢神宮へ奉納しに行ってきます。
さて、前置きはさておき、今日の本題に入りましょう。
「神宮大麻(じんぐうたいま)」ってご存じですか?
「大麻」といっても麻薬の大麻じゃないですよ。
「神宮大麻」は「伊勢神宮の神札(おふだ)」のことで、全国各地の氏神様や鎮守の神様を通じて、各戸に頒布されています。年末も控えて、これからこの頒布もピークを迎えてくることと思います。
さて、この「神宮大麻」ですが、なぜ大麻というのでしょう?
古くは「お祓い大麻」とか「お祓いさん」と呼ばれていたそうです。
また、「たいま」ではなく「おおぬさ」と読むのが正式ですが、「麻(ぬさ)」は、「お祓いをする祓い具」を意味します。罪汚れを祓い清める道具ということですね。
それがやがて、お祓いをした「お札」のことを「大麻」というようになったんだそうです。
ですから「お祓いさん」なんですね。
古くは御師がこの「お祓いさん」を全国に頒布していました。中には千回お祓いした「千度祓」とか一万回お祓いした「万度祓」といった大麻があったようです。
ちなみに、「お祓い箱」という言葉がありますね。これは、この「お祓いさん」を入れる箱が語源なんですよ。
さて、江戸時代には、御師たちの努力によって、約9割の世帯で「大麻」がおまつりされていたともいわれています。それだけお伊勢さんに寄せる信仰は深いものがありました。
明治維新で、御師制度が廃止され、大麻頒布の方途も途絶えましたが、明治天皇の大御心により、国民が等しく天照大御神の御神徳を仰ぐように神宮大麻の頒布制度が整備されました。これが現在の・・・・、
神宮→神社本庁→各都道府県神社庁→各支部→各神社→各家庭
という頒布制度につながっています。
そしてそれぞれのところで、「大麻頒布始祭」などの神事が執り行われ、お祓いにお祓いを重ねた「神宮大麻」が皆さんのご家庭に届くようになっています。
皇室の御祖先である天照大御神をおまつりする伊勢神宮は、日本の総氏神様にあたります。その伊勢神宮の神札をまつることこそが、真の日本国民のあかしであるとも言えるでしょう。
皆さんお住まいの地域には、それぞれ氏神さまや鎮守さまが御鎮座になっていて、それぞれの地域をお守り下さっています。
同様に、私達の日本国には伊勢神宮が御鎮座になり、この日本という国を守って下さっているのです。
同じ事が、各家庭でも言えますね。
それぞれのご家庭にはその家の中心として神棚がまつられ、その家庭をお守り下さるのです。
国が安定すれば、地域社会が安定し、各家庭も安定するのか、
各家庭が安定すれば、地域社会が安定し、国も安定するのか、
やはり、どれも大切ですから、すべてが安定することが必要ですね。
いずれにしても、各家庭にきちんと神棚がまつられることが、その家の繁栄に繋がることだと思います。
その神棚のまつり方ですが、清浄な高いところに、東向きか南向きになるようにおまつりします。全国八万の神社の中心が伊勢神宮ですから、神棚には必ず神宮大麻をおまつりします。そしてその上で、氏神さまや信仰する神社の御札を合わせておまつりします。
三社造りの場合は、中心に神宮大麻
一社造りの場合は、一番手前に神宮大麻
という具合にですね。
詳細はお近くの神社にお尋ね下さい。
もちろん私のところでもかまいませんが・・・。
ウチには神棚がないというご家庭はどうすればいいのでしょう?
この機会に是非神棚をご設置下さい^^;
と言いたいところですが、初めは半紙などを敷いて、その上におまつりいただくだけでもよろしいかと思います。
毎朝、家を出る前に「神宮大麻」「氏神さまの神札」にお参りして出かけると、心もさわやかになりますし、気合いも入ります。そして何よりお守りいただいていると実感することが安心感にも繋がると思います。
さて、今年は、宇治橋が新しくなりました。一つの節目でもあります。
また来年(庚寅)は特に、お伊勢さんの御利益がある年でもあります。
前にも言ったかもしれませんが、・・・
第1回の式年遷宮が行われたのが持統天皇4年(690)で「庚寅」。
江戸時代の最後で最大の「御蔭参り」(大参宮ブーム)が文政13年(1830)で「庚寅」
そして来年平成22年(2010)も「庚寅」ですね。
「神宮大麻」を今までおまつりしていなかった人が、おまつりを始める良い機会かもしれません。是非ご検討下さいませ。
くどいようですが・・・・
日本の守り神(総氏神)は伊勢神宮で、日本の中心・精神的支柱です。
各地域の守り神は、氏神様、鎮守様で、地域の中心・精神的支柱です。
そして、各家庭の守り神は、神棚で、家庭の中心・精神的支柱です。
それぞれ、各個人が信仰する宗教や信仰を超えたものなんです。
共同体としての信仰と言っても良いでしょう。
それぞれのおはたらきが、国家、社会、家庭の安定に必要だとも思います。
是非、1軒でも多くのご家庭に神宮大麻がおまつりされることを願っております。
また、「神宮大麻」は、お近くの氏神さまでお受け下さいませ。
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昨晩は宮中において、新嘗祭が執り行われました。
天皇陛下が天神地祇とともに新穀を聞こし召され、感謝の誠を捧げられたわけですね。一言で言えば収穫感謝の祭ですが、この祭を陛下御自ら遊ばされることは、まことに有り難いことだと存じます。
またこの新嘗祭は宮中のみならず、全国の神社でもこれから年末にかけて斎行されます。ちなみに、岡崎天満宮では、明日25日に斎行いたします。
収穫感謝と言えば、今春以来皆さんにお願いしていたバケツ稲の収穫の件ですが、お陰様で全国から神様へのメッセージと共に集まっているようです。
それぞれが苦労して収穫されたお米、その中のほんの少しずつをお伊勢さんに奉納しましょうと呼びかけたところ、現在全国からのバケツ稲の奉納米が約40キロくらいになっているようです。明後日、11月26日に私も伊勢神宮へ奉納しに行ってきます。
さて、前置きはさておき、今日の本題に入りましょう。
「神宮大麻(じんぐうたいま)」ってご存じですか?
「大麻」といっても麻薬の大麻じゃないですよ。
「神宮大麻」は「伊勢神宮の神札(おふだ)」のことで、全国各地の氏神様や鎮守の神様を通じて、各戸に頒布されています。年末も控えて、これからこの頒布もピークを迎えてくることと思います。
さて、この「神宮大麻」ですが、なぜ大麻というのでしょう?
古くは「お祓い大麻」とか「お祓いさん」と呼ばれていたそうです。
また、「たいま」ではなく「おおぬさ」と読むのが正式ですが、「麻(ぬさ)」は、「お祓いをする祓い具」を意味します。罪汚れを祓い清める道具ということですね。
それがやがて、お祓いをした「お札」のことを「大麻」というようになったんだそうです。
ですから「お祓いさん」なんですね。
古くは御師がこの「お祓いさん」を全国に頒布していました。中には千回お祓いした「千度祓」とか一万回お祓いした「万度祓」といった大麻があったようです。
ちなみに、「お祓い箱」という言葉がありますね。これは、この「お祓いさん」を入れる箱が語源なんですよ。
さて、江戸時代には、御師たちの努力によって、約9割の世帯で「大麻」がおまつりされていたともいわれています。それだけお伊勢さんに寄せる信仰は深いものがありました。
明治維新で、御師制度が廃止され、大麻頒布の方途も途絶えましたが、明治天皇の大御心により、国民が等しく天照大御神の御神徳を仰ぐように神宮大麻の頒布制度が整備されました。これが現在の・・・・、
神宮→神社本庁→各都道府県神社庁→各支部→各神社→各家庭
という頒布制度につながっています。
そしてそれぞれのところで、「大麻頒布始祭」などの神事が執り行われ、お祓いにお祓いを重ねた「神宮大麻」が皆さんのご家庭に届くようになっています。
皇室の御祖先である天照大御神をおまつりする伊勢神宮は、日本の総氏神様にあたります。その伊勢神宮の神札をまつることこそが、真の日本国民のあかしであるとも言えるでしょう。
皆さんお住まいの地域には、それぞれ氏神さまや鎮守さまが御鎮座になっていて、それぞれの地域をお守り下さっています。
同様に、私達の日本国には伊勢神宮が御鎮座になり、この日本という国を守って下さっているのです。
同じ事が、各家庭でも言えますね。
それぞれのご家庭にはその家の中心として神棚がまつられ、その家庭をお守り下さるのです。
国が安定すれば、地域社会が安定し、各家庭も安定するのか、
各家庭が安定すれば、地域社会が安定し、国も安定するのか、
やはり、どれも大切ですから、すべてが安定することが必要ですね。
いずれにしても、各家庭にきちんと神棚がまつられることが、その家の繁栄に繋がることだと思います。
その神棚のまつり方ですが、清浄な高いところに、東向きか南向きになるようにおまつりします。全国八万の神社の中心が伊勢神宮ですから、神棚には必ず神宮大麻をおまつりします。そしてその上で、氏神さまや信仰する神社の御札を合わせておまつりします。
三社造りの場合は、中心に神宮大麻
一社造りの場合は、一番手前に神宮大麻
という具合にですね。
詳細はお近くの神社にお尋ね下さい。
もちろん私のところでもかまいませんが・・・。
ウチには神棚がないというご家庭はどうすればいいのでしょう?
この機会に是非神棚をご設置下さい^^;
と言いたいところですが、初めは半紙などを敷いて、その上におまつりいただくだけでもよろしいかと思います。
毎朝、家を出る前に「神宮大麻」「氏神さまの神札」にお参りして出かけると、心もさわやかになりますし、気合いも入ります。そして何よりお守りいただいていると実感することが安心感にも繋がると思います。
さて、今年は、宇治橋が新しくなりました。一つの節目でもあります。
また来年(庚寅)は特に、お伊勢さんの御利益がある年でもあります。
前にも言ったかもしれませんが、・・・
第1回の式年遷宮が行われたのが持統天皇4年(690)で「庚寅」。
江戸時代の最後で最大の「御蔭参り」(大参宮ブーム)が文政13年(1830)で「庚寅」
そして来年平成22年(2010)も「庚寅」ですね。
「神宮大麻」を今までおまつりしていなかった人が、おまつりを始める良い機会かもしれません。是非ご検討下さいませ。
くどいようですが・・・・
日本の守り神(総氏神)は伊勢神宮で、日本の中心・精神的支柱です。
各地域の守り神は、氏神様、鎮守様で、地域の中心・精神的支柱です。
そして、各家庭の守り神は、神棚で、家庭の中心・精神的支柱です。
それぞれ、各個人が信仰する宗教や信仰を超えたものなんです。
共同体としての信仰と言っても良いでしょう。
それぞれのおはたらきが、国家、社会、家庭の安定に必要だとも思います。
是非、1軒でも多くのご家庭に神宮大麻がおまつりされることを願っております。
また、「神宮大麻」は、お近くの氏神さまでお受け下さいませ。
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FMおかざき「心の宅急便」の58回目の放送です。
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今日は、たまたま愛知県神社関係者大会が知多市勤労文化会館で開催されていますので、知多に来ています。愛知県下の街々里々に御鎮座されている神社の神職さんや総代さんが一堂に会しての大会です。
1000名以上は集まっているでしょうか。
だからというわけではないですが、このような鎮守の神社に必ずと言っていいほどあるものは何でしょう?
鳥居もそうですね。
手水舎もそうですね。
鈴?もそうかもしれません。
賽銭箱・・・確かにそうですね。
中でも、今日は「狛犬」の話をさせていただこうと思います。
「狛犬」というのは、神社の参道両側にあって、神域を守護する一対の獣像ですね。
「狛犬」というぐらいですから、これは犬でしょうか?
でも普通の犬とはずいぶん違いますよね。
さて、狛犬のルーツは、古代オリエント文明のライオンだとも言われています。
これが中国、朝鮮半島を経て、日本へ入ってきたんだということですね。
遣隋使・遣唐使がもたらしたのかもしれません。
言うまでもなく、日本には元々ライオンはいませんね。
見たこともない動物の像。
犬のようだがずいぶん違う。
そこで「高麗犬(高麗国の犬)」と名付けたんだろうという説が有力です。
おそらく、沖縄のシーサーやエジプトのスフィンクスなども同じルーツなんでしょう。
いずれにしても大陸から入ってきた狛犬ですが、初めは小さいものでした。
また、
大陸文化を日本オリジナルに進化させたとも言えるでしょうか?
獅子は金色で、開口(阿)。左に置かれる。
狛犬は銀色で、閉口(吽)。角がある。右に置かれる。
というものだったようですね。
ここで、気をつけなければいけないのは左右です。
有職故実でいう左右は、天皇陛下から見ての左・右ですから、それぞれ向かって右・左になります。
京都の左京・右京や、左大臣・右大臣といっしょですね。
このように宮中の調度品だった獅子・狛犬が、やがて神社の御神前へ奉納されるようになります。
室町、戦国時代ごろには、戦国大名などの武士が戦勝祈願などで多く奉納したようです。
しかしこのころは、参道ではなく、御社殿の中におかれるものが多かったようです。
そして、江戸時代になると、商人など庶民が各神社に奉納するようになってきます。
また、より参詣者から目立つ参道へ置かれるようになってきました。石像の狛犬が増えてくるのもこの頃です。
姿形のバリエーションも趣向を凝らすようになり、やがて獅子と狛犬の混同が見られるようになってきます。
狛犬の由来について、様々な国学者が様々な説を展開するようになったのも要因でしょうか。
やがて、社頭の狛犬は、「獅子・狛犬」ではなく、「狛犬」になっていきました。
ところで、「獅子舞」は皆さんご存じですよね。
古来舞楽には、この「獅子舞」の他に「狛犬舞」というものもありました。
神社の社頭では狛犬が生き残り、舞では獅子舞が生き残った・・・・。
何か不思議な感じがします。
現在、一般的な狛犬は・・・
左(向かって右)の狛犬が、開口、オス、鞠を持つ、・・・・など
右(向かって左)の狛犬が、閉口、メス、子持ち・・・など
という特徴があるでしょうか。
実はこれ、俗に岡崎型といわれる狛犬です。
かつて地元岡崎の石工で酒井孫兵衛という狛犬名人がいました。
研究を重ね、斬新なデザインを産み出し、そしてそれを量産する体制を整えました。
その結果、この形の狛犬が、大正時代から徐々に全国に広まっていったんです。
岡崎市民の皆さんでも知らない人が多いですから、是非知っていただきたいと思いますね。
ただ、古い狛犬には、様々なバリエーションの狛犬があります。
顔の形、姿勢、装飾なども様々ですし、材質も石像、木製、青銅製、陶器製、・・・と種類は豊富です。
それ故、狛犬のマニアも多いんです。
三遊亭円丈さんなんかも有名ですね。
奥が深い狛犬です。
皆さんも一度注意してご覧になると、神社参拝の楽しみが増えると思いますよ。
蛇足ですが・・・
狛犬の足に麻紐が結んであるのをご覧になったことがありますでしょうか?
これは「足止め信仰」で、家出人が帰ってくるようにとか、旦那さんの悪所通いを止めさせるとかの願いが込められています。
ご存じでした?
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今日は、たまたま愛知県神社関係者大会が知多市勤労文化会館で開催されていますので、知多に来ています。愛知県下の街々里々に御鎮座されている神社の神職さんや総代さんが一堂に会しての大会です。
1000名以上は集まっているでしょうか。
だからというわけではないですが、このような鎮守の神社に必ずと言っていいほどあるものは何でしょう?
鳥居もそうですね。
手水舎もそうですね。
鈴?もそうかもしれません。
賽銭箱・・・確かにそうですね。
中でも、今日は「狛犬」の話をさせていただこうと思います。
「狛犬」というのは、神社の参道両側にあって、神域を守護する一対の獣像ですね。
「狛犬」というぐらいですから、これは犬でしょうか?
でも普通の犬とはずいぶん違いますよね。
さて、狛犬のルーツは、古代オリエント文明のライオンだとも言われています。
これが中国、朝鮮半島を経て、日本へ入ってきたんだということですね。
遣隋使・遣唐使がもたらしたのかもしれません。
言うまでもなく、日本には元々ライオンはいませんね。
見たこともない動物の像。
犬のようだがずいぶん違う。
そこで「高麗犬(高麗国の犬)」と名付けたんだろうという説が有力です。
おそらく、沖縄のシーサーやエジプトのスフィンクスなども同じルーツなんでしょう。
いずれにしても大陸から入ってきた狛犬ですが、初めは小さいものでした。
とあるように、宮中の御簾(みす)や几帳(きちょう)の裾が風で捲れ上がるのを防ぐためのの鎮子(ちんし)として用いられたもののようです。○栄花物語〔1028~92頃〕日蔭のかづら
「御丁の側の獅子・こまいぬの顔付も恐しげなり」
また、
○禁秘鈔〔1221〕上
「清涼殿〈略〉師子・狛犬 在 帳前南北 。左獅子」
とも記されているように、獅子と狛犬で一対だったことがわかります。○類聚雑用抄 平安末期
「左獅子 於色黄 口開 右胡麻犬 於色白 不開口在角」
大陸文化を日本オリジナルに進化させたとも言えるでしょうか?
獅子は金色で、開口(阿)。左に置かれる。
狛犬は銀色で、閉口(吽)。角がある。右に置かれる。
というものだったようですね。
ここで、気をつけなければいけないのは左右です。
有職故実でいう左右は、天皇陛下から見ての左・右ですから、それぞれ向かって右・左になります。
京都の左京・右京や、左大臣・右大臣といっしょですね。
このように宮中の調度品だった獅子・狛犬が、やがて神社の御神前へ奉納されるようになります。
室町、戦国時代ごろには、戦国大名などの武士が戦勝祈願などで多く奉納したようです。
しかしこのころは、参道ではなく、御社殿の中におかれるものが多かったようです。
そして、江戸時代になると、商人など庶民が各神社に奉納するようになってきます。
また、より参詣者から目立つ参道へ置かれるようになってきました。石像の狛犬が増えてくるのもこの頃です。
姿形のバリエーションも趣向を凝らすようになり、やがて獅子と狛犬の混同が見られるようになってきます。
狛犬の由来について、様々な国学者が様々な説を展開するようになったのも要因でしょうか。
やがて、社頭の狛犬は、「獅子・狛犬」ではなく、「狛犬」になっていきました。
ところで、「獅子舞」は皆さんご存じですよね。
古来舞楽には、この「獅子舞」の他に「狛犬舞」というものもありました。
今では、狛犬舞って殆ど聞きませんよね。○枕草子〔10C終〕二七八・関白殿、二月廿一日に
「大門のもとに高麗・唐土の楽して、獅子・こまいぬをどり舞ひ、乱声の音、鼓の声にものもおぼえず」
神社の社頭では狛犬が生き残り、舞では獅子舞が生き残った・・・・。
何か不思議な感じがします。
現在、一般的な狛犬は・・・
左(向かって右)の狛犬が、開口、オス、鞠を持つ、・・・・など
右(向かって左)の狛犬が、閉口、メス、子持ち・・・など
という特徴があるでしょうか。
実はこれ、俗に岡崎型といわれる狛犬です。
かつて地元岡崎の石工で酒井孫兵衛という狛犬名人がいました。
研究を重ね、斬新なデザインを産み出し、そしてそれを量産する体制を整えました。
その結果、この形の狛犬が、大正時代から徐々に全国に広まっていったんです。
岡崎市民の皆さんでも知らない人が多いですから、是非知っていただきたいと思いますね。
ただ、古い狛犬には、様々なバリエーションの狛犬があります。
顔の形、姿勢、装飾なども様々ですし、材質も石像、木製、青銅製、陶器製、・・・と種類は豊富です。
それ故、狛犬のマニアも多いんです。
三遊亭円丈さんなんかも有名ですね。
奥が深い狛犬です。
皆さんも一度注意してご覧になると、神社参拝の楽しみが増えると思いますよ。
蛇足ですが・・・
狛犬の足に麻紐が結んであるのをご覧になったことがありますでしょうか?
これは「足止め信仰」で、家出人が帰ってくるようにとか、旦那さんの悪所通いを止めさせるとかの願いが込められています。
ご存じでした?
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FMおかざき「心の宅急便」の57回目の放送です。
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明後日、今上陛下の御即位20年をお祝いする国民祭典が、皇居前広場で盛大に執り行われます。
また他にも全国各地での奉祝式典が今年の年末にかけて各地で開催される予定です。
当日は、天皇陛下御即位20年一般参賀として、宮内庁庁舎前の特設記帳所において記帳ができるようですね。宮内庁のHPによれば、11月12日(木) 午前9時30分から午後4時まで、入退門=坂下門だそうです。
全国各地でも記帳所が設けられるようです。岡崎市役所はどうでしょうかね???
何しろ、陛下の御即位20年のお祝いです。
国民挙ってお祝いしたいものです。
そういえば、記念切手も発行されますね。
平成21年11月12日(木)発行で、80円切手10枚のシートと、80円切手2枚のシート、それに切手帳(セット)が全国の郵便局で発売されるようです。
さらに記念貨幣の発行もあります。
1万円金貨は10万枚発行だそうですが、これは既に申し込み受付が終了しているようです。
う~ん。残念。
500円硬貨は1000万枚発行され、11月12日に各金融機関にて交換可だそうです。
是非ゲットしたいと思います。
ところで、御即位20年のお祝いが、なぜ11月12日かわかりますか?
これは、20年前、今上陛下の即位の礼が行われた日が11月12日だったからです。
昭和64年1月7日に 昭和天皇が崩御あそばされ、剣璽等継承の儀(践祚)がすぐに行われます。
しして翌日改元され、平成元年1月8日となります。
そしてしばらく服喪の期間に入るわけですね。
晴れて、平成2年11月12日、即位礼正殿の儀が行われ、内外に即位を宣言されたわけです。
それから、満20年ということですね。
本来なら、臨時祝日になる予定でしたが・・・・。
政権交代のドタバタで、それも廃案となってしまいました。
誠に残念でなりませんね。
でも、この日は盛大にお祝いしたいものですね。
各家庭でごちそうを用意するのも良いんじゃないでしょうか?
私ですか?
私は当日、皇居前広場の警備のお手伝いに行って参ります。
ちなみに愛知県の奉祝行事は・・・
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明後日、今上陛下の御即位20年をお祝いする国民祭典が、皇居前広場で盛大に執り行われます。
など盛りだくさんの内容です。●天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典
平成21年11月12日、皇居前広場、皇居外苑
http://www.houshuku.org/houshuku/saiten.html#no01
主催 天皇陛下御即位二十年奉祝委員会(会長 岡村正日本商工会議所会頭)
天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟(会長 森喜朗元総理大臣)
共催 (財)国民精神研修財団
後援 内閣府、総務省、法務省、外務省、厚生労働省、経済産業、財務省
国土交通省、防衛省、文部科学省、環境省、農林水産省、東京都
第一部 奉祝まつり 14時30分~16時30分(2時間) 参加自由
●奉祝パレード
警視庁音楽隊・警視庁音楽隊カラーガード
東京消防庁音楽隊・カラーガーズ隊
全日本鼓笛バンド・フォームバトン連盟
五所川原立佞武多(青森県)
奥州江刺百鹿大群舞(岩手県)
しばた台輪(新潟県)
館林八木節(群馬県)
足利八木節(栃木県)
東金ばやし(千葉県)
正調阿波踊り(東京都)
佐渡おけさ流し(東京都)
御諏訪太鼓(長野県)
刈谷万燈祭(愛知県)
郡上おどり(岐阜県)
飛騨高山まつり(岐阜県)
母ヶ浦面浮立(佐賀県)
他
●皇居外苑
都内神社の神輿渡御、全国の郷土物産展
第二部 祝賀式典 17時~19時 招待券必要
●各界から、お祝いメッセージ(敬称略)
平野 祐康(三宅村村長、火山被害地)
小柴 昌俊(ノーベル賞受賞者)
星出 彰彦(宇宙飛行士)
森 光子(女優)
原 辰徳(WBC日本代表監督)
高橋 尚子(シドニー五輪金メダリスト)
荒川 静香(トリノ五輪金メダリスト) 他
●佐藤しのぶさん・鬼太鼓座などによる奉祝演奏
●御即位20年奉祝歌
歌唱 EXILE
作詞 秋元康
作曲 岩代太郎
また他にも全国各地での奉祝式典が今年の年末にかけて各地で開催される予定です。
当日は、天皇陛下御即位20年一般参賀として、宮内庁庁舎前の特設記帳所において記帳ができるようですね。宮内庁のHPによれば、11月12日(木) 午前9時30分から午後4時まで、入退門=坂下門だそうです。
全国各地でも記帳所が設けられるようです。岡崎市役所はどうでしょうかね???
何しろ、陛下の御即位20年のお祝いです。
国民挙ってお祝いしたいものです。
そういえば、記念切手も発行されますね。
平成21年11月12日(木)発行で、80円切手10枚のシートと、80円切手2枚のシート、それに切手帳(セット)が全国の郵便局で発売されるようです。
さらに記念貨幣の発行もあります。
1万円金貨は10万枚発行だそうですが、これは既に申し込み受付が終了しているようです。
う~ん。残念。
500円硬貨は1000万枚発行され、11月12日に各金融機関にて交換可だそうです。
是非ゲットしたいと思います。
ところで、御即位20年のお祝いが、なぜ11月12日かわかりますか?
これは、20年前、今上陛下の即位の礼が行われた日が11月12日だったからです。
昭和64年1月7日に 昭和天皇が崩御あそばされ、剣璽等継承の儀(践祚)がすぐに行われます。
しして翌日改元され、平成元年1月8日となります。
そしてしばらく服喪の期間に入るわけですね。
晴れて、平成2年11月12日、即位礼正殿の儀が行われ、内外に即位を宣言されたわけです。
それから、満20年ということですね。
本来なら、臨時祝日になる予定でしたが・・・・。
政権交代のドタバタで、それも廃案となってしまいました。
誠に残念でなりませんね。
でも、この日は盛大にお祝いしたいものですね。
各家庭でごちそうを用意するのも良いんじゃないでしょうか?
私ですか?
私は当日、皇居前広場の警備のお手伝いに行って参ります。
ちなみに愛知県の奉祝行事は・・・
●愛知県の奉祝行事
本県では、天皇陛下御在位二十年を記念し、政府主催の「天皇陛下御在位二十年記念式典」の挙行日(平成21年11月12日)に合わせ、下記のとおり慶祝事業を行います。
1 公の施設の常設展示に係る観覧料及び入場料の全額免除
(1)対象施設
・愛知県美術館
・愛知県陶磁資料館
・愛知県児童総合センター 〔指定管理者:(財)愛知公園協会〕※
・あいち健康の森健康科学総合センター健康科学館
〔指定管理者:(財)愛知県健康づくり振興事業団〕※
※各指定管理者の協力を得て実施します。
(2)実施期日 平成21年11月12日(木)
2 記帳所の設置
(1)開設日時
平成21年11月9日(月)~11月12日(木) 午前9時から午後5時まで
(2)開設場所
県庁本庁舎正面玄関
3 その他県関連行事
(1)天皇皇后両陛下が本県に行幸啓された際の写真を県庁地下通路において展示します。
展示期間:平成21年11月9日(月)から11月12日(木)まで
(2)「天皇陛下 御即位から二十年」DVD(内閣府作成)を1階正面玄関横の来庁者用休憩コーナーにて上映します。
上映期間:平成21年11月9日(月)から11月12日(木)まで
上映時間(26分):〈1〉午前11時30分~ 〈2〉午後1時~
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FMおかざき「心の宅急便」の56回目の放送です。
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今日11月3日は、文化の日・明治節ですね。
文化の日と明治節については、昨年のお話ししましたので、詳細は拙ブログの記事をご参照ください。
さて今日は、先々週の「草薙剣」、先週の「八尺瓊勾玉」につづいて「八咫鏡」の話からさせていただきます。
三種の神器はもうおわかりですね。
天孫降臨に際し、皇孫・瓊瓊杵尊が天照大御神から授かった三つの神宝で・・・。
八咫鏡(やたのかがみ)と、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)(草薙神剱)です。
この三種の神器の筆頭が「八咫鏡(やたのかがみ)」で、伊勢神宮にまつられています。
「咫(た、あた)」というのは、古代の長さの単位で、親指と人差指を開いた長さなんだそうです。
したがって「八咫」というのは「長いこと、大きいこと」を意味します。
先週お話ししたように、この八咫鏡も記紀神話の「天の岩屋戸の神話」に由来しています。
イシトリドメノミコト(伊斯許理度賣命)が作った鏡が八咫鏡なんですね。
そして「天孫降臨の神話」の中で、天照大神が瓊瓊杵尊にこの鏡を授けられるんです。
その時の神勅が、宝鏡奉斎の神勅(三大神勅の一つ)です。
そして、崇神天皇・垂仁天皇の御代に、倭姫命が諸国を巡行され、八咫鏡(天照大御神)を五十鈴宮(いすずのみや)におまつりになります。これが伊勢神宮の創祀です。
さて、伊勢神宮では20年に一度、御社殿、ご装束・ご神宝を新調し、大神様にお遷りいただく式年遷宮が行われます。次の御遷宮は平成25年に齋行される予定で、現在着々と諸準備が進められています。
その中の一つに、五十鈴川に架かる宇治橋の架け替えがあります。
実は今日、その宇治橋の渡始式が執り行われているんです。
11月3日(今日)の午前10時から、渡り初めのお祭りが行われ、伊勢市内から選ばれた渡女(わたりめ)が夫や子・孫夫婦を従え、新橋の渡初めをします。、続いて橋工、神宮神職、全国から選ばれた三代揃いの夫婦等が渡り始めを行う盛大なおまつりです。
以下宇治橋に関する豆知識です。
●伊勢神宮内宮の玄関口。聖と俗の境界。
20年で約1億人が渡る。厚さ15㎝の敷き板が6~10㎝すり減る。
●素木造りの和橋。(ヒノキ、ケヤキ)
敷き板616枚・・・「すりあわせ」という船大工の伝統技法。2ヶ月。
ヒノキ材1662石。(30坪の住宅で100石。ざっと16軒分の木材。)
他にケヤキ材155石。
●饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)
宇治橋の鎮守神、最初に社殿が新調される。
ここで祭儀を行ってから渡り始め。
●萬度麻(まんどぬさ)
饗土橋姫神社でお祓いされた御神札。(一万回お祓いされた御札の意)
下流側西詰第二柱の擬宝珠の中に納められる。
●木除杭 宇治橋の上流に八本建てられる。台風18号でも・・・
●宇治橋鳥居・・・未新調。橋の東西の鳥居。棟持柱の再利用。
西(外側)→桑名の七里の渡し 伊勢参宮東の入り口
東(内側)→関の追分 伊勢参宮西の入り口
●古材の再利用・・・カンナをかけて記念品(表札など)に再加工
●敷き板の三枚目・・・特に珍重される
萬度麻の納まる第二柱に接している。
参詣者が必ず踏む。→お足(お金)が入る。「千客万来」に通じる。
●渡女(わたりめ)・・・渡始式の主役。老女。
夫や息子夫婦、孫夫婦は従者。
物忌み=童男・童女ではないことの意味は?・・・長久祈願
饗土橋姫神社→仮橋を渡り→東へ 新橋を東から西へ渡る。→
→新橋をもう一度西から東へ渡り、神域へ。
橋の鎮守神にご覧頂く形。
●「橋」とは
「ハシ」と「ハシ」をつなぐもの。
「空間的な両岸をつなぐ。」
「世代間の文化・伝統・技術・心をつなぐ。」
「神と人をつなぐ。」
雑駁なお話で恐縮でした。
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今日11月3日は、文化の日・明治節ですね。
文化の日と明治節については、昨年のお話ししましたので、詳細は拙ブログの記事をご参照ください。
さて今日は、先々週の「草薙剣」、先週の「八尺瓊勾玉」につづいて「八咫鏡」の話からさせていただきます。
三種の神器はもうおわかりですね。
天孫降臨に際し、皇孫・瓊瓊杵尊が天照大御神から授かった三つの神宝で・・・。
八咫鏡(やたのかがみ)と、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)(草薙神剱)です。
この三種の神器の筆頭が「八咫鏡(やたのかがみ)」で、伊勢神宮にまつられています。
「咫(た、あた)」というのは、古代の長さの単位で、親指と人差指を開いた長さなんだそうです。
したがって「八咫」というのは「長いこと、大きいこと」を意味します。
先週お話ししたように、この八咫鏡も記紀神話の「天の岩屋戸の神話」に由来しています。
イシトリドメノミコト(伊斯許理度賣命)が作った鏡が八咫鏡なんですね。
そして「天孫降臨の神話」の中で、天照大神が瓊瓊杵尊にこの鏡を授けられるんです。
その時の神勅が、宝鏡奉斎の神勅(三大神勅の一つ)です。
この神勅の通り、歴代の天皇は、大切にこの神鏡を守ってこられました。吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。
与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし。
そして、崇神天皇・垂仁天皇の御代に、倭姫命が諸国を巡行され、八咫鏡(天照大御神)を五十鈴宮(いすずのみや)におまつりになります。これが伊勢神宮の創祀です。
さて、伊勢神宮では20年に一度、御社殿、ご装束・ご神宝を新調し、大神様にお遷りいただく式年遷宮が行われます。次の御遷宮は平成25年に齋行される予定で、現在着々と諸準備が進められています。
その中の一つに、五十鈴川に架かる宇治橋の架け替えがあります。
実は今日、その宇治橋の渡始式が執り行われているんです。
11月3日(今日)の午前10時から、渡り初めのお祭りが行われ、伊勢市内から選ばれた渡女(わたりめ)が夫や子・孫夫婦を従え、新橋の渡初めをします。、続いて橋工、神宮神職、全国から選ばれた三代揃いの夫婦等が渡り始めを行う盛大なおまつりです。
●伊勢神宮HPより http://www.isejingu.or.jp/whatsnew/detail.php?uid=173
11月3日に迫った宇治橋渡始式を控え、今年2月に着工した宇治橋の修造工事は、いよいよ最終段階を迎えました。
渡始式当日は、まず饗土橋姫神社で祭儀がおこなわれ、橋の安全と参拝者の安全を祈願した万度麻を宇治橋西詰下流側、第二擬宝珠の中に納めます。その後、渡女を先頭に、神職や三代揃いの夫婦が宇治橋の神域側から渡始をおこないます。その模様は宇治橋前に設けられた大型オーロラビジョンにより宇治橋前にお越し頂いた皆様に実況映像として映し出されます。
これまで約9ヶ月にわたり参拝の皆様には仮橋により域内へ渡っていただいておりましたが、渡始式が終了次第、真新しい宇治橋をお渡りいただくことになります。
【宇治橋のデータ】
長 さ 101.8メートル
幅 8.4メートル
渡り板 616枚(ヒノキ)
※1枚の長さ 4.2メートル 幅 36センチ 厚さ 15センチ
橋 脚 3本立 13組(39本のケヤキ)
擬宝珠 16基
以下宇治橋に関する豆知識です。
●伊勢神宮内宮の玄関口。聖と俗の境界。
20年で約1億人が渡る。厚さ15㎝の敷き板が6~10㎝すり減る。
●素木造りの和橋。(ヒノキ、ケヤキ)
敷き板616枚・・・「すりあわせ」という船大工の伝統技法。2ヶ月。
ヒノキ材1662石。(30坪の住宅で100石。ざっと16軒分の木材。)
他にケヤキ材155石。
●饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)
宇治橋の鎮守神、最初に社殿が新調される。
ここで祭儀を行ってから渡り始め。
●萬度麻(まんどぬさ)
饗土橋姫神社でお祓いされた御神札。(一万回お祓いされた御札の意)
下流側西詰第二柱の擬宝珠の中に納められる。
●木除杭 宇治橋の上流に八本建てられる。台風18号でも・・・
●宇治橋鳥居・・・未新調。橋の東西の鳥居。棟持柱の再利用。
西(外側)→桑名の七里の渡し 伊勢参宮東の入り口
東(内側)→関の追分 伊勢参宮西の入り口
●古材の再利用・・・カンナをかけて記念品(表札など)に再加工
●敷き板の三枚目・・・特に珍重される
萬度麻の納まる第二柱に接している。
参詣者が必ず踏む。→お足(お金)が入る。「千客万来」に通じる。
●渡女(わたりめ)・・・渡始式の主役。老女。
夫や息子夫婦、孫夫婦は従者。
物忌み=童男・童女ではないことの意味は?・・・長久祈願
饗土橋姫神社→仮橋を渡り→東へ 新橋を東から西へ渡る。→
→新橋をもう一度西から東へ渡り、神域へ。
橋の鎮守神にご覧頂く形。
●「橋」とは
「ハシ」と「ハシ」をつなぐもの。
「空間的な両岸をつなぐ。」
「世代間の文化・伝統・技術・心をつなぐ。」
「神と人をつなぐ。」
●渡始式当日の日程について http://www.isejingu.or.jp/whatsnew/detail.php?uid=162
○11月3日(火・祝)
8:00 交通規制開始(詳細は伊勢市ホームページに掲載)
伊勢市ホームページ http://www.city.ise.mie.jp/
9:50 仮橋通行停止
10:00 宇治橋渡始式
10:10 仮橋通行停止一時解除
10:50 仮橋通行停止
11:40頃 宇治橋渡始式終了
一般参拝者渡始
12:00 五丈殿前にて祝菓子授与(無料)
13:00 神宮舞楽公開
16:00 国民総参宮(宇治橋架け替え奉祝委員会主催)
17:30 東儀秀樹氏等コンサート
20:00 提灯行列
22:00 夜間参拝停止
●奉祝行事について http://www.isejingu.or.jp/whatsnew/detail.php?uid=165
○11月3日(祝)
13:00 (特設舞台) 神宮舞楽
17:30 (特設舞台) 奉祝コンサート
東儀秀樹・皇學館大学雅楽部・彩乃かなみ・Shikinami
18:00 (内宮神域) 長谷川章氏デジタルカケジク光の彫刻
20:00 (おはらい町~御前) 提灯行列
○11月4日(水)
13:00 (特設舞台) 神宮舞楽
○11月5日(木)
11:00 (特設舞台) 楠公歌の会コンサート
13:00 (特設舞台) 神宮舞楽
○11月6日(金)
10:00 (外宮火除橋外部) 東都鳶工業連合会 木遣・纏振・梯子登り
11:00 (参集殿) 大蔵流・観世流・幸清流・喜多流 能・狂言
11:00 (内宮宇治橋内部) 東都鳶工業連合会 木遣・纏振・梯子登り
○11月7日(土)
10:30 (参集殿) 立阪神社獅子舞
13:30 (特設舞台) 読売日本交響楽団・皇學館大学雅楽部 弦楽四重奏 和洋の調べ
14:00 (参集殿) 生田流宮城会 箏曲・三絃・尺八
16:00 (宇治橋外部) 西条だんじり
○11月8日(日)
5:00 (宇治橋外部) 西条だんじり
9:15 (特設舞台) 松阪しょんがい音頭と踊り保存会
13:00 (特設舞台) 古澤流地歌舞
13:00 (参集殿) 川副千尋ソプラノリサイタル
○11月9日(月)
10:30 (参集殿) 古式四條流包丁式 千年ノ儀
○11月11日(水)
10:30 (参集殿) 玉丸城太鼓保存会 和太鼓
○11月12日(木)
13:00 (参集殿) 御即位二十年奉祝舞楽
13:30 (特設舞台) 倭町奉献団木遣と修道幼稚園子供木遣
○11月13日(金)
9:30 (参集殿) 四郷地区奉献団木遣り
13:30 (参集殿) 藤間流藤和会 日本舞踊
○11月14日(土)
10:00 (参集殿) 藤間流紫派 日本舞踊
10:00 (特設舞台) 雅結会 雅楽
13:00 (参集殿) 西川茂登路社中と加藤流 伊勢音頭
13:30 (特設舞台) 加子母村木遣り
○11月15日(日)
12:00 (特設舞台) 八坂神社獅子舞
13:00 (参集殿) 都山流尺八
13:30 (特設舞台) 小川しず子 箏曲・尺八・三絃
19:00 (宇治橋外部) 野村萬・野村萬蔵・松坂慶子 伊勢大田楽
○11月17日(火)
10:10 (参集殿) 琴城流 長唄と洋楽アンサンブル
○11月18日(水)
14:00 (参集殿) 水野箏曲楽会 箏曲
○11月19日(木)
13:30 (参集殿) いつき民踊舞踊会 舞踊・民踊
○11月20日(金)
10:15 (特設舞台) 常磐表町 民踊
13:00 (参集殿) 藤間流穂積会 日本舞踊
○11月21日(土)
10:00 (参集殿) 伊勢乃國 鏡太鼓
13:00 (特設舞台) 2代姫神シンセサイザーコンサート
14:00 (参集殿) 業葉神社 三番叟・御囃子
○11月22日(日)
11:00 (参集殿) 日本武芸奉賛会 演武と箏曲・尺八
11:00 (特設舞台) キム・シン他 舞楽
13:30 (特設舞台) 西川茂登瓔 日本舞踊と伊勢音頭
○11月23日(祝)
9:45 (参集殿) 紀宮花山院流 活花
12:30 (特設舞台) ミネハハコンサート
○11月24日(火)
14:00 (参集殿) 花匠前野 花芸奉納
○11月25日(水)
13:00 (特設舞台) 天地人 和太鼓・三味線・パーカッション演奏
13:30 (参集殿) 伊勢民踊会 伊勢音頭・全国ふる里民踊
○11月27日(金)
11:30 (参集殿) 楓賀 和太鼓演奏
○11月28日(土)
10:00 (参集殿) ソプラノ畑美枝子とアンサンブル・マリア・ルイジャ 日本歌曲
11:00 (特設舞台) Shikinamiヒーリング音楽
○11月29日(日)
11:00 (特設舞台) 伊勢音頭保存会 伊勢音頭
13:00 (特設舞台) 全日本戸山流居合道連盟 試斬及形・組太刀
○11月30日(月)
10:30 (参集殿) 真鍋尚之 笙独奏
その他、12日(木)~16日(月)には饗膳所において奉祝茶会(10:00)が行われます。
※期間中は大変混雑が予想されますので、公共交通機関のご利用をお勧め致します。
雑駁なお話で恐縮でした。
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FMおかざき「心の宅急便」の55回目の放送です。
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先週の「草薙剣」のつづきです。
三種の神器は、天孫降臨に際し、皇孫・瓊瓊杵尊が天照大御神から授かった三つの神宝のことで、皇位とともに伝わる皇位のしるしです。
八咫鏡(やたのかがみ)
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
の3つですね。
今日はその中の「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」のお話をします。
「八尺(やさか)」というのは、「長いこと、大きいこと」です。
「瓊(に)」は、「美しい玉」を意味します。
「勾玉(まがたま)」は「曲がった玉」ですね。
「古事記」に
この時、玉祖命がお造りになったのが八尺瓊勾玉なんですね。
さて、皇位継承の際、先帝崩御後一番最初に行われるのが、「剣璽等承継の儀」です。
剣璽・・・(草薙剣)
神璽・・・(八尺瓊勾玉)
を継承する儀式です。まさに皇位のしるしを継承遊ばされるわけですね。
今上陛下の場合は、昭和64年1月7日に行われました。
またこの剣璽に関することで、「剣璽御動座」ということをご存じでしょうか?
天皇陛下が行幸される際、三種の神器のうち、剣と璽を天皇陛下が携行することを「剣璽御動座」と言うんです。陛下は、常に三種の神器とともにあられるということなんですね。
しかし、この剣璽御動座の伝統は、戦後しばらく廃止されていました。
警備上の問題等もあったようですが、長く続く伝統を失うことは大問題です。
そこでこの剣璽御動座を復活させようという運動が起こってきます。昭和46・47・48年頃だったそうですが、その時には私共の先輩でもある当時の青年神職等の署名・請願活動が盛んに行われたと聞いています。
その甲斐あって、伊勢神宮の第60回式年遷宮にあたり、陛下自ら新宮に参拝する「御親謁」の時、剣璽御動座が復活したんだそうです。昭和49年のことでした。
そう言えば、先日、岡田外相の「お言葉」発言がありましたね。
国際化の時代、日本人は日本のことをもっと知らなければならないとも思います。
まして国の舵取りを行う大臣の皆さんには・・・・・。
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先週の「草薙剣」のつづきです。
三種の神器は、天孫降臨に際し、皇孫・瓊瓊杵尊が天照大御神から授かった三つの神宝のことで、皇位とともに伝わる皇位のしるしです。
八咫鏡(やたのかがみ)
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
の3つですね。
今日はその中の「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」のお話をします。
「八尺(やさか)」というのは、「長いこと、大きいこと」です。
「瓊(に)」は、「美しい玉」を意味します。
「勾玉(まがたま)」は「曲がった玉」ですね。
「古事記」に
玉祖(たまのをやの)命に科せて八尺(やさか)の勾 (マガタマ)の五百津(いをつ)の御須麻流(みすまる)の珠(たま)を作ら令めて・・・
とあるように、この八尺瓊勾玉は「天の岩屋戸の神話」に由来します。「ズズズゥゥ……」
天の岩屋戸の扉を閉めたアマテラス。
「な、なんだ。どうしたんだ!」
「辺り一面真っ暗になってしまった」
神々が住まう高天の原(たかまのはら)だけでなく、人々の住むアシハラノナ
カツクニ(葦原中國)も突然闇におおわれてしまった。
そして太陽のない闇に包まれた日が続いた。
闇につつまれたのをいいことに、これ幸いとわざわいの神々が不穏な動きを始
める。
このままでは、わざわいの神々に国を乗っ取られてしまう。
一刻も早く、アマテラスに天の岩屋戸から出てきてもらわないといけない…
やおよろず(八百万)の神々は、あめのやすのかわら(天の安の河原)に集ま
り、知恵の神、オモヒカネノカミ(思金神)を中心に作戦を練った。
どうすれば、アマテラスを天の岩屋戸から出すことができるか?
………………
「そうだ!」
名案が閃いたオモヒカネノカミは、すぐさまそのアイデアを実行に移す。
「皆の者、ありったけの長鳴鳥(ながなぎどり)を集めて鳴かせるのだ!」
「かしこまりました!」
「次に、イシトリドメノミコト(伊斯許理度賣命)はヤタノカガミ(八尺鏡)
を、タマノヤノミコト(玉祖命)はヤサカノマガダマ(八尺の勾珠)を作る
のだ。」
「おぉ! 承知いたしました。」
「フトダマノミコト(布刀玉命)は、天香山(あまのかぐやま)へ行って、鹿
の骨を使って占いをし、榊の木を取って、上の枝にヤサカノマガダマを、真
ん中の枝にはヤタノカガミを、下の枝には木綿と麻をつるしたものを用意す
るのだ。」
「分かりました。それでは、さっそく榊を取りに天香山へ行って参ります」
「頼んだぞ。さぁ、皆の者急ぐのだ。早く高天の原に光を取り戻すのだ!」
…………………
準備が整い、最後の手はずを指示するオモヒカネノカミ。
「フトダマノカミは榊を持ち、アメノヤノミコトはノリト(祝詞)を読むのだ。
そして、アメノタヂカラヲノカミ(天手力男神)はアマテラス様がお隠れに
なった天の岩屋戸の脇に隠れているのだ。よし、準備はよろしいか。では、
アメノウズメノミコト(天宇受賣命)、頼んだぞ!」
天の香山(あめのかぐやま)から取ってきたササの葉を持ったアメノウズメは、
胸を出した状態で、神がかりにあったように一心不乱に踊りだす。
それに合わせて、八百万(やおよろず)の神々は大いに笑った。
「あーはっはっは」
「いいぞー、もっと踊れや、歌えや、大いに騒ごうぞ!」
「いやぁー、はっは、愉快愉快」
………………
その笑い声は天の岩屋戸に隠れたアマテラスの耳にも聞こえてきた。
おかしいと思ったアマテラスは天の岩屋戸を少し開け、外の様子をのぞくと、
アメノウズメが踊り、神々が笑っている姿が目に映った。
そこで、アメノウズメに話しかけるアメテラス。
「何やら騒がしいようですね。でも、高天の原は私がいなくなって闇につつま
れているはず。どうして、お前は歌い踊り、神々は笑っているのですか?」
「あなた以上に貴い神がお出でになられたのです。だから、私たちは喜び笑っ
ているのです。」
アメノウズメがアマテラスと話している最中に、アメノコヤネノミコトとフト
ダマノミコトが鏡を差し出し、アマテラスに見せると、その鏡には光り輝く神
の姿が映っていた。
「(本当に自分以外の日の神が現れたのかもしれない。ここから出てもっとよく
見ないと…)」
自分の姿を別の貴い神だと勘違いしたアマテラスは、不安になってもっとじっ
くりその神を見ようとそろそろと天の岩屋戸から出てこようとした。
アマテラスが岩屋戸から出てこようとしたそのとき、
「パシッ」
岩屋戸のそばに隠れていたアメノタヂカラヲノカミは、アマテラスの手をつか
み、一気に岩屋戸からアマテラスを引き出した。
「それっ! 今だ!」
アマテラスが天の岩屋戸から完全に出てきたその瞬間、フトダマノミコトは、
天の岩屋戸に二度と入れないようにしめ縄で封印し、アマテラスに懇願した。
「これからは二度とこの中に入らないでください。」
アマテラスが天の岩屋戸から出てくると、辺り一面に光が戻り、明るくなった。
この時、玉祖命がお造りになったのが八尺瓊勾玉なんですね。
さて、皇位継承の際、先帝崩御後一番最初に行われるのが、「剣璽等承継の儀」です。
剣璽・・・(草薙剣)
神璽・・・(八尺瓊勾玉)
を継承する儀式です。まさに皇位のしるしを継承遊ばされるわけですね。
今上陛下の場合は、昭和64年1月7日に行われました。
またこの剣璽に関することで、「剣璽御動座」ということをご存じでしょうか?
天皇陛下が行幸される際、三種の神器のうち、剣と璽を天皇陛下が携行することを「剣璽御動座」と言うんです。陛下は、常に三種の神器とともにあられるということなんですね。
しかし、この剣璽御動座の伝統は、戦後しばらく廃止されていました。
警備上の問題等もあったようですが、長く続く伝統を失うことは大問題です。
そこでこの剣璽御動座を復活させようという運動が起こってきます。昭和46・47・48年頃だったそうですが、その時には私共の先輩でもある当時の青年神職等の署名・請願活動が盛んに行われたと聞いています。
その甲斐あって、伊勢神宮の第60回式年遷宮にあたり、陛下自ら新宮に参拝する「御親謁」の時、剣璽御動座が復活したんだそうです。昭和49年のことでした。
そう言えば、先日、岡田外相の「お言葉」発言がありましたね。
「お言葉に陛下の思いを」と外相 閣僚懇で宮内庁に検討要請
岡田克也外相は23日午前の閣議後の閣僚懇談会で、国会開会式での天皇陛下のお言葉について「陛下の思いが少しは入った言葉がいただけるような工夫を考えてほしい」と述べ、宮内庁に対しお言葉の見直しを検討するよう求めた。
閣僚が天皇陛下の発言について意見を述べるのは異例。首相官邸で記者団の質問に答えた。
同時に「政治的な意味合いが入ってはいけないという、いろいろ難しいことはある」と指摘。その上で「大きな災害があった直後を除き、同じあいさつをいただいている。わざわざ国会に来ていただいているのだから、よく考えてもらいたい」と強調した。
この発言に関し、平野博文官房長官は記者会見で「コメントは差し控えたい」と述べた。
【共同通信】
伝統や文化を軽んじたり、否定するのは愚の骨頂だと思います。第173臨時国会の開会式が26日午後、参院本会議場に天皇陛下をお迎えして行われた。陛下は「国会が、当面する内外の諸問題に対処するに当たり、国権の最高機関として、その使命を十分に果たし、国民の信託にこたえることを切に希望します」とのお言葉を述べた。
開会式のお言葉をめぐっては、岡田克也外相が23日に「陛下の思いが入ったお言葉をいただく工夫ができないか、考えてほしい」と問題提起していたが、今回は従来と同じ内容となった。
時事ドットコム(2009/10/26-13:16)
国際化の時代、日本人は日本のことをもっと知らなければならないとも思います。
まして国の舵取りを行う大臣の皆さんには・・・・・。
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FMおかざき「心の宅急便」の54回目の放送です。
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先日、熱田神宮の御遷宮が斎行されました。
平成25年に創祀1900年を迎えることから、御社殿の屋根替え改修工事やや神楽殿の改修工事が約2年がかりで行われ、このたび立派に竣工され、熱田大神様のお引っ越しが行われたのです。
本殿遷座祭が10月 10日(土)午後8時、臨時奉幣祭が11日(日)午前10時でした。
その後、今月18日まで各種奉祝行事として、県内外の郷土芸能の奉納などがあるようです。
さて、この熱田神宮の御神体は何だかご存じでしょうか?
そうです。草薙神剱(くさなぎのみつるぎ)ですね。
三種の神器の一つに数えられ、天孫降臨に際し、皇孫・瓊瓊杵尊が天照大御神から授かった三つの神宝のうちの一つです。皇位とともに伝わるもので、皇位のしるしであるとも言えます。
ちなみに、他の三種の神器ですが、
八咫鏡(やたのかがみ)は伊勢神宮にまつられ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は皇居の陛下のおそばにあります。
この草薙神剣の由来は、記紀神話の「八岐大蛇(やまたのおろち)の神話」にあります。
これが草薙神剣ですが、その名の由来は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征伝説に由来します。
今年の秋は日本国民にとってお祝い事満載の秋ですね。
熱田神宮御遷座祭 10月10日
伊勢神宮宇治橋渡始式 11月3日
今上陛下御即位20年奉祝式典 11月12日
などなど。
古代のロマンと我が国の悠久の歴史を肌で感じるには絶好の秋ともいえますね。
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先日、熱田神宮の御遷宮が斎行されました。
平成25年に創祀1900年を迎えることから、御社殿の屋根替え改修工事やや神楽殿の改修工事が約2年がかりで行われ、このたび立派に竣工され、熱田大神様のお引っ越しが行われたのです。
本殿遷座祭が10月 10日(土)午後8時、臨時奉幣祭が11日(日)午前10時でした。
その後、今月18日まで各種奉祝行事として、県内外の郷土芸能の奉納などがあるようです。
さて、この熱田神宮の御神体は何だかご存じでしょうか?
そうです。草薙神剱(くさなぎのみつるぎ)ですね。
三種の神器の一つに数えられ、天孫降臨に際し、皇孫・瓊瓊杵尊が天照大御神から授かった三つの神宝のうちの一つです。皇位とともに伝わるもので、皇位のしるしであるとも言えます。
ちなみに、他の三種の神器ですが、
八咫鏡(やたのかがみ)は伊勢神宮にまつられ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は皇居の陛下のおそばにあります。
この草薙神剣の由来は、記紀神話の「八岐大蛇(やまたのおろち)の神話」にあります。
この時の剣が、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です。昔々、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟・須佐之男命(すさのおのみこと)は、高天原で大暴れをしてみんなをこまらせました。そのため、高天原を追い出されてしまいました。
高天原を追い出された須佐之男命は、やがて出雲の国に降りてこられました。しばらく川の岸に座って休んでいると、川上から箸が流れてくるのに気がつきました。
「これは川上に人が住んでいるにちがいない」
と思い、命は、川沿いに家を探しにさかのぼっていかれました。
しばらく行くと、人の泣き声がかすかに聞こえてきます。それは、年老いたおじいさんとおばあさん、そして一人の娘でした。
「どうしたのだ。なぜ泣いている。」
と命が尋ねると、おじいさんは涙を拭きながら答えました。
「私はアシナヅチ、妻はテナヅチ、娘をクシナダヒメと申します。私共には、8人の娘がいました。ところが、この近くの高志(こし)というところにヤマタノオロチという大蛇が住んでいて、毎年やってきては娘を一人づつ食べてしまうのです。今では、この娘一人が残っているだけとなってしまいました。そして、その大蛇がまた、やってくるときになってしまいました。この娘も食べられてしまうのかと思うと悲しくて悲しくて、こうして別れを惜しんでいるのです。」
命は、大蛇のことを詳しく聞きました。
「それは恐ろしいやつで、体は一つですが頭が八つ、尾も八つに分かれていて、目はホオズキのように真っ赤に燃えていて、その大きさは、八つの山、八つの谷をわたるほどに長く大きく、体にはこけが生え、檜、杉の木が生えています。」
命は、しばらく考えた後、こういいました。
「私が大蛇を退治しよう。力を貸してくれないか。」
それを聞いた三人は少し元気が出てきました。
命はてきぱきと指示をします。
「まず、強い酒を造るのだ。次に、ここに垣根を巡らせ、門を八つ作る。そして、その門の前に造った酒を置くがよい。」
さらに命はいいました。
「見事大蛇を退治したあかつきには、娘を私にくださらないか。」
突然の言葉に、アシナヅチは命の名前を尋ねます。
「私は須佐之男命である。高天原から降りてきたところだ。」
アシナヅチは恐れ多いことと結婚を許します。
さて、命が娘にふれると娘は櫛になりました。その櫛を自分の髪にさし、大蛇に見つからないようにしました。おばあさんはお酒を造り、おじいさんは竹や木を切ってきて垣根を作りはじめました。できあがると八つの門にお酒を置き、準備が整いました。
三人は木の陰でじっとその時を待ちます。
しばらくしてあたりはざわざわと不気味な気配が漂い、空が血のように赤く染まり、大蛇が姿を現しました。命は剣に手をかけ様子を見ます。
大蛇は酒の匂いに誘われ、八つの門に頭を入れました。そして、お酒をぐいぐい飲み始めたのです。しばらくすると、お酒がまわったのか、さすがの大蛇もすっかり酔っぱらって眠り込んでしまいました。
その時です。命はすかさず剣を抜いて、八つの首を切り落としました。命はさらに胴を切り尾を切り捨てていったのですが、尾の一つを切ったとき「かちっ」音がして、命の剣がかけました。
なんと大蛇の尾から細くて立派な剣がでてきたのです。
この立派な剣は自分のものにはできないと考え、天照大御神に差し上げることにしました。
八岐の大蛇を退治された須佐之男命は、櫛なだ姫を元の姿に戻しました。出雲に平和がもどり、命と姫は約束通り結婚することになりました。・・・・・
これが草薙神剣ですが、その名の由来は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征伝説に由来します。
それと、白鳥伝説も忘れてはいけませんね。景行天皇は、日本武尊に命じます。
「東の国はまだ荒ぶる神々が騒ぎ立て、反乱を起こしている。おまえが行って平定してきなさい。」
日本武尊は、帝の命令を受け、伊勢の倭姫命(やまとひめのみこと)のもとを訪ねて言いました。
「西の方の悪者を従わせ、まだどれほどの時も経たないのに、今度は東の方へ行けという。父は私に死ねばよいと思っておられるのでしょうか。」
涙を流す日本武尊に、姫は天叢雲剣と袋を渡しました。その剣は、八岐大蛇の尻尾から出てきた神剣です。
「大丈夫です。もし、危険なことがあれば、この袋を開けなさい。気持ちを引き締め、油断をしてはいけませんよ。」
こう言って、日本武尊を見送りました。
日本武尊は尾張の国を越え、駿河の国に着きました。この国の賊達は、日本武尊にすっかり従う様子を見せて、だまし討ちを考えていたのです。命を広い野原に連れ出し,言いました。
「この野原の真ん中に、沼があります。そこに住む神は全く乱暴者です。あなたの力で、沼の神を退治して下さい。そして我々が安心して暮らせるようにして下さい。」
命が 弟橘比売命と一緒に野原を進んでいくと、辺りは誰もいなくなりました。すると、周りから急に火が燃えだし、またたく間に迫ってきます。熱と煙で苦しくなります。もうだめかとあきらめかけたその時、倭姫命からもらった剣と袋のことを思いだしました。
まず、剣で草を刈り、火が移らないようにしました。そして袋の中の火打ち石で、刈った草に火をつけました。火は燃え上がり、逆風に煽られ、やがて賊の方に燃え広がりました。命は逃げる賊を追いかけ、討ち殺してしまいました。
この時から、天叢雲剣は、草薙剣と呼ばれ、この辺り一帯を焼津と言われるようになりました。
このとき、日本武尊が残した草薙神剣をおまつりしたのが熱田神宮の始まりです。日本武尊の一行は、さらに美濃の国、尾張の国へと進み、しばらくとどまることにしました。そのころ、近江の伊吹山に乱暴な神がいることを聞きました。そこで命は、
「この山の神は、私が素手で取り押さえてやる。」
と、みやず姫に草薙の剣をあずけて、山に登りました。途中、命の前に大きな蛇が現れ、道をふさぎました。
「これは、山の神の使いだろう。相手にすることはない。」
そう言って進んでいきました。ところが実は、その蛇は山の神が姿を変えていたのでした。山の神は、雲をおこし、雹を降らし、命を惑わしました。、命は霧に包まれ、毒気が体を襲い、眠気が催しました。それでも命は道に迷いながらも、何とか帰り着くことができました。ふもとにある泉の水を飲み、眠気を覚ましました。丈夫な命の体もいつしか弱り、とうとう病気になってしまいた。
「私の心は空を飛ぶように元気だった。しかし、今は歩くことさえ出来なくなり、とぼとぼと足が動くだけになってしまった。」
さらに、三重の村に来たときは、
「私の足は三重に曲がってしまい,たいへん疲れた。」
と悲しまれました。
能煩野(のぼの)に来たとき、命は大和を思い出し、歌を読まれました。
大和は 国のまほろば
たたなずく 青垣 山こもれる
大和しうるはし
病気は重くなる一方でした。命は、最後に
おとめの 床のべに
わがおきし つるぎの太刀
その太刀はや
という歌を読まれ、この世を去って行かれたのでした。
この知らせは、すぐ大和に伝えられました。后や御子達は能煩野へ来てお墓を作り、泣き悲しみました。突然、命の墓から大きな白鳥が飛び立ち、大和に向かいました。白鳥は、大和の琴弾き原の止まり、さらに、河内の志幾(しき)にも止まり、そうして、天高く舞い上がり、やがて姿が見えなくなりました。白鳥が舞い降りたところにもお墓を作りました。この三つのお墓を白鳥の御陵(しらとりのみささぎ)といいます。
ヤマタノオロチの神話と草薙の剣、熱田神宮の由緒・・・少しはおわかりいただけたでしょうか?●熱田神宮の創祀
熱田神宮の創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。第12代景行天皇の御代、日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられました。尊のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられました。以来、伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、延喜式名神大社・勅祭社(※)に列せられ国家鎮護の神宮として特別のお取り扱いを受ける一方、「熱田さま」「宮」と呼ばれ親しまれてきました。約6万坪の境内には、樹齢千年を越える大楠が緑陰を宿し、宝物館には信仰の歴史を物語るものとして、皇室を初め全国の崇敬者から寄せられた6千余点もの奉納品が収蔵展示されています。境内外には本宮・別宮外43社が祀られ、主な祭典・神事だけでも年間70余度、昔ながらの尊い手振りのまま今日に伝えられています。
熱田神宮HP http://www.atsutajingu.or.jp/jingu/about/
今年の秋は日本国民にとってお祝い事満載の秋ですね。
熱田神宮御遷座祭 10月10日
伊勢神宮宇治橋渡始式 11月3日
今上陛下御即位20年奉祝式典 11月12日
などなど。
古代のロマンと我が国の悠久の歴史を肌で感じるには絶好の秋ともいえますね。
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FMおかざき「心の宅急便」の53回目の放送です。
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今日は私の神職としての個人的な価値観に基づいたお話しです。
もちろん、反対意見もあることは十分承知していますが・・・。
さて、最近特に思うんですが、現代日本は家族・家庭の崩壊の危機に瀕している気がしてなりません。
行き過ぎた平等主義や、行き過ぎた個人主義の影響かもしれません。
家長(大黒柱)の不在も大きな要因でしょう。
家族というのは、社会の最小構成単位であることは言うまでもありません。
心配すればきりがないのですが、この家族の崩壊は、間違いなく、地域共同体社会の崩壊、ひいては国家の崩壊につながるとも言えるでしょう。
それはさすがにまずいですよね。
そんな中、気になるニュースが飛び込んできました。
「夫婦別姓法案」についてのニュースです。
この法案を推進しようとしているのは、千葉景子法相と福島瑞穂男女共同参画担当相のようですが、私自身はこの法案が成立してしまうことを危惧しています。
現行民法では、
この文言からは、男女差別ということは全く見えてきませんね。
むしろこの民法の規定は完全に平等だとも言えますね。
どうして、夫婦が同姓となることを拒むのでしょうか?
福島大臣は「(別姓導入で)家族の絆が弱まることはあり得ない」とコメントしたそうですが、本当にそうでしょうか?どうしてそう断定できるのでしょうか?
同姓であるが故のデメリットよりも、別姓であるが故のデメリットの方が大きいと考えるのは私だけでしょうか?
現実的な問題で考えてみましょう。
お父さんが佐藤さん、お母さんが山田さんの別姓夫婦がいたとします。
二人の子どもに恵まれ、子どもの姓は、それぞれ選択するとすると・・・・
お兄ちゃんが山田くんで、妹が佐藤さんということも考えられます。
これは、佐藤家でしょうか?山田家でしょうか?
お宅に電話がかかってきたとき、「佐藤です」と出るのでしょうか?「山田です」とでるのでしょうか?
さらに代が進むと・・・
佐藤さんの長男が山田さんで、お嫁さんが田中さん。
その間に生まれた孫(長男)は田中さん、・・・・
直系でありながら、姓はバラバラ・・・ということも起こり得ます。
もしかしたら遺産相続の権利だけ主張し、介護などは姓が違うことを理由に拒否する輩が出ることも考えられます。「私は○○家の嫁じゃない。」なんて主張が我が物顔で通るような気もします。
挙句の果てに、先祖代々の「○○家之墓」はどうなってしまうんでしょうか?
末恐ろしい結果が待っていそうな気がします。
もしかしたら、離婚の増加、婚姻の形骸化、幼児・児童虐待の増加、青少年犯罪の増加などにもつながるかもしれません。
それほど家族は大事なモンなんです。
ところで、推進派の「選択制だからいいんじゃないの?」という意見も耳にします。
でもこれには甘い罠が潜んでいそうな気がします。
別姓推進派のねらいは別のところにあるような気がするんです。
戸籍の廃止(家制度の破壊)、多重国籍の容認、外国人参政権の付与、大量移民の実現、人権擁護法案の成立、・・・などなど。この夫婦別姓の法案と無関係ではないでしょう。
となると、これは日本の伝統文化の破壊であり、超個人主義を押し通す無秩序の国になりはててしまうような気がしてなりませんね。
はたして、皆さんはどうお考えになるでしょうか?
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今日は私の神職としての個人的な価値観に基づいたお話しです。
もちろん、反対意見もあることは十分承知していますが・・・。
さて、最近特に思うんですが、現代日本は家族・家庭の崩壊の危機に瀕している気がしてなりません。
行き過ぎた平等主義や、行き過ぎた個人主義の影響かもしれません。
家長(大黒柱)の不在も大きな要因でしょう。
家族というのは、社会の最小構成単位であることは言うまでもありません。
心配すればきりがないのですが、この家族の崩壊は、間違いなく、地域共同体社会の崩壊、ひいては国家の崩壊につながるとも言えるでしょう。
それはさすがにまずいですよね。
そんな中、気になるニュースが飛び込んできました。
「夫婦別姓法案」についてのニュースです。
この法案を推進しようとしているのは、千葉景子法相と福島瑞穂男女共同参画担当相のようですが、私自身はこの法案が成立してしまうことを危惧しています。
現行民法では、
となっています。第750条 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。
この文言からは、男女差別ということは全く見えてきませんね。
むしろこの民法の規定は完全に平等だとも言えますね。
どうして、夫婦が同姓となることを拒むのでしょうか?
福島大臣は「(別姓導入で)家族の絆が弱まることはあり得ない」とコメントしたそうですが、本当にそうでしょうか?どうしてそう断定できるのでしょうか?
同姓であるが故のデメリットよりも、別姓であるが故のデメリットの方が大きいと考えるのは私だけでしょうか?
現実的な問題で考えてみましょう。
お父さんが佐藤さん、お母さんが山田さんの別姓夫婦がいたとします。
二人の子どもに恵まれ、子どもの姓は、それぞれ選択するとすると・・・・
お兄ちゃんが山田くんで、妹が佐藤さんということも考えられます。
これは、佐藤家でしょうか?山田家でしょうか?
お宅に電話がかかってきたとき、「佐藤です」と出るのでしょうか?「山田です」とでるのでしょうか?
さらに代が進むと・・・
佐藤さんの長男が山田さんで、お嫁さんが田中さん。
その間に生まれた孫(長男)は田中さん、・・・・
直系でありながら、姓はバラバラ・・・ということも起こり得ます。
もしかしたら遺産相続の権利だけ主張し、介護などは姓が違うことを理由に拒否する輩が出ることも考えられます。「私は○○家の嫁じゃない。」なんて主張が我が物顔で通るような気もします。
挙句の果てに、先祖代々の「○○家之墓」はどうなってしまうんでしょうか?
末恐ろしい結果が待っていそうな気がします。
もしかしたら、離婚の増加、婚姻の形骸化、幼児・児童虐待の増加、青少年犯罪の増加などにもつながるかもしれません。
それほど家族は大事なモンなんです。
ところで、推進派の「選択制だからいいんじゃないの?」という意見も耳にします。
でもこれには甘い罠が潜んでいそうな気がします。
別姓推進派のねらいは別のところにあるような気がするんです。
戸籍の廃止(家制度の破壊)、多重国籍の容認、外国人参政権の付与、大量移民の実現、人権擁護法案の成立、・・・などなど。この夫婦別姓の法案と無関係ではないでしょう。
となると、これは日本の伝統文化の破壊であり、超個人主義を押し通す無秩序の国になりはててしまうような気がしてなりませんね。
はたして、皆さんはどうお考えになるでしょうか?
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昨日、FMおかざき「心の宅急便」の52回目の放送です。
昨年10月に始まり、丸一年を迎えました。
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今年はもう既に済んでしまった話題で恐縮ですが・・・
先週末の10月3日(土)は「中秋の名月」でしたね。
それに関連し、こんなニュースを目にしました。
何だかさみしいなぁと思うのは私だけでしょうか?
このまま行くと、
ということで、今日は敢えて「中秋の名月」に因むお話しをざっくばらんにさせていただこうかと存じます。
さて、「中秋の名月」というのは、 旧暦8月15日の月のことです。「十五夜お月様」ですね。
この月を愛でる月見の行事は、平安時代に中国から伝わったと言われています。当時の貴族たちは観月の宴を催し、風情を楽しみました。それが時代が下るにつれ、庶民にまで広まっていったんですね。
また、中国で月餅を供える習慣が日本に伝わり、月見団子となったと言われていますし、十五夜にススキや団子とともに収穫した芋を供えたので「芋名月」とも言われています。
ところで、「中秋」と「仲秋」の違いを御存じでしょうか?
辞書を見てみますと・・・・、
「仲秋」は「陰暦8月のこと」なんですね。陰暦の7月から9月が秋なんですが、その秋を孟秋(7月)・仲秋(8月)・季秋(9月)と分けたんです。「孟」「仲」「季」には、「長男」「次男」「三男」といった意味もあるようです。
これに対し、「中秋」というのは「陰暦8月15日のこと」なんだそうです。ピンポイントで秋の真ん中という意味なんですね。
年間を通じ、何回もある満月ですが、何故8月15日の十五夜だけが特別視されたのか、真相は分かりませんが、時代を超えて万人に広く受け容れられたから、現代にまで伝わっているんだとも思います。
ちなみに、
この歌には「月」が8回出てきます。だからこそ見るべき「この月」は8月なんだという歌なんですが、思わずなるほどと思ってしまいますよね。
もう一つ。
数ある難読姓の中に「八月十五日」というのがあります。
何と読むかお分かりでしょうか?
答えは「なかあき」なんだそうです。正に「中秋」ですね。
風情を感じるお月見ですが、実は十五夜以外のお月見もあるんです。
それは「十三夜」です。
陰暦9月13日のお月見のことですが、これは中国にはなく、日本のみの風習なんだそうです。
後の月見とも言われます。
「十五夜」が芋をお供えすることから「芋名月」とも言われるのに対し、「十三夜」は豆や栗を供えることから「豆名月」「栗名月」と呼ばれます。
一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の時代に開かれた観月の宴が慣習となったとも言われているようです。
また、十五夜の月見をしたら、必ず十三夜の月見もしなければならなく、一方だけの月見は「片月見」として忌まれたなんて風習もあります。
ちなみに今年の十三夜は、10月30日です。
十五夜お月様を愛でた皆さんは、十三夜のお月様もお忘れなく(笑)
お月見につきものの「月見団子」ですが、お供えする団子の数にも色々と慣習があるようです。
15夜は15個、13夜は13個供えるだとか、 一年は12ヶ月なので12個、閏月のある閏年は13個お供えするんだとか、地方によっても異なるようですね。
月と言えばウサギですかね。
うさぎが餅つきしているといいますが、これは仏教説話に由来するようです。
昔、帝釈天が老人の姿で動物たちのところに行き、食べ物を乞うた時、猿は木の実を、狐は魚を取ってきて老人に与えたが、うさぎは何も取ってこれなかったため、自ら火の中に飛び込んで自分の肉を与えたんだそうです。そしてこれを憐れんで、うさぎを月の中に蘇らせたと伝えられています。
今の子供たちはこの話をどのくらい知っているのでしょうかねぇ・・・。
十五夜、十三夜以外にも、月を愛でることは頻繁に行われてきました。
例えば、「待宵(まつよい)」と言うのは、翌十五日の月を待つ宵の意で、陰暦8月14日の宵のことを言います。
また「十六夜(いざよい)」という陰暦十六日。また、その夜のことを表す言葉もあります。
これは「やすらう」の意のイサヨフの名詞形だそうで、十六夜の月が山の端を出ようとして、てまどるのを、イサヨフ(躊躇)と文学的に表現したものなんだそうです。
名月の前後の月を愛でる風情もまたイイですよね。
さらに雑学を蛇足的に付け加えますと・・・
「中秋の名月は満月とは限らない」んです。
でも細かい話はどうでもよく、「八月の十五日の月」として「十五夜お月様」であることが重要なんですね。
くどいですがもう一つ蘊蓄を申し上げますと・・・
「中秋の名月は必ず「仏滅」」なんです。
何故か?
六曜の決め方を理解すれば自ずと理解できると思いますので、皆さん一度調べてみてくださいね。
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偉そうな話をしてしまいましたが、我が子が
親として反省しきりですね。
昨年10月に始まり、丸一年を迎えました。
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今年はもう既に済んでしまった話題で恐縮ですが・・・
先週末の10月3日(土)は「中秋の名月」でしたね。
それに関連し、こんなニュースを目にしました。
この現状を、皆さんはどう思うでしょうか?中秋の名月、20代2割強知らず=成人全体では1割-民間会社調査
お月見を楽しむ風習が残る「中秋の名月」(十五夜)。今年は3日夜に当たるが、20代の2割強が「聞いたことがない」という実態が、コニカミノルタホールディングス(東京)の調査で分かった。成人が対象だったが、全体でも約1割が知らなかったという。
同社は9月10~11日、埼玉、千葉、東京、神奈川の各都県に住む成人男女にアンケートを実施し、516人から有効回答を得た。
その結果、「中秋の名月」という言葉について、全体の10.5%が「聞いたことがない」と回答。内訳は20代21.1%、30代10.9%、40代5.4%で50代以上が4.6%だった。「聞いたことはある」は全体で53.1%、「意味も知っている」は36.4%で、いずれも年齢が上がるにつれ深く理解している傾向がみられた。
また、「中秋の名月は今年はいつか」と聞くと「知っている」は全体で5.8%にとどまった。「知らない」は22.5%、「何月ごろか知っている」は71.7%だった。
(時事ドットコム2009/10/03-05:28)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009100300065
何だかさみしいなぁと思うのは私だけでしょうか?
このまま行くと、
の句に共感できない時代が来てしまうんじゃないかといった危惧さえ感じます。名月や池をめぐりて夜もすがら 芭蕉
ということで、今日は敢えて「中秋の名月」に因むお話しをざっくばらんにさせていただこうかと存じます。
さて、「中秋の名月」というのは、 旧暦8月15日の月のことです。「十五夜お月様」ですね。
この月を愛でる月見の行事は、平安時代に中国から伝わったと言われています。当時の貴族たちは観月の宴を催し、風情を楽しみました。それが時代が下るにつれ、庶民にまで広まっていったんですね。
また、中国で月餅を供える習慣が日本に伝わり、月見団子となったと言われていますし、十五夜にススキや団子とともに収穫した芋を供えたので「芋名月」とも言われています。
ところで、「中秋」と「仲秋」の違いを御存じでしょうか?
辞書を見てみますと・・・・、
「仲秋」は「陰暦8月のこと」なんですね。陰暦の7月から9月が秋なんですが、その秋を孟秋(7月)・仲秋(8月)・季秋(9月)と分けたんです。「孟」「仲」「季」には、「長男」「次男」「三男」といった意味もあるようです。
これに対し、「中秋」というのは「陰暦8月15日のこと」なんだそうです。ピンポイントで秋の真ん中という意味なんですね。
年間を通じ、何回もある満月ですが、何故8月15日の十五夜だけが特別視されたのか、真相は分かりませんが、時代を超えて万人に広く受け容れられたから、現代にまで伝わっているんだとも思います。
ちなみに、
という読み人知らずの和歌があります。月月に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月
この歌には「月」が8回出てきます。だからこそ見るべき「この月」は8月なんだという歌なんですが、思わずなるほどと思ってしまいますよね。
もう一つ。
数ある難読姓の中に「八月十五日」というのがあります。
何と読むかお分かりでしょうか?
答えは「なかあき」なんだそうです。正に「中秋」ですね。
風情を感じるお月見ですが、実は十五夜以外のお月見もあるんです。
それは「十三夜」です。
陰暦9月13日のお月見のことですが、これは中国にはなく、日本のみの風習なんだそうです。
後の月見とも言われます。
「十五夜」が芋をお供えすることから「芋名月」とも言われるのに対し、「十三夜」は豆や栗を供えることから「豆名月」「栗名月」と呼ばれます。
一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の時代に開かれた観月の宴が慣習となったとも言われているようです。
また、十五夜の月見をしたら、必ず十三夜の月見もしなければならなく、一方だけの月見は「片月見」として忌まれたなんて風習もあります。
ちなみに今年の十三夜は、10月30日です。
十五夜お月様を愛でた皆さんは、十三夜のお月様もお忘れなく(笑)
お月見につきものの「月見団子」ですが、お供えする団子の数にも色々と慣習があるようです。
15夜は15個、13夜は13個供えるだとか、 一年は12ヶ月なので12個、閏月のある閏年は13個お供えするんだとか、地方によっても異なるようですね。
月と言えばウサギですかね。
うさぎが餅つきしているといいますが、これは仏教説話に由来するようです。
昔、帝釈天が老人の姿で動物たちのところに行き、食べ物を乞うた時、猿は木の実を、狐は魚を取ってきて老人に与えたが、うさぎは何も取ってこれなかったため、自ら火の中に飛び込んで自分の肉を与えたんだそうです。そしてこれを憐れんで、うさぎを月の中に蘇らせたと伝えられています。
今の子供たちはこの話をどのくらい知っているのでしょうかねぇ・・・。
十五夜、十三夜以外にも、月を愛でることは頻繁に行われてきました。
例えば、「待宵(まつよい)」と言うのは、翌十五日の月を待つ宵の意で、陰暦8月14日の宵のことを言います。
また「十六夜(いざよい)」という陰暦十六日。また、その夜のことを表す言葉もあります。
これは「やすらう」の意のイサヨフの名詞形だそうで、十六夜の月が山の端を出ようとして、てまどるのを、イサヨフ(躊躇)と文学的に表現したものなんだそうです。
名月の前後の月を愛でる風情もまたイイですよね。
さらに雑学を蛇足的に付け加えますと・・・
「中秋の名月は満月とは限らない」んです。
1. 旧暦1日(ついたち)の決め方
旧暦の1日は「朔(新月)となる瞬間を含んだ日」ですので、0時0分に朔となる日も、23時59分になる日も同じく「一日」になります。これを考慮すると旧暦15日の月齢は、最小13.0,最大15.0,平均14.0となります。
2. 朔から望までの日数(平均)
朔(新月)から望(満月)までの平均日数は、約 14.76日で、これが本当の満月の月齢の平均となります。これは 1の旧暦15日の月齢平均より0.76日分だけ長い値です。このため、実際の満月は旧暦15日より遅れる傾向があります。
3. 朔と望までの実際の日数
月の軌道が円でないなどの理由から、朔から望までの日数は約13.8~15.8日の間で変化します。
上記1~3の理由が絡み合って、旧暦15日と満月の日付が一致しないことがあります(というか、一致しないことの方が多い)。長い目で見れば1,2の理由から実際の満月は旧暦15日に較べて約0.76日後にずれるはずです。
(暦と天文の雑学 (http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0710.htm))
でも細かい話はどうでもよく、「八月の十五日の月」として「十五夜お月様」であることが重要なんですね。
くどいですがもう一つ蘊蓄を申し上げますと・・・
「中秋の名月は必ず「仏滅」」なんです。
何故か?
六曜の決め方を理解すれば自ずと理解できると思いますので、皆さん一度調べてみてくださいね。
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偉そうな話をしてしまいましたが、我が子が
もうさぎ うさぎ
なに見てはねる
十五夜 お月さま
見て はねる
も「知らな~い」と言ったことが物凄い衝撃でした。。。一、デタデタツキガ
マルイマルイ マンマルイ
ボンノヨウナツキガ
二、カクレタクモニ
クロイクロイマックロイ
スミノヨウナクモニ
三、マタデタツキガ
マルイマルイ マンマルイ
ボンノヨウナツキガ
親として反省しきりですね。
名前:一文字


