黒き心を無くして、丹き心を以ちて、清潔く斎慎み、左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に廻る事も万事違ふ事なくして、太神に仕へ奉れ。
元を元とし、本を本とする故なり。
当ブログ管理人の一文字です。
愛知県岡崎市の田舎神主。
融通の利かない頑固者です。
神社のこと、神道のこと、
世の中のこと、日々の出来事、
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私、一文字が、
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目次
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年09月30日:招き猫 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年09月22日:秋祭り 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年09月15日:岡崎三郎信康公御命日 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年09月08日:重陽の節供 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年09月01日:長月に思う 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年09月01日:地鎮祭 【心の宅急便】
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平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年08月04日:おみやげ 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年07月28日:いのち 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年07月21日:夏祭り、花火… 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年07月14日:空蝉 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年07月07日:七夕 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年06月30日:夏越の大祓 その2 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年06月23日:夏越の大祓 【心の宅急便】
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平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年05月30日:五月晴れ 【心の宅急便】
平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年05月19日:ことばの話 【心の宅急便】
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平成18年平成19年平成20年平成21年平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年平成31年平成32年04月07日:新学期・・・ 【心の宅急便】
昨日、FMおかざき「心の宅急便」の51回目の放送です。
例大祭の疲れもあり(笑)、ちょっと軽めのお話しです。
----------------------------------------------------------------------
今日 9月29日は、来る(9)福(29)ということで、「招き猫の日」なんだそうですね。
招き猫といえば、・・・
真っ先に思いつくのが、右手を挙げたものと左手を挙げたもの。
(猫ですから手じゃなくて前足ですね(笑))
一般的に、・・・
右をあげた招き猫は、「お金」を招く招き猫
左をあげた招き猫は、「人(客)」を招く招き猫
と言われているようですが、最近では
両手(両前足)をあげた招き猫もあるようです。
正にダブルパワーということのようですが、でもこれでは「お手上げ状態」ともとれますね。ということでこれを嫌う人もいるようです。
欲張りすぎるのもダメだということでしょうか。
また、 右手挙げが「オス」で、左手挙げが「メス」なんて説もあります。
さらに挙げる手の高さでも、「 高ければ高いほど遠くの福を招く」と言うようですが、どうなんでしょう?
招き猫の色もいろいろありますね。
白、三毛が一般的ですが、中には・・・
黒・・・魔除け、家内安全?
赤・・・病気除け?
金・・・金運向上?
ピンク・・・恋愛運向上?
その他・・・風水関係の意味づけがなされたもの
などがあります。
実にバリエーションが豊富なので、コレクターも多いようですし、招き猫ばかりを集めた博物館や専門店もあるようですね。
この「招き猫」は、江戸時代からというのが通説のようですが、由来については諸説あるようですね。
ざっと調べてみると、
浅草の今戸神社、今戸焼き
世田谷区の豪徳寺 井伊直孝が雨を逃れた
新宿区の自性院 太田道灌が劣勢を挽回した
京都の壇王法林寺
養蚕農家のネズミ除け
金猫銀猫 遊郭での遊女(ネコ)の手招き
などがあるようです。
ちなみに、「猫が顔を洗うと雨が降る」といわれます。
ならば、猫が顔を洗うなど、落ち着かない行動をとるのは人が来る前兆かもしれません。
その様子を見た人が、猫が客を招いたと想像したのでしょうかねぇ。
さて、我が愛知県には常滑と瀬戸という焼き物のメッカがあります。ともに全国でも有数の陶器製招き猫の主要生産地です。瀬戸には「招き猫ミュージアム」もありますし・・・。
また、伊勢神宮のおかげ横町には、吉兆招福亭さんという招き猫専門店もあります。
9月29日の「招き猫」にちなんだイベントもあるようですので、興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。
蛇足ですが・・・
招き猫のおみくじ
岡崎天満宮にもあります。
----------------------------------------------------------------------
例大祭の疲れもあり(笑)、ちょっと軽めのお話しです。
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今日 9月29日は、来る(9)福(29)ということで、「招き猫の日」なんだそうですね。
招き猫といえば、・・・
なんですが、縁起物ゆえに実に色んなバージョンがあります。招き猫
猫が前足をあげて人を招くような形につくった縁起物玩具(がんぐ)。江戸時代、天明(てんめい)年間(1781~89)江戸・両国に「金猫銀猫」という売 色店(女郎屋)があり、金銀を彩色した招き猫を店頭に飾ったのがおこりという。その後、浅草の今戸で土製が盛んにつくられ、今戸焼の代表的なものになっ た。招き猫は客を呼び込み福を招く縁起から、現在も花柳界や飲食店などで喜ばれている。また関東地方などでは張り子製のものが達磨(だるま)市で売られ る。カイコの害敵のネズミを追い払う意味からおもに農家が買い求めるといわれる。(日本大百科全書(ニッポニカ))
真っ先に思いつくのが、右手を挙げたものと左手を挙げたもの。
(猫ですから手じゃなくて前足ですね(笑))
一般的に、・・・
右をあげた招き猫は、「お金」を招く招き猫
左をあげた招き猫は、「人(客)」を招く招き猫
と言われているようですが、最近では
両手(両前足)をあげた招き猫もあるようです。
正にダブルパワーということのようですが、でもこれでは「お手上げ状態」ともとれますね。ということでこれを嫌う人もいるようです。
欲張りすぎるのもダメだということでしょうか。
また、 右手挙げが「オス」で、左手挙げが「メス」なんて説もあります。
さらに挙げる手の高さでも、「 高ければ高いほど遠くの福を招く」と言うようですが、どうなんでしょう?
招き猫の色もいろいろありますね。
白、三毛が一般的ですが、中には・・・
黒・・・魔除け、家内安全?
赤・・・病気除け?
金・・・金運向上?
ピンク・・・恋愛運向上?
その他・・・風水関係の意味づけがなされたもの
などがあります。
実にバリエーションが豊富なので、コレクターも多いようですし、招き猫ばかりを集めた博物館や専門店もあるようですね。
この「招き猫」は、江戸時代からというのが通説のようですが、由来については諸説あるようですね。
ざっと調べてみると、
浅草の今戸神社、今戸焼き
世田谷区の豪徳寺 井伊直孝が雨を逃れた
新宿区の自性院 太田道灌が劣勢を挽回した
京都の壇王法林寺
養蚕農家のネズミ除け
金猫銀猫 遊郭での遊女(ネコ)の手招き
などがあるようです。
ちなみに、「猫が顔を洗うと雨が降る」といわれます。
なんだそうですが、いずれにせよ、猫は微妙な環境の変化を感じとって、顔を洗う行動をするみたいです。1. 低気圧が近づき、湿度が上がって来ると、猫のまゆやひげなどの触毛がべたついて来る。その大事な触毛の感度が鈍るのを防ぐために、まゆやひげの湿気を取るため顔を洗う。
2. 気圧や気温の変化によって、猫は物理的心理的ストレスを感じる。落ち着かない猫はやたらうろうろしたり、爪を研いだり、顔を洗うなどして、気を静めようとする。モリス博士が唱える、不安や動揺を感じたときの「転移行動」としての顔洗い行動である。
ならば、猫が顔を洗うなど、落ち着かない行動をとるのは人が来る前兆かもしれません。
その様子を見た人が、猫が客を招いたと想像したのでしょうかねぇ。
さて、我が愛知県には常滑と瀬戸という焼き物のメッカがあります。ともに全国でも有数の陶器製招き猫の主要生産地です。瀬戸には「招き猫ミュージアム」もありますし・・・。
また、伊勢神宮のおかげ横町には、吉兆招福亭さんという招き猫専門店もあります。
9月29日の「招き猫」にちなんだイベントもあるようですので、興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。
蛇足ですが・・・
招き猫のおみくじ
岡崎天満宮にもあります。
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FMおかざき「心の宅急便」の50回目の放送です。
昨年10月から始めて、もう既に50回になるんですね^^;
明日からの当宮例大祭にちなんで、「秋祭り」のお話しです。
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いよいよ、秋まつりシーズンが始まります。
おまつりと言えば、この童謡が頭に浮かびますね。
うちの娘に聞いたら、「知らない」とあっさり言われました(T_T)
お祭りと言えば学校が休みになった昔では考えられない話ですね。
そう言えば、小学校の総合学習でしょうか、時々こどもさんがお祭りのことについて調べに来られることがあります。その中で多いのが「なんでおまつりをするの?」というものです。
お祭りの意義が分からないこどもさんや親御さんが増えているんでしょうかね。
ならば、神社や神職がもっともっとアピールして行かなくてはなりませんね。
そもそも秋祭りは、・・・
秋の恵み(収穫)を神さまに感謝するため
日々の神さまのご加護に対して感謝するため
にとりおこなうお祭りです。
「神さま、ありがとうございます」とお礼をするのが秋祭りなんですね。
これに対して、五穀豊穣を祈るのが春祭りです。
さて、神社には「例大祭」とか「例祭」と呼ばれるおまつりがあります。
これは、それぞれの神社にとって、一年で一番大切なおまつりのことです。
「例」には、「恒例」「ためし」「ならわし」「しきたり」という意味があります。
これから10月、11月にかけてあちこちで例大祭が齋行さるわけです。
「毎年決まった日」ということですが、例祭日は、その神社に特別の由緒のある日があてられています。
御鎮座日、御祭神の縁日などですね。
この「毎年決まった日」ということが重要です。
しかしながら、最近、土日にあわせて行う例祭をおこなう神社が増えてきました。
「第●日曜」「第△土曜」などとしているところですね。
しかしこれは「本末転倒の話」と言えるでしょう。
日にちを変えた瞬間に「例祭」ではなくなる気もします。
よくよく考える必要がありそうですね。
先にも申しましたように、昔は、氏神さまの祭礼にあわせて、学校も仕事も休みになりました。
神さまの祭礼日に地域社会が都合を合わせてきたわけです。
神恩感謝が目的のお祭りですから、人間の都合ではなく、神さまにあわせるのが本来の形だと思います。
私のところの岡崎天満宮では、毎年日にちを変えずに例大祭を齋行しています。
出来る限り、これを続けていきたいですね。
さて、「おまつり」と言えば・・・
御神輿(おみこし)がありますね。
「輿」は「乗り物」の意味ですので、 「神輿」は「神さまの乗り物」ということです。
神さまを担いで、巡行することで氏子内を神さまがご覧になるという意味があります。
また、祭囃子(まつりばやし)もつきものです。
笛や太鼓の演奏ですが、文字通り「はやし立てる」意味で、おまつりを盛り上げる神賑わいの「神振行事」として重要な位置をしめますね。
三河地方のお祭りと言えば「花火」です。
打上げ花火、手筒花火、昼花火など色々なバリエーションがありますが、当宮の例祭ではかつて打ち上げ花火と昼花火が有名でした。
昼花火では、町内毎の色々な出し物があったようです。門前町のダルマとか、花崗町の将棋の駒とか・・・
落下傘にぶら下がって落ちてくるのを、みんなで奪い合ったと言う話をよく聞きます。
残念ながら、昨今の近隣の住宅事情により、打ち上げ花火も上げられなくなってしまいましたが、それでも手筒花火の奉納は行われます。
ちなみに花火を入れた花火長持ちを担いで練り込む時に歌う長持唄は、伊勢音頭がベースとなっているといわれています。
また、御神楽もありますね。ご神前に奏される歌舞のことですが、これは天岩戸神話の天鈿女命(あめのうずめのみこと)の舞が起源と言われています。
こどもさんにとっては、お祭りと言えば、露店・夜店でしょうか。
祭礼の参詣者をあてにした商売ですが、岡崎市内の神社の祭礼に出る露店も年々少なくなってきたように感じます。これも祭礼日の集中の影響でしょうか。
ちなみに露天商のことを「香具師(やし)」といいますが、一説には、売薬行商の元祖である彌四郎の名からきたとも言われています。また「的屋(てきや)」とも言いますね。「香具師的」の「的(てき)」とか、「当たれば儲かる」「的(まと)」からきたとか色々な説があるようです。
中には、神社が営業していると誤解してみえる方もありますが、基本的に神社とは無関係です^^;
「おたくのお祭りに夜店は出ますか?」
これ、結構多い質問なのですが、正確には「分かりません」としか答えられません。
「例年通りなら、多分出ると思いますが・・・」という答えが精一杯ですね(笑)
最後に明日からの岡崎天満宮例大祭の告知です。
9月23日
午後1時~ 奉納神楽舞
奉納剣道大会
午後2時~ 奉納こども腕ずもう大会
午後6時~ 奉納手筒花火
午後7時~ 奉納カラオケ大会
他に、福引きやリサイクルバザーあり。
午前中には、氏子各町からの花火長持ち、子供神輿の練り込み
24日
午前9時~ 奉納弓道大会
午後2時~ 奉賛会祈祷祭
午後6時~ ビンゴゲーム大会
午後7時~ 奉納「篠笛」演奏(ひろ美さん、竹林山水の会)
午後8時~ ビンゴゲーム大会(第2部)
他に、福引きやリサイクルバザーあり。
25日 午前10時~ 例大祭(本祭)
26日 午後5時~ 終祭
合い言葉は「天神さまに喜んでいただけるお祭りをしよう!!」です。
多くの皆さんのご参詣をお待ち申し上げております。
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昨年10月から始めて、もう既に50回になるんですね^^;
明日からの当宮例大祭にちなんで、「秋祭り」のお話しです。
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いよいよ、秋まつりシーズンが始まります。
おまつりと言えば、この童謡が頭に浮かびますね。
聴いているだけで、ウキウキするような感じがしますが、最近の小学校では教えないんでしょうかねぇ・・・。「村祭」 作詞不詳・南能衛作曲/文部省唱歌
♪ 村の鎮守の神様の
今日はめでたい御祭日
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
朝から聞こえる笛太鼓 ♪
♪ 年も豊年満作で
村は総出の大祭
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
夜までにぎわう宮の森 ♪
♪ 治まる御代に神様の
めぐみ仰ぐや村祭
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
聞いても心が勇み立つ ♪
うちの娘に聞いたら、「知らない」とあっさり言われました(T_T)
お祭りと言えば学校が休みになった昔では考えられない話ですね。
そう言えば、小学校の総合学習でしょうか、時々こどもさんがお祭りのことについて調べに来られることがあります。その中で多いのが「なんでおまつりをするの?」というものです。
お祭りの意義が分からないこどもさんや親御さんが増えているんでしょうかね。
ならば、神社や神職がもっともっとアピールして行かなくてはなりませんね。
そもそも秋祭りは、・・・
秋の恵み(収穫)を神さまに感謝するため
日々の神さまのご加護に対して感謝するため
にとりおこなうお祭りです。
「神さま、ありがとうございます」とお礼をするのが秋祭りなんですね。
これに対して、五穀豊穣を祈るのが春祭りです。
さて、神社には「例大祭」とか「例祭」と呼ばれるおまつりがあります。
これは、それぞれの神社にとって、一年で一番大切なおまつりのことです。
「例」には、「恒例」「ためし」「ならわし」「しきたり」という意味があります。
岡崎市を始め、西三河では、秋祭りがこの例祭になっている神社が数多くあります。例祭(れいさい) 毎年決まった期日に行う祭。(日本国語大辞典)
これから10月、11月にかけてあちこちで例大祭が齋行さるわけです。
「毎年決まった日」ということですが、例祭日は、その神社に特別の由緒のある日があてられています。
御鎮座日、御祭神の縁日などですね。
この「毎年決まった日」ということが重要です。
しかしながら、最近、土日にあわせて行う例祭をおこなう神社が増えてきました。
「第●日曜」「第△土曜」などとしているところですね。
しかしこれは「本末転倒の話」と言えるでしょう。
日にちを変えた瞬間に「例祭」ではなくなる気もします。
よくよく考える必要がありそうですね。
先にも申しましたように、昔は、氏神さまの祭礼にあわせて、学校も仕事も休みになりました。
神さまの祭礼日に地域社会が都合を合わせてきたわけです。
神恩感謝が目的のお祭りですから、人間の都合ではなく、神さまにあわせるのが本来の形だと思います。
私のところの岡崎天満宮では、毎年日にちを変えずに例大祭を齋行しています。
出来る限り、これを続けていきたいですね。
さて、「おまつり」と言えば・・・
御神輿(おみこし)がありますね。
「輿」は「乗り物」の意味ですので、 「神輿」は「神さまの乗り物」ということです。
神さまを担いで、巡行することで氏子内を神さまがご覧になるという意味があります。
また、祭囃子(まつりばやし)もつきものです。
笛や太鼓の演奏ですが、文字通り「はやし立てる」意味で、おまつりを盛り上げる神賑わいの「神振行事」として重要な位置をしめますね。
三河地方のお祭りと言えば「花火」です。
打上げ花火、手筒花火、昼花火など色々なバリエーションがありますが、当宮の例祭ではかつて打ち上げ花火と昼花火が有名でした。
昼花火では、町内毎の色々な出し物があったようです。門前町のダルマとか、花崗町の将棋の駒とか・・・
落下傘にぶら下がって落ちてくるのを、みんなで奪い合ったと言う話をよく聞きます。
残念ながら、昨今の近隣の住宅事情により、打ち上げ花火も上げられなくなってしまいましたが、それでも手筒花火の奉納は行われます。
ちなみに花火を入れた花火長持ちを担いで練り込む時に歌う長持唄は、伊勢音頭がベースとなっているといわれています。
また、御神楽もありますね。ご神前に奏される歌舞のことですが、これは天岩戸神話の天鈿女命(あめのうずめのみこと)の舞が起源と言われています。
こどもさんにとっては、お祭りと言えば、露店・夜店でしょうか。
祭礼の参詣者をあてにした商売ですが、岡崎市内の神社の祭礼に出る露店も年々少なくなってきたように感じます。これも祭礼日の集中の影響でしょうか。
ちなみに露天商のことを「香具師(やし)」といいますが、一説には、売薬行商の元祖である彌四郎の名からきたとも言われています。また「的屋(てきや)」とも言いますね。「香具師的」の「的(てき)」とか、「当たれば儲かる」「的(まと)」からきたとか色々な説があるようです。
中には、神社が営業していると誤解してみえる方もありますが、基本的に神社とは無関係です^^;
「おたくのお祭りに夜店は出ますか?」
これ、結構多い質問なのですが、正確には「分かりません」としか答えられません。
「例年通りなら、多分出ると思いますが・・・」という答えが精一杯ですね(笑)
最後に明日からの岡崎天満宮例大祭の告知です。
9月23日
午後1時~ 奉納神楽舞
奉納剣道大会
午後2時~ 奉納こども腕ずもう大会
午後6時~ 奉納手筒花火
午後7時~ 奉納カラオケ大会
他に、福引きやリサイクルバザーあり。
午前中には、氏子各町からの花火長持ち、子供神輿の練り込み
24日
午前9時~ 奉納弓道大会
午後2時~ 奉賛会祈祷祭
午後6時~ ビンゴゲーム大会
午後7時~ 奉納「篠笛」演奏(ひろ美さん、竹林山水の会)
午後8時~ ビンゴゲーム大会(第2部)
他に、福引きやリサイクルバザーあり。
25日 午前10時~ 例大祭(本祭)
26日 午後5時~ 終祭
合い言葉は「天神さまに喜んでいただけるお祭りをしよう!!」です。
多くの皆さんのご参詣をお待ち申し上げております。
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FMおかざき「心の宅急便」の49回目の放送です。
今日9月15日にちなんだお話しです。
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今日9月15日は何の日か御存じでしょうか?
数年前までは、敬老の日でしたね。
でも、その話ではありません。
岡崎市民の皆さんには、是非とも意識していただきたいのですが・・・。
今日、9月15日は岡崎三郎信康(松平信康)公の御命日なんです。
信康公は、今から430年前の天正7年(1579)9月15日、遠州二股城で自害されました。享年21歳だったそうです。
信康って誰?という方のために・・・
お父さんは徳川家康。
お母さんは築山御前(今川義元の姪っ子で養女)。家康の正室です。
一口で言えば、徳川家康のご長男なんです。
通称は次郎三郎といい、後に岡崎城主となったため岡崎三郎ともいいました。
信康公の短い生涯についてざっと触れますと、お生まれになったのは、永禄2年(1559)3月6日です。
戦国時代真っ最中ですが、その頃の情勢はといいますと、岡崎の松平家は尾張の織田家(織田信長)と遠州の今川家(今川義元)の間に挟まれ、非常に微妙な立場にありました。
そのため、徳川家康が幼少の頃より今川家に人質となっていたことは、皆さんもよく知るところです。
徳川家康も、今川家にいた時代は松平元康と名乗っていました。
「元康」の「元」は「今川義元」の「元」なんですね。
そして、今川ゆかりの瀬名姫(築山御前)と結婚します。
松平家は益々今川家に逆らえない状況になるわけです。
そんな中、永禄2年(1559)3月6日、元康が17歳の時、長男・信康は駿府にて誕生なさいます。
そして、翌永禄3年(1560)5月19日、有名な『桶狭間の合戦』が起こります。
松平元康はこのとき、今川軍の先鋒として出陣します。勿論妻子を駿府に残したままですが・・・。
合戦の結果は皆さん御存じの通りですね。
織田信長軍の奇襲作戦により、今川義元が討ち取られ、今川軍は混乱のまま駿府に退却します。
この時、元康は駿府には戻りませんでした。
ふるさとの岡崎城に入城するのです。
このとき、今川との決別を決意したのかも知れません。
同じ年の9月、長女・亀姫が駿府で誕生します。
しかし奥さんの築山御前、信康、亀姫の二人のお子さんは未だ駿府に残したままになっています。
永禄5年(1562)正月15日、いわゆる「清洲同盟」が成立します。
正式に織田信長との同盟を結んだわけです。
翌月2月4日には、松平元康軍は、蒲郡の西郡城攻略し、鵜殿長照の子を人質にとります。
そして人質交換により、駿府から築山御前、信康、亀姫を呼び寄せることに成功するわけです。
翌年には、元康は「家康」と改名します。これは名実ともに今川家との絶縁を意味します。
時を同じくして、長男の信康は、永禄6年(1563)年3月2日、織田信長の娘・五徳姫(徳姫)と婚約をします。なんと数え5歳の時です。
そして数え9歳の永禄10年(1567)年5月27日、五徳姫(徳姫)とご結婚されるわけです。
元亀元(1570)年、信康は元服し、「次郎三郎信康」と称します。
「信康」の「信」は「織田信長」の「信」なんですね。
その年の6月、家康は浜松城へ移り、遠州攻略につとめます。
元服した信康は、留守を預かる形で岡崎城主となったわけです。
その後、天正元年(1573)年9月、武節城攻略戦という合戦がありました。これが信康の初陣ともいわれています。
以後、信康は家康と行動をともにし、武田軍との合戦にたびたび参戦しています。
武田勝頼をして「天下に旗を立つべし」と言わしめたほどの勇猛果敢な活躍を見せたといいます。
信康は勇将の片鱗を見せ、家康の片腕へと成長していったと言えるでしょう。
しかし信康の人生も順風満帆とは行きません。
運命の天正7(1579)年がやってきます。
かねてから、妻徳姫との不仲説が噂されていました。
政略結婚が当たり前の時代だったとは言え、9歳で結婚しています。
いろいろ難しいことがあったとも考えられます。
ましてお母さんの築山御前は今川方、奥さんの徳姫は織田信長の娘。嫁姑の関係も微妙だったはずです。
それがついには 「築山御前と信康が武田と密通」との嫌疑に発展してしまいます。
徳姫が父信長に送ったという「12箇条の手紙」がそれです。
そしてそれが信長の逆鱗に触れます。
同年7月16日、信長は、築山御前と信康の処罰を家康に厳命したのです。
そして、8月29日、築山殿が暗殺され、9月15日、信康公は浜松の二股城で自刃されるました。
いくら主君の命とはいえ、妻子を手にかけなくてはならなかった家康の思いは、いかばかりだったでしょうか?
志し半ばで、嫌疑をかけられ自刃した信康公の思いは、どうだったでしょうか?
万感こみ上げるものがありますね。
一節には、正室に嫡男のいない信長が、武勇に優れ、人望のある信康が将来の仇になることを怖れ、徳姫の訴状を口実に早めに芽を摘もうとしたとか、家康の忠誠心を試したとか色々な節がありますが、真実はわかりません。
でもやっぱり「戦国の世の習い」で片付けるには、あまりに哀れすぎますね。
もしこの事件がなかったら、歴史は変わっていたかも知れません。
さて、信康公の遺体は二股の清滝寺に葬られますが、御首は首実検のため、清洲の信長の元に送られます。
その後、岡崎に戻され、根石が原にひっそりと葬られます。
家康も信長の手前、息子の供養も盛大に出来なかったようです。
しばらく岡崎城内で怪奇事件が続き、これは信康公の祟りだと怖れられたこともあったようです。
そこで、名栗天神(今の若宮八幡宮)に首塚を建立し、信康公を合祀したのです。
全国には「若宮八幡宮」とか「若宮八幡社」と称する神社がたくさんあります。
その多くが、「八幡さま」の「若宮」という意味で、応神天皇(八幡さま)の皇子にあたる仁徳天皇をお祭りする神社です。名古屋の若宮大通りにある若宮八幡社もそうですね。
でもこの岡崎の若宮八幡宮は「家康公の若宮」つまり信康公をおまつりする神社なんです。
もちろん仁徳天皇もおまつりしていますので、織田家に対するカモフラージュの意味も多分にあったと思われます。
この若宮八幡宮は私が宮司を務める神社ですが、現在でも御命日の9月15日に慰霊のお祭りをご奉仕しています。今年も本日午後2時より「信康公御命日祭」を齋行いたしますので、是非多くの方におまいりいただきたいと思います。
ちなみに築山御前の首塚は、欠町の八柱神社にあります。
かつては築山神明宮といわれました。
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今日9月15日にちなんだお話しです。
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今日9月15日は何の日か御存じでしょうか?
数年前までは、敬老の日でしたね。
でも、その話ではありません。
岡崎市民の皆さんには、是非とも意識していただきたいのですが・・・。
今日、9月15日は岡崎三郎信康(松平信康)公の御命日なんです。
信康公は、今から430年前の天正7年(1579)9月15日、遠州二股城で自害されました。享年21歳だったそうです。
信康って誰?という方のために・・・
お父さんは徳川家康。
お母さんは築山御前(今川義元の姪っ子で養女)。家康の正室です。
一口で言えば、徳川家康のご長男なんです。
通称は次郎三郎といい、後に岡崎城主となったため岡崎三郎ともいいました。
信康公の短い生涯についてざっと触れますと、お生まれになったのは、永禄2年(1559)3月6日です。
戦国時代真っ最中ですが、その頃の情勢はといいますと、岡崎の松平家は尾張の織田家(織田信長)と遠州の今川家(今川義元)の間に挟まれ、非常に微妙な立場にありました。
そのため、徳川家康が幼少の頃より今川家に人質となっていたことは、皆さんもよく知るところです。
徳川家康も、今川家にいた時代は松平元康と名乗っていました。
「元康」の「元」は「今川義元」の「元」なんですね。
そして、今川ゆかりの瀬名姫(築山御前)と結婚します。
松平家は益々今川家に逆らえない状況になるわけです。
そんな中、永禄2年(1559)3月6日、元康が17歳の時、長男・信康は駿府にて誕生なさいます。
そして、翌永禄3年(1560)5月19日、有名な『桶狭間の合戦』が起こります。
松平元康はこのとき、今川軍の先鋒として出陣します。勿論妻子を駿府に残したままですが・・・。
合戦の結果は皆さん御存じの通りですね。
織田信長軍の奇襲作戦により、今川義元が討ち取られ、今川軍は混乱のまま駿府に退却します。
この時、元康は駿府には戻りませんでした。
ふるさとの岡崎城に入城するのです。
このとき、今川との決別を決意したのかも知れません。
同じ年の9月、長女・亀姫が駿府で誕生します。
しかし奥さんの築山御前、信康、亀姫の二人のお子さんは未だ駿府に残したままになっています。
永禄5年(1562)正月15日、いわゆる「清洲同盟」が成立します。
正式に織田信長との同盟を結んだわけです。
翌月2月4日には、松平元康軍は、蒲郡の西郡城攻略し、鵜殿長照の子を人質にとります。
そして人質交換により、駿府から築山御前、信康、亀姫を呼び寄せることに成功するわけです。
翌年には、元康は「家康」と改名します。これは名実ともに今川家との絶縁を意味します。
時を同じくして、長男の信康は、永禄6年(1563)年3月2日、織田信長の娘・五徳姫(徳姫)と婚約をします。なんと数え5歳の時です。
そして数え9歳の永禄10年(1567)年5月27日、五徳姫(徳姫)とご結婚されるわけです。
元亀元(1570)年、信康は元服し、「次郎三郎信康」と称します。
「信康」の「信」は「織田信長」の「信」なんですね。
その年の6月、家康は浜松城へ移り、遠州攻略につとめます。
元服した信康は、留守を預かる形で岡崎城主となったわけです。
その後、天正元年(1573)年9月、武節城攻略戦という合戦がありました。これが信康の初陣ともいわれています。
以後、信康は家康と行動をともにし、武田軍との合戦にたびたび参戦しています。
武田勝頼をして「天下に旗を立つべし」と言わしめたほどの勇猛果敢な活躍を見せたといいます。
信康は勇将の片鱗を見せ、家康の片腕へと成長していったと言えるでしょう。
しかし信康の人生も順風満帆とは行きません。
運命の天正7(1579)年がやってきます。
かねてから、妻徳姫との不仲説が噂されていました。
政略結婚が当たり前の時代だったとは言え、9歳で結婚しています。
いろいろ難しいことがあったとも考えられます。
ましてお母さんの築山御前は今川方、奥さんの徳姫は織田信長の娘。嫁姑の関係も微妙だったはずです。
それがついには 「築山御前と信康が武田と密通」との嫌疑に発展してしまいます。
徳姫が父信長に送ったという「12箇条の手紙」がそれです。
そしてそれが信長の逆鱗に触れます。
同年7月16日、信長は、築山御前と信康の処罰を家康に厳命したのです。
そして、8月29日、築山殿が暗殺され、9月15日、信康公は浜松の二股城で自刃されるました。
いくら主君の命とはいえ、妻子を手にかけなくてはならなかった家康の思いは、いかばかりだったでしょうか?
志し半ばで、嫌疑をかけられ自刃した信康公の思いは、どうだったでしょうか?
万感こみ上げるものがありますね。
一節には、正室に嫡男のいない信長が、武勇に優れ、人望のある信康が将来の仇になることを怖れ、徳姫の訴状を口実に早めに芽を摘もうとしたとか、家康の忠誠心を試したとか色々な節がありますが、真実はわかりません。
でもやっぱり「戦国の世の習い」で片付けるには、あまりに哀れすぎますね。
もしこの事件がなかったら、歴史は変わっていたかも知れません。
さて、信康公の遺体は二股の清滝寺に葬られますが、御首は首実検のため、清洲の信長の元に送られます。
その後、岡崎に戻され、根石が原にひっそりと葬られます。
家康も信長の手前、息子の供養も盛大に出来なかったようです。
しばらく岡崎城内で怪奇事件が続き、これは信康公の祟りだと怖れられたこともあったようです。
そこで、名栗天神(今の若宮八幡宮)に首塚を建立し、信康公を合祀したのです。
全国には「若宮八幡宮」とか「若宮八幡社」と称する神社がたくさんあります。
その多くが、「八幡さま」の「若宮」という意味で、応神天皇(八幡さま)の皇子にあたる仁徳天皇をお祭りする神社です。名古屋の若宮大通りにある若宮八幡社もそうですね。
でもこの岡崎の若宮八幡宮は「家康公の若宮」つまり信康公をおまつりする神社なんです。
もちろん仁徳天皇もおまつりしていますので、織田家に対するカモフラージュの意味も多分にあったと思われます。
この若宮八幡宮は私が宮司を務める神社ですが、現在でも御命日の9月15日に慰霊のお祭りをご奉仕しています。今年も本日午後2時より「信康公御命日祭」を齋行いたしますので、是非多くの方におまいりいただきたいと思います。
ちなみに築山御前の首塚は、欠町の八柱神社にあります。
かつては築山神明宮といわれました。
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FMおかざき「心の宅急便」の48回目の放送です。
節供シリーズですね^^;
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明日9月9日は、「重陽(ちょうよう)の節供」です。
五節供の一つで、「菊の節供」ともいいます。
無病息災・健康長寿を祈る節供です。
何故「重陽」というのでしょうか。
陰陽五行説では、数にも陰陽があります。1,3,5,7,9の奇数は陽、2,4,6,8,の偶数は陰ですね。
中でも「9」は陽の極みの数なんです。究極の陽数とでも言えましょうか。
その陽数「9」が重なることから、「重陽」というのです。
また、「九」は「久」に通じます。「長久」「老熟」を意味するわけです。
そこから不老長寿を祈る行事になったと考えられています。
他の節供と同様、この「重陽の節供」も起源は中国にあります。
中国では、この日に小高い山に登り、長生きの効能があるとされる菊の花を浸した菊酒を飲んで不老長寿を願う風習があったそうです。
「登高の日」とも言ったようですね。
有名な杜甫の漢詩に「登高」という七言律詩があります。
さて、この「重陽の節供」は、日本には 天武天皇のころに伝わったと考えられています。
これが、我が国で最初の重陽の節供の行事だとも言われています。
そして、平安時代の嵯峨天皇のころには宮中行事として定着したんだそうです。
ちなみに、天武天皇の崩御は朱鳥元年(686)9月9日です。それ故9月9日はいわゆる国忌と規定されており、この規定が廃止される延暦10年(791年)までは重陽に関する儀式は行われなかったと考えられています。
宮中や、貴族の間で重陽の節供が盛に行われるようになったのは平安時代ということですね。
重陽の節会は「菊花の宴」とも称されました。
菊花を観賞し、杯に菊花を浮かべた菊酒を飲み、群臣が詩を賦すといったものです。
また、菊の花についた露で身体をぬぐい、厄災を祓い清めることも行われたようです。
時代が下るにつれ、それが武家社会にも広まり、江戸時代以降は、秋の収穫を感謝する祭と結びつき、庶民の間でも盛大に行われるようになりました。
地方によっては「栗の節供」ともいい、栗ご飯を食べる風習もあります。
「重陽」につきものの菊酒ですが、菊酒といえば、「加賀の菊酒」が有名です。
室町時代の中期以後、全国的に著名になったようですが、日本酒大好きの私にとって、「高砂」「菊姫」「萬歳楽」「天狗舞」「手取川正宗」などの銘酒が脳裏に浮かびます。
どのお酒も本当に美味しいですよね。
さて、江戸時代には五節供として盛大に行われた「重陽」ですが、残念なことに、明治の新暦採用後は、だんだん廃れていったのも否めない事実です。
陰暦9月9日は菊の花の季節です。本来は晩秋の行事なんですね。
新暦では約1ヶ月遅れの10月に当たります。(今年は閏月の関係で10月26日ですね。)
これならば、菊の季節にぴったりです。
ところが、新暦の9月9日は、まだ残暑が厳しい時分です。
菊とか栗はちょっと早い感じですね。
このことが大きく影響しているように思われます。
「上巳の節供(桃の節句)」「端午の節句」「七夕」などと比べると、まさに「忘れ去られた節供」とでも言えましょうか。
しかしながら現在でも、一部の寺社の行事にその伝統が生き残っています。
有名なのは京都の上賀茂神社の「重陽神事」ですね。
御神前に菊花を供え無病息災を祈願。当日は菊酒の無料接待もあるそうです。
あわせて烏相撲(からすずもう)も執り行われます。
烏相撲は、上賀茂神社の御祭神・賀茂別雷大神の祖父にあたる賀茂建角身命(八咫烏)が、神武天皇東征に際して先導役を果たした故事に由来し、宮中で行われていた悪霊退治の相撲節会とが合わさって祓いの行事となったものです。細殿前の土俵にて、左の禰宜方と右の祝方に分かれて子供たちによる相撲が奉納され、右は「カーカーカー」、左は「コーコーコー」と烏の鳴き声を真似て三度鳴くんだそうです。(京都市無形民俗文化財)
また「菊花展」を行う社寺も多いですね。
寺社で観賞用の菊花を展示。コンクールもおこなわれたりします。これこそ「菊合わせ」でしょうか。
重陽の節供の名残とも言えます。
そう言えば、「くんち」って御存じでしょうか?
「長崎くんち」「唐津くんち」の「くんち」です。
この「くんち」は、「9日」のことです。
重陽の節供の9月9日に行われたことから「くんち」「おくんち」と言うんだそうです。
(この長崎くんち。今は月遅れの10月9日に行われます。)
もう一つ、先日今月の小中学校の給食の献立表を見ていましたら、9月9日のメニューは「菊花ちらし」でした。
岡崎市の給食センターのメニューですが、行事食という特別メニューのようです。
子供たちに伝統行事について考えて貰うきっかけになるとイイですね。
その献立表に豆知識が載っていました。
食用菊は、愛知県の豊橋で栽培がさかんだそうです。愛知県は全国シェア90%以上とか。
渥美半島の電照菊は知っていましたが、食用菊もですか・・・。
う~ん。知りませんでした。勉強になりますね。
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節供シリーズですね^^;
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明日9月9日は、「重陽(ちょうよう)の節供」です。
五節供の一つで、「菊の節供」ともいいます。
無病息災・健康長寿を祈る節供です。
何故「重陽」というのでしょうか。
陰陽五行説では、数にも陰陽があります。1,3,5,7,9の奇数は陽、2,4,6,8,の偶数は陰ですね。
中でも「9」は陽の極みの数なんです。究極の陽数とでも言えましょうか。
その陽数「9」が重なることから、「重陽」というのです。
また、「九」は「久」に通じます。「長久」「老熟」を意味するわけです。
そこから不老長寿を祈る行事になったと考えられています。
他の節供と同様、この「重陽の節供」も起源は中国にあります。
中国では、この日に小高い山に登り、長生きの効能があるとされる菊の花を浸した菊酒を飲んで不老長寿を願う風習があったそうです。
「登高の日」とも言ったようですね。
有名な杜甫の漢詩に「登高」という七言律詩があります。
ちなみに、この「登高」の由来譚の一つにはこんなものもあるようです。「登高」
風急天高猿嘯哀
渚清沙白鳥飛廻
無邊落木蕭蕭下
不盡長江滾滾來
萬里悲秋常作客
百年多病獨登臺
艱難苦恨繁霜鬢
潦倒新停濁酒杯
風(かぜ)急(きゅう)に 天(てん)高(たか)くして 猿嘯(えんしょう)哀(かな)し
渚(なぎさ)清(きよ)く 沙(すな)白(しろ)くして 鳥(とり)飛(と)び廻(めぐ)る
無辺(むへん)の落木(らくぼく) 蕭蕭(しょうしょう)として下(くだ)り
不尽(ふじん)の長江(ちょうこう) 滾滾(こんこん)として来(き)たる
万里(ばんり) 秋(あき)を悲(かな)んで常(つね)に客(かく)と作(な)り
百年(ひゃくねん) 病(やま)い多(おお)くして独(ひと)り台(だい)に登(のぼ)る
艱難(かんなん) 苦(はなは)だ恨(うら)む 繁霜(はんそう)の鬢(びん)
潦倒(ろうとう) 新(あら)たに停(とど)む 濁酒(だくしゅ)の杯(はい)
風は激しく吹きよせ 野猿の鳴く声が哀しくひびき
川辺の水は清く砂は白く あたりには鳥が飛び巡っている
果てしもなく続く落葉の木々は、蕭々と落葉を散らし
尽きることなき長江の流れは 滾々と湧きかえるように流れている
万里遠く故郷を離れ、この悲しい秋景色のなかで、私は常に旅人だった
来る年も来る年も、私は病気がちであり、めっきり髪が白くなっている
老い衰えた今の私は心を楽しませる濁酒も絶つようになってしまった
※故郷を離れ、独りで重陽の節供を迎える境遇を詠ったもの
何か、我が国の蘇民将来の話に通じるものもありますね^^;中国に伝説あり。
昔、桓景(かんけい)と言う男の所に仙人が現れ、お前の家には凶の易が出た、何か災いが起こるに違いない。それは九月九日だ。その日は高い所に登り、菊酒(菊の花びらを浮かべた酒)を飲むがよいと言って立ち去った。
言われた通りにして帰って見ると災いで家畜が全部死んでいた。
桓景が災難から逃れるのとが出来た事から中国では、9月9日には高台に登り菊酒を飲む登高飲酒の習慣が出来た。
その後9月9日は重陽(ちょうよう)の節句として人々は高台に登って酒やご馳走を食べる行事が行われるようになった。
さて、この「重陽の節供」は、日本には 天武天皇のころに伝わったと考えられています。
九月九日に天皇が宮中で宴を催したという内容ですね。『日本書紀』巻二九天武天皇十四年(六八五)九月壬子《九》
九月甲辰朔壬子。天皇宴于舊宮安殿之庭。
これが、我が国で最初の重陽の節供の行事だとも言われています。
そして、平安時代の嵯峨天皇のころには宮中行事として定着したんだそうです。
ちなみに、天武天皇の崩御は朱鳥元年(686)9月9日です。それ故9月9日はいわゆる国忌と規定されており、この規定が廃止される延暦10年(791年)までは重陽に関する儀式は行われなかったと考えられています。
宮中や、貴族の間で重陽の節供が盛に行われるようになったのは平安時代ということですね。
重陽の節会は「菊花の宴」とも称されました。
菊花を観賞し、杯に菊花を浮かべた菊酒を飲み、群臣が詩を賦すといったものです。
また、菊の花についた露で身体をぬぐい、厄災を祓い清めることも行われたようです。
時代が下るにつれ、それが武家社会にも広まり、江戸時代以降は、秋の収穫を感謝する祭と結びつき、庶民の間でも盛大に行われるようになりました。
地方によっては「栗の節供」ともいい、栗ご飯を食べる風習もあります。
「重陽」につきものの菊酒ですが、菊酒といえば、「加賀の菊酒」が有名です。
室町時代の中期以後、全国的に著名になったようですが、日本酒大好きの私にとって、「高砂」「菊姫」「萬歳楽」「天狗舞」「手取川正宗」などの銘酒が脳裏に浮かびます。
どのお酒も本当に美味しいですよね。
さて、江戸時代には五節供として盛大に行われた「重陽」ですが、残念なことに、明治の新暦採用後は、だんだん廃れていったのも否めない事実です。
陰暦9月9日は菊の花の季節です。本来は晩秋の行事なんですね。
新暦では約1ヶ月遅れの10月に当たります。(今年は閏月の関係で10月26日ですね。)
これならば、菊の季節にぴったりです。
ところが、新暦の9月9日は、まだ残暑が厳しい時分です。
菊とか栗はちょっと早い感じですね。
このことが大きく影響しているように思われます。
「上巳の節供(桃の節句)」「端午の節句」「七夕」などと比べると、まさに「忘れ去られた節供」とでも言えましょうか。
しかしながら現在でも、一部の寺社の行事にその伝統が生き残っています。
有名なのは京都の上賀茂神社の「重陽神事」ですね。
御神前に菊花を供え無病息災を祈願。当日は菊酒の無料接待もあるそうです。
あわせて烏相撲(からすずもう)も執り行われます。
烏相撲は、上賀茂神社の御祭神・賀茂別雷大神の祖父にあたる賀茂建角身命(八咫烏)が、神武天皇東征に際して先導役を果たした故事に由来し、宮中で行われていた悪霊退治の相撲節会とが合わさって祓いの行事となったものです。細殿前の土俵にて、左の禰宜方と右の祝方に分かれて子供たちによる相撲が奉納され、右は「カーカーカー」、左は「コーコーコー」と烏の鳴き声を真似て三度鳴くんだそうです。(京都市無形民俗文化財)
また「菊花展」を行う社寺も多いですね。
寺社で観賞用の菊花を展示。コンクールもおこなわれたりします。これこそ「菊合わせ」でしょうか。
重陽の節供の名残とも言えます。
そう言えば、「くんち」って御存じでしょうか?
「長崎くんち」「唐津くんち」の「くんち」です。
この「くんち」は、「9日」のことです。
重陽の節供の9月9日に行われたことから「くんち」「おくんち」と言うんだそうです。
(この長崎くんち。今は月遅れの10月9日に行われます。)
もう一つ、先日今月の小中学校の給食の献立表を見ていましたら、9月9日のメニューは「菊花ちらし」でした。
岡崎市の給食センターのメニューですが、行事食という特別メニューのようです。
子供たちに伝統行事について考えて貰うきっかけになるとイイですね。
その献立表に豆知識が載っていました。
食用菊は、愛知県の豊橋で栽培がさかんだそうです。愛知県は全国シェア90%以上とか。
渥美半島の電照菊は知っていましたが、食用菊もですか・・・。
う~ん。知りませんでした。勉強になりますね。
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ようやく本日の放送分に辿り着きました。
FMおかざき「心の宅急便」の47回目の放送です。
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カレンダーも9月に入りました。
いよいよ「長月」ですね。
「長月」というのは御存じの通り、陰暦九月の異称です。
その語源を調べてみますと、
稲穂に絡めた語源説などは興味深い物がありますね。
そう言えば、以前からお話ししていますバケツ稲も稲穂が垂れ下がってきました。
収穫が待ち遠しいですね。
秋は私自身一番好きな季節でもあります。秋には満喫する物が沢山ありますしね。
読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、・・・そして秋祭り、収穫の秋、・・・
皆さんはどんな秋を満喫されるのでしょうか。
さて、虫の音をBGMに聞きながら、秋の夜長にじっくりと物事を考えることも良いことだと思います。
そこで、総選挙で民主党が圧勝し、政権交代が行われようとしている今、じっくりとこの国のことについて考えてみたいと思います。
今回の総選挙の結果について、皆さんはどのような印象を持たれたでしょうか。
私は率直に言って、民主党は勝ちすぎたと思います。
今後どう行った結果を引き起こすかかは分かりませんが、期待よりも不安の方が大きいのが率直な感想です。
嘗てギリシャ・アテネの民主制は堕落をしました。
アリストテレスはそれを衆愚政治と揶揄いたしました。
それは、多数の貧民による貧民のための政治だったそうです。
貧しく、教養が低く、富貴を嫉み、買収と扇動を受けやすい体質が原因だったようです。
民主制は必然的に衆愚制へと堕落していく要素を常に孕んでいるとも言われます。
愛する日本という国がそのような方向に進んでいくことは、やはり避けなければなりません。
国民の真価が問われているといっても過言ではないでしょう。
国のあり方についてですが、改めて「日本という国」はどういう国でしょうか。
一言で言えば、「万世一系の皇室を戴く国である」と言えると私は思います。
この国のあり方こそが、二千六百有余年続いている世界にも類を見ない国柄なんだと思います。
長い歴史の中で、藤原氏が実権を握った時代もありました。源氏や北条氏、足利氏が実権を握った時代もありました。戦国時代のような混乱の時代や、徳川幕府の時代もありました。
そのような歴史の中でも、常に歴代の天皇陛下が国安かれ、民安かれと無私の祈りを捧げ続けてこられたことが、実に有り難いことなんです。
そしてそれは、今後も守り続けていかなくてはならない日本国のアイデンティティだとも思います。
国家と国民の関係を考えるときに、欧米のような支配と被支配の関係を考えがちです。
ロックやルソーの社会契約説的な考え方ですが、これはどうも我が国には馴染まない物のような気がします。
一方、プラトンやスペンサーが唱えた国家有機体説のような考え方が日本社会には馴染みやすいのかも知れません。
「国」「国家」という言葉にもよくよく考えてみると色々な側面があります。
良く言われるのが「Nation(国民国家)」と「State(政府)」の違いですが、この「Nation」にあたるのが我が国の国家と国民の関係にしっくりくるとも思います。
「公(おおやけ)」という言葉があります。
元々は「大きな家」という意味です。
日本国全体が、一つの大きな家であり、そこに住む国民はみんな家族なんです。
天皇陛下を元首と仰ぎ、陛下はひたすら国民の幸せを祈られる。国民はそれに応えるべく叡智を絞り勤労する。そして我が国に暮らす人の共同体が形成されていく。
「和を以て尊しとなす」としてきた日本人の国家観そのものだとも言えます。
従って、日本という国を考えるときには、国=国家≠国家権力=政府と考えるとスッキリするような気がします。
とすれば「愛国心」という言葉にアレルギー反応を起こす人も少なくなるような気もしますね。「愛国心」と行った場合の「国」は「麻生自民党政権」でも「鳩山民主党政権」でもありません。天皇陛下も国民一人一人もみんなひっくるめた上での「国」なんです。
スポーツの国際試合で「頑張れニッポン」と声援をかけるときの「ニッポン」なんです。
それが我が国の歴史であり、伝統でもあります。
「改革」「変革」「change」が声高に叫ばれていますが、「変えること」が全て正しいとは限りません。「変えること」により悪くなってしまうことも多々あるでしょう。そして決して変えてはならないこと、取り返しのつかないこともあると思います。
「変えること」には熟慮と膨大なエネルギーを注ぐことが必要です。
改めて、私自身、今年の秋は我が国の歴史を勉強し直してみたいと思います。
虫の音をBGMにしながら。
今回御当選された衆議院の先生方には、多くの国民が「日本に生まれて良かった」「日本人で良かった」と思える国づくりを是非していただきたいと存じます。
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FMおかざき「心の宅急便」の47回目の放送です。
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カレンダーも9月に入りました。
いよいよ「長月」ですね。
「長月」というのは御存じの通り、陰暦九月の異称です。
その語源を調べてみますと、
とあります。【補注】
語源は明らかでない。「拾遺‐雑下」に、「夜昼の数はみそぢにあまらぬをなど長月といひはじめけむ(五二二)」「秋深み恋する人のあかしかね夜を長月といふにやあるらん(五二三)」とした、伊衡と躬恒との問答の歌があり、また、夜がだんだん長くなるから「夜長月」というのを誤ったものだと、「奥義抄」にあるので、このような語源解が中古以来広く信じられていたことがわかる。ほかに、稲熟月(いなあがりつき)、稲刈月(いなかりづき)、穂長月(ほながづき)などの変化したものとする説もある。折口信夫によれば、五月と九月とは長雨の時季で、「ながめ」と称する物忌(ものいみ)の月だという。ちなみに、中古には、九月は婚姻や洗髪を忌む月とされていた。
【語源説】
①イナカリツキ(稲刈月)の略〔語意考・兎園小説外集・百草露・日本語原学=林甕臣〕。イナアガリツキ(稲熟月)の約か〔古事記伝・大言海〕。ナガ(長)は稲の毎年実るを祝う意で、稲を刈り収める時であるところから〔嚶々筆語〕。
②ヨナガツキ(夜長月)の略〔奥義抄・和爾雅・日本釈名・類聚名物考・古今要覧稿・菊池俗言考・紫門和語類集〕。
③ナカは、ナガキヨ(長夜)の反ナコの転。またニハキク(庭菊)の反ナクの転。またナクマ(無隈)月の義。またナカは、ナラキバ(楢黄葉)の反〔名語記〕。
④ナコリノツキ(名残月)の略〔和語私臆鈔〕。(日本国語大辞典)
稲穂に絡めた語源説などは興味深い物がありますね。
そう言えば、以前からお話ししていますバケツ稲も稲穂が垂れ下がってきました。
収穫が待ち遠しいですね。
秋は私自身一番好きな季節でもあります。秋には満喫する物が沢山ありますしね。
読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、・・・そして秋祭り、収穫の秋、・・・
皆さんはどんな秋を満喫されるのでしょうか。
さて、虫の音をBGMに聞きながら、秋の夜長にじっくりと物事を考えることも良いことだと思います。
そこで、総選挙で民主党が圧勝し、政権交代が行われようとしている今、じっくりとこの国のことについて考えてみたいと思います。
今回の総選挙の結果について、皆さんはどのような印象を持たれたでしょうか。
私は率直に言って、民主党は勝ちすぎたと思います。
今後どう行った結果を引き起こすかかは分かりませんが、期待よりも不安の方が大きいのが率直な感想です。
嘗てギリシャ・アテネの民主制は堕落をしました。
アリストテレスはそれを衆愚政治と揶揄いたしました。
それは、多数の貧民による貧民のための政治だったそうです。
貧しく、教養が低く、富貴を嫉み、買収と扇動を受けやすい体質が原因だったようです。
民主制は必然的に衆愚制へと堕落していく要素を常に孕んでいるとも言われます。
愛する日本という国がそのような方向に進んでいくことは、やはり避けなければなりません。
国民の真価が問われているといっても過言ではないでしょう。
国のあり方についてですが、改めて「日本という国」はどういう国でしょうか。
一言で言えば、「万世一系の皇室を戴く国である」と言えると私は思います。
この国のあり方こそが、二千六百有余年続いている世界にも類を見ない国柄なんだと思います。
長い歴史の中で、藤原氏が実権を握った時代もありました。源氏や北条氏、足利氏が実権を握った時代もありました。戦国時代のような混乱の時代や、徳川幕府の時代もありました。
そのような歴史の中でも、常に歴代の天皇陛下が国安かれ、民安かれと無私の祈りを捧げ続けてこられたことが、実に有り難いことなんです。
そしてそれは、今後も守り続けていかなくてはならない日本国のアイデンティティだとも思います。
国家と国民の関係を考えるときに、欧米のような支配と被支配の関係を考えがちです。
ロックやルソーの社会契約説的な考え方ですが、これはどうも我が国には馴染まない物のような気がします。
一方、プラトンやスペンサーが唱えた国家有機体説のような考え方が日本社会には馴染みやすいのかも知れません。
「国」「国家」という言葉にもよくよく考えてみると色々な側面があります。
良く言われるのが「Nation(国民国家)」と「State(政府)」の違いですが、この「Nation」にあたるのが我が国の国家と国民の関係にしっくりくるとも思います。
「公(おおやけ)」という言葉があります。
元々は「大きな家」という意味です。
日本国全体が、一つの大きな家であり、そこに住む国民はみんな家族なんです。
天皇陛下を元首と仰ぎ、陛下はひたすら国民の幸せを祈られる。国民はそれに応えるべく叡智を絞り勤労する。そして我が国に暮らす人の共同体が形成されていく。
「和を以て尊しとなす」としてきた日本人の国家観そのものだとも言えます。
従って、日本という国を考えるときには、国=国家≠国家権力=政府と考えるとスッキリするような気がします。
とすれば「愛国心」という言葉にアレルギー反応を起こす人も少なくなるような気もしますね。「愛国心」と行った場合の「国」は「麻生自民党政権」でも「鳩山民主党政権」でもありません。天皇陛下も国民一人一人もみんなひっくるめた上での「国」なんです。
スポーツの国際試合で「頑張れニッポン」と声援をかけるときの「ニッポン」なんです。
それが我が国の歴史であり、伝統でもあります。
「改革」「変革」「change」が声高に叫ばれていますが、「変えること」が全て正しいとは限りません。「変えること」により悪くなってしまうことも多々あるでしょう。そして決して変えてはならないこと、取り返しのつかないこともあると思います。
「変えること」には熟慮と膨大なエネルギーを注ぐことが必要です。
改めて、私自身、今年の秋は我が国の歴史を勉強し直してみたいと思います。
虫の音をBGMにしながら。
今回御当選された衆議院の先生方には、多くの国民が「日本に生まれて良かった」「日本人で良かった」と思える国づくりを是非していただきたいと存じます。
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FMおかざき「心の宅急便」の46回目の放送(8月25日)分です。
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一昨日の8月23日は「処暑」でした。
処暑というのは、二十四節気の一つで、立秋ののち15日。つまり、8月22、23日ごろにあたります。『暦便覧』には「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」とあります。
文字通り、秋を感じ始める頃なんですね。
そう言えばここ数日、朝夕は随分涼しい日が続いていますね。
さて、今日は「地鎮祭」の話をさせていただきます。
というのも最近「地鎮祭」が減ってきているような気がするのです。
不景気の影響かという気もしますが、「地鎮祭」をそもそも知らないとか、何をどうすればいいのか分からないという人が増えてきているという話も耳にします。
そこでざっくばらんに「地鎮祭」の話をしてみたいと思います。
まず「地鎮祭」と書いて「じちんさい」と読みます。
建築・土木の工事に着手する前に、その土地の神さまに「おことわり」を入れて、工事の安全を祈る神事なんです。
「これからこの土地に○○という建物を建てさせていただきます。工事が安全に取り進み無事に竣功できますように」とお祈りする神事なんですね。
「とこしずめのまつり」とか「地祭り」とも言ったりします。
●地鎮祭ではどんな神さまをおまつりするのでしょうか?
地鎮祭などの神社以外で行うお祭りは、主に「神籬祭典(ひもろぎさいてん)」というかたちで神事を行います。
「神籬(ひもろぎ)」というのは、神さまの依代になるもので、主に榊を使います。祭場に榊を立て、それを「神籬」にして、神さまをお招きするのです。
お招きする神さまは、それぞれの神事によって違いますが、地鎮祭の場合は、
大地主神(おおとこぬしのかみ)
産土神(うぶすなのかみ)
などが一般的です。
他にも、屋船二柱大神(やぶねふたはしらのおおかみ)や猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)もおまつりすることもあります。
●地鎮祭ではどんなことをするの? 式次第は?
地域によって、また神社や神主さんによって色々なバリエーションがありますが、概ね
一、修祓(しゅばつ)
一、降神(こうしん)
一、献饌(けんせん)
一、祝詞奏上(のりとそうじょう)
一、四方祓(しほうばらい)
一、地鎮行事(じちんぎょうじ)
一、玉串奉奠(たまぐしほうてん)
一、撤饌(てっせん)
一、昇神(しょうしん)
という流れで神事を行います。
先ず、祭場や参列者、お供え物などを祓い清め、神さまをお招きします。
次に、お供え物をたてまつり、神主さんが祝詞(のりと)を奏上します。
祝詞は神主さんがその都度作文して奏上するものですから、仏教のお経のように決まった形の物はありません。その内容は地鎮祭の趣旨そのものです。簡単に言えば「これからこの土地に施主某が施行業者某に発注して○○という建物を建てさせていただきます。どうか工事が安全に取り進み、無事に竣功できますようにお守り下さい。」というような内容になります。
次に、土地の四方を切麻(きりぬさ)などで祓い清め、その後地鎮行事を行います。草刈り初めとか鍬入れといったものです。大規模工事の鍬入れの様子をテレビ等でご覧になったことのある方もあるでしょう。アレです。施主や施行業者の代表が行います。
地方によっては、この後に「鎮め物の儀」を行いますが、愛知県では行わないのが慣例です。
次に、神主さんに続いて、施主以下参列者が「玉串(たまぐし)」という榊の小枝を神前にたてまつっておまいりします。作法は「二拝二拍手一拝」の作法になります。
参拝が終わったら、お供えをお下げし、神さまをお送り申し上げて、地鎮祭は終了となります。
●地鎮祭で準備する物は?
祭壇やお供え物、など種々ありますが、施工業者や神主さんと相談された方が間違いないと思います。
●地鎮祭を依頼する神主さんは?
その土地の氏神さまの神職さんにお願いするのが基本です。
その地域に家を建てさせていただくんですからね。
引越し先などで、「氏神さまが分からないときはどうしたらいいのですか」という質問も時々受けますが、隣近所への挨拶回りも兼ねて、近隣の方に聞いてみるのが手っ取り早いと思います。
それでも分からない場合は、タウンページやネットで近そうなお宮を調べてみることでしょうか。それでもダメな場合は・・・、私あてにご相談いただければと思います。
なぜ、こんなことを申し上げるのかと言いますと、実は最近、胡散臭い神主さんもどきがいるようなのです。
営利活動で神事を行うグループがあるようで、祭式作法もデタラメ、祝詞もデタラメなようです。私も全く見たこともないような神主さん?と現場で鉢合わせしたこともあります^^;
業者に神主さんの手配を依頼するときは、気をつけられると良いかとも思います。
●地鎮祭の日取りは?
大安吉日にこだわらないのが神道のたてまえです。そもそも六曜は明治以降の民間信仰ですので、気にしすぎる必要はないとも思います。それよりも、家族の都合のつく日時を最優先にして氏神さまの神主さんと日程調整をされるのがよろしいかと思います。
●地鎮祭に参列するときの服装は?
これもよくある質問ですが、「不敬にならぬ服装」がよろしいかと存じます。
男性の場合はスーツ・ネクタイ、女性はこれに準じた服装、こどもさんは制服などということでしょうか。
必ずしもこれでなくてはいけないということではありませんが、神さまにお願いするそれも一生のうちにそう何度もあるわけではないお願いをするのですから、それなりの節度で望みたいものです。
就職試験の面接や、結婚前の両親への御挨拶に、Tシャツ・短パン・サンダル履きで行く人はいないと思いますが・・・。それを考えれば分かりますよね。
私のよく知る某建設会社の社長さんは、地鎮祭の時には必ず略礼服でご参列されます。
そういった心構えで地鎮祭をされる建設業者は信頼できるというものです。
●地鎮祭に関わる費用は?
これも気になる方が多いと思います。
1.神主さんにお渡しする初穂料。
2.お供え物などの費用。
3.祭壇やテントなどの借用費用。
4.車代や祝儀など。
5.お茶代など。
などが考えられますが、2、3、5については実費でしょうから工夫次第で節約もできます。
4の車代や御祝儀などは、最近では省略されることが多いようです。
となると一番気になるのは、1でしょうか。
地方によって異なりますし、そもそもお志でお包みするものですから、金額については明示できません。この地方では2万円~5万円が相場といったところでしょうか。
これについても、建築業者さんにお問い合せされるのとお教え下さると思います。
●神主さんへのお礼? のし袋の表書きの書き方は?
これは「初穂料」とか「玉串料」と書くのが一般的です。
ともに神さまへのお供えという意味になります。あくまでも神主さんへの謝礼ではないんですね。
(のし袋の書き方については、別にこちらの記事もご参照下さい。)
●地鎮祭をする上で気をつけなければならないことは?
細かい点を挙げればきりがありませんが、
1.まず、屋外での神事であることを充分考慮することでしょうか。
当日の天候への配慮が必要になってきます。暑さ寒さ、雨風などへの配慮ですね。それによって、テントの準備や防寒対策なども必要になってきます。建築業者との打ち合わせが必要な部分でもあります。
2.次に祭場の整理です。中には草ボウボウの荒れ地状態のこともありました。まるで田んぼのような土壌のこともありました。事前に草取り、清掃に心がけることも重要です。やはり清浄な場所に神さまをお招きしたいものですね。
●地鎮祭に関連して・・・
立て替え工事の場合は、旧家屋の解体工事のお祓いもあります。永年の感謝をこめたおまつりですね。或いは、井戸のお祓いや樹木伐採のお祓いなども併せて行う場合があります。これについても神主さんや施工業者と事前に相談されるとよろしいかと思います。
●上棟祭や竣功祭などについて
一般に「建前(たてまえ)」と呼ばれる「上棟祭(じょうとうさい)」は、神主さんを呼ばずに大工の棟梁が行う場合が多いようです。勿論、神主さんに依頼することも間違いではありません。
重要なのは、建物が完成した後の「竣功祭(しゅんこうさい)」だと思います。
地鎮祭で工事の安全を祈願し、無事完成したことを御礼申し上げる神事です。
お願いしっぱなしでは失礼ですもんね。
キチンとお礼を申し上げることが、更なるご加護にもつながります。
その他、ご不明な点はご遠慮なくお問い合せ下さい。
出来る限り、わかりやすくお答えしていきたいと思います。
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一昨日の8月23日は「処暑」でした。
処暑というのは、二十四節気の一つで、立秋ののち15日。つまり、8月22、23日ごろにあたります。『暦便覧』には「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」とあります。
文字通り、秋を感じ始める頃なんですね。
そう言えばここ数日、朝夕は随分涼しい日が続いていますね。
さて、今日は「地鎮祭」の話をさせていただきます。
というのも最近「地鎮祭」が減ってきているような気がするのです。
不景気の影響かという気もしますが、「地鎮祭」をそもそも知らないとか、何をどうすればいいのか分からないという人が増えてきているという話も耳にします。
そこでざっくばらんに「地鎮祭」の話をしてみたいと思います。
まず「地鎮祭」と書いて「じちんさい」と読みます。
建築・土木の工事に着手する前に、その土地の神さまに「おことわり」を入れて、工事の安全を祈る神事なんです。
「これからこの土地に○○という建物を建てさせていただきます。工事が安全に取り進み無事に竣功できますように」とお祈りする神事なんですね。
「とこしずめのまつり」とか「地祭り」とも言ったりします。
●地鎮祭ではどんな神さまをおまつりするのでしょうか?
地鎮祭などの神社以外で行うお祭りは、主に「神籬祭典(ひもろぎさいてん)」というかたちで神事を行います。
「神籬(ひもろぎ)」というのは、神さまの依代になるもので、主に榊を使います。祭場に榊を立て、それを「神籬」にして、神さまをお招きするのです。
お招きする神さまは、それぞれの神事によって違いますが、地鎮祭の場合は、
大地主神(おおとこぬしのかみ)
産土神(うぶすなのかみ)
などが一般的です。
他にも、屋船二柱大神(やぶねふたはしらのおおかみ)や猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)もおまつりすることもあります。
●地鎮祭ではどんなことをするの? 式次第は?
地域によって、また神社や神主さんによって色々なバリエーションがありますが、概ね
一、修祓(しゅばつ)
一、降神(こうしん)
一、献饌(けんせん)
一、祝詞奏上(のりとそうじょう)
一、四方祓(しほうばらい)
一、地鎮行事(じちんぎょうじ)
一、玉串奉奠(たまぐしほうてん)
一、撤饌(てっせん)
一、昇神(しょうしん)
という流れで神事を行います。
先ず、祭場や参列者、お供え物などを祓い清め、神さまをお招きします。
次に、お供え物をたてまつり、神主さんが祝詞(のりと)を奏上します。
祝詞は神主さんがその都度作文して奏上するものですから、仏教のお経のように決まった形の物はありません。その内容は地鎮祭の趣旨そのものです。簡単に言えば「これからこの土地に施主某が施行業者某に発注して○○という建物を建てさせていただきます。どうか工事が安全に取り進み、無事に竣功できますようにお守り下さい。」というような内容になります。
次に、土地の四方を切麻(きりぬさ)などで祓い清め、その後地鎮行事を行います。草刈り初めとか鍬入れといったものです。大規模工事の鍬入れの様子をテレビ等でご覧になったことのある方もあるでしょう。アレです。施主や施行業者の代表が行います。
地方によっては、この後に「鎮め物の儀」を行いますが、愛知県では行わないのが慣例です。
次に、神主さんに続いて、施主以下参列者が「玉串(たまぐし)」という榊の小枝を神前にたてまつっておまいりします。作法は「二拝二拍手一拝」の作法になります。
参拝が終わったら、お供えをお下げし、神さまをお送り申し上げて、地鎮祭は終了となります。
●地鎮祭で準備する物は?
祭壇やお供え物、など種々ありますが、施工業者や神主さんと相談された方が間違いないと思います。
●地鎮祭を依頼する神主さんは?
その土地の氏神さまの神職さんにお願いするのが基本です。
その地域に家を建てさせていただくんですからね。
引越し先などで、「氏神さまが分からないときはどうしたらいいのですか」という質問も時々受けますが、隣近所への挨拶回りも兼ねて、近隣の方に聞いてみるのが手っ取り早いと思います。
それでも分からない場合は、タウンページやネットで近そうなお宮を調べてみることでしょうか。それでもダメな場合は・・・、私あてにご相談いただければと思います。
なぜ、こんなことを申し上げるのかと言いますと、実は最近、胡散臭い神主さんもどきがいるようなのです。
営利活動で神事を行うグループがあるようで、祭式作法もデタラメ、祝詞もデタラメなようです。私も全く見たこともないような神主さん?と現場で鉢合わせしたこともあります^^;
業者に神主さんの手配を依頼するときは、気をつけられると良いかとも思います。
●地鎮祭の日取りは?
大安吉日にこだわらないのが神道のたてまえです。そもそも六曜は明治以降の民間信仰ですので、気にしすぎる必要はないとも思います。それよりも、家族の都合のつく日時を最優先にして氏神さまの神主さんと日程調整をされるのがよろしいかと思います。
●地鎮祭に参列するときの服装は?
これもよくある質問ですが、「不敬にならぬ服装」がよろしいかと存じます。
男性の場合はスーツ・ネクタイ、女性はこれに準じた服装、こどもさんは制服などということでしょうか。
必ずしもこれでなくてはいけないということではありませんが、神さまにお願いするそれも一生のうちにそう何度もあるわけではないお願いをするのですから、それなりの節度で望みたいものです。
就職試験の面接や、結婚前の両親への御挨拶に、Tシャツ・短パン・サンダル履きで行く人はいないと思いますが・・・。それを考えれば分かりますよね。
私のよく知る某建設会社の社長さんは、地鎮祭の時には必ず略礼服でご参列されます。
そういった心構えで地鎮祭をされる建設業者は信頼できるというものです。
●地鎮祭に関わる費用は?
これも気になる方が多いと思います。
1.神主さんにお渡しする初穂料。
2.お供え物などの費用。
3.祭壇やテントなどの借用費用。
4.車代や祝儀など。
5.お茶代など。
などが考えられますが、2、3、5については実費でしょうから工夫次第で節約もできます。
4の車代や御祝儀などは、最近では省略されることが多いようです。
となると一番気になるのは、1でしょうか。
地方によって異なりますし、そもそもお志でお包みするものですから、金額については明示できません。この地方では2万円~5万円が相場といったところでしょうか。
これについても、建築業者さんにお問い合せされるのとお教え下さると思います。
●神主さんへのお礼? のし袋の表書きの書き方は?
これは「初穂料」とか「玉串料」と書くのが一般的です。
ともに神さまへのお供えという意味になります。あくまでも神主さんへの謝礼ではないんですね。
(のし袋の書き方については、別にこちらの記事もご参照下さい。)
●地鎮祭をする上で気をつけなければならないことは?
細かい点を挙げればきりがありませんが、
1.まず、屋外での神事であることを充分考慮することでしょうか。
当日の天候への配慮が必要になってきます。暑さ寒さ、雨風などへの配慮ですね。それによって、テントの準備や防寒対策なども必要になってきます。建築業者との打ち合わせが必要な部分でもあります。
2.次に祭場の整理です。中には草ボウボウの荒れ地状態のこともありました。まるで田んぼのような土壌のこともありました。事前に草取り、清掃に心がけることも重要です。やはり清浄な場所に神さまをお招きしたいものですね。
●地鎮祭に関連して・・・
立て替え工事の場合は、旧家屋の解体工事のお祓いもあります。永年の感謝をこめたおまつりですね。或いは、井戸のお祓いや樹木伐採のお祓いなども併せて行う場合があります。これについても神主さんや施工業者と事前に相談されるとよろしいかと思います。
●上棟祭や竣功祭などについて
一般に「建前(たてまえ)」と呼ばれる「上棟祭(じょうとうさい)」は、神主さんを呼ばずに大工の棟梁が行う場合が多いようです。勿論、神主さんに依頼することも間違いではありません。
重要なのは、建物が完成した後の「竣功祭(しゅんこうさい)」だと思います。
地鎮祭で工事の安全を祈願し、無事完成したことを御礼申し上げる神事です。
お願いしっぱなしでは失礼ですもんね。
キチンとお礼を申し上げることが、更なるご加護にもつながります。
その他、ご不明な点はご遠慮なくお問い合せ下さい。
出来る限り、わかりやすくお答えしていきたいと思います。
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FMおかざき「心の宅急便」の45回目の放送(8月18日)分です。
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先日8月15日は終戦の日でした。言うまでもなく大東亜戦争終結の日ですが、これは「大東亜戦争終結ノ詔書」の玉音放送がラジオで放送された日なんですね。
(「第二次世界大戦」とか「太平洋戦争」という言葉もありますが、当時日本は「大東亜戦争」と呼称していましたので、この言葉を使います。)
正式に8月15日がいわゆる終戦の日になったのは、昭和57年の閣議決定によります。
この閣議決定により、ことしも全国戦没者追悼式が執り行われました。
いずれにしても、真摯に慰霊と感謝の誠を捧げることが肝要です。
先週もご紹介した愛知縣護國神社では、8月16日に献灯祭が斎行されました。
私自身参列させていただきましたが、境内一面に五千余の雪洞が灯され、暫しの間、御英霊の御心に触れることが出来ました。
県内若手神職の朝日舞という神楽舞が奉納され、愛宗青の青年僧による神前読経が行われたこともご報告させていただきます。
さて、今年の8月15日、靖國神社には、小泉、安倍両氏らを含め、本人出席で計41人(前衆院議員29人、参院議員12人)がおまいりされたそうです。衆院選公示を控え、昨年の53人(衆院40人、参院13人)を大幅に下回ったんだとか。麻生太郎首相は、中国など対外関係などに配慮して参拝せず、鳩山民主党代表は、政権交代後も参拝しないことを明言しています。
本当にこれでいいのでしょうか。
先の大戦において国は、尊い生命を捧げられた数多の戦歿者に対し、永遠に靖国神社にお祀りすることを約束しているはずです。
御英霊はその約束を信じ、家族や戦友に対して「死んだら靖国に会いにきて欲しい」と言い遺して散華されたんです。
国は、戦歿者に対する約束を守る責務があるはずだと思うのですが・・・。
一方で、靖國神社に代わる無宗教の国立追悼施設建設の議論があります。
平成14年以降出てきたものですが、民主党の政策集にもこれが明記されています。
本当に必要な施設なんでしょうか。
まず、間違いなく、政府自ら靖國神社の存在意義を否定することになります。
英霊への冒涜行為とも言えるでしょう。
次に、恐らく厳格な政教分離を念頭に置いているのでしょうが、無宗教の慰霊施設が存在し得るかという問題もあります。
宗教的でない慰霊行為が本当に慰霊たり得るのかという本質的な問題です。
それは単に慰霊のまねごとに過ぎないと思うのは私だけでしょうか。
さらには、仮に特定の諸外国への外交的な配慮であるとするならば、それは日本政府自らが主権を放棄したということに他ならないと思います。
日本の首相がどこに行き、何をするかは、諸外国からとやかく言われる筋合いの物ではないはずです。
もう一つ、いわゆるA級戦犯の分祀論というのもあります。
「霊璽簿から名前を削除するだけだ」という不謹慎極まりない暴論もあるようですが、そもそも戦後、国会が全会一致で戦争受刑者の復権を成し遂げてきたことと矛盾します。
いわゆるA級戦犯とされた方々は本当に罪人なのかを慎重に検証し直すことも必要だと思います。
ちなみに、愛知県の三ヶ根山山頂には、「殉国七士廟」がありA級戦犯として処刑された七名の遺骨が葬られています。
昭和53年に靖國神社に合祀された「昭和殉難者」といわれる14名の方々は次の通りです。
総選挙の結果次第で、どうなるか分からない問題ですが、軽視できない問題ですから、議論の行方をしっかりと見ていきたいと思います。
最後に一つだけ申し上げたいのは、靖國神社では毎日神職が、お供えを捧げ、祝詞を奏し、毎日慰霊のおまいりをしています。
そこにあるのは、形骸化した偽りの慰霊ごっこではなく、本物の慰霊の祈りなのです。
新しく考えられている慰霊施設でそれが果たして可能でしょうか。
多くの方にそのことをご理解いただきたいと思います。
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先日8月15日は終戦の日でした。言うまでもなく大東亜戦争終結の日ですが、これは「大東亜戦争終結ノ詔書」の玉音放送がラジオで放送された日なんですね。
(「第二次世界大戦」とか「太平洋戦争」という言葉もありますが、当時日本は「大東亜戦争」と呼称していましたので、この言葉を使います。)
この詔勅(詔勅というのは天皇陛下の御言葉、「みことのり」のことです)は、昭和20年8月14日の御前会議にて発せられたものです。それを録音し翌15日に放送したわけです。その後9月2日にポツダム宣言受諾の降伏文書に調印し、名実ともに米軍の進駐が始まるわけです。「大東亜戦争終結ノ詔書」
朕深ク 世界ノ大勢ト 帝國ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ 時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ 忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ 帝國政府ヲシテ 米英支蘇 四國ニ對シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨 通告セシメタリ
抑々 帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ 萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ 皇祖皇宗ノ遣範ニシテ 朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦 實ニ帝國ノ自存ト 東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ 他國ノ主權ヲ排シ 領土ヲ侵カス如キハ 固ヨリ朕カ志ニアラス
然ルニ 交戰巳ニ四歳ヲ閲シ 朕カ陸海将兵ノ勇戰 朕カ百僚有司ノ勵精 朕カ一億衆庶ノ奉公 各々最善ヲ盡セルニ拘ラス 戰局必スシモ好轉セス 世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之 敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ 頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所 眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ 尚 交戰ヲ繼續セムカ 終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ
是レ 朕カ帝國政府ヲシテ 共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ 帝國ト共ニ 終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ 遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
帝國臣民ニシテ 戰陣ニ死シ 職域ニ殉シ 非命ニ斃レタル者 及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内為ニ裂ク
且 戰傷ヲ負ヒ 災禍ヲ蒙リ 家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ
惟フニ 今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ 固ヨリ尋常ニアラス
爾臣民ノ衷情モ 朕善ク之ヲ知ル
然レトモ朕ハ 時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ為ニ 大平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ 國體ヲ護持シ 得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ 常ニ爾臣民ト共ニ在リ
若シ夫レ 情ノ激スル所 濫ニ事端ヲ滋クシ 或ハ同胞排儕 互ニ時局ヲ亂リ 為ニ 大道ヲ誤リ 信義ヲ世界ニ失フカ如キハ 朕最モ之ヲ戒ム
宣シク 擧國一家子孫相傳ヘ 確ク神州ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ道遠キヲ念ヒ 總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏クシ 誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
爾臣民 其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
そういえば、甲子園でも、正午の時報直前にプレーを中断し、選手・観客らが1分間の黙祷を捧げますね。「戦没者を追悼し平和を祈念する日」(昭和57年4月13日閣議決定)
1. 趣旨 先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を設ける。
2. 期日 毎年8月15日とする。
3. 行事 政府は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に、昭和38年以降毎年実施している全国戦没者追悼式を別紙のとおり引き続き実施する。
別紙 全国戦没者追悼式の実施について
1. 全国戦没者追悼式は、天皇皇后両陛下の御臨席を仰いで、毎年8月15日、日本武道館において実施する。
2. 本式典における戦没者の範囲及び式典の形式は、昭和56年の式典と同様とする。
3. 本式典には、全国から遺族代表を国費により参列させる。
4. 式典当日は、官衙等国立の施設には半旗を掲げることとし、地方公共団体等に対しても同様の措置をとるよう勧奨するとともに、本式典中の一定時刻において、全国民が一斉に黙とうするよう勧奨する。
この閣議決定により、ことしも全国戦没者追悼式が執り行われました。
いずれにしても、真摯に慰霊と感謝の誠を捧げることが肝要です。
先週もご紹介した愛知縣護國神社では、8月16日に献灯祭が斎行されました。
私自身参列させていただきましたが、境内一面に五千余の雪洞が灯され、暫しの間、御英霊の御心に触れることが出来ました。
県内若手神職の朝日舞という神楽舞が奉納され、愛宗青の青年僧による神前読経が行われたこともご報告させていただきます。
さて、今年の8月15日、靖國神社には、小泉、安倍両氏らを含め、本人出席で計41人(前衆院議員29人、参院議員12人)がおまいりされたそうです。衆院選公示を控え、昨年の53人(衆院40人、参院13人)を大幅に下回ったんだとか。麻生太郎首相は、中国など対外関係などに配慮して参拝せず、鳩山民主党代表は、政権交代後も参拝しないことを明言しています。
本当にこれでいいのでしょうか。
先の大戦において国は、尊い生命を捧げられた数多の戦歿者に対し、永遠に靖国神社にお祀りすることを約束しているはずです。
御英霊はその約束を信じ、家族や戦友に対して「死んだら靖国に会いにきて欲しい」と言い遺して散華されたんです。
国は、戦歿者に対する約束を守る責務があるはずだと思うのですが・・・。
一方で、靖國神社に代わる無宗教の国立追悼施設建設の議論があります。
平成14年以降出てきたものですが、民主党の政策集にもこれが明記されています。
本当に必要な施設なんでしょうか。
まず、間違いなく、政府自ら靖國神社の存在意義を否定することになります。
英霊への冒涜行為とも言えるでしょう。
次に、恐らく厳格な政教分離を念頭に置いているのでしょうが、無宗教の慰霊施設が存在し得るかという問題もあります。
宗教的でない慰霊行為が本当に慰霊たり得るのかという本質的な問題です。
それは単に慰霊のまねごとに過ぎないと思うのは私だけでしょうか。
さらには、仮に特定の諸外国への外交的な配慮であるとするならば、それは日本政府自らが主権を放棄したということに他ならないと思います。
日本の首相がどこに行き、何をするかは、諸外国からとやかく言われる筋合いの物ではないはずです。
もう一つ、いわゆるA級戦犯の分祀論というのもあります。
「霊璽簿から名前を削除するだけだ」という不謹慎極まりない暴論もあるようですが、そもそも戦後、国会が全会一致で戦争受刑者の復権を成し遂げてきたことと矛盾します。
いわゆるA級戦犯とされた方々は本当に罪人なのかを慎重に検証し直すことも必要だと思います。
1952年6月9日参議院本会議にて「戦犯在所者の釈放等に関する決議」
1952年12月9日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
1953年8月3日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
1955年7月19日衆議院本会議にて「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」
戦犯の国内での扱いに関して、それまで極東国際軍事裁判などで戦犯とされた者は国内法上の受刑者と同等に扱われており、遺族年金や恩給の対象とされていなかったが、1952年(昭和27年)5月1日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われる事となった。
これにより1952年(昭和27年)4月施行された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」も一部改正され、戦犯としての拘留逮捕者について「被拘禁者」として扱い、当該拘禁中に死亡した場合はその遺族に扶助料を支給する事になった。
1952年6月9日「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、1952年12月9日「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」、1953年8月3日「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が可決された。そして「恩給改正法」では受刑者本人の恩給支給期間に拘禁期間を通算すると規定され、1955 年には「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がされた。そして国際的にも、サンフランシスコ講和条約第11条の手続きにもとづき関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は1956年に釈放された。
A級戦犯として有罪判決を受け禁固七年とされた重光葵は釈放後、鳩山内閣の副総理・外務大臣となり勲一等を授与された。1954年に外務大臣に就任し日ソ国交回復と国連加盟も成し遂げている。また、終身刑とされた賀屋興宣は池田内閣の法務大臣を務めた。更にA級戦犯元被指定者の岸信介は内閣総理大臣になった。ウィキペディアより
ちなみに、愛知県の三ヶ根山山頂には、「殉国七士廟」がありA級戦犯として処刑された七名の遺骨が葬られています。
板垣征四郎 - 軍人、陸相(第1次近衛内閣・平沼内閣)、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長
木村兵太郎 - 軍人、ビルマ方面軍司令官、陸軍次官(東條内閣)
土肥原賢二 - 軍人、奉天特務機関長、第12方面軍司令官
東条英機 - 軍人、第40代内閣総理大臣
武藤章 - 軍人、第14方面軍参謀長(フィリピン)
松井石根 - 軍人、中支那方面軍司令官(南京攻略時)
広田弘毅 - 文民、第32代内閣総理大臣(近衛内閣外相)
昭和53年に靖國神社に合祀された「昭和殉難者」といわれる14名の方々は次の通りです。
机上で議論する前に、現地に赴き、御霊の声を肌で感じることも大切かも知れませんね。* 板垣征四郎 * 梅津美治郎 * 木村兵太郎 * 小磯国昭 * 白鳥敏夫
* 土肥原賢二 * 東郷茂徳 * 東條英機 * 永野修身 * 平沼騏一郎
* 広田弘毅 * 松井石根 * 松岡洋右 * 武藤章
総選挙の結果次第で、どうなるか分からない問題ですが、軽視できない問題ですから、議論の行方をしっかりと見ていきたいと思います。
最後に一つだけ申し上げたいのは、靖國神社では毎日神職が、お供えを捧げ、祝詞を奏し、毎日慰霊のおまいりをしています。
そこにあるのは、形骸化した偽りの慰霊ごっこではなく、本物の慰霊の祈りなのです。
新しく考えられている慰霊施設でそれが果たして可能でしょうか。
多くの方にそのことをご理解いただきたいと思います。
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FMおかざき「心の宅急便」の44回目の放送(8月11日)分です。
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本日午前5時7分ごろ、静岡で震度6弱の大きな地震がありました。
地震で被害に遭われた方々には、心からお見舞い申し上げますと共に、一日も早い復旧をお祈り申し上げます。
神社界でも情報収集につとめておりますが、・・・
伊豆山神社(熱海市)では、社務所玄関白壁一部損壊
焼津神社(焼津市)では、玉垣倒壊、飛び地境内神社の玉垣倒壊
神部神社・浅間神社・大歳御祖神社(静岡浅間神社 静岡市)では、石灯籠一基損壊、玉垣倒壊
などの情報が入ってきています。
神社は、鳥居や燈籠、玉垣などの石製品が多く、被害の報告が今後多くなることが心配されます。
台風9号の被害とあわせ、自然災害の恐ろしさをつくづく感じます。日頃の対策について改めて考え直さなくてはいけませんね。
さて、今日はお盆の話をさせていただきます。
「お盆」というのは、仏教でいう「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略で、仏教語なんですが、もともとは日本古来の祖先崇拝の行事がそのベースになっています。
我が国では、仏教伝来以前から、神祭りとご祖先の御霊をおまつりする祖霊祭祀がさかんにおこなわれていました。
神さまとご先祖様のご加護をいただいて、平穏な暮らしを営んでいたんですね。
このご先祖様はずうっと遡ると神さまにつながります。その意味では、ご祖先のお祭りも神さまのお祭りも同じですね。
「盆と正月」は年中行事の中でも現代まで大切にされています。
正月が神さまをまつり(神さまに詣で)、お盆がご祖先のおまいりをする。
その心は大切に受け継がれているんですね。
ところで、仏教で言う「盂蘭盆会」は「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」というお経によるものとされています。
また、施餓鬼(せがき)といったこともおこなわれます。
なんだそうです。
これが、日本古来の祖霊祭祀と結びついて、今に至っているわけですね。
いずれにしても、祖先を敬い、鄭重なおまつりをすることが、家族・親族の絆を深めることにもつながります。大切にしていきたい伝統だとも思います。
ただ、最近では、葬儀の簡略化やお墓まいりの代行業者まであるようです。少し寂しいような気もしますね。
もう一つ、8月15日と言えば、終戦記念日ですね。
お盆の時期は、戦没者慰霊の季節でもあります。
毎年、靖國神社の参拝をめぐって騒々しくなりますが、国のため、子や孫を守るために散っていった多くの御英霊の犠牲の上に、今の日本が成り立っていることを、決して忘れてはならないと思います。
心静かに慰霊と感謝の誠を捧げたいものですね。
勿論、靖國神社だけではなく、各都道府県には護国神社が、各市町には招魂社や忠魂碑が建立されています。是非多くの方にお近くの所にお出かけいただき、おまいりいただきたいと思います。
ちなみに・・・
名古屋の丸の内にあります愛知縣護國神社では、8月16日に献灯祭が行われます。
岡崎公園には、岡崎市出身の御英霊を慰霊する忠魂碑があります。
それぞれの町の鎮守の杜にも忠魂碑がきっとあると思います。
小学生のお子さんの自由研究にもなるかも知れませんね。
お盆は、日本の伝統行事に親しむ良い機会でもあります。
「改革」「チェンジ」と変えることが叫ばれる昨今ですが、そんな中でもしっかりと守っていかなければならない物があることを、決して忘れてはいけませんよね。
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本日午前5時7分ごろ、静岡で震度6弱の大きな地震がありました。
地震で被害に遭われた方々には、心からお見舞い申し上げますと共に、一日も早い復旧をお祈り申し上げます。
神社界でも情報収集につとめておりますが、・・・
伊豆山神社(熱海市)では、社務所玄関白壁一部損壊
焼津神社(焼津市)では、玉垣倒壊、飛び地境内神社の玉垣倒壊
神部神社・浅間神社・大歳御祖神社(静岡浅間神社 静岡市)では、石灯籠一基損壊、玉垣倒壊
などの情報が入ってきています。
神社は、鳥居や燈籠、玉垣などの石製品が多く、被害の報告が今後多くなることが心配されます。
台風9号の被害とあわせ、自然災害の恐ろしさをつくづく感じます。日頃の対策について改めて考え直さなくてはいけませんね。
さて、今日はお盆の話をさせていただきます。
「お盆」というのは、仏教でいう「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略で、仏教語なんですが、もともとは日本古来の祖先崇拝の行事がそのベースになっています。
我が国では、仏教伝来以前から、神祭りとご祖先の御霊をおまつりする祖霊祭祀がさかんにおこなわれていました。
神さまとご先祖様のご加護をいただいて、平穏な暮らしを営んでいたんですね。
このご先祖様はずうっと遡ると神さまにつながります。その意味では、ご祖先のお祭りも神さまのお祭りも同じですね。
「盆と正月」は年中行事の中でも現代まで大切にされています。
正月が神さまをまつり(神さまに詣で)、お盆がご祖先のおまいりをする。
その心は大切に受け継がれているんですね。
ところで、仏教で言う「盂蘭盆会」は「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」というお経によるものとされています。
また、施餓鬼(せがき)といったこともおこなわれます。
目連の施餓鬼は「盂蘭盆経」によるといわれる。この経典によると、釈迦仏の十大弟子で神通第一と称される目連尊者が、神通力により亡き母の行方を探すと、餓鬼道に落ち、肉は痩せ衰え骨ばかりで地獄のような苦しみを得ていた。目連は神通力で母を供養しようとしたが食べ物はおろか、水も燃えてしまい飲食できない。目連尊者は釈迦に何とか母を救う手だてがないかたずねた。すると釈迦は『お前の母の罪はとても重い。生前は人に施さず自分勝手だったので餓鬼道に落ちた』として、『多くの僧が九十日間の雨季の修行を終える七月十五日に、ご馳走を用意して経を読誦し、心から供養しなさい。』と言った。目連が早速その通りにすると、目連の母親は餓鬼の苦しみから救われた。これが盂蘭盆の起源とされる
なんだそうです。
これが、日本古来の祖霊祭祀と結びついて、今に至っているわけですね。
いずれにしても、祖先を敬い、鄭重なおまつりをすることが、家族・親族の絆を深めることにもつながります。大切にしていきたい伝統だとも思います。
ただ、最近では、葬儀の簡略化やお墓まいりの代行業者まであるようです。少し寂しいような気もしますね。
もう一つ、8月15日と言えば、終戦記念日ですね。
お盆の時期は、戦没者慰霊の季節でもあります。
毎年、靖國神社の参拝をめぐって騒々しくなりますが、国のため、子や孫を守るために散っていった多くの御英霊の犠牲の上に、今の日本が成り立っていることを、決して忘れてはならないと思います。
心静かに慰霊と感謝の誠を捧げたいものですね。
勿論、靖國神社だけではなく、各都道府県には護国神社が、各市町には招魂社や忠魂碑が建立されています。是非多くの方にお近くの所にお出かけいただき、おまいりいただきたいと思います。
ちなみに・・・
名古屋の丸の内にあります愛知縣護國神社では、8月16日に献灯祭が行われます。
岡崎公園には、岡崎市出身の御英霊を慰霊する忠魂碑があります。
それぞれの町の鎮守の杜にも忠魂碑がきっとあると思います。
小学生のお子さんの自由研究にもなるかも知れませんね。
お盆は、日本の伝統行事に親しむ良い機会でもあります。
「改革」「チェンジ」と変えることが叫ばれる昨今ですが、そんな中でもしっかりと守っていかなければならない物があることを、決して忘れてはいけませんよね。
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FMおかざき「心の宅急便」の43回目の放送です。
今日は久しぶりにスタジオからの放送になりました。
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ようやく梅雨明けし、夏本番になってきました。
夏休みに色々なところに旅行を計画されている方も多いと思います。
そこで、今日は旅につきものの「おみやげ」の話をしましょう。
「日本人はお土産好き」だと言われます。
確かに、旅行に出かけると、ついつい色んな物を買っちゃいますよね。
昨今話題になりましたが・・・伊勢の赤福、北海道の白い恋人、・・・・色んな土産物があります。
中には、パッケージだけが異なり中身は同じというようなものもあるみたいですが、やっぱり、 その土地ならではの「おみやげ」が一番ですね。
さて、「みやげ」を漢字で書くと「土産」ですが、実はこの二つ、もともと別の言葉だったそうです。
「みやげ」という言葉に、室町末期以降に「土産」の字があてられたとも言われています。
調べてみますと、「みやげ」は、もともとは「宮笥」なんだそうです。
「宮(みや)」は「お宮」ですね。神社のことです。
「笥(け)」は「食事を入れる器、食器。」のことだそうです。
お宮で使う食器と言えば、神さまのお食事(お供え物)をのせる土器が思い浮かびます。
この素焼きのお皿は「かわらけ」ともいいます。「かわらけ(瓦笥)」ですね。
また、「け」は食事そのものも指します。
神さまへのお供えは、 「御饌(みけ)」といいますし、一般でも「朝食(あさげ)」「夕食(ゆうげ)」と言ったりしますね。
「け」が「食器や食事」を表すことがお分かりいただけると思います。
少々脱線しますが・・・
現在でも神事の後には「直会(なおらい)」という行事を行います。
神さまにお供えした御神酒をお下げして、それを参列者全員でいただく儀式です。
神さまにお供えした物を、我々も一緒にいただくこと、神さまと同じ食事をすることによって、神さまと心を通じ合わせ、御神威や御利益をいただくことになるのです。
お宮参りや七五三などで神社にお参りした際、神社から御札や御守りと一緒に、「神饌」とか「撤饌」と書かれた食品を受けられたことのある方もみえるでしょう。
これも「直会」の信仰と同じです。神さまと同じ食事をすることに意味があるのです。
「おさがり」とも言いますね。
皆さんは伊勢神宮で御神楽をあげたことがありますか?
神楽殿で御神楽を奉納すると、最後に直会の御神酒をいただきます。
素焼きのかわらけでいただくのですが、使った「かわらけ」はそのままいただいて帰ります。
まさに「おみやげ」そのものですね。
話が「おみやげ」に戻ったところで、
「土産」についてお話ししましょう。
「土産」は「とさん」とか「どさん」と読みます。
文字通り、その土地の産物という意味です。
どうです?違いがお分かりでしょうか。
「みやげ」は、「お宮のおさがり」
「土産」は、「その土地の産物」
を表す言葉だったんですね。
もっとも、有名な大きな寺社には、多くの参詣者が集います。
その参詣者をあてこみ、その門前には市が立ちます。
「楽市楽座」なんてのも歴史で習ったんじゃないでしょうか。
そしてそれがやがて門前町に発展していきます。
その市や門前町で売られるのが、その土地の特産物なんですね。
参詣者はお参りのお下がりと共に、そこで特産物を買い求めたに違いありません。
そのあたりから、「みやげ」と「土産」が混同していったのではないかと思います。
古くは、旅といえば神仏詣でつまり寺社参拝旅行がメインでした。
弥次さん喜多さんの珍道中「東海道中膝栗毛」も、お伊勢まいりのお話しです。
熊野詣でや、善光寺まいりなどもそうですね。
御利益を求めての修行の意味もあったかも知れません。
今のように交通手段も発達していませんし、関所もありました。
何日もかけての参拝旅行ですから、お金もかなりかかります。
今のようにとても気楽にはいけません。
「旅=信仰」であったとも言えるでしょう。
もう一つ「代参」の制度もありますね。
伊勢講や秋葉講などを組織して、村の人々がお金を出し合い、交替で誰かがその講を代表して伊勢神宮などにお参りに行くというものです。
今尚、この代参が残っているところもあります。
代表してお参りするのですから、村の人たちの分も「神札」(いわゆる「おみやげ」ですね)などをうけて帰ります。そしてそれを土産話と共に村人に配るのです。
これが、旅立つ者へ餞別を渡す習慣、旅から帰ってお土産を近隣に配る習慣のもとになったとも考えられます。いかがでしょうか?
このようにみてみますと、「おみやげ(宮笥)」は、「参詣した寺社の御利益を近隣のひとに分け与えるもの」とも言えます。そこにあるのは敬虔な信仰心なんですね。
一方、信仰的な要素のない普通の贈り物、つまり今のおみやげに近い意味では、「つと(苞、苞苴)」という言葉がありました。 「家づと」とか「都のつと」と使います。
「つと」は「つつむ」「つつ」と同根のようですが、
元は、①「わらなどを束ねて、その中に魚・果実などの食品を包んだもの。」の意で、
転じて、②「他の場所に携えてゆき、また、旅先や出先などから携えて帰り、人に贈ったりなどするみやげもの。」の意になりました。
「おみやげ」は尊い贈り物、「つと」は普通の贈り物だったんですね。
「おみやげ」のもともとの意味をご理解いただけたでしょうか?
現在の「お土産」も、楽しい旅行の幸せな気分のお裾分けであることには変わりありませんが、それに信仰心をプラスして、 たとえ観光旅行であっても、その土地の寺社にお参りしていただければと思います。
日本全国色んなところにその土地をお守り下さっている神社があります。
是非、道中安全を祈願しがてら、その土地を訪れた御挨拶で、その土地の神社にお参りしてみてください。
そうすれば、普段の旅と一味ちがった、有り難い旅になると思います。
そして帰ってから配るお土産も神さまの御利益が加わって、さらに内容の濃い「お宮笥」になると思います。
「自分だけが楽しむのではなく、周りの人と幸せを分かち合う」
これが、日本人の良いところではないでしょうか?
そういえば・・・。
「名物に旨い物なし」という諺がありますね。
とかく名物といわれるたべもので、うまいものはない。
名は必ずしも実を伴わないことのたとえですが・・・
果たしてその真偽はどうなんでしょう??
もっとも個人差もあるでしょうが・・・。
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今日は久しぶりにスタジオからの放送になりました。
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ようやく梅雨明けし、夏本番になってきました。
夏休みに色々なところに旅行を計画されている方も多いと思います。
そこで、今日は旅につきものの「おみやげ」の話をしましょう。
「日本人はお土産好き」だと言われます。
確かに、旅行に出かけると、ついつい色んな物を買っちゃいますよね。
昨今話題になりましたが・・・伊勢の赤福、北海道の白い恋人、・・・・色んな土産物があります。
中には、パッケージだけが異なり中身は同じというようなものもあるみたいですが、やっぱり、 その土地ならではの「おみやげ」が一番ですね。
さて、「みやげ」を漢字で書くと「土産」ですが、実はこの二つ、もともと別の言葉だったそうです。
「みやげ」という言葉に、室町末期以降に「土産」の字があてられたとも言われています。
調べてみますと、「みやげ」は、もともとは「宮笥」なんだそうです。
「宮(みや)」は「お宮」ですね。神社のことです。
「笥(け)」は「食事を入れる器、食器。」のことだそうです。
お宮で使う食器と言えば、神さまのお食事(お供え物)をのせる土器が思い浮かびます。
この素焼きのお皿は「かわらけ」ともいいます。「かわらけ(瓦笥)」ですね。
また、「け」は食事そのものも指します。
神さまへのお供えは、 「御饌(みけ)」といいますし、一般でも「朝食(あさげ)」「夕食(ゆうげ)」と言ったりしますね。
「け」が「食器や食事」を表すことがお分かりいただけると思います。
少々脱線しますが・・・
現在でも神事の後には「直会(なおらい)」という行事を行います。
神さまにお供えした御神酒をお下げして、それを参列者全員でいただく儀式です。
神さまにお供えした物を、我々も一緒にいただくこと、神さまと同じ食事をすることによって、神さまと心を通じ合わせ、御神威や御利益をいただくことになるのです。
お宮参りや七五三などで神社にお参りした際、神社から御札や御守りと一緒に、「神饌」とか「撤饌」と書かれた食品を受けられたことのある方もみえるでしょう。
これも「直会」の信仰と同じです。神さまと同じ食事をすることに意味があるのです。
「おさがり」とも言いますね。
皆さんは伊勢神宮で御神楽をあげたことがありますか?
神楽殿で御神楽を奉納すると、最後に直会の御神酒をいただきます。
素焼きのかわらけでいただくのですが、使った「かわらけ」はそのままいただいて帰ります。
まさに「おみやげ」そのものですね。
話が「おみやげ」に戻ったところで、
「土産」についてお話ししましょう。
「土産」は「とさん」とか「どさん」と読みます。
文字通り、その土地の産物という意味です。
どうです?違いがお分かりでしょうか。
「みやげ」は、「お宮のおさがり」
「土産」は、「その土地の産物」
を表す言葉だったんですね。
もっとも、有名な大きな寺社には、多くの参詣者が集います。
その参詣者をあてこみ、その門前には市が立ちます。
「楽市楽座」なんてのも歴史で習ったんじゃないでしょうか。
そしてそれがやがて門前町に発展していきます。
その市や門前町で売られるのが、その土地の特産物なんですね。
参詣者はお参りのお下がりと共に、そこで特産物を買い求めたに違いありません。
そのあたりから、「みやげ」と「土産」が混同していったのではないかと思います。
古くは、旅といえば神仏詣でつまり寺社参拝旅行がメインでした。
弥次さん喜多さんの珍道中「東海道中膝栗毛」も、お伊勢まいりのお話しです。
熊野詣でや、善光寺まいりなどもそうですね。
御利益を求めての修行の意味もあったかも知れません。
今のように交通手段も発達していませんし、関所もありました。
何日もかけての参拝旅行ですから、お金もかなりかかります。
今のようにとても気楽にはいけません。
「旅=信仰」であったとも言えるでしょう。
もう一つ「代参」の制度もありますね。
伊勢講や秋葉講などを組織して、村の人々がお金を出し合い、交替で誰かがその講を代表して伊勢神宮などにお参りに行くというものです。
今尚、この代参が残っているところもあります。
代表してお参りするのですから、村の人たちの分も「神札」(いわゆる「おみやげ」ですね)などをうけて帰ります。そしてそれを土産話と共に村人に配るのです。
これが、旅立つ者へ餞別を渡す習慣、旅から帰ってお土産を近隣に配る習慣のもとになったとも考えられます。いかがでしょうか?
このようにみてみますと、「おみやげ(宮笥)」は、「参詣した寺社の御利益を近隣のひとに分け与えるもの」とも言えます。そこにあるのは敬虔な信仰心なんですね。
一方、信仰的な要素のない普通の贈り物、つまり今のおみやげに近い意味では、「つと(苞、苞苴)」という言葉がありました。 「家づと」とか「都のつと」と使います。
「つと」は「つつむ」「つつ」と同根のようですが、
元は、①「わらなどを束ねて、その中に魚・果実などの食品を包んだもの。」の意で、
転じて、②「他の場所に携えてゆき、また、旅先や出先などから携えて帰り、人に贈ったりなどするみやげもの。」の意になりました。
「おみやげ」は尊い贈り物、「つと」は普通の贈り物だったんですね。
「おみやげ」のもともとの意味をご理解いただけたでしょうか?
現在の「お土産」も、楽しい旅行の幸せな気分のお裾分けであることには変わりありませんが、それに信仰心をプラスして、 たとえ観光旅行であっても、その土地の寺社にお参りしていただければと思います。
日本全国色んなところにその土地をお守り下さっている神社があります。
是非、道中安全を祈願しがてら、その土地を訪れた御挨拶で、その土地の神社にお参りしてみてください。
そうすれば、普段の旅と一味ちがった、有り難い旅になると思います。
そして帰ってから配るお土産も神さまの御利益が加わって、さらに内容の濃い「お宮笥」になると思います。
「自分だけが楽しむのではなく、周りの人と幸せを分かち合う」
これが、日本人の良いところではないでしょうか?
そういえば・・・。
「名物に旨い物なし」という諺がありますね。
とかく名物といわれるたべもので、うまいものはない。
名は必ずしも実を伴わないことのたとえですが・・・
果たしてその真偽はどうなんでしょう??
もっとも個人差もあるでしょうが・・・。
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FMおかざき「心の宅急便」の42回目の放送をしなければならないところですが・・・。
今日は運悪く根室行きの飛行機の中でしたので、電話が通じませんでした。
そこで、事前に原稿をお渡しし、パーソナリティの田野さんに読み上げていただきました。
----------------------------------------------------------------------
岡崎天満宮の伊奈です。
本日、北海道の根室で執り行われます北方領土早期復帰祈願祭に参列するため、飛行機で移動中です。生放送で応対できませんことを先ず以てお詫び申し上げます。
さて、今日は「命」について考えてみたいと思います。
皆さんご存知のように、今回の国会解散のドタバタの中で、臓器移植法の改定がなされてしまいました。「脳死」=「人の死」と定義するものです。非常に重要な問題にもかかわらず、性急に結論を出してしまったのではないかと思わざるを得ません。
「脳死」は本当に「人の死」を意味するのでしょうか?
臓器移植を心待ちにしてみえる患者さんやその家族からすれば、確かに歓迎すべき法改正かもしれません。しかし、一方で提供する側の「命」のことを考えると、諸手を挙げて喜ぶわけにはいきません。
幼い我が子が「脳死」になったときのことを想像してみてください。確かに意識はないかもしれません。反応もないかもしれません。でも心臓はしっかりと脈打っているのです。その心音を聞けば、何千万分の一かの奇跡を期待するのが親心だと思います。或いは、一分でも一秒でも長く命を延ばしてあげたいと思うのが素直な心情だと思います。
それでも愛しい我が子の「死」だと認識できるでしょうか?
本当に「脳死」=「死」でしょうか?
この問題は、「二つの命のうち、一つの命を助け、一つの命を絶つ、どちらの命を助けるべきか?」という究極の選択を、神ならぬ人間が行わなければならないところにあります。
どちらが正しいか自信を持って言える人がどのくらいいるのでしょうか?
人は「命」をもてあそぶことは決してしてはならないと思います。古くから、「人は神より出でて神に入るなり」と言われてきました。人は神さまから「命」をいただいて生まれてきます。そしてそれぞれに与えられた人生を精一杯生きて、「命」を全うするわけです。その「命」の長さは、まさに人それぞれです。いくら健康であっても、突然、事故にあったり、災害にあったりすることもあるかもしれません。それはその人の運命であり、神のみぞ知るところだと思います。
こんなエピソードを聞いたことがあります。
ある保育園に、四歳と二歳の仲良し姉妹が通っていました。二人とも明るい子で、お姉ちゃんは時々、妹のクラスを覗いては優しくお世話をする妹思いのよい子でした。お母さんも、明るくて優しい人柄が評判のお母さんでした。
ところが、ある時を境にしてお姉ちゃんが保育園を休みがちになり、お母さんの表情にもかげりが見えるようになってきました。
お姉ちやんのかわいいアゴに、ガンができて、難しい手術をしなければならなくなったのです。進行の速い小児ガンです。
しばらくたったある日、お母さんと下のちびちゃんが保育園に遊びに来ました。手術の結果報告を兼ねて、保育園に御挨拶に来たのです。ガンは転移していてお姉ちゃんの幼い命は間もなく消えてしまう可能性が高いとのこと。つらいつらい報告でした。
その時、園長先生は、お母さんが室内でも深くかぶった帽子を取らないことを不思議に思っていました。お母さんもふとそれに気づいて、照れくさそうに帽子を取られました。お母さんの頭はきれいに剃られていたそうです。
いつでもどこでも、「ハイッ」と返事をして元気なよい子のお姉ちやんも、手術が怖くてイヤだイヤだと駄々をこねたのでしょう。抗ガン剤で髪の毛が抜けることもいやがったに違いありません。それを自らの髪を剃って「お母さんも一緒だから心配しないで」と応援し、大きな愛で励まされたのでしょう。
その後、お姉ちゃんがどのような運命をたどったのかは知りません。しかし、「お母さんの子供で生まれてよかった。お母さんと一緒に過ごすことができて幸せだった。」と、この子は必ず思ったに違いないと思います。
いかがでしょう?
ガンという残酷な病に冒された幼い女の子と、一心に愛を注いで看病されたお母さん。色んな苦悩があったと思います。その結果、自分たちの運命を受け止め精一杯生きたんだと思います。
一人一人が「命」をどう受け止め、どう生きていくかが重要なことなんだと思います。勿論、私自身、実際に愛しい我が子が臓器移植の必要な病になったら、或いは脳死になってしまったら、相当苦悩すると思います。でもそれを運命だと受け入れることも必要なのではないでしょうか。そして与えられた「命」を如何に生きるかということこそ重要だと思います。
今回の「脳死」の問題で改めて強く感じるのは、「人の生死は神さまがお決めになること。」そういう謙虚さが現代の人々に必要なのではないかということです。
皆様は如何思われますか?
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今日は運悪く根室行きの飛行機の中でしたので、電話が通じませんでした。
そこで、事前に原稿をお渡しし、パーソナリティの田野さんに読み上げていただきました。
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岡崎天満宮の伊奈です。
本日、北海道の根室で執り行われます北方領土早期復帰祈願祭に参列するため、飛行機で移動中です。生放送で応対できませんことを先ず以てお詫び申し上げます。
さて、今日は「命」について考えてみたいと思います。
皆さんご存知のように、今回の国会解散のドタバタの中で、臓器移植法の改定がなされてしまいました。「脳死」=「人の死」と定義するものです。非常に重要な問題にもかかわらず、性急に結論を出してしまったのではないかと思わざるを得ません。
「脳死」は本当に「人の死」を意味するのでしょうか?
臓器移植を心待ちにしてみえる患者さんやその家族からすれば、確かに歓迎すべき法改正かもしれません。しかし、一方で提供する側の「命」のことを考えると、諸手を挙げて喜ぶわけにはいきません。
幼い我が子が「脳死」になったときのことを想像してみてください。確かに意識はないかもしれません。反応もないかもしれません。でも心臓はしっかりと脈打っているのです。その心音を聞けば、何千万分の一かの奇跡を期待するのが親心だと思います。或いは、一分でも一秒でも長く命を延ばしてあげたいと思うのが素直な心情だと思います。
それでも愛しい我が子の「死」だと認識できるでしょうか?
本当に「脳死」=「死」でしょうか?
この問題は、「二つの命のうち、一つの命を助け、一つの命を絶つ、どちらの命を助けるべきか?」という究極の選択を、神ならぬ人間が行わなければならないところにあります。
どちらが正しいか自信を持って言える人がどのくらいいるのでしょうか?
人は「命」をもてあそぶことは決してしてはならないと思います。古くから、「人は神より出でて神に入るなり」と言われてきました。人は神さまから「命」をいただいて生まれてきます。そしてそれぞれに与えられた人生を精一杯生きて、「命」を全うするわけです。その「命」の長さは、まさに人それぞれです。いくら健康であっても、突然、事故にあったり、災害にあったりすることもあるかもしれません。それはその人の運命であり、神のみぞ知るところだと思います。
こんなエピソードを聞いたことがあります。
ある保育園に、四歳と二歳の仲良し姉妹が通っていました。二人とも明るい子で、お姉ちゃんは時々、妹のクラスを覗いては優しくお世話をする妹思いのよい子でした。お母さんも、明るくて優しい人柄が評判のお母さんでした。
ところが、ある時を境にしてお姉ちゃんが保育園を休みがちになり、お母さんの表情にもかげりが見えるようになってきました。
お姉ちやんのかわいいアゴに、ガンができて、難しい手術をしなければならなくなったのです。進行の速い小児ガンです。
しばらくたったある日、お母さんと下のちびちゃんが保育園に遊びに来ました。手術の結果報告を兼ねて、保育園に御挨拶に来たのです。ガンは転移していてお姉ちゃんの幼い命は間もなく消えてしまう可能性が高いとのこと。つらいつらい報告でした。
その時、園長先生は、お母さんが室内でも深くかぶった帽子を取らないことを不思議に思っていました。お母さんもふとそれに気づいて、照れくさそうに帽子を取られました。お母さんの頭はきれいに剃られていたそうです。
いつでもどこでも、「ハイッ」と返事をして元気なよい子のお姉ちやんも、手術が怖くてイヤだイヤだと駄々をこねたのでしょう。抗ガン剤で髪の毛が抜けることもいやがったに違いありません。それを自らの髪を剃って「お母さんも一緒だから心配しないで」と応援し、大きな愛で励まされたのでしょう。
その後、お姉ちゃんがどのような運命をたどったのかは知りません。しかし、「お母さんの子供で生まれてよかった。お母さんと一緒に過ごすことができて幸せだった。」と、この子は必ず思ったに違いないと思います。
いかがでしょう?
ガンという残酷な病に冒された幼い女の子と、一心に愛を注いで看病されたお母さん。色んな苦悩があったと思います。その結果、自分たちの運命を受け止め精一杯生きたんだと思います。
一人一人が「命」をどう受け止め、どう生きていくかが重要なことなんだと思います。勿論、私自身、実際に愛しい我が子が臓器移植の必要な病になったら、或いは脳死になってしまったら、相当苦悩すると思います。でもそれを運命だと受け入れることも必要なのではないでしょうか。そして与えられた「命」を如何に生きるかということこそ重要だと思います。
今回の「脳死」の問題で改めて強く感じるのは、「人の生死は神さまがお決めになること。」そういう謙虚さが現代の人々に必要なのではないかということです。
皆様は如何思われますか?
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FMおかざき「心の宅急便」の41回目。
今日は「夏祭り、花火」についてのお話しです。
神社本庁からこっそり電話していました^^;
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明日はいよいよ日食ですね。
楽しみにされている方も多いかと存じます。
世界の歴史を振り返ってみますと、古代人にとって日食はやはり神秘的な現象でした。
軍事的に利用されたこともありました。日食を知っていた方が戦いに勝利したと言う話は沢山あります。
その発生日・時刻を正確に予測することが時の為政者には重要で、それが暦学の発展にも繋がったともいわれます。
現在では正確に知ることが出来ますが、それでも幻想的な天体ショーに他なりません。
また我が国の天の岩屋戸の神話はこの日食を意味しているんだという説もあります。
太陽が隠れ、復活する。
お日様の恵みを改めて感謝する気持ちに繋がればと思います。
その意味では、子供たちに是非見せてやりたいですね。
お天気が心配ですが・・・。
さて、今あちらこちらで夏祭りシーズン真っ盛りです。
夏休みと言えば、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
三河の人間でしたら、やはり花火でしょうか?
今年は不景気の影響で、全国的に中止になったり、縮小したりする花火大会も多いと聞きましたが、どうなんでしょうか?
夏の風物詩ですから、やはりなくなるのは寂しいですよね。
前置きが長くなりましたが、今日は夏祭りと花火の話をさせていただきます。
お祭りにも、春祭り、夏祭り、秋祭りと色々ありますが、その季節によってお祭りのスタイルというか趣旨がだいたい決まっています。
例えば、春祭りは農作業前に五穀豊穣を祈願する祈りの祭りが多く、これに対して秋祭りは、秋の実りを感謝する収穫感謝のお祭りが多くみられます。
では、夏祭りはどうでしょうか?
一概には言えませんが、禊ぎ祓いの神事、疫病除けの神事、御霊会、御霊なごめの神事が多いと言えるでしょう。
これは、前にお話しした夏越の祓い・茅の輪神事や七夕行事、お盆の行事なども深く関連しています。
日本三大祭というのをご存知でしょうか?
京都の祇園祭、大阪の天神祭、東京の山王祭(神田祭)なんだそうです。
大都会のお祭りだからでしょうか。
歴史も古く、規模が大きいのもうなずけます。
面白いことに、みんな夏祭りですね^^;
この中でも別格は京都の祇園祭でしょう。八坂神社のお祭りです。
もともと御霊会という御霊を鎮める行事がその始まりだそうですが、7月17日の山鉾巡行をクライマックスに、7月中いろいろな行事・神事が行われます。
この祇園祭は、全国に色々なバリエーションで広まっていきます。
全国には祇園祭と名のつくお祭りが本当に沢山あります。
有名な博多の祇園山笠もそうですね。
愛知県では、津島神社の天王祭も有名ですね。
全国に天王祭と呼ばれるおまつりも沢山あります。
実はこの祇園祭と天王祭は深い関係があるんです。
それは、前に夏越神事のお話しをしたときにご紹介した「蘇民将来の伝説」が関わっています。
この蘇民将来の話は、備後国風土記に記されているお話しで、スサノヲノミコトと蘇民将来・巨旦将来の話ですが、実はスサノヲノミコトは冒頭で武塔神として登場します。
この武塔神はもともとインドの神さまのようですが、それがスサノヲノミコトと習合しています。
さらに仏教とも習合し牛頭天王とも称されるようになりました。
京都の八坂神社も牛頭天王を祭るお宮でした。神仏混合のお宮です。ですから、御社殿のつくりがお寺のお堂のようなつくりになっています。
愛知の津島神社もそうです。牛頭天王をお祭りし、津島天王社とも言われました。
牛頭天王でつながるんですね。
牛頭天王は仏教色が強いということで、牛頭天王をおまつりするお宮は、明治の廃仏毀釈のときに殆どがスサノヲノミコトをまつる八坂神社、祇園社、津島神社などに改称されました。
それが原因で分かりにくくなっているところもあります。
津島神社の天王祭の天王は牛頭天王の天王なんですね。
で、この天王祭その起源は神葭流しの神事です。文字通り、葭を川に流す神事です。葭=茅ですから、蘇民将来の話と関係があります。
さて、岡崎にも天王祭があるのをご存知でしょうか?
菅生神社の例祭です。
菅生神社は昔、菅生天王社とも呼ばれました。
牛頭天王をおまつりする額田の宮崎のお宮の御社殿が流れ着いたので、その時から牛頭天王をお祭りしたためです。
菅生神社のおまつりと言ってももしかしたらピンと来ない方もみえるかも知れません。
今では市の観光課が介入し、観光夏祭りになってしまっている花火大会です。
有名なのが金魚花火ですね。
これはもともと葭の茎に火薬を詰めて花火にしたものです。
そしてそれを川に放つわけです。
どうです?
蘇民将来の話、津島神社の神葭流しとつながりがみえてきますね。
菅生神社のお祭りは元々7月20日。
その宵宮行事として奉納花火が行われたのです。
その目的は、疫病除けであり、御霊会であったともいえるでしょう。
更に言えば、7月20日は岡崎空襲の在った日です。
戦災戦没者の御霊なごめにも相応しい日のような気がします。
観光夏祭り化してしまい、菅生の例祭と知らずに花火を楽しんでいる人が多すぎるように危惧しています。
桟敷でも、神さまにお尻を向けて・・・
失礼な話です。
何のためのお祭りなのか?
本義はどこにあるのか?
1人でも多くの方に知っていただきたいと思います。
----------------------------------------------------------------------
今日は「夏祭り、花火」についてのお話しです。
神社本庁からこっそり電話していました^^;
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明日はいよいよ日食ですね。
楽しみにされている方も多いかと存じます。
世界の歴史を振り返ってみますと、古代人にとって日食はやはり神秘的な現象でした。
軍事的に利用されたこともありました。日食を知っていた方が戦いに勝利したと言う話は沢山あります。
その発生日・時刻を正確に予測することが時の為政者には重要で、それが暦学の発展にも繋がったともいわれます。
現在では正確に知ることが出来ますが、それでも幻想的な天体ショーに他なりません。
また我が国の天の岩屋戸の神話はこの日食を意味しているんだという説もあります。
太陽が隠れ、復活する。
お日様の恵みを改めて感謝する気持ちに繋がればと思います。
その意味では、子供たちに是非見せてやりたいですね。
お天気が心配ですが・・・。
さて、今あちらこちらで夏祭りシーズン真っ盛りです。
夏休みと言えば、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
三河の人間でしたら、やはり花火でしょうか?
今年は不景気の影響で、全国的に中止になったり、縮小したりする花火大会も多いと聞きましたが、どうなんでしょうか?
夏の風物詩ですから、やはりなくなるのは寂しいですよね。
前置きが長くなりましたが、今日は夏祭りと花火の話をさせていただきます。
お祭りにも、春祭り、夏祭り、秋祭りと色々ありますが、その季節によってお祭りのスタイルというか趣旨がだいたい決まっています。
例えば、春祭りは農作業前に五穀豊穣を祈願する祈りの祭りが多く、これに対して秋祭りは、秋の実りを感謝する収穫感謝のお祭りが多くみられます。
では、夏祭りはどうでしょうか?
一概には言えませんが、禊ぎ祓いの神事、疫病除けの神事、御霊会、御霊なごめの神事が多いと言えるでしょう。
これは、前にお話しした夏越の祓い・茅の輪神事や七夕行事、お盆の行事なども深く関連しています。
日本三大祭というのをご存知でしょうか?
京都の祇園祭、大阪の天神祭、東京の山王祭(神田祭)なんだそうです。
大都会のお祭りだからでしょうか。
歴史も古く、規模が大きいのもうなずけます。
面白いことに、みんな夏祭りですね^^;
この中でも別格は京都の祇園祭でしょう。八坂神社のお祭りです。
もともと御霊会という御霊を鎮める行事がその始まりだそうですが、7月17日の山鉾巡行をクライマックスに、7月中いろいろな行事・神事が行われます。
この祇園祭は、全国に色々なバリエーションで広まっていきます。
全国には祇園祭と名のつくお祭りが本当に沢山あります。
有名な博多の祇園山笠もそうですね。
愛知県では、津島神社の天王祭も有名ですね。
全国に天王祭と呼ばれるおまつりも沢山あります。
実はこの祇園祭と天王祭は深い関係があるんです。
それは、前に夏越神事のお話しをしたときにご紹介した「蘇民将来の伝説」が関わっています。
この蘇民将来の話は、備後国風土記に記されているお話しで、スサノヲノミコトと蘇民将来・巨旦将来の話ですが、実はスサノヲノミコトは冒頭で武塔神として登場します。
この武塔神はもともとインドの神さまのようですが、それがスサノヲノミコトと習合しています。
さらに仏教とも習合し牛頭天王とも称されるようになりました。
京都の八坂神社も牛頭天王を祭るお宮でした。神仏混合のお宮です。ですから、御社殿のつくりがお寺のお堂のようなつくりになっています。
愛知の津島神社もそうです。牛頭天王をお祭りし、津島天王社とも言われました。
牛頭天王でつながるんですね。
牛頭天王は仏教色が強いということで、牛頭天王をおまつりするお宮は、明治の廃仏毀釈のときに殆どがスサノヲノミコトをまつる八坂神社、祇園社、津島神社などに改称されました。
それが原因で分かりにくくなっているところもあります。
津島神社の天王祭の天王は牛頭天王の天王なんですね。
で、この天王祭その起源は神葭流しの神事です。文字通り、葭を川に流す神事です。葭=茅ですから、蘇民将来の話と関係があります。
さて、岡崎にも天王祭があるのをご存知でしょうか?
菅生神社の例祭です。
菅生神社は昔、菅生天王社とも呼ばれました。
牛頭天王をおまつりする額田の宮崎のお宮の御社殿が流れ着いたので、その時から牛頭天王をお祭りしたためです。
菅生神社のおまつりと言ってももしかしたらピンと来ない方もみえるかも知れません。
今では市の観光課が介入し、観光夏祭りになってしまっている花火大会です。
有名なのが金魚花火ですね。
これはもともと葭の茎に火薬を詰めて花火にしたものです。
そしてそれを川に放つわけです。
どうです?
蘇民将来の話、津島神社の神葭流しとつながりがみえてきますね。
菅生神社のお祭りは元々7月20日。
その宵宮行事として奉納花火が行われたのです。
その目的は、疫病除けであり、御霊会であったともいえるでしょう。
更に言えば、7月20日は岡崎空襲の在った日です。
戦災戦没者の御霊なごめにも相応しい日のような気がします。
観光夏祭り化してしまい、菅生の例祭と知らずに花火を楽しんでいる人が多すぎるように危惧しています。
桟敷でも、神さまにお尻を向けて・・・
失礼な話です。
何のためのお祭りなのか?
本義はどこにあるのか?
1人でも多くの方に知っていただきたいと思います。
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FMおかざき「心の宅急便」の40回目。
今日は「空蝉」と題してお話しさせていただきました。
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関東地方は梅雨明けも発表されたようですね。
東海地方ももうすぐでしょうか。
昨日、今日と暑い日が続きます。
境内では、セミが鳴き始めました。いよいよ夏本番となりそうですね。
セミつながりで・・・・
「空蝉」という言葉をご存知でしょうか?
もともとは「うつしみ(現身)」という言葉のようです。
「この世(現世)に生きている人」を意味する言葉です。
対義語は「かくりみ(幽身)」でしょうか。
この「うつしみ」という言葉が、「空蝉」と表記されたことから「うつせみ」と読まれるようになり、
1.蝉の抜け殻。
2.魂が抜け去ったさま。気ぬけ。虚脱状態。
3.もぬけの殻。
などを意味する言葉に転じていったようです。
枕詞の「空蝉の」は、命、身、人、空(むな)し、などにかかる枕詞です。
なんとなく「むなしい」「はかない」イメージがある言葉ですね。
そう言えば『源氏物語』の「空蝉」も有名ですね。
紫式部がモデルになったとも言われる女性ですが、知的で、品のよいことが魅力的な女性として描かれています。中でも、着物一枚を残して、品良く源氏の求愛を拒むシーンが印象的ですね。
セミの抜け殻と残された着物のイメージが重なります。
さて、この方々ももしかしたら今「空蝉」状態でしょうか?
麻生総理や自民党幹部の方々です。
支持率の低迷と先週末の都議選歴史的大敗をうけて、昨日衆議院の解散予告をされました。
来週21日解散、8月30日総選挙のようですが、この国は一体何処に向かっているのでしょうか。
最近つくづく考えさせられます。
政局のことばかりが目立つ政治家の国会運営には辟易します。
真に国益を考える政治家がいったいどのくらいみえるのでしょうか?
マスコミの方にも問題があると思います。
まるで下劣なワイドショーのように政局ばかりを取り上げ、肝心なことを報道していません。
特にTVは恐ろしいですね。
番組の作り方によって、一方的に洗脳されかねないような放送の仕方もしています。
それが世論操作かもしれません。
もっとも、真面目にしっかりとした仕事をされている先生方もみえると思いますが、それが全くといっていいほど取り上げられていないですよね。
今日、野党が内閣不信任案を提出しました。
今後は一切、審議拒否だそうです。
審議しなければならない重要法案が沢山あるというのにです。
実に無責任だと思うのは私だけでしょうか。
この影響で沢山の法案が廃案となることが決定的なのですが、その中で私が気になる法案があります。
それは、「天皇陛下御在位二十年を記念する日を休日とする法律案」です。
天皇陛下御在位二十年を記念し、国民こぞってこれを祝うため、平成21年において平成2年の即位礼正殿の儀の行われた日に応当する日である11月12日を休日とする。というものですが、先月6月30日に衆議院に提出され、審議中でした。
今国会で可決され、正式に祝日に決定する筈でしたが・・・・
9月以降の特別国会に持ち越しという形でしょうか・・・。
まさに『源氏物語』の「空蝉」ですね。
この法案は超党派の「天皇陛下御即位20年奉祝国会議員連盟」が推進する法案で、政局とは関係なく、着々と進められるべきモノでした。
これを廃案としてしまったことは、国会議員の怠慢であると同時に、皇室に対する重大な不敬行為であると言わざるを得ません。
陛下は現憲法下では日本国民統合の象徴ですから、日本国民に対する侮辱であるともとれます。
実に困ったモノです。
総選挙では、色々な争点で選挙戦が繰り広げられると思います。
当地方のクマゼミの鳴き声のように、街も賑やかく(やかましく?)なってくると思います。
私たち国民は、各政党のマニフェストをしっかりと検討し、各候補者の主張をしっかりと見極め、正しい選択をしていかなくてはいけません。
住宅を購入するとき最重要視しなければならないのは、見てくれの豪華さやコストの低さではありません。
一番大切なのは、頑丈な基礎と堅牢な構造です。
それはA建築士の耐震強度偽装問題で明らかです。
私は政治も同じだと思います。
耳障りの良い見てくれだけのマニフェストに惑わされてはいけないと思います。
先祖伝来の美しい国を、今以上に良い国にして子々孫々まで伝えていくために、基礎・土台・骨格となる政策を決して軽視すべきではないと思います。
それが、領土の問題であり、資源の問題であり、防衛の問題であり、外交の問題です。
急ピッチで変動していく世界情勢に、日本がどう対処していくべきか。
この国の真の国益を守ること。
世界の中での日本のアイデンティティをしっかりと守ること。
それこそが選挙の争点であるべきではないでしょうか?
マスコミに踊らされ、「何となくよさそう・・・」とか「とりあえずやらせてみては・・・」という判断は、大変危険だと思います。
「空蝉」ばかりが転がっている国にしないために・・・。
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今日は「空蝉」と題してお話しさせていただきました。
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関東地方は梅雨明けも発表されたようですね。
東海地方ももうすぐでしょうか。
昨日、今日と暑い日が続きます。
境内では、セミが鳴き始めました。いよいよ夏本番となりそうですね。
セミつながりで・・・・
「空蝉」という言葉をご存知でしょうか?
もともとは「うつしみ(現身)」という言葉のようです。
「この世(現世)に生きている人」を意味する言葉です。
対義語は「かくりみ(幽身)」でしょうか。
この「うつしみ」という言葉が、「空蝉」と表記されたことから「うつせみ」と読まれるようになり、
1.蝉の抜け殻。
2.魂が抜け去ったさま。気ぬけ。虚脱状態。
3.もぬけの殻。
などを意味する言葉に転じていったようです。
枕詞の「空蝉の」は、命、身、人、空(むな)し、などにかかる枕詞です。
なんとなく「むなしい」「はかない」イメージがある言葉ですね。
そう言えば『源氏物語』の「空蝉」も有名ですね。
紫式部がモデルになったとも言われる女性ですが、知的で、品のよいことが魅力的な女性として描かれています。中でも、着物一枚を残して、品良く源氏の求愛を拒むシーンが印象的ですね。
セミの抜け殻と残された着物のイメージが重なります。
さて、この方々ももしかしたら今「空蝉」状態でしょうか?
麻生総理や自民党幹部の方々です。
支持率の低迷と先週末の都議選歴史的大敗をうけて、昨日衆議院の解散予告をされました。
来週21日解散、8月30日総選挙のようですが、この国は一体何処に向かっているのでしょうか。
最近つくづく考えさせられます。
政局のことばかりが目立つ政治家の国会運営には辟易します。
真に国益を考える政治家がいったいどのくらいみえるのでしょうか?
マスコミの方にも問題があると思います。
まるで下劣なワイドショーのように政局ばかりを取り上げ、肝心なことを報道していません。
特にTVは恐ろしいですね。
番組の作り方によって、一方的に洗脳されかねないような放送の仕方もしています。
それが世論操作かもしれません。
もっとも、真面目にしっかりとした仕事をされている先生方もみえると思いますが、それが全くといっていいほど取り上げられていないですよね。
今日、野党が内閣不信任案を提出しました。
今後は一切、審議拒否だそうです。
審議しなければならない重要法案が沢山あるというのにです。
実に無責任だと思うのは私だけでしょうか。
この影響で沢山の法案が廃案となることが決定的なのですが、その中で私が気になる法案があります。
それは、「天皇陛下御在位二十年を記念する日を休日とする法律案」です。
天皇陛下御在位二十年を記念し、国民こぞってこれを祝うため、平成21年において平成2年の即位礼正殿の儀の行われた日に応当する日である11月12日を休日とする。というものですが、先月6月30日に衆議院に提出され、審議中でした。
今国会で可決され、正式に祝日に決定する筈でしたが・・・・
9月以降の特別国会に持ち越しという形でしょうか・・・。
まさに『源氏物語』の「空蝉」ですね。
この法案は超党派の「天皇陛下御即位20年奉祝国会議員連盟」が推進する法案で、政局とは関係なく、着々と進められるべきモノでした。
これを廃案としてしまったことは、国会議員の怠慢であると同時に、皇室に対する重大な不敬行為であると言わざるを得ません。
陛下は現憲法下では日本国民統合の象徴ですから、日本国民に対する侮辱であるともとれます。
実に困ったモノです。
総選挙では、色々な争点で選挙戦が繰り広げられると思います。
当地方のクマゼミの鳴き声のように、街も賑やかく(やかましく?)なってくると思います。
私たち国民は、各政党のマニフェストをしっかりと検討し、各候補者の主張をしっかりと見極め、正しい選択をしていかなくてはいけません。
住宅を購入するとき最重要視しなければならないのは、見てくれの豪華さやコストの低さではありません。
一番大切なのは、頑丈な基礎と堅牢な構造です。
それはA建築士の耐震強度偽装問題で明らかです。
私は政治も同じだと思います。
耳障りの良い見てくれだけのマニフェストに惑わされてはいけないと思います。
先祖伝来の美しい国を、今以上に良い国にして子々孫々まで伝えていくために、基礎・土台・骨格となる政策を決して軽視すべきではないと思います。
それが、領土の問題であり、資源の問題であり、防衛の問題であり、外交の問題です。
急ピッチで変動していく世界情勢に、日本がどう対処していくべきか。
この国の真の国益を守ること。
世界の中での日本のアイデンティティをしっかりと守ること。
それこそが選挙の争点であるべきではないでしょうか?
マスコミに踊らされ、「何となくよさそう・・・」とか「とりあえずやらせてみては・・・」という判断は、大変危険だと思います。
「空蝉」ばかりが転がっている国にしないために・・・。
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FMおかざき「心の宅急便」の39回目。
今日は「七夕」のお話しです。
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「七夕」と書いて「しちせき」「たなばた」と読みます。
五節供の一つで、7月7日の夜のことですね。
今年は3月3日の上巳の節供、5月5日の端午の節供も丁度火曜日でしたので、この心の宅急便のコーナーでそれぞれの節供についてお話しさせていただきました。
そして今日も「七夕の節供」のお話しをさせていただきます。
(実は・・・毎年この三つの節供は同じ曜日になるんですね^^;)
皆さんは、七夕の行事というと何を思い出されるでしょうか?
短冊にお願い事を書いて、色々な飾りとともに、竹の枝につるして・・・・
といったところでしょうか。
実はこの七夕の行事、色んな要素が複雑に複合して現在に伝わっているんです。
その由来をいくつかご紹介しましょう。
【1】「織り姫と彦星の恋の物語」
皆さんご存知でしょうから、ざっくりあらすじだけお話ししますね。
元々は中国の伝説ですが、これが日本を始めアジア各地に伝わっています。
中国では漢の時代・紀元前1世紀頃には、すでにこの伝説が伝えられていたようです。
ちなみに、日本では・・・
「織女」=「織り姫」=こと座のベガ
「牽牛」=「彦星」=わし座のアルタイル
ですね。(はくちょう座のデネブとともに、天の川を挟んで夏の大三角形を作る星です。)
【2】乞巧奠(きっこうでん)の行事
織り姫にちなんで、中国では機織りや裁縫の上達を祈願する「乞巧奠」という星祭りの行事がありました。
文字通り、「巧」になることを「乞」う行事です。「奠」はお供えとかお祭りを意味します。
「玉串奉奠(たまぐしほうてん)」の「奠」ですね。
この乞巧奠の行事が、織り姫と彦星の物語とともに、遣隋使や遣唐使によって、奈良時代に日本に入ってきたのです。そして先ず、宮中や貴族たちの間に広まりました。
桃、梨、茄子、瓜、大豆、干鯛、薄鮑などをお供えし、牽牛・織女の2星をまつったようです。
室町時代になると、七夕に歌を供するようになり、雅な遊興も加わってきます。
7という数にちなんで、7種類の遊びを行ったとか・・・。
中国から伝わった「織り姫と彦星の物語」と「乞巧奠」のお話しはお分かりいただけたと思います。
では「七夕」をなぜ「たなばた」と読むのでしょうか?
日本古来の由来がありそうです。
【3】棚機女(たなばたつめ)
「七夕」の漢字に「たなばた」という訓をあてたのか、「たなばた」の訓に「七夕」の漢字をあてたのか分かりませんが、・・・・
日本語の「たなばた」はそもそも、
「はたを織ること」
「機織り機のこと」
「はたを織る人」
を意味し、「棚機」と書きます。
「棚」は「一段高いところ」「特別な場所」を意味します。つまり「神棚」の「棚」と同じですね。
「機」は織物を織ることです。
記紀神話でも機織りは神聖視されています。
それが神々にお供えする織物を織る場合はなおさらです。
神聖な機織りをする女性を「棚機女(たなばたつめ)」といいました。
身を清めて機織りをするために、水辺に棚をつくり、そこに機屋(はたや)を設けて、神さまのための機織りをしたんだそうです。
で、何を祈ったのでしょうか・・・・。
【4】五穀豊穣を祈る
やはり、第一の祈りはこれです。
「たなばた」の語源説に、「たなつもの、はたつもの」がつづまったものというのがあります。
「たなつもの」=「田のもの(稲)」、「はたつもの」=「畑のもの」ということですね。
米作りにおいて、水管理の重要な時でもあります。
風雨の順調を祈ったのでしょう。
【5】お盆の準備
もう一つは、「お盆」との関係もあります。
「お盆」はご先祖様をおまつりするわけですが、もともと旧暦7月15日の行事でした。
その前の旧暦7月7日が「七夕」なんです。
「七夕」には「お盆を迎えるための準備をはじめる日」という意味もあったと思われます。
「棚」=祖先祭りをするための祭壇
「機」=そのための織物、あるいは「旗」?
ということでしょうか。
お盆を迎えるための「禊ぎ」という意味もあったようです。
乞巧奠が、やんごとなき方々の「七夕」なら、こちらの「棚機」は農村、庶民の行事であったと言えるかも知れません。
【6】笹竹に短冊
これらが一体となって、今の七夕の原型が出来たのが江戸時代です。
今では、七夕と言えば「竹に短冊」ですが、願い事の書いた短冊をつるすようになったのもこの頃です。
五色の短冊の五色は、陰陽五行説に由来しています。
吹き流しは、織り姫さまの糸にあやかっているそうです。
このように、七夕は色んな要素が合わさって今に伝えられています。
海外の文化を取り入れ、自己流にアレンジして独自の文化を形成していくのが、日本人の特技だとも言えますが、地方によって色々な七夕行事も伝わっています。
一度じっくりと調べてみるのも面白いかも知れませんね。
今日の七夕、皆さんはどうすごされますか?
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今日は「七夕」のお話しです。
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今日7月7日は「七夕」です。今夜のお天気が気になりますね。♪ささのはさらさら のきばにゆれる
おほしさまきらきら きんぎんすなご♪♪
♪ごしきのたんざく わたしがかいた
おほしさまきらきら そらからみてる♪♪
「七夕」と書いて「しちせき」「たなばた」と読みます。
五節供の一つで、7月7日の夜のことですね。
今年は3月3日の上巳の節供、5月5日の端午の節供も丁度火曜日でしたので、この心の宅急便のコーナーでそれぞれの節供についてお話しさせていただきました。
そして今日も「七夕の節供」のお話しをさせていただきます。
(実は・・・毎年この三つの節供は同じ曜日になるんですね^^;)
皆さんは、七夕の行事というと何を思い出されるでしょうか?
短冊にお願い事を書いて、色々な飾りとともに、竹の枝につるして・・・・
といったところでしょうか。
実はこの七夕の行事、色んな要素が複雑に複合して現在に伝わっているんです。
その由来をいくつかご紹介しましょう。
【1】「織り姫と彦星の恋の物語」
皆さんご存知でしょうから、ざっくりあらすじだけお話ししますね。
随分乱暴ですが、ざっとこんなお話しです。・天帝の娘の織女と牽牛が結婚をする。
・あまりにハッピーで二人とも仕事をしない。
・怒った天帝が二人の中を引き裂く。(天の川)
・悲しんだ二人は更に仕事をしない。
・天帝は年に一度の逢瀬を許す。(7月7日)
・この時カササギが橋を架けてくれる。
元々は中国の伝説ですが、これが日本を始めアジア各地に伝わっています。
中国では漢の時代・紀元前1世紀頃には、すでにこの伝説が伝えられていたようです。
ちなみに、日本では・・・
「織女」=「織り姫」=こと座のベガ
「牽牛」=「彦星」=わし座のアルタイル
ですね。(はくちょう座のデネブとともに、天の川を挟んで夏の大三角形を作る星です。)
【2】乞巧奠(きっこうでん)の行事
織り姫にちなんで、中国では機織りや裁縫の上達を祈願する「乞巧奠」という星祭りの行事がありました。
文字通り、「巧」になることを「乞」う行事です。「奠」はお供えとかお祭りを意味します。
「玉串奉奠(たまぐしほうてん)」の「奠」ですね。
この乞巧奠の行事が、織り姫と彦星の物語とともに、遣隋使や遣唐使によって、奈良時代に日本に入ってきたのです。そして先ず、宮中や貴族たちの間に広まりました。
桃、梨、茄子、瓜、大豆、干鯛、薄鮑などをお供えし、牽牛・織女の2星をまつったようです。
室町時代になると、七夕に歌を供するようになり、雅な遊興も加わってきます。
7という数にちなんで、7種類の遊びを行ったとか・・・。
中国から伝わった「織り姫と彦星の物語」と「乞巧奠」のお話しはお分かりいただけたと思います。
では「七夕」をなぜ「たなばた」と読むのでしょうか?
日本古来の由来がありそうです。
【3】棚機女(たなばたつめ)
「七夕」の漢字に「たなばた」という訓をあてたのか、「たなばた」の訓に「七夕」の漢字をあてたのか分かりませんが、・・・・
日本語の「たなばた」はそもそも、
「はたを織ること」
「機織り機のこと」
「はたを織る人」
を意味し、「棚機」と書きます。
「棚」は「一段高いところ」「特別な場所」を意味します。つまり「神棚」の「棚」と同じですね。
「機」は織物を織ることです。
記紀神話でも機織りは神聖視されています。
それが神々にお供えする織物を織る場合はなおさらです。
神聖な機織りをする女性を「棚機女(たなばたつめ)」といいました。
身を清めて機織りをするために、水辺に棚をつくり、そこに機屋(はたや)を設けて、神さまのための機織りをしたんだそうです。
で、何を祈ったのでしょうか・・・・。
【4】五穀豊穣を祈る
やはり、第一の祈りはこれです。
「たなばた」の語源説に、「たなつもの、はたつもの」がつづまったものというのがあります。
「たなつもの」=「田のもの(稲)」、「はたつもの」=「畑のもの」ということですね。
米作りにおいて、水管理の重要な時でもあります。
風雨の順調を祈ったのでしょう。
【5】お盆の準備
もう一つは、「お盆」との関係もあります。
「お盆」はご先祖様をおまつりするわけですが、もともと旧暦7月15日の行事でした。
その前の旧暦7月7日が「七夕」なんです。
「七夕」には「お盆を迎えるための準備をはじめる日」という意味もあったと思われます。
「棚」=祖先祭りをするための祭壇
「機」=そのための織物、あるいは「旗」?
ということでしょうか。
お盆を迎えるための「禊ぎ」という意味もあったようです。
乞巧奠が、やんごとなき方々の「七夕」なら、こちらの「棚機」は農村、庶民の行事であったと言えるかも知れません。
【6】笹竹に短冊
これらが一体となって、今の七夕の原型が出来たのが江戸時代です。
今では、七夕と言えば「竹に短冊」ですが、願い事の書いた短冊をつるすようになったのもこの頃です。
五色の短冊の五色は、陰陽五行説に由来しています。
吹き流しは、織り姫さまの糸にあやかっているそうです。
このように、七夕は色んな要素が合わさって今に伝えられています。
海外の文化を取り入れ、自己流にアレンジして独自の文化を形成していくのが、日本人の特技だとも言えますが、地方によって色々な七夕行事も伝わっています。
一度じっくりと調べてみるのも面白いかも知れませんね。
今日の七夕、皆さんはどうすごされますか?
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FMおかざき「心の宅急便」の38回目。
6月30日のお話しです。
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水無月の夏越の祓ひする人は 千歳の命延ぶと云ふなり
当神社では、昨日と今日「夏越の大祓」「輪くぐり神事」を斎行しています。
「大祓」については、先週もお話ししましたが、補足といいますか、先週お話しできなかったことを、今日はお話しさせていただきたいと思います。
つまり、先週のお話しの続きです。
「夏越の大祓」と「茅の輪くぐり」にあわせて、「虫封じの行事」をするところも多くあります。
「虫封じ」の「虫」はいわゆる「疳の虫」ですね。
赤ちゃんや小さなお子さん、乳幼児の夜泣き、癇癪を軽減させるために行うものです。
「虫封じ」というのは、基本的には単なるおまじないともいわれますが、癇癪を「虫」のせいにすることにより、母親の子育てのストレスを緩和する意味もありますね。でないと子育てに自身が無くなってしまいそうですもんね。
具体的には、色々な方法があります。
名古屋の各神社で行われる赤丸神事などもありますね。
おでこに赤い染料をちょんとつけるあれです。
また熱田神宮の摂社・高倉結御子神社の「井戸のぞき」も有名です。
他には、虫切り鎌の奉納をすることろや、虫の字に針を刺すところもあるようです。
塩を使って、指から糸を出す民間療法もあるようですね^^;
何しろ乳幼児期は不安定な時期だとも言えます。
だからこそ、神仏にすがり、ご加護を祈ることも重要だと思います。
虫繋がりで・・・・^^;
「虫送り」という行事をご存知でしょうか?
昔は盛に行われていたようですが、最近ではどんどん姿を消していっているようです。
農作物(主に稲)の害虫を村外に送りだす行事です。
大勢の村人が、松明(たいまつ)をともし、鉦や太鼓をたたいて、「送った送った、何虫を送った」とはやしたてながら、田のあぜを歩き回り、最後に村はずれなどに送って行くものです。
愛知県では、常滑市矢田地区、稲沢市の祖父江に残っているそうです。ともに「尾張の虫送り行事」として県指定無形民俗文化財に指定されています。
この「虫送り」は「さねもり送り」とも呼ばれます。
漢字で書くと「実盛送り」です。
この「実盛」というのは平家物語にも登場する「斎藤実盛」のことですが、こんないわれがあります。
稲の害虫(特にウンカ)を「実盛虫」といったりもします。
実際の虫送りでは、帯刀の侍姿の藁人形(実盛人形)を担ぎ歩く所もあるそうです。
そして最後はこの人形を川に流すんだとか・・・・。
今では農薬や農業技術の進歩により、どんどん廃れて言っている風習ですが、何かしら風情がある行事で、大切に後世に残していきたいものの一つだと思います。
「災いを祓い清め、幸福を祈る。」というのが、「夏越の大祓」「虫封じ」「虫送り」に共通しています。
災いや罪穢れを祓い清める、除き去るという点ですね。
厳しい夏を無事乗り越え、実りの秋を迎えることの有り難さを、昔の人は現代人以上に感じていたのかもしれません。どちらが良いとか悪いではないですが、そうした感覚は伝統文化の根底をなすものだとも思います。
現代社会ではだんだん希薄になってきていますが、四季折々の一つ一つ行事を見つめ直すことも大切ですよね。先人の知恵の再確認ともいえます。
そうすることによって、現代人のDNAにもしっかりと受け継がれているであろう日本人のこころを思い出すことが出来るのではないかと思います。
今夜も当宮では輪くぐり神事を執り行います。
是非多くの方にご参列いただきたいと存じます。
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6月30日のお話しです。
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水無月の夏越の祓ひする人は 千歳の命延ぶと云ふなり
当神社では、昨日と今日「夏越の大祓」「輪くぐり神事」を斎行しています。
「大祓」については、先週もお話ししましたが、補足といいますか、先週お話しできなかったことを、今日はお話しさせていただきたいと思います。
つまり、先週のお話しの続きです。
「夏越の大祓」と「茅の輪くぐり」にあわせて、「虫封じの行事」をするところも多くあります。
「虫封じ」の「虫」はいわゆる「疳の虫」ですね。
赤ちゃんや小さなお子さん、乳幼児の夜泣き、癇癪を軽減させるために行うものです。
「虫封じ」というのは、基本的には単なるおまじないともいわれますが、癇癪を「虫」のせいにすることにより、母親の子育てのストレスを緩和する意味もありますね。でないと子育てに自身が無くなってしまいそうですもんね。
具体的には、色々な方法があります。
名古屋の各神社で行われる赤丸神事などもありますね。
おでこに赤い染料をちょんとつけるあれです。
また熱田神宮の摂社・高倉結御子神社の「井戸のぞき」も有名です。
他には、虫切り鎌の奉納をすることろや、虫の字に針を刺すところもあるようです。
塩を使って、指から糸を出す民間療法もあるようですね^^;
何しろ乳幼児期は不安定な時期だとも言えます。
だからこそ、神仏にすがり、ご加護を祈ることも重要だと思います。
虫繋がりで・・・・^^;
「虫送り」という行事をご存知でしょうか?
昔は盛に行われていたようですが、最近ではどんどん姿を消していっているようです。
農作物(主に稲)の害虫を村外に送りだす行事です。
大勢の村人が、松明(たいまつ)をともし、鉦や太鼓をたたいて、「送った送った、何虫を送った」とはやしたてながら、田のあぜを歩き回り、最後に村はずれなどに送って行くものです。
愛知県では、常滑市矢田地区、稲沢市の祖父江に残っているそうです。ともに「尾張の虫送り行事」として県指定無形民俗文化財に指定されています。
この「虫送り」は「さねもり送り」とも呼ばれます。
漢字で書くと「実盛送り」です。
この「実盛」というのは平家物語にも登場する「斎藤実盛」のことですが、こんないわれがあります。
というものです。実盛が討たれる際、乗っていた馬が稲の切り株につまずいたところを討ち取られたために、その霊が稲を食い荒らす害虫(稲虫)になった・・・・
稲の害虫(特にウンカ)を「実盛虫」といったりもします。
実際の虫送りでは、帯刀の侍姿の藁人形(実盛人形)を担ぎ歩く所もあるそうです。
そして最後はこの人形を川に流すんだとか・・・・。
今では農薬や農業技術の進歩により、どんどん廃れて言っている風習ですが、何かしら風情がある行事で、大切に後世に残していきたいものの一つだと思います。
「災いを祓い清め、幸福を祈る。」というのが、「夏越の大祓」「虫封じ」「虫送り」に共通しています。
災いや罪穢れを祓い清める、除き去るという点ですね。
厳しい夏を無事乗り越え、実りの秋を迎えることの有り難さを、昔の人は現代人以上に感じていたのかもしれません。どちらが良いとか悪いではないですが、そうした感覚は伝統文化の根底をなすものだとも思います。
現代社会ではだんだん希薄になってきていますが、四季折々の一つ一つ行事を見つめ直すことも大切ですよね。先人の知恵の再確認ともいえます。
そうすることによって、現代人のDNAにもしっかりと受け継がれているであろう日本人のこころを思い出すことが出来るのではないかと思います。
今夜も当宮では輪くぐり神事を執り行います。
是非多くの方にご参列いただきたいと存じます。
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FMおかざき「心の宅急便」の37回目。
6月23日のお話しです。
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明後日の6月25日は、天神さま・菅原道真公のお誕生日です。
菅公をおまつりする当神社では、当日午後3時から菅公生誕祭を斎行します。
是非多くの方にお参りいただき、天神さまにお祝いの真心を捧げていただければと思います。
特に受験生の皆さんは・・・・。
さて、今月末。もう一つ大きな年中行事を斎行します。
それは「大祓」です。
水無月の夏越の祓ひする人は 千歳の命延ぶと云ふなり
とも歌われます。
今日は、この「大祓」「夏越の祓い」の話をさせていただきます。
「大祓」というのは、6月と12月の年2回行われ、半年間の罪穢れを祓い清める神事です。
6月30日に行う「大祓」は、「夏越(なごし)の大祓」とか「水無月の大祓」と言われます。
また12月31日に行う「大祓」は、「年越しの大祓」とか「師走の大祓」と呼ばれます。
ともに、知らず知らずのうちに犯したであろう罪や過ち、心身の穢を祓い清めるための神事です。
「大宝律令」(701)に記載があることから、古くから行われていたことがわかります。
「大祓」というくらいですから、単なる「祓い」ではなく、天下国家の罪穢れを祓い清める行事でもありました。
奈良時代に宮中で行われていた。時代が下るにつれ、全国の神社で行われるようになったものです。
特に6月の「大祓」には、茅の輪くぐりの神事をあわせて行う神社が数多くあります。
当神社の場合もそうなんです。
さて、この「大祓」には、大きく分けて三つの要素があります。
A.大祓式・・・・・・・・・天下国家、氏子地域の罪穢れを祓い清めるという「公」の祓い。
B.人形による祓い・・個人的な罪穢れを祓い清める「私」の祓い。
C.茅の輪くぐり・・・・蘇民将来の故事に由来する疫病除けの祓い。
これらが複合したものが「夏越の大祓」なんです。
神社によっては、6月に「大祓式」のみ行い、1月遅れの7月末日に「茅の輪神事」を行うところもあります。
茅の輪くぐりの由来、備後国風土記(逸文)にある蘇民将来の故事をご紹介しましょう。
この故事から、茅の輪で災厄を免れるという信仰が生まれ、全国各地に広まって行きました。
茅の輪も当初は腰に着けるほどの小さな物でしたが、時代が下るにつれ次第に大きな物となり、やがて神社のご神前にこれを設け、くぐり越えることによって罪穢を祓い清める神事となり今日に至っているのです。
「茅」は生命力を象徴する植物でもあります。
我が国のことを、記紀神話では「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」ともいいますが、この「葦」も同じです。
この生命力溢れる「茅」「葦」の力を借りて、疫病に打ち勝とうと考えたのでしょう。
今年は、新型インフルエンザが心配ですね。
O157などの食中毒も気になります。
是非お近くの、神社で輪くぐりをしてみてはいかがでしょうか?
ちなみに・・・
岡崎市内で茅の輪くぐりを行う神社は、
能見神明宮
菅生神社
六所神社
岡崎天満宮
などがあります。
ちなみに、ちなみに・・・・
当神社では、29日30日の両日執り行います。
30日に都合がわるい人もご参列いただけますよ。
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6月23日のお話しです。
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明後日の6月25日は、天神さま・菅原道真公のお誕生日です。
菅公をおまつりする当神社では、当日午後3時から菅公生誕祭を斎行します。
是非多くの方にお参りいただき、天神さまにお祝いの真心を捧げていただければと思います。
特に受験生の皆さんは・・・・。
さて、今月末。もう一つ大きな年中行事を斎行します。
それは「大祓」です。
水無月の夏越の祓ひする人は 千歳の命延ぶと云ふなり
とも歌われます。
今日は、この「大祓」「夏越の祓い」の話をさせていただきます。
「大祓」というのは、6月と12月の年2回行われ、半年間の罪穢れを祓い清める神事です。
6月30日に行う「大祓」は、「夏越(なごし)の大祓」とか「水無月の大祓」と言われます。
また12月31日に行う「大祓」は、「年越しの大祓」とか「師走の大祓」と呼ばれます。
ともに、知らず知らずのうちに犯したであろう罪や過ち、心身の穢を祓い清めるための神事です。
「大宝律令」(701)に記載があることから、古くから行われていたことがわかります。
「大祓」というくらいですから、単なる「祓い」ではなく、天下国家の罪穢れを祓い清める行事でもありました。
奈良時代に宮中で行われていた。時代が下るにつれ、全国の神社で行われるようになったものです。
特に6月の「大祓」には、茅の輪くぐりの神事をあわせて行う神社が数多くあります。
当神社の場合もそうなんです。
さて、この「大祓」には、大きく分けて三つの要素があります。
A.大祓式・・・・・・・・・天下国家、氏子地域の罪穢れを祓い清めるという「公」の祓い。
B.人形による祓い・・個人的な罪穢れを祓い清める「私」の祓い。
C.茅の輪くぐり・・・・蘇民将来の故事に由来する疫病除けの祓い。
これらが複合したものが「夏越の大祓」なんです。
神社によっては、6月に「大祓式」のみ行い、1月遅れの7月末日に「茅の輪神事」を行うところもあります。
茅の輪くぐりの由来、備後国風土記(逸文)にある蘇民将来の故事をご紹介しましょう。
ざっとこのようなお話しです。神代の昔、スサノオノミコトが旅の途中、ある村に立ち寄り、蘇民将来、巨旦将来という兄弟に宿を求められました。その時、弟の巨旦将来は裕福な暮らしをしていましたが、冷たく宿を拒みました。しかし、兄の蘇民将来は貧しい身にもかかわらず、喜んでスサノオノミコトをお泊め申し上げ、粟飯で心のこもったおもてなしをしました。ミコトはたいそうお歓びになり、翌朝お礼を言って旅立たれました。
数年後、スサノオノミコトが再び蘇民将来の家を訪れ、「近く、天下に疫病が流行する。その時は、ちがやで輪を作り、それを腰につけていれば疫病を免れることができるだろう。」とそっとお教え下さいました。
しばらくして、ミコトのおっしゃった通り、蘇民将来の村で疫病がはやりました。 弟の巨旦将来を始め多くの村人が疫病に倒れる中、蘇民将来の家族だけは、ミコトの仰せの通り、茅の輪を腰につけていたので助かりました。
この故事から、茅の輪で災厄を免れるという信仰が生まれ、全国各地に広まって行きました。
茅の輪も当初は腰に着けるほどの小さな物でしたが、時代が下るにつれ次第に大きな物となり、やがて神社のご神前にこれを設け、くぐり越えることによって罪穢を祓い清める神事となり今日に至っているのです。
「茅」は生命力を象徴する植物でもあります。
我が国のことを、記紀神話では「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」ともいいますが、この「葦」も同じです。
この生命力溢れる「茅」「葦」の力を借りて、疫病に打ち勝とうと考えたのでしょう。
今年は、新型インフルエンザが心配ですね。
O157などの食中毒も気になります。
是非お近くの、神社で輪くぐりをしてみてはいかがでしょうか?
ちなみに・・・
岡崎市内で茅の輪くぐりを行う神社は、
能見神明宮
菅生神社
六所神社
岡崎天満宮
などがあります。
ちなみに、ちなみに・・・・
当神社では、29日30日の両日執り行います。
30日に都合がわるい人もご参列いただけますよ。
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FMおかざき「心の宅急便」の36回目。
6月16日のお話しです。
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次の日曜日(6月21日)は「父の日」であるとともに「夏至」の日でもありますね。
「夏至」というのは、二十四節気の1つで、 北半球では一年中で「一番昼が長く、夜が短い日」です。勿論南半球では逆ですね^^;
『暦便覧』には「陽熱至極し、また、日の長きのいたりなるを以てなり」とあります。
まさに「夏が極限に至る」日ということでしょう。
具体的には6月21日ごろになりますが、・・・
また、「夏至」は「げし」と読むのが一般的ですが、古くは「げじ」とも読んだようです。
さて、「冬至」にはゆず湯に入ったり、カボチャを食べたりといったメジャーな風習がありますが・・・・
「夏至」はどうでしょう?
あまり思い浮かびませんよね?
菖蒲湯に浸かり、粽を食べる端午の節供があるからでしょうか?
理由は分かりません。
ただ、この「夏至」ではなく、この日から11日後の「半夏生(はんげしょう)」は、農作業の上で重要な日とされてきました。
「半夏生」というのは、半夏(はんげ)半夏が生える頃を意味する七十二候の一つです。
半夏とはサトイモ科の烏柄杓(からすびしゃく)という薬草のことなんだそうです。
夏至から11日目にあた る新暦7月2日頃のことですね。(今年のカレンダーでも7月2日です。)
田植えは半夏生までに済ませることが習わしとされてきました。
「半夏半作」といって、田植がこの日までに終わらないと、収穫が半減するといわれていたためです。
これも先人の知恵ですね。
この「半夏生」の日に、各地では田の神に感謝し豊作を祈る行事や、農作業を控える物忌みの風習が残っ ているそうです。
調べてみますと・・・
1.大阪近郊では夏至から半夏までタコを食べる習慣がある。タコの足のように稲の根がよく地面に広がりつくようにと願うのだという。
2.関東地方などでは新小麦で焼き餅(もち)をつくって神に供える。
3.島根県や熊本県の各郡でも小麦の団子やまんじゅうをつくって神に供えている。
4.熊本県阿蘇(あそ)地方には、「チュウはずらせ半夏は待つな」といって、田植は夏至よりすこしあとに、半夏を過ぎないようにとの言い習わしがある。
5.半夏生の日には天から毒が降り、毒草が生えるなどといって、いろいろの禁忌がある。この日竹林に入ってはならぬという。タケの花の咲いているのを見ると死ぬという。また畑の野菜や果物をこの日食べると病気になるという。
6.熊本県玉名郡ではこの日ウマにけっして青草を食べさせない。
7.秋田県平鹿(ひらか)郡では半夏の日に草で目を突くと盲目になるといっている。
8.熊本県阿蘇郡では半夏の日に生梅を食べると頭がはげるといって忌み、同県八代(やつしろ)郡ではこの日朝寝をすると頭がはげるといって昔から早起きしたという。
9.熊本県の天草(あまくさ)地方では半夏の日は水泳ぎを始める日で、その前には水に入らない。
10.阿蘇地方ではダユルシといって八十八夜から半夏生までの間にウシの放牧を許されており、それ以後は家へ連れていかねばならない。
11.香川県の西部地方では半夏生を上半期の決算期としている。
などなど。
非常に興味深いものがあります。
全国の皆さんにご当地の言い伝えをお伺いしたいですね。
そう言えば、外国の習俗はどうなんでしょう?
民族性みたいなものが垣間見られますね。
先程、「夏至」には思い当たる風習がないと云いましたが・・・
思い出しました。
「二見興玉神社の夏至祭」です。
伊勢参宮の折りの浜参宮、夫婦岩で有名な二見興玉神社では、この夏至の日に、 夫婦岩の中央から日が昇ります。運が良ければ富士山も拝することが出来るんだそうです。興味のある方は、高速1000円の今、たまたま日曜日でもありますのでお出かけしてみては如何でしょうか?
また、最近では「100万人のキャンドルナイト」というイベントも行われているようですね。
6月16日のお話しです。
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次の日曜日(6月21日)は「父の日」であるとともに「夏至」の日でもありますね。
「夏至」というのは、二十四節気の1つで、 北半球では一年中で「一番昼が長く、夜が短い日」です。勿論南半球では逆ですね^^;
『暦便覧』には「陽熱至極し、また、日の長きのいたりなるを以てなり」とあります。
まさに「夏が極限に至る」日ということでしょう。
具体的には6月21日ごろになりますが、・・・
という計算式もあるようです。西暦年数の4での剰余が0の場合
1900年~1932年までは6月22日
1936年~2052年までは6月21日
2056年~2096年までは6月20日
西暦年数の4での剰余が1の場合
1901年~1961年までは6月22日
1965年~2081年までは6月21日
2085年~2097年までは6月20日
西暦年数の4での剰余が2の場合
1902年~1990年までは6月22日
1994年~2098年までは6月21日
西暦年数の4での剰余が3の場合
1903年 は6月23日
1907年~2019年までは6月22日
2023年~2099年までは6月21日
また、「夏至」は「げし」と読むのが一般的ですが、古くは「げじ」とも読んだようです。
*易林本節用集〔1597〕「夏至 ゲジ 五月中」
さて、「冬至」にはゆず湯に入ったり、カボチャを食べたりといったメジャーな風習がありますが・・・・
「夏至」はどうでしょう?
あまり思い浮かびませんよね?
菖蒲湯に浸かり、粽を食べる端午の節供があるからでしょうか?
理由は分かりません。
ただ、この「夏至」ではなく、この日から11日後の「半夏生(はんげしょう)」は、農作業の上で重要な日とされてきました。
「半夏生」というのは、半夏(はんげ)半夏が生える頃を意味する七十二候の一つです。
半夏とはサトイモ科の烏柄杓(からすびしゃく)という薬草のことなんだそうです。
夏至から11日目にあた る新暦7月2日頃のことですね。(今年のカレンダーでも7月2日です。)
田植えは半夏生までに済ませることが習わしとされてきました。
「半夏半作」といって、田植がこの日までに終わらないと、収穫が半減するといわれていたためです。
これも先人の知恵ですね。
この「半夏生」の日に、各地では田の神に感謝し豊作を祈る行事や、農作業を控える物忌みの風習が残っ ているそうです。
調べてみますと・・・
1.大阪近郊では夏至から半夏までタコを食べる習慣がある。タコの足のように稲の根がよく地面に広がりつくようにと願うのだという。
2.関東地方などでは新小麦で焼き餅(もち)をつくって神に供える。
3.島根県や熊本県の各郡でも小麦の団子やまんじゅうをつくって神に供えている。
4.熊本県阿蘇(あそ)地方には、「チュウはずらせ半夏は待つな」といって、田植は夏至よりすこしあとに、半夏を過ぎないようにとの言い習わしがある。
5.半夏生の日には天から毒が降り、毒草が生えるなどといって、いろいろの禁忌がある。この日竹林に入ってはならぬという。タケの花の咲いているのを見ると死ぬという。また畑の野菜や果物をこの日食べると病気になるという。
6.熊本県玉名郡ではこの日ウマにけっして青草を食べさせない。
7.秋田県平鹿(ひらか)郡では半夏の日に草で目を突くと盲目になるといっている。
8.熊本県阿蘇郡では半夏の日に生梅を食べると頭がはげるといって忌み、同県八代(やつしろ)郡ではこの日朝寝をすると頭がはげるといって昔から早起きしたという。
9.熊本県の天草(あまくさ)地方では半夏の日は水泳ぎを始める日で、その前には水に入らない。
10.阿蘇地方ではダユルシといって八十八夜から半夏生までの間にウシの放牧を許されており、それ以後は家へ連れていかねばならない。
11.香川県の西部地方では半夏生を上半期の決算期としている。
などなど。
非常に興味深いものがあります。
全国の皆さんにご当地の言い伝えをお伺いしたいですね。
そう言えば、外国の習俗はどうなんでしょう?
だそうです。外国では、中国で夏至節の行事があった。ただし陰暦などの関係によると思うが、端午の節供と混同した行事がみられる。『荊楚歳時記(けいそさいじき)』によれば、夏至節には「角黍(かくしょ)」といってちまきを食すとあり、また楝(おうち)の葉を頭に挿して、五色の糸を臂(ひじ)に掛け「長命縷(ちょうめいる)」となしたとあるのは、5月5日の行事と同様である。そのほか、キクをとって灰をつくり小麦の虫害を防ぐことも行われた。
ヨーロッパでも、夏至の行事は広く行われていた。イギリスでは夏至祭といっても正確な夏至の日でなく、その3日後の聖ヨハネの誕生日に行われている。国々によって行事には異同があるが、共通していることは火祭の行われることである。夏至の祝い火の周りを人々は踊り歩き、火を跳び越えたりする。酒を飲んで大騒ぎするのである。火は多く小高い所で焚(た)くので、風上から吹き付ける煙が畑の作物の上を吹くと豊作になると信じられている。フランスのプロバンス地方では子供たちが火焚きの薪(たきぎ)を集めて歩くというのは、わが国の小正月(こしょうがつ)のどんど焼きとよく似ている。ドイツのプロシア地方では夏至の祝い火は落雷除(よ)け、魔法除け、牛疫除けと信じられている。ハンガリーでは夏至のころはヘビが跳梁(ちょうりょう)しだすが、火祭は蛇を駆逐して作物の収穫を守ってくれると信じられている。夏至の火祭は、これを過ぎると日がだんだんと短くなるので、これを防ぐために火を焚いて太陽の活力の衰えるのを防止するにあったといわれている。
スウェーデンでは、夏至祭の前夜に未婚の女性が7種類(地域によっては9種類)の野花を摘んで枕の下に置いて眠ると、未来の夫となる人に夢の中で逢えるという言い伝え。花は、独り静寂の中で摘まねばならず、もし教会の庭で見つけたものであれば効果も増すといわれている。また、夏至祭前夜には湧き水に含まれる成分の効力が強くなると言い伝えられており、それを飲んだり浴びたりする習わしがある。
(ニッッポニカ)
民族性みたいなものが垣間見られますね。
先程、「夏至」には思い当たる風習がないと云いましたが・・・
思い出しました。
「二見興玉神社の夏至祭」です。
伊勢参宮の折りの浜参宮、夫婦岩で有名な二見興玉神社では、この夏至の日に、 夫婦岩の中央から日が昇ります。運が良ければ富士山も拝することが出来るんだそうです。興味のある方は、高速1000円の今、たまたま日曜日でもありますのでお出かけしてみては如何でしょうか?
【二見興玉神社HPより】
夏至祭 6月21日 午前3時30分
夏至の日の出と共に禊をする祭典で夫婦岩の前にて禊を行います。
古来より二見浦一帯は禊浜と尊ばれ、伊勢参宮を間近に控えた人々がその浜辺で汐水を浴び、心身を清め、罪穢れを祓うべく、禊祓をされた場所でありました。
また人々は夫婦岩から差し昇る『日の大神』を拝してまいりました。特に夏至の日の出は夫婦岩の中央そして富士の背より輝き昇る朝日は筆舌に尽くし難い感動を覚えます。
一年のうち、最も日のエネルギーが溢れる夏至の日の出と禊の神秘を体感致したく、午前3時30分より夏至祭を斎行し、続いて日の出の時刻【午前4時40分頃】に合わせて禊行事を行っています 。
禊参加者は全国より老若男女を問わず、多数御参加頂いております。
→夏至祭の流れ【平成21年の予定】
鎮魂・息吹修法(本殿) 6月20日 午後3時30分~午後7時30分
夏至祭(本殿) 6月21日 早朝 午前3時30分
禊修法(夫婦岩付近) 6月21日 午前4時30分(約1時間)
初穂料
全修法参加【20、21日】 5000円 禊修法参加【21日のみ】 3000円
* 参集殿宿泊希望の方は別に3000円
お風呂券・直会券(おこわ)が付きます。
服装
男性:鉢巻・褌 女性:鉢巻・禊着 (原則として初回、禊教本・鉢巻を授与します)
* 褌【300円】 禊着【5000円】にて御準備しております
参加御希望の方は社務所まで御連絡下さい。
二見興玉神社社務所
℡0596-43-2020
また、最近では「100万人のキャンドルナイト」というイベントも行われているようですね。
----------------------------------------------------------------------私たちは100万人のキャンドルナイトを呼びかけます。
2009年の夏至前夜、6月20日~7月7日の夜8時から10時の2時間、
みんなでいっせいにでんきを消しましょう。
ロウソクのひかりで子どもに絵本を読んであげるのもいいでしょう。
しずかに恋人と食事をするのもいいでしょう。
ある人は省エネを、ある人は平和を、
ある人は世界のいろいろな場所で生きる人びとのことを思いながら。
プラグを抜くことは新たな世界の窓をひらくことです。
それは人間の自由と多様性を思いおこすことであり、
文明のもっと大きな可能性を発見する
プロセスであると私たちは考えます。
一人ひとりがそれぞれの考えを胸に、
ただ2時間、でんきを消すことで、
ゆるやかにつながって「くらやみのウェーブ」を
地球上にひろげていきませんか。
2009年、6月21日、夏至の日。よる8時から10時。
でんきを消して、スローな夜を。
100万人のキャンドルナイト。
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FMおかざき「心の宅急便」の34回目。
梅の実取りと交通安全パレードの合間の放送でした^^;
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6月に入りました。
6月は「水無月」とも言いますね。
「水無月」は 陰暦6月のことです。
「な」は「ない」の意に意識されて「無」の字があてられますが、本来は「の」の意で、「水の月」「田に水を引く必要のある月」の意から「みなづき」と言うようです。
前にお話しした「神無月」と一緒ですね。
ちなみに、他にも面白い語源があるようです。
『奥義抄(おうぎしょう)』という書物には、・・・
農事がみな為尽(しつ)きてしまうので「みなしつき」といったのを誤ったのだという説。
5月に植えた早苗がみな根づいた意からだという説。
が紹介されています。
上手いこと言うものだと感心しますよね。
さて、6月と言えば、「梅雨」ですね。
今年の梅雨入りがいつ頃かも気になりますが・・・・。
「梅雨(ばいう)」というのも読んで字の如し。
「梅の実の熟する頃の雨」という意味ですね。
でも、古くは、「黴雨(ばいう)」とも書いたようです。
これも文字通り、「カビの生える季節の雨」という意味です^^;
ただ、イメージとして黴よりは梅の方が風情がありますよね。
それで、今は「梅雨」と書く方が残ったのではないかと考えられます。
「梅雨」が「梅の実の熟する頃」ですから、今がまさに梅の収穫時期に当たります。
実は、うちの天満宮では、本日、梅の実の収穫作業を行っています。
早朝から、氏子総代さんや敬神婦人会の皆さんにお手伝いいただきながら、賑やかに行っているんですよ。
収穫した梅の実は、 梅干しに奉製して、お下がりとして参詣者の皆さんにお頒ちするんです。
天神さまと梅の由縁については、前にもお話ししましたね。
そうなんです。
今頃、全国の天満宮では、梅の収穫真っ盛りなんですね。
さて、「梅干し」には、さまざまな効能があることが知られています。
クエン酸やリンゴ酸などの有機酸が多く含まれているためで、良く言われるのは次の効能でしょうか。
①疲労防止、疲労回復に効く。
クエン酸の乳酸を溜まりにくくする作用。
②血液のPHバランスを整える。
酸性食品ばかりを食すると血液も酸性になる。
これをアルカリ性の梅が中和する。
③骨粗鬆症予防。
クエン酸にカルシウムの吸収を助ける働きがある。
④雑菌から身体を守る。
腸内の殺菌作用。日の丸弁当。
⑤ムメフラールという成分。
梅肉エキスに含まれる。血液をさらさらにする。
(果汁を加熱すると生成される)
これ以外にも最新の研究では・・・
イ.梅干しがピロリ菌を抑制
ヘリコバクター・ピロリ菌という菌が、胃炎や十二指腸潰瘍の原因として知られています。
和歌山県立医科大学の宇都宮先生らの研究で、梅干しに含まれるシリンガレシノール(梅リグナン)がヘリコバクター・ピロリ菌の活動を抑制することが明らかになったとか。
ロ.梅干しが血糖値を下げる
日本人に非常に多い生活習慣病である糖尿病。
遺伝体質や食べ過ぎ、運動不足、肥満、ストレスなどが原因と言われています。
梅干しに血糖値を下げる効果があるかどうか・・・ラットを使った研究では糖尿病にかかっているラットに梅肉エキス入りの飼料(人の場合は梅干しでも 同様)を与えたところ、血糖値が正常範囲の数値であったことから、血糖値を下げる効果のあることが推測されるとか。
ハ.梅干しが血圧の上昇を抑える
血圧と動脈硬化は連動していて、動脈硬化になると血圧が上がり、血圧があがると動脈硬化になるという悪循環をおこすんだそうです。
血圧を上げ動脈硬化を引き起こす原因として、アンギオテンシンⅡというホルモンが大きく関与しているからと言われています。
梅干しでアンギオテンシンⅡの働きを抑制できるかどうか・・・ラットを使った研究では、塩と水を与えるより、塩と梅のほうが血圧が低く、梅干しに血圧 の上昇を抑える働きがあることがわかり、また梅干しは動脈硬化を引き起こすアンギオテンシンⅡの活性化が80~90%抑えられることが確認されているんだとか。
先人の知恵というか・・・
梅干しは奥深いですね^^;
梅繋がりでもう一つ。
「塩梅」という言葉があります。
「按配」とも書きますね。
当宮では、今から梅干しを漬ける訳ですが、まさに塩加減が重要です。
(配分は、専らお袋の専売特許ですが・・・)
私自身、常々「イイあんばい」で物事が進むように努力しているんですが・・・
なかなか難しいですよね。
そういえば、本日これから、伝馬通で母校・梅園小学校の交通安全パレードがあります。
「梅」繋がりの宣伝で恐縮ですが、お近くの皆さんは是非沿道での御声援をお願い申し上げます。
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梅の実取りと交通安全パレードの合間の放送でした^^;
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6月に入りました。
6月は「水無月」とも言いますね。
「水無月」は 陰暦6月のことです。
「な」は「ない」の意に意識されて「無」の字があてられますが、本来は「の」の意で、「水の月」「田に水を引く必要のある月」の意から「みなづき」と言うようです。
前にお話しした「神無月」と一緒ですね。
ちなみに、他にも面白い語源があるようです。
『奥義抄(おうぎしょう)』という書物には、・・・
農事がみな為尽(しつ)きてしまうので「みなしつき」といったのを誤ったのだという説。
5月に植えた早苗がみな根づいた意からだという説。
が紹介されています。
上手いこと言うものだと感心しますよね。
さて、6月と言えば、「梅雨」ですね。
今年の梅雨入りがいつ頃かも気になりますが・・・・。
「梅雨(ばいう)」というのも読んで字の如し。
「梅の実の熟する頃の雨」という意味ですね。
でも、古くは、「黴雨(ばいう)」とも書いたようです。
これも文字通り、「カビの生える季節の雨」という意味です^^;
ただ、イメージとして黴よりは梅の方が風情がありますよね。
それで、今は「梅雨」と書く方が残ったのではないかと考えられます。
「梅雨」が「梅の実の熟する頃」ですから、今がまさに梅の収穫時期に当たります。
実は、うちの天満宮では、本日、梅の実の収穫作業を行っています。
早朝から、氏子総代さんや敬神婦人会の皆さんにお手伝いいただきながら、賑やかに行っているんですよ。
収穫した梅の実は、 梅干しに奉製して、お下がりとして参詣者の皆さんにお頒ちするんです。
天神さまと梅の由縁については、前にもお話ししましたね。
そうなんです。
今頃、全国の天満宮では、梅の収穫真っ盛りなんですね。
さて、「梅干し」には、さまざまな効能があることが知られています。
クエン酸やリンゴ酸などの有機酸が多く含まれているためで、良く言われるのは次の効能でしょうか。
①疲労防止、疲労回復に効く。
クエン酸の乳酸を溜まりにくくする作用。
②血液のPHバランスを整える。
酸性食品ばかりを食すると血液も酸性になる。
これをアルカリ性の梅が中和する。
③骨粗鬆症予防。
クエン酸にカルシウムの吸収を助ける働きがある。
④雑菌から身体を守る。
腸内の殺菌作用。日の丸弁当。
⑤ムメフラールという成分。
梅肉エキスに含まれる。血液をさらさらにする。
(果汁を加熱すると生成される)
これ以外にも最新の研究では・・・
イ.梅干しがピロリ菌を抑制
ヘリコバクター・ピロリ菌という菌が、胃炎や十二指腸潰瘍の原因として知られています。
和歌山県立医科大学の宇都宮先生らの研究で、梅干しに含まれるシリンガレシノール(梅リグナン)がヘリコバクター・ピロリ菌の活動を抑制することが明らかになったとか。
ロ.梅干しが血糖値を下げる
日本人に非常に多い生活習慣病である糖尿病。
遺伝体質や食べ過ぎ、運動不足、肥満、ストレスなどが原因と言われています。
梅干しに血糖値を下げる効果があるかどうか・・・ラットを使った研究では糖尿病にかかっているラットに梅肉エキス入りの飼料(人の場合は梅干しでも 同様)を与えたところ、血糖値が正常範囲の数値であったことから、血糖値を下げる効果のあることが推測されるとか。
ハ.梅干しが血圧の上昇を抑える
血圧と動脈硬化は連動していて、動脈硬化になると血圧が上がり、血圧があがると動脈硬化になるという悪循環をおこすんだそうです。
血圧を上げ動脈硬化を引き起こす原因として、アンギオテンシンⅡというホルモンが大きく関与しているからと言われています。
梅干しでアンギオテンシンⅡの働きを抑制できるかどうか・・・ラットを使った研究では、塩と水を与えるより、塩と梅のほうが血圧が低く、梅干しに血圧 の上昇を抑える働きがあることがわかり、また梅干しは動脈硬化を引き起こすアンギオテンシンⅡの活性化が80~90%抑えられることが確認されているんだとか。
先人の知恵というか・・・
梅干しは奥深いですね^^;
梅繋がりでもう一つ。
「塩梅」という言葉があります。
「按配」とも書きますね。
という意味です。あんばい
①(安排・按排)(─する)程よく配置したり処置したりすること。また、あやつること。
②(形動)(─する)食物の味加減を調えること。また、その味加減。および、よい味加減であること。えんばい。
③物事のほどあいや様子。また、やり方。
④身体の具合。健康状態。
【語誌】
程よく排列する意の「あんばい(安排・按排)」と、塩と梅の酢で食物の味加減を調える意の「えんばい(塩梅)」とが、中世末期から近世初頭にかけて混同されて使われた語とされる。したがって近世では用字の混用が認められるが、現代ではほぼ「塩梅」と書いてもアンバイと読むようになり、「按配する」「按排する」と、サ変動詞の語幹として使われるとき以外には「塩梅」と書かれるのが普通になった。
(日国)
当宮では、今から梅干しを漬ける訳ですが、まさに塩加減が重要です。
(配分は、専らお袋の専売特許ですが・・・)
私自身、常々「イイあんばい」で物事が進むように努力しているんですが・・・
なかなか難しいですよね。
そういえば、本日これから、伝馬通で母校・梅園小学校の交通安全パレードがあります。
「梅」繋がりの宣伝で恐縮ですが、お近くの皆さんは是非沿道での御声援をお願い申し上げます。
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FMおかざき「心の宅急便」の33回目。
またまたUPが遅くなりましたm(_ _)m
放送は、5月26日。
お伊勢参りの道中、近鉄特急の車内からの放送になりました。
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「五月晴れ」(さつきばれ)という言葉をご存知ですか?
「五月のさわやかに晴れわたった空」をイメージされる方も多いと思います。
英語で言えば、
fine weather in May
でしょうか。
でも、元々は・・・・
「梅雨の合間の晴天のこと」なんだそうです。
英語では
fine weather during the rainy season
ですね。
辞書にも、
旧暦5月(さつき)は、新暦の6月ですから、まさに梅雨時ですよね。
梅雨の季節の有り難い晴天ですから、特別な名称が出来たのでしょう。
ただ、今では「五月のさわやかに晴れわたった空」も間違いだとは言い切れないようですね。
気象庁HPの予報用語の解説には、
「梅雨の合間の晴れ」も「新緑の季節の風薫る晴天」もどちらも気分爽快な晴天には違いありませんものね^^;
さて、「皐月」(さつき)という言葉について少し調べてみましょう。
陰暦5月のことを指すのはお分かりですよね。
「さつき」という和語の語源には諸説あるようですが、「早苗(さなえ)月」からきているという説が有力のようです。
先日の端午の節供の話でもお話ししましたが、陰暦5月は田植えをする季節です。
なるほどと思いますよね。
ちなみに、漢字の「皐」は
漢和辞典には、
じめじめとしたイメージを感じさせる漢字ですね^^;
まさに梅雨の月ということでしょう。
そう言えば、「五月雨」(さみだれ)とか「五月雲」(さつきぐも)という言葉があります。
「五月雨」は、陰暦五月頃に降りつづく長雨のことですね。
「五月雲」は、五月雨の降るころのうっとうしい雲のことです。
ちなみに、
「梅雨」は主として五月雨の降る季節をさし、「五月雨」は雨そのものをさすことが多いんだそうです。
なるほど。
「五月」=「さわやか」というイメージが割と新しいものであることがお分かりいただけると思います。
東海地方の梅雨入り、平年は6月8日頃だそうです。
今年の梅雨入りはどうなるでしょうか?
こんな諺もあるようです。
昔は違ったのでしょうかねえ???
また、
「五月」繋がりで・・・・
「五月蠅」という漢字は何と読むかお分かりでしょうか?
古くは「さばえ」と読みました。
上古の古事記や日本書紀では、
「五月蠅なす」(さばえなす)という表現でよく使われています。
陰暦五月頃の蠅のようにの意で、騒がしく、煩わしいさまを表します。
主に悪い神さま(邪神)の形容として用いられています。
また、万葉集などでは、「騒ぐ」「荒ぶ」などにかかる枕詞として使われています。
これが後に転じて、「五月蠅し」(うるさし)、「五月蠅い」(うるさい)となったんですね。
ただ、和語の「うるさし(うるさい)」の意味を調べてみると面白いことが分かります。
色々なことに精通していてとても太刀打ちできない。
→だから敬遠しがち。
→鬱陶しい。
といったところでしょうか。
私自身、御託を並べることが多いので^^;
家族からは、うるさがられています。
勿論、決して完璧なということではなく、蠅のようにうるさいということでしょうね。
ついでにもう一つ。
中世には「うるさし」を「右流左死」と表記した例が多くみられると言うことです。
何だか昔流行った?「夜露死苦」や「愛羅武勇」みたいですね。
その由来は、ちょっと天神さまと関係があるんです。
「江談抄‐三」に次の記事があります。
「菅家」というのは、菅原道真公で天神さまのことです。「時平」は藤原時平のことですね。
当時、菅公は右大臣、時平は左大臣を務めていました。
共に優秀な人材でしたが、色々あって、菅公は左遷され、時平は菅公の祟りで逝去されます。
この故事から「右流左死」と書くんだということのようですね。
善悪は別として、上手い言葉遊びだと思います。
これから梅雨の季節がやってきます。
長雨で出かけることもなく、退屈なときは、色々と調べてみると面白いかも知れませんね。
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このネタの一部を、先日の懇親会のスピーチで流用させていただきました^^;
反応は・・・
話をするって本当に難しいですね。
またまたUPが遅くなりましたm(_ _)m
放送は、5月26日。
お伊勢参りの道中、近鉄特急の車内からの放送になりました。
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「五月晴れ」(さつきばれ)という言葉をご存知ですか?
「五月のさわやかに晴れわたった空」をイメージされる方も多いと思います。
英語で言えば、
fine weather in May
でしょうか。
でも、元々は・・・・
「梅雨の合間の晴天のこと」なんだそうです。
英語では
fine weather during the rainy season
ですね。
辞書にも、
とあります。五月晴れ
①旧暦5月の梅雨の合間の晴天のこと。
②五月のさわやかに晴れわたった空。
(日国)
旧暦5月(さつき)は、新暦の6月ですから、まさに梅雨時ですよね。
梅雨の季節の有り難い晴天ですから、特別な名称が出来たのでしょう。
ただ、今では「五月のさわやかに晴れわたった空」も間違いだとは言い切れないようですね。
気象庁HPの予報用語の解説には、
とあります。5月の晴天。
(備考)本来は旧暦の5月(さつき)からきたことばで、梅雨の合間の晴れのことを指していた。
「梅雨の合間の晴れ」も「新緑の季節の風薫る晴天」もどちらも気分爽快な晴天には違いありませんものね^^;
さて、「皐月」(さつき)という言葉について少し調べてみましょう。
陰暦5月のことを指すのはお分かりですよね。
「さつき」という和語の語源には諸説あるようですが、「早苗(さなえ)月」からきているという説が有力のようです。
先日の端午の節供の話でもお話ししましたが、陰暦5月は田植えをする季節です。
なるほどと思いますよね。
ちなみに、漢字の「皐」は
漢和辞典には、
とあります。字音 コウ(カウ)
字訓 しろい・さわ・たかい・ああ
皐を人名用漢字として用いるが、字形としては皋に作るのがよい。
皋は風雨にさらされている獣屍の形。
(字通)
じめじめとしたイメージを感じさせる漢字ですね^^;
まさに梅雨の月ということでしょう。
そう言えば、「五月雨」(さみだれ)とか「五月雲」(さつきぐも)という言葉があります。
「五月雨」は、陰暦五月頃に降りつづく長雨のことですね。
「五月雲」は、五月雨の降るころのうっとうしい雲のことです。
ちなみに、
「梅雨」は主として五月雨の降る季節をさし、「五月雨」は雨そのものをさすことが多いんだそうです。
なるほど。
「五月」=「さわやか」というイメージが割と新しいものであることがお分かりいただけると思います。
東海地方の梅雨入り、平年は6月8日頃だそうです。
今年の梅雨入りはどうなるでしょうか?
こんな諺もあるようです。
梅雨時に降らないと、水不足が心配されるような気がしますが・・・・。「五月旱(ひでり)に米買うな」
陰暦五月にひでりが続けば豊作の兆としたので、米価がさがるからそれまで買うのを待てということ。
昔は違ったのでしょうかねえ???
また、
「五月 の 腐れ鯛」
陰暦五月の鯛は腐りやすく、味が悪いことをいう語。
という諺も某辞書に載っていました。「五月の盲芋(めくらいも)」
陰暦五月の山の芋は容易に掘ることができるので、山の芋はこの時節に掘るものであるの意。
「五月」繋がりで・・・・
「五月蠅」という漢字は何と読むかお分かりでしょうか?
古くは「さばえ」と読みました。
という意味です。陰暦五月頃にむらがりさわぐ蠅。夏の蠅。小さな蠅。
(日国)
上古の古事記や日本書紀では、
「五月蠅なす」(さばえなす)という表現でよく使われています。
陰暦五月頃の蠅のようにの意で、騒がしく、煩わしいさまを表します。
主に悪い神さま(邪神)の形容として用いられています。
また、万葉集などでは、「騒ぐ」「荒ぶ」などにかかる枕詞として使われています。
これが後に転じて、「五月蠅し」(うるさし)、「五月蠅い」(うるさい)となったんですね。
ただ、和語の「うるさし(うるさい)」の意味を調べてみると面白いことが分かります。
元々は、完璧な人をさして「うるさい」と言ったようですね。五月蠅い(うるさい)
①いきとどいて完全であるさまをいう。また、その度が過ぎて、反発されたり敬遠されたりするさまをいう。平安時代の例では多くその両面をもった表現になる。
②ものが多くつきまといすぎて煩わしい。うっとうしい。やかましい。
③物音が大きすぎて耳障りである。やかましい。
(日国)
色々なことに精通していてとても太刀打ちできない。
→だから敬遠しがち。
→鬱陶しい。
といったところでしょうか。
私自身、御託を並べることが多いので^^;
家族からは、うるさがられています。
勿論、決して完璧なということではなく、蠅のようにうるさいということでしょうね。
ついでにもう一つ。
中世には「うるさし」を「右流左死」と表記した例が多くみられると言うことです。
何だか昔流行った?「夜露死苦」や「愛羅武勇」みたいですね。
その由来は、ちょっと天神さまと関係があるんです。
「江談抄‐三」に次の記事があります。
読み下すと、「世以 英雄之人 称 右流左死 。其詞有 由緒 。昔菅家為 右府 。時平為 左府 。共人望也。其後右府有 事被 流。左府薨逝。故時人称 有 人望 之者 号 右流左死 云々」
でしょうか。世に英雄の人をもって「右流左死」と称す。その詞に由緒あり。昔菅家右府をなし、時平左府をなす。共に人望なり。その後、右府流さるることあり。左府薨逝す。故に時の人人望ある者を称して「右流左死」と号す。云々。
「菅家」というのは、菅原道真公で天神さまのことです。「時平」は藤原時平のことですね。
当時、菅公は右大臣、時平は左大臣を務めていました。
共に優秀な人材でしたが、色々あって、菅公は左遷され、時平は菅公の祟りで逝去されます。
この故事から「右流左死」と書くんだということのようですね。
善悪は別として、上手い言葉遊びだと思います。
これから梅雨の季節がやってきます。
長雨で出かけることもなく、退屈なときは、色々と調べてみると面白いかも知れませんね。
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このネタの一部を、先日の懇親会のスピーチで流用させていただきました^^;
反応は・・・
話をするって本当に難しいですね。
φ(.. )Facebook Comments♪♫•*¨*•.¸¸♪♫•*¨*•.¸¸♪♫•
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FMおかざき「心の宅急便」の32回目。
「ことばの話」です。
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昨日5月18日は「ことばの日」だったみたいですね。
朝、車のカーナビが教えてくれました。
どうやら 518の語呂合わせのようですが、「正しい言葉遣いについて考える日」ということでしょうか?
そういえば、朝のTV番組で産経新聞の記事を紹介して、男言葉・女言葉のことを言っていましたね。
ネットからの引用ですが、以下にご紹介します。
※旺文社「第6 回ことばに関するアンケート」集計結果
面白いアンケート結果というべきか、嘆かわしい結果というべきか・・・。
色々と考えさせられますね。
きれいな言葉ときたない言葉。
男言葉と女言葉。
使い分けが上手くできなくなってきているのでしょうか。
中性化する言葉遣いっていうのは、もしかしたら、男らしさや女らしさを否定する教育の影響なんでしょうか?
何がきれいな言葉遣いが分からないという回答が多いのも気になります。
でも、これは子どもに限ったことではないですよね。
仲間内での言葉と、社会の中での言葉(タメ口^^;)の区別が出来ない大人も多くいます。
特に電話セールスに多いような気がするのは、私だけでしょうか。
TPOに応じた言葉遣いを身につける必要がありますよね。
時折、社頭でも、???と首をかしげたくなるような口調で話す方もいらっしゃいますね^^;
そういえば、敬語が使えない社会人の増加も問題になっていますね。
そもそも「ことば」というのは、・・・
こと(言)+は(端・葉)です。「ことのは」という古語もありますね。
また、古くは「こと(言)」【言語】と「こと(事)」【事柄】は区別されていなかったようです。
「事」が「言」に表れたときに、始めて知覚されるという説もあります。
ちょっと難しいですね。
「まこと」=「ま」+「こと」
が分かりやすいでしょうか。
「まこと」は、真実、事実、真理、うそでないこと・・・
という意味ですが、この「こと」言葉であると同時に、事柄でもあります。
ところで、神道には、言霊(ことだま)の信仰・思想があります。
言霊というのは、・・・
その最たるものが、神社で神主さんが奏上する祝詞なんですね。
祝詞は、神主自身が大和言葉で作文するんですが、神さまに奏上する言葉ですから、特に気をつけて、美しいことばでなくてはなりません。
この言霊信仰ですが、神社だけでなく、一般社会にも残っています。
「○○○○なんて、縁起でもない。」
なんて言ったりしますよね。
結婚式で「切れる」、「帰る」、「終わる」などを避けたり、受験生に「落ちる」「滑る」が禁句なのも、まさにこれですm(_ _)m
これは「忌み言葉」と言います。
余談ですが、伊勢神宮ではこんな「忌み言葉」が使われていたようですよ。
「経」を「染紙(そめがみ)」
「僧」を「髪長(かみなが)」
と言ったり、
「死」を「なおる」
「血」を「あせ」
と言ったりしていたようです。
話がそれました。
逆に、語呂合わせの縁起担ぎもありますね。
「2951」=「福来い」とか、「橙」=「代々」とか、「二升半」=「ますます繁盛」とか・・・
躾や教育でも、「お前はダメだ」「悪い子だ」と言って育てるより、褒めて育てるのが良いとも言いますよね。
これもある意味、言霊信仰かも知れません。
さて、「ことば」は、言うまでもなくコミュニケーションの手段です。
正しい使い方をしないと、正しく伝えることが出来ません。
同じ言葉でも、状況によって様々な意味を持ちますし、言い方一つで、誤解を生じたりもします。
また、「ことば」は文化の中核をなすものでもありますね。
日本語があって、日本文化が成り立つとも言えるでしょう。
言葉は変化するものでもありますが、正しい使い方を出来るだけ崩さないようにしたいものですね。
それには、やっぱり国語教育の重要性を再認識する必要があるとも思います。
英語教育も良いですが・・・・。
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「ことばの話」です。
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昨日5月18日は「ことばの日」だったみたいですね。
朝、車のカーナビが教えてくれました。
どうやら 518の語呂合わせのようですが、「正しい言葉遣いについて考える日」ということでしょうか?
そういえば、朝のTV番組で産経新聞の記事を紹介して、男言葉・女言葉のことを言っていましたね。
ネットからの引用ですが、以下にご紹介します。
このアンケートの詳細もネットにありました。「おまえ、いいかげんにしろよ」男言葉使う女子3割
MSN産経ニュース 2009.5.17 19:53
「おまえ、いいかげんにしろよ」など男性言葉を使う女子が約3割いるなど言葉遣いが「中性化」している実態が小・中・高校生らを対象に行った旺文社の「ことばに関するアンケート」で分かった。
旺文社生涯学習検定センターが実施している「語彙(ごい)力検定」受検者を対象に昨年11~12月に行ったアンケートで小学生から高校生約1万人が回答した。
今回は「言葉の美醜」をテーマにアンケート。
「男子と女子が使う言葉は同じだと思うか」という質問では約7割が「いいえ」と答えた。しかし、次のような言葉遣いをするかどうか聞いたところ、「おま え、いいかげんにしろよ」という言葉を実際に使うとしたのは男子で63.6%、女子でも27.6%いた。「このカレーライスうまいね」では男子は 70.3%、女子は33.5%だった。
一方、「きれいな言葉遣いで話したい」という子は47.5%。「あなたの近くにきれいな言葉遣いで話す人はいますか」と聞いたところ53.2%と過半数が「はい」と答えたが、32.8%が「わからない」とした。
近くにきれいな言葉遣いをする人がいるとした子に誰か聞いたところ、女子は「女の友達」(52.0%)▽「学校の先生」(30.7%)▽「母 親」(27.8%)と友達が教師や母親らを抜いて1位。男子は「学校の先生」(30.6%)▽「男の友達」(30.0%)などだった。
※旺文社「第6 回ことばに関するアンケート」集計結果
面白いアンケート結果というべきか、嘆かわしい結果というべきか・・・。
色々と考えさせられますね。
きれいな言葉ときたない言葉。
男言葉と女言葉。
使い分けが上手くできなくなってきているのでしょうか。
中性化する言葉遣いっていうのは、もしかしたら、男らしさや女らしさを否定する教育の影響なんでしょうか?
何がきれいな言葉遣いが分からないという回答が多いのも気になります。
でも、これは子どもに限ったことではないですよね。
仲間内での言葉と、社会の中での言葉(タメ口^^;)の区別が出来ない大人も多くいます。
特に電話セールスに多いような気がするのは、私だけでしょうか。
TPOに応じた言葉遣いを身につける必要がありますよね。
時折、社頭でも、???と首をかしげたくなるような口調で話す方もいらっしゃいますね^^;
そういえば、敬語が使えない社会人の増加も問題になっていますね。
そもそも「ことば」というのは、・・・
こと(言)+は(端・葉)です。「ことのは」という古語もありますね。
また、古くは「こと(言)」【言語】と「こと(事)」【事柄】は区別されていなかったようです。
「事」が「言」に表れたときに、始めて知覚されるという説もあります。
ちょっと難しいですね。
「まこと」=「ま」+「こと」
が分かりやすいでしょうか。
「まこと」は、真実、事実、真理、うそでないこと・・・
という意味ですが、この「こと」言葉であると同時に、事柄でもあります。
ところで、神道には、言霊(ことだま)の信仰・思想があります。
言霊というのは、・・・
ということですが、これは今でもしっかりと根付いています。ことばに宿ると信じられた霊力。
発せられたことばの内容どおりの状態を実現する力がある。
「敷島の大和(やまと)の国は言霊の幸(さき)はふ国」(万葉集)
その最たるものが、神社で神主さんが奏上する祝詞なんですね。
祝詞は、神主自身が大和言葉で作文するんですが、神さまに奏上する言葉ですから、特に気をつけて、美しいことばでなくてはなりません。
この言霊信仰ですが、神社だけでなく、一般社会にも残っています。
「○○○○なんて、縁起でもない。」
なんて言ったりしますよね。
結婚式で「切れる」、「帰る」、「終わる」などを避けたり、受験生に「落ちる」「滑る」が禁句なのも、まさにこれですm(_ _)m
これは「忌み言葉」と言います。
余談ですが、伊勢神宮ではこんな「忌み言葉」が使われていたようですよ。
「仏」を「中子(なかご)」延喜式〔927〕五・神祇・斎宮
凡忌詞、内七言、仏称 中子 、経称 染紙 、塔称 阿良良岐 、寺称 瓦葺 、僧称 髪長 、尼称 女髪長 、斎称 片膳 。外七言、死称 奈保留 、病称 夜須美 、哭称 塩垂 、血称 阿世 、打称 撫、宍称 菌、墓称 壌。又別忌詞、堂称 香燃 、優婆塞称 角筈
「経」を「染紙(そめがみ)」
「僧」を「髪長(かみなが)」
と言ったり、
「死」を「なおる」
「血」を「あせ」
と言ったりしていたようです。
話がそれました。
逆に、語呂合わせの縁起担ぎもありますね。
「2951」=「福来い」とか、「橙」=「代々」とか、「二升半」=「ますます繁盛」とか・・・
躾や教育でも、「お前はダメだ」「悪い子だ」と言って育てるより、褒めて育てるのが良いとも言いますよね。
これもある意味、言霊信仰かも知れません。
さて、「ことば」は、言うまでもなくコミュニケーションの手段です。
正しい使い方をしないと、正しく伝えることが出来ません。
同じ言葉でも、状況によって様々な意味を持ちますし、言い方一つで、誤解を生じたりもします。
また、「ことば」は文化の中核をなすものでもありますね。
日本語があって、日本文化が成り立つとも言えるでしょう。
言葉は変化するものでもありますが、正しい使い方を出来るだけ崩さないようにしたいものですね。
それには、やっぱり国語教育の重要性を再認識する必要があるとも思います。
英語教育も良いですが・・・・。
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φ(.. )Facebook Comments♪♫•*¨*•.¸¸♪♫•*¨*•.¸¸♪♫•
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FMおかざき「心の宅急便」の31回目。
放送は5月12日。
岡谷市からの放送でした。
UPが遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
----------------------------------------------------------------------
立夏を過ぎて、だんだん夏らしくなってきました。
木陰が心地よい季節ですね。
さて、私の好きな言葉の一つに「おかげさま」があります。
「最近、どうですか?」
「お陰様で・・・」
「お陰様で○周年」
などと使いますね。この「おかげさま」です。
「おかげさま」=「お」+「かげ」+「さま」
であることは、すぐにお分かりいただけるでしょう。
古くは、「みかげ」=「み」+「かげ」
と言ったようです。
それが、室町末期に「おかげ」となり、更には江戸時代ぐらいから「おかげさま」となったようです。
「かげ」には、「影」・「陰」・「蔭」・「翳」・・・・
と言った漢字が充てられますが、実は日本語の「かげ」には、Shadow の「かげ」だけでなく「光」の意味もあることをご存知でしょうか?
そう、「月影」の「かげ」ですね。
これは、月の光が当たったことによって出来る影ではなく、「月明かり」を意味します。
月の光そのものが「月影」なんですね。
語源説もいろいろあるのですが、古語の「かが」がその語源だという説が有力です。
この「かが」には、
「かげ」を調べてみても。
では、「かげ」が、何故「光」と「影」の意味をもつのでしょうか?
光がなければ、影は出来ません。また、影の出来ない光はありません。
どちらも単独では存在し得ないんです。
ここが非常に重要で、古代の人々は両者を本質的に同じモノと捉えていたんじゃないかと思うんです。
他にも・・・・
右と左、上と下、表と裏、昼と夜、陰と陽、生と死・・・・
なども同じだと言えるかも知れません。
また、日本書紀では、「霊」の字が「みかげ」「みたま」と訓まれています。
神さまや天皇の霊威、恩徳、加護を意味しているんだそうです。
古代人は光と影にみられる神秘的なはたらき、そこに神や霊を見出したのかもしれません。
そして、これを「かげ」「みかげ」と称したのではないでしょうか?
亡くなった人の姿も「かげ」といいます。「面影」の「かげ」ですね。
ということは・・・
「おかげさま」というのは、目に見えないもののはたらき(神、祖先、他人など)に感謝する「有り難さ」を表現する言葉だということが分かりますね。
人は常に、何かに支えられ、庇護を受けて生きています。
決して自分の力だけでは生きていけません。
つねに「おかげさま」と言える感謝の心を忘れずにいたいものですね。
さて、「神宮式年遷宮」をご存知でしょうか。
20年に一度両正宮をはじめ、十二別宮などの御社殿を造り替え、御装束神宝も新たに調整して神さまのお引っ越しをする伊勢神宮で最も大切なお祭りのことです。
そして、この伊勢神宮の御遷宮のあった翌年のことを「お蔭年(おかげどし)」といい、特に御利益があるということで、江戸時代には三度、お伊勢まいりの爆発的なブームがおきました。これを「お蔭参り(おかげまいり)」といいます。
宝永2年(1705)、明和8年(1771)、文政13年(1830)のお蔭参りです。
約60年周期で起こっているんですが、最後の文政13年のお蔭参りは最大規模のものであったようです。
この年の干支は庚寅(かのえとら)。
そして、来年平成22年の干支は・・・庚寅ですね。
60年周期でお蔭参りが起こっていたとしたら・・・・そう来年なんです。
ちなみに、第1回の式年遷宮が行われたのが持統天皇4年(690)ですが、この歳の干支も庚寅。
先の大戦で昭和24年(60年前)に行われるはずだった第59回式年遷宮が4年遅れで斎行されたため、以降の御遷宮は4年ずつずれているのですが・・・・
敗戦がなければ、本来今年が御遷宮の年であったはずです。
(せめて宇治橋だけは正規の年に架け替えたいということで、今年架け替えが行われています。)
そして、来年がまさに庚寅の「おかげ年」
みんなでお伊勢さんにお参りしましょう!!
そして、帰りは「おかげ横町」で軽く一杯^^;
神青協では、「1000万人参宮促進事業」を企画中です。
「平成のお蔭参り」の一大ムーブメントは果たして起きるでしょうか?
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放送は5月12日。
岡谷市からの放送でした。
UPが遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
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立夏を過ぎて、だんだん夏らしくなってきました。
木陰が心地よい季節ですね。
さて、私の好きな言葉の一つに「おかげさま」があります。
「最近、どうですか?」
「お陰様で・・・」
「お陰様で○周年」
などと使いますね。この「おかげさま」です。
①人の好意や親切などに対して感謝の気持を表わすあいさつのことば。
②人から受けた力ぞえや恵みを、その人を敬っていう語。
(日本国語大辞典)
「おかげさま」=「お」+「かげ」+「さま」
であることは、すぐにお分かりいただけるでしょう。
古くは、「みかげ」=「み」+「かげ」
と言ったようです。
それが、室町末期に「おかげ」となり、更には江戸時代ぐらいから「おかげさま」となったようです。
「かげ」には、「影」・「陰」・「蔭」・「翳」・・・・
と言った漢字が充てられますが、実は日本語の「かげ」には、Shadow の「かげ」だけでなく「光」の意味もあることをご存知でしょうか?
そう、「月影」の「かげ」ですね。
これは、月の光が当たったことによって出来る影ではなく、「月明かり」を意味します。
月の光そのものが「月影」なんですね。
語源説もいろいろあるのですが、古語の「かが」がその語源だという説が有力です。
この「かが」には、
という意味があります。きらきらと輝くこと。照り輝くさま。
「かがやく」「かがよう」「かがり」などと熟して用いられる。
(日本国語大辞典)
「かげ」を調べてみても。
と最初に出てくる意味が「光」なんです。「かげ」
①日、月、星や、ともし火、電灯などの光。
②光を反射したことによって見える物体の姿。
③光を吸収したことによってうつし出される物体の輪郭。
また、実体のうつしとりと見なされるもの。
(日本国語大辞典)
では、「かげ」が、何故「光」と「影」の意味をもつのでしょうか?
光がなければ、影は出来ません。また、影の出来ない光はありません。
どちらも単独では存在し得ないんです。
ここが非常に重要で、古代の人々は両者を本質的に同じモノと捉えていたんじゃないかと思うんです。
他にも・・・・
右と左、上と下、表と裏、昼と夜、陰と陽、生と死・・・・
なども同じだと言えるかも知れません。
また、日本書紀では、「霊」の字が「みかげ」「みたま」と訓まれています。
神さまや天皇の霊威、恩徳、加護を意味しているんだそうです。
古代人は光と影にみられる神秘的なはたらき、そこに神や霊を見出したのかもしれません。
そして、これを「かげ」「みかげ」と称したのではないでしょうか?
亡くなった人の姿も「かげ」といいます。「面影」の「かげ」ですね。
ということは・・・
「おかげさま」というのは、目に見えないもののはたらき(神、祖先、他人など)に感謝する「有り難さ」を表現する言葉だということが分かりますね。
人は常に、何かに支えられ、庇護を受けて生きています。
決して自分の力だけでは生きていけません。
つねに「おかげさま」と言える感謝の心を忘れずにいたいものですね。
さて、「神宮式年遷宮」をご存知でしょうか。
20年に一度両正宮をはじめ、十二別宮などの御社殿を造り替え、御装束神宝も新たに調整して神さまのお引っ越しをする伊勢神宮で最も大切なお祭りのことです。
そして、この伊勢神宮の御遷宮のあった翌年のことを「お蔭年(おかげどし)」といい、特に御利益があるということで、江戸時代には三度、お伊勢まいりの爆発的なブームがおきました。これを「お蔭参り(おかげまいり)」といいます。
宝永2年(1705)、明和8年(1771)、文政13年(1830)のお蔭参りです。
約60年周期で起こっているんですが、最後の文政13年のお蔭参りは最大規模のものであったようです。
この年の干支は庚寅(かのえとら)。
そして、来年平成22年の干支は・・・庚寅ですね。
60年周期でお蔭参りが起こっていたとしたら・・・・そう来年なんです。
ちなみに、第1回の式年遷宮が行われたのが持統天皇4年(690)ですが、この歳の干支も庚寅。
先の大戦で昭和24年(60年前)に行われるはずだった第59回式年遷宮が4年遅れで斎行されたため、以降の御遷宮は4年ずつずれているのですが・・・・
敗戦がなければ、本来今年が御遷宮の年であったはずです。
(せめて宇治橋だけは正規の年に架け替えたいということで、今年架け替えが行われています。)
そして、来年がまさに庚寅の「おかげ年」
みんなでお伊勢さんにお参りしましょう!!
そして、帰りは「おかげ横町」で軽く一杯^^;
神青協では、「1000万人参宮促進事業」を企画中です。
「平成のお蔭参り」の一大ムーブメントは果たして起きるでしょうか?
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FMおかざき「心の宅急便」の30回目。
放送は一昨日の5月5日でした。
UPが遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
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今日5月5日は、「こどもの日」ですね。
毎度お馴染みの祝日法には、
「母に感謝する日」?
とお思いの方も多いと思いますが、それは後程・・・・。
さて、5月5日は「端午の節供」ともいいますね。
3月3日の上巳の節供(桃の節供)に対し、今日は男の子の節供です。
男の子の成長を願って、
鎧兜を飾る
鯉のぼりをあげる
粽(ちまき)を食べる
柏餅を食べる
菖蒲湯に入る
・・・・
などの風習があることはご存知の通りです。
ちなみに、節供(節句)は、年に5つあって、「五節供」といわれます。
そもそも、「節」=「季節の節目」ということです。
季節の変わり目に体調を崩しやすいのは今も昔も変わりません。
そこで、、この節目の日(節日)には、祓いや禊ぎを行って、邪気を祓い、無病息災を願う風習が古くからありました。
「節供」というのは、「節日のお供え」の意味なんです。
節日を祝う祝宴の食事の意味でもあります。
「節句」と表記する事もありますが、上の意味では 節句でなく「節供」と表記した方がその意味合いに相応しいような気がしますね。
話がそれました。
「端午の節供」に戻ります。
もともと中国に起源があるのですが、・・・
「端午」というのは、旧暦五月(午の月)の「最初の午の日」という意味なんです。
「端」は「端緒」という言葉があるように「最初」という意味ですね。
ですから、必ずしも5月5日ではなかったんです。
それが、次第に旧暦5月5日に固定されるようになったということのようです。
「午」の音が「五」に通じたともいわれます。
5が重なることから「重五」ともいわれますね。
中国の古俗を伝える『荊楚歳時記(けいそさいじき)』という6世紀頃の有名な書物があります。
この中には、
この日には薬草をとり蓬の人形を門にかけて毒気を祓い、菖蒲酒を飲み、また五色の絹糸で日月星辰、鳥獣をかたどった続命縷(しょくめいる)というものを作って腕にかけた。これは災厄を除き病魔を避けるためである。
と記載されているそうです。
一方、我が国でも古くから、各節供には祓いの行事が行われていました。
この五月の節供には、菖蒲、蓬など香りの強い植物に魔除けの力を認め、身に着けたり屋根に挿す風習があったようです。
このことは『続日本紀』など奈良朝の記録にすでにみられます。
さて、端午の節供は、男の子の節供ですが、・・・
古くから宮中では騎射、走馬の行事がこの日に行われていました。
上賀茂神社の賀茂競馬(かものくらべうま)などにその起源があるようです。
民間でもこの日の行事には練武、競技の類が多く行われています。
印地打(いんじうち)という石合戦や、凧揚げ、綱引き、競馬、などですね。
時代が下ると、「菖蒲」が「尚武」(武をたっとぶ)に通ずることから、特に武家社会で次第に男子の出生を祝い、成長を祈願する節供となったといわれています。
それが、江戸時代以降、庶民に広まっていったというこのとのようです。
端午の節供につきものの兜飾り・武者人形(五月人形)には、男の子の身を守るという意味があります。
武運長久を願うということですね。
そう言えば、端午の節供だけではないですが、「天神さまの人形」を飾る風習も広く見られます。
男児誕生を祝して里方より贈られた「天神さま」人形を、正月の初天神や節供に飾って祝う習俗です。これは全国的に広く見られるようです。
また、「鯉のぼり」ですが、これは中国の故事に由来します。
黄河の竜門という滝を多くの魚が登ろうと試みたが悉く失敗。
一匹の鯉が登り切り、竜に成ることができた。
という「鯉の滝登り」の故事ですね。
つまり立身出世の象徴なわけです。
もともとの形は真鯉(黒い鯉)のみで、次第に・・・・
明治時代から真鯉(まごい)と緋鯉(ひごい)の対で揚げるようになり、
昭和以降からは家族を表す物として子鯉(青い鯉)を添えた物が主流となったようです。
さてこの鎧兜や鯉のぼりですが、「武家の虫干し」がその起源だという説もあるようです。
江戸時代の武家で、菖蒲=「尚武」から男児の立身出世・武運長久を祈る行事であったことは前に言いました。
この日、武士の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に飾り、
玄関には旗指物(幟)を飾って、家長が子供達に訓示を垂れたんだそうです。
(ウチでもやってみようかしら^^;)
これに対抗した裕福な町人層が、吹き流し型の鯉のぼりを考案したとも言われています。
次は食べ物の話をしましょうか。
粽(ちまき)には、こんな由来譚があります。
中国戦国時代の楚の詩人屈原(くつげん)の命日が5月5日で、彼を慕う人々が彼が身を投げた汨羅江(べきらこう)に粽を投げ入れて供養したこと、また、屈原の亡骸を魚が食らわないよう魚の餌としたものが「ちまき」の由来とされています。
この説は昔から広く流布していたようです。
でも、さっきの『荊楚歳時記』では夏至節の行事となっているようです。
真偽やいかに?
柏餅ですが、カシワの葉は新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから「子孫繁栄(家系が途切れない)」という縁起をかついだものとされています。
ちなみに、
元々は東日本の文化の中で育まれた物で、柏餅が登場したのは徳川九代将軍家重~十代将軍家治の頃なんだそうです。その為、武家文化とかかわりが深いんだとか・・・。
四国地方などの近畿圏以西では、カシワの木が自生しておらず、元々端午の節句には粽を用いる為、サルトリイバラ科(サンキライ)の葉を代用しているそうです。
(西日本の方如何です?)
さてさて、
端午の節供、昔は、女の子の節供だったといったら信じて貰えますでしょうか?
宮中では、菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い、天皇から薬玉(くすだま:薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)を賜る行事がありました。
また、貴族社会では薬玉を作り、お互いに贈りあう習慣もあったそうです。
奈良時代に、既にその記述が見られます。
また、この日を「女の家」「女の屋根」などといって、女のいばれる日とする伝承が中部地方や四国などに残っています。
近松門左衛門の『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)』などにも記載があります。
如何です?
お田植えまつりの早乙女と深く関わっているんですね。
農耕にかかわる儀式はほかにもあります。
北陸から近畿、山陰にかけて、菖蒲や蓬を束ねた棒で女性の尻(しり)をたたいて回る行事があり、その他の地方ではそれで地面をたたくことが広くみられます。
女性は子を産み、田んぼは生命の源の稲を生み出す。
大いに関連がありますね。
これらはいずれも5月という田植月にあたり、早乙女(さおとめ)となるべき女性の忌み籠(ごも)りや、またその身体と大地の不浄を祓う儀礼であったと考えられているのです。
このように見てみますと、端午の節供には非常に奥深いモノがあります。
季節の節目にあたり、悪疫を除こうとする儀礼がもともとあって、同時に田植に関わる農耕儀礼的な色彩も濃厚にありました。(女性の儀礼)
そうした基盤の上に、およそ江戸時代から所謂「男子の節供」へと変質し始め、兜飾りや鯉のぼりが登場し、さらに戦後は、「こどもの日」の祝日へと展開してきているんですね。
こどもの日。
子どもだけが主役じゃないんですね。
母に感謝する日。
何となく分かる気がします。
田植えの前の、母なる大地に感謝する日にしたいですね。
皆さん、バケツ稲・・・・・順調ですか?
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------
●童謡・唱歌
「背くらべ」作詞・海野厚/作曲・中山晋平
1. 柱のきずは おととしの
五月五日の 背くらべ
粽(ちまき)たべたべ 兄さんが
計つてくれた 背のたけ
きのふくらべりゃ 何(なん)のこと
やつと羽織の 紐(ひも)のたけ
2. 柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして
てんでに背伸(せのび) してゐても
雪の帽子を ぬいでさへ
一はやつぱり 富士の山
「こいのぼり」作詞:近藤宮子/作曲:不明
やねよりたかい こいのぼり
おおきいまごいは おとおさん
ちいさいひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
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放送は一昨日の5月5日でした。
UPが遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
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今日5月5日は、「こどもの日」ですね。
毎度お馴染みの祝日法には、
とあります。「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日
「母に感謝する日」?
とお思いの方も多いと思いますが、それは後程・・・・。
さて、5月5日は「端午の節供」ともいいますね。
3月3日の上巳の節供(桃の節供)に対し、今日は男の子の節供です。
男の子の成長を願って、
鎧兜を飾る
鯉のぼりをあげる
粽(ちまき)を食べる
柏餅を食べる
菖蒲湯に入る
・・・・
などの風習があることはご存知の通りです。
ちなみに、節供(節句)は、年に5つあって、「五節供」といわれます。
ですね。1月7日 人日 七草
3月3日 上巳 桃の節供
5月5日 端午 菖蒲の節供
7月7日 七夕 たなばた
9月9日 重陽 菊の節供
そもそも、「節」=「季節の節目」ということです。
季節の変わり目に体調を崩しやすいのは今も昔も変わりません。
そこで、、この節目の日(節日)には、祓いや禊ぎを行って、邪気を祓い、無病息災を願う風習が古くからありました。
「節供」というのは、「節日のお供え」の意味なんです。
節日を祝う祝宴の食事の意味でもあります。
「節句」と表記する事もありますが、上の意味では 節句でなく「節供」と表記した方がその意味合いに相応しいような気がしますね。
話がそれました。
「端午の節供」に戻ります。
もともと中国に起源があるのですが、・・・
「端午」というのは、旧暦五月(午の月)の「最初の午の日」という意味なんです。
「端」は「端緒」という言葉があるように「最初」という意味ですね。
ですから、必ずしも5月5日ではなかったんです。
それが、次第に旧暦5月5日に固定されるようになったということのようです。
「午」の音が「五」に通じたともいわれます。
5が重なることから「重五」ともいわれますね。
中国の古俗を伝える『荊楚歳時記(けいそさいじき)』という6世紀頃の有名な書物があります。
この中には、
この日には薬草をとり蓬の人形を門にかけて毒気を祓い、菖蒲酒を飲み、また五色の絹糸で日月星辰、鳥獣をかたどった続命縷(しょくめいる)というものを作って腕にかけた。これは災厄を除き病魔を避けるためである。
と記載されているそうです。
一方、我が国でも古くから、各節供には祓いの行事が行われていました。
この五月の節供には、菖蒲、蓬など香りの強い植物に魔除けの力を認め、身に着けたり屋根に挿す風習があったようです。
このことは『続日本紀』など奈良朝の記録にすでにみられます。
さて、端午の節供は、男の子の節供ですが、・・・
古くから宮中では騎射、走馬の行事がこの日に行われていました。
上賀茂神社の賀茂競馬(かものくらべうま)などにその起源があるようです。
民間でもこの日の行事には練武、競技の類が多く行われています。
印地打(いんじうち)という石合戦や、凧揚げ、綱引き、競馬、などですね。
時代が下ると、「菖蒲」が「尚武」(武をたっとぶ)に通ずることから、特に武家社会で次第に男子の出生を祝い、成長を祈願する節供となったといわれています。
それが、江戸時代以降、庶民に広まっていったというこのとのようです。
端午の節供につきものの兜飾り・武者人形(五月人形)には、男の子の身を守るという意味があります。
武運長久を願うということですね。
そう言えば、端午の節供だけではないですが、「天神さまの人形」を飾る風習も広く見られます。
男児誕生を祝して里方より贈られた「天神さま」人形を、正月の初天神や節供に飾って祝う習俗です。これは全国的に広く見られるようです。
また、「鯉のぼり」ですが、これは中国の故事に由来します。
黄河の竜門という滝を多くの魚が登ろうと試みたが悉く失敗。
一匹の鯉が登り切り、竜に成ることができた。
という「鯉の滝登り」の故事ですね。
つまり立身出世の象徴なわけです。
もともとの形は真鯉(黒い鯉)のみで、次第に・・・・
明治時代から真鯉(まごい)と緋鯉(ひごい)の対で揚げるようになり、
昭和以降からは家族を表す物として子鯉(青い鯉)を添えた物が主流となったようです。
さてこの鎧兜や鯉のぼりですが、「武家の虫干し」がその起源だという説もあるようです。
江戸時代の武家で、菖蒲=「尚武」から男児の立身出世・武運長久を祈る行事であったことは前に言いました。
この日、武士の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に飾り、
玄関には旗指物(幟)を飾って、家長が子供達に訓示を垂れたんだそうです。
(ウチでもやってみようかしら^^;)
これに対抗した裕福な町人層が、吹き流し型の鯉のぼりを考案したとも言われています。
次は食べ物の話をしましょうか。
粽(ちまき)には、こんな由来譚があります。
中国戦国時代の楚の詩人屈原(くつげん)の命日が5月5日で、彼を慕う人々が彼が身を投げた汨羅江(べきらこう)に粽を投げ入れて供養したこと、また、屈原の亡骸を魚が食らわないよう魚の餌としたものが「ちまき」の由来とされています。
この説は昔から広く流布していたようです。
でも、さっきの『荊楚歳時記』では夏至節の行事となっているようです。
真偽やいかに?
柏餅ですが、カシワの葉は新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから「子孫繁栄(家系が途切れない)」という縁起をかついだものとされています。
ちなみに、
元々は東日本の文化の中で育まれた物で、柏餅が登場したのは徳川九代将軍家重~十代将軍家治の頃なんだそうです。その為、武家文化とかかわりが深いんだとか・・・。
四国地方などの近畿圏以西では、カシワの木が自生しておらず、元々端午の節句には粽を用いる為、サルトリイバラ科(サンキライ)の葉を代用しているそうです。
(西日本の方如何です?)
さてさて、
端午の節供、昔は、女の子の節供だったといったら信じて貰えますでしょうか?
宮中では、菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い、天皇から薬玉(くすだま:薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)を賜る行事がありました。
また、貴族社会では薬玉を作り、お互いに贈りあう習慣もあったそうです。
奈良時代に、既にその記述が見られます。
また、この日を「女の家」「女の屋根」などといって、女のいばれる日とする伝承が中部地方や四国などに残っています。
近松門左衛門の『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)』などにも記載があります。
これは、女は髪より形より、心の垢を梳き櫛や嫁入先は、夫の家里の住家も親の家。鏡の家の家ならで家と、いふ物なけれども、たが世に許し定めけん。五月五日の一夜さを女の家といふぞかし。
ということです。田植え月の五月節供に女だけが家にこもって物忌みの夜を過ごすこと。大分県と高知県の一部、神奈川県津久井郡、群馬県多野郡、徳島県名西郡、愛知県などで、いろいろの形で行なわれている。【日国】
5月4日の晩から5日にかけて、女の家とか女の屋根また女の夜などとよぶ地方がある。その理由としては、この日だけは女が思うままにしていい日といい、神 奈川県の佐野川では「しょうぶ屋根の下は女の天下」だといい伝えている。土地の老人にきくと、いまはとくに威張(いば)るというのではないが、気兼ねなし になんでもできる期間という意味らしい。「女の家」という語は、近松の『女殺油地獄』のなかにも「五月五日の一夜さを女の家と言ふぞかし」という一句が あって、この時代から使われていた語ということがわかる。5月は農事暦でいうと、稲作の作業の始まる田植の時季にあたる。かつて家のまつりごとのいっさい をつかさどっていた女性が、田植前に田の神を祀(まつ)るたいせつなときに、家に慎み籠(こも)って、年の豊饒(ほうじょう)を祈願した習俗が残留したと 考えられてきた。その籠り屋のしるしとして、ショウブ、ヨモギを屋根に葺(ふ)いたものであろう。「女の家」はこれを通して、かつての女性祭祀(さいし) の時代を考える一つの資料といえよう。【ニッポニカ】
如何です?
お田植えまつりの早乙女と深く関わっているんですね。
農耕にかかわる儀式はほかにもあります。
北陸から近畿、山陰にかけて、菖蒲や蓬を束ねた棒で女性の尻(しり)をたたいて回る行事があり、その他の地方ではそれで地面をたたくことが広くみられます。
女性は子を産み、田んぼは生命の源の稲を生み出す。
大いに関連がありますね。
これらはいずれも5月という田植月にあたり、早乙女(さおとめ)となるべき女性の忌み籠(ごも)りや、またその身体と大地の不浄を祓う儀礼であったと考えられているのです。
このように見てみますと、端午の節供には非常に奥深いモノがあります。
季節の節目にあたり、悪疫を除こうとする儀礼がもともとあって、同時に田植に関わる農耕儀礼的な色彩も濃厚にありました。(女性の儀礼)
そうした基盤の上に、およそ江戸時代から所謂「男子の節供」へと変質し始め、兜飾りや鯉のぼりが登場し、さらに戦後は、「こどもの日」の祝日へと展開してきているんですね。
こどもの日。
子どもだけが主役じゃないんですね。
母に感謝する日。
何となく分かる気がします。
田植えの前の、母なる大地に感謝する日にしたいですね。
皆さん、バケツ稲・・・・・順調ですか?
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●童謡・唱歌
「背くらべ」作詞・海野厚/作曲・中山晋平
1. 柱のきずは おととしの
五月五日の 背くらべ
粽(ちまき)たべたべ 兄さんが
計つてくれた 背のたけ
きのふくらべりゃ 何(なん)のこと
やつと羽織の 紐(ひも)のたけ
2. 柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして
てんでに背伸(せのび) してゐても
雪の帽子を ぬいでさへ
一はやつぱり 富士の山
「こいのぼり」作詞:近藤宮子/作曲:不明
やねよりたかい こいのぼり
おおきいまごいは おとおさん
ちいさいひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
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FMおかざき「心の宅急便」の29回目。
放送は一昨日の4月28日でした。
UPが遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
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明日4月29日は「昭和の日」です。
祝日法では、
これは平成19年からですね。
もともと4月29日は、昭和天皇の御誕生日です。
戦前は「天長節」といわれ、祝日法が制定された昭和23年以降は「天皇誕生日」という祝日でした。
天皇陛下の御誕生日を祝う祝日ですね。
先帝陛下は、昭和64年1月7日に崩御あそばされます。
その後は「みどりの日」という祝日になりました。
「みどりの日」の名前の由来は、昭和天皇が植物に造詣が深く、自然をこよなく愛したことからだそうです。「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し豊かな心をはぐくむ」日ということのようです。
でも、これでは、昭和天皇の御誕生日というニュアンスが全くなくなってしまいます。
そこで、「昭和の日」制定運動という国民運動が持ち上がりました。
署名活動では、170万ほどの請願署名が集まったそうです。
それを受けて、平成10年に超党派の「昭和の日」推進議員連盟が設立され、議員立法で法案が提出されました。
それでもすんなりと通ったわけではなく、幾度の試練が待っていました。
●平成12年、第147回通常国会に法案提出⇒参議院で可決、が衆議院解散に伴い廃案
これは、小渕総理が突然倒れ、森総理に変わった時です。
●平成15年、第156回通常国会に法案提出⇒衆議院で可決、会期終了・解散により廃案
これは小泉内閣の時で、自衛隊のイラク派遣問題などで国会が紛糾したときです。
二度も政局の影響を受けた格好です。
それでも、3度目の正直。平成16年の第159回国会において、改正法案提出(議員立法形式・衆議院先議)がなされ、継続審議を経て平成17年の第162回国会でようやく成立したのです。
「昭和の日」は言うまでもなく昭和天皇の御誕生日です。
昭和天皇の御威徳を偲び、昭和という時代に思いを馳せ、国の将来に思いをいたさなければなりません。
そこで、いくつか、昭和天皇の御製をご紹介いたしましょう。
昭和天皇は、神代を除き史上最長の在位期間を数えました。
そしてまさに波瀾と激動の連続の御代でした。
特に終戦のご聖断によってわが国は辛うじて破局を免れることができたとも言えますし、ご一身を投げ出されて国民の救済を求められた大御心が元帥をいたく感動させたとも聞いています。
また、昭和21年2月の川崎市を皮切りに、9年間に亘り全国各地ご巡幸され、国民を励まされました。
これが戦後復興の原動力になったとも言えるでしょう。
有名なお言葉に「雑草という名の草はない。」というお言葉があります。どの草にも名前があるということですが、常に国民一人一人の幸せを祈っておられたということを如実に示しています。
これこそ、昭和天皇の御威徳だとも思います。
あらためて、「昭和の日」に昭和天皇の威徳を偲びつつ、「昭和」の時代に思いを馳せ、改めて国の将来を考えたいと思います。
「昭和」の時代ににあって「平成」に無くなってしまったものは何か?
安心安全、義理人情、思いやり、助け合い、貞操観念、道義心、公共心、・・・・
逆に蔓延してしまっているものは何か?
個人主義、自由勝手主義、拝金主義、・・・・
さて、我々は何を為すべきでしょうか?
明日、我が家ではDSとWiiの禁止令を出そうかな・・・・^^;
----------------------------------------------------------------------
放送は一昨日の4月28日でした。
UPが遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
----------------------------------------------------------------------
明日4月29日は「昭和の日」です。
祝日法では、
と規定されています。「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日
これは平成19年からですね。
もともと4月29日は、昭和天皇の御誕生日です。
戦前は「天長節」といわれ、祝日法が制定された昭和23年以降は「天皇誕生日」という祝日でした。
天皇陛下の御誕生日を祝う祝日ですね。
先帝陛下は、昭和64年1月7日に崩御あそばされます。
その後は「みどりの日」という祝日になりました。
「みどりの日」の名前の由来は、昭和天皇が植物に造詣が深く、自然をこよなく愛したことからだそうです。「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し豊かな心をはぐくむ」日ということのようです。
でも、これでは、昭和天皇の御誕生日というニュアンスが全くなくなってしまいます。
そこで、「昭和の日」制定運動という国民運動が持ち上がりました。
署名活動では、170万ほどの請願署名が集まったそうです。
それを受けて、平成10年に超党派の「昭和の日」推進議員連盟が設立され、議員立法で法案が提出されました。
それでもすんなりと通ったわけではなく、幾度の試練が待っていました。
●平成12年、第147回通常国会に法案提出⇒参議院で可決、が衆議院解散に伴い廃案
これは、小渕総理が突然倒れ、森総理に変わった時です。
●平成15年、第156回通常国会に法案提出⇒衆議院で可決、会期終了・解散により廃案
これは小泉内閣の時で、自衛隊のイラク派遣問題などで国会が紛糾したときです。
二度も政局の影響を受けた格好です。
それでも、3度目の正直。平成16年の第159回国会において、改正法案提出(議員立法形式・衆議院先議)がなされ、継続審議を経て平成17年の第162回国会でようやく成立したのです。
「昭和の日」は言うまでもなく昭和天皇の御誕生日です。
昭和天皇の御威徳を偲び、昭和という時代に思いを馳せ、国の将来に思いをいたさなければなりません。
そこで、いくつか、昭和天皇の御製をご紹介いたしましょう。
昭和天皇の大御心が窺い知れる御製ですね。○昭和3年、昭和天皇ご即位後最初の歌会始の御製
「山山の色はあらたにみゆれども わがまつりごといかにかあるらむ」
○昭和八年、歌会始の御製
「あめつちの神にぞいのる朝なぎの 海のごとくに波たたぬ世を」
○昭和20年、終戦時の御製
「爆撃に倒れゆく民の上をおもひ いくさとめけり身はいかならむとも」
「身はいかになるともいくさとどめけり ただたふれゆく民をおもひて」
「国がらをただまもらんといばら道 すすみゆくともいくさとめけり」
○昭和39年、東京オリンピックの時の御製
「この度のオリンピックにわれはただ ことなきをしも祈らむとする」
○昭和40年、新幹線を詠んだ御製
「避け得ずに運転台にあたりたる 雀のあとのまどにのこれり」
○昭和45年、古希を迎えての御製
「ななそぢの迎へたりけるこの朝も 祈るはただに国のたひらぎ」
○昭和55年、伊勢神宮参拝時の御製
「五月晴内外の宮にいのりけり 人びとのさちと世のたひらぎを」
昭和天皇は、神代を除き史上最長の在位期間を数えました。
そしてまさに波瀾と激動の連続の御代でした。
特に終戦のご聖断によってわが国は辛うじて破局を免れることができたとも言えますし、ご一身を投げ出されて国民の救済を求められた大御心が元帥をいたく感動させたとも聞いています。
また、昭和21年2月の川崎市を皮切りに、9年間に亘り全国各地ご巡幸され、国民を励まされました。
これが戦後復興の原動力になったとも言えるでしょう。
有名なお言葉に「雑草という名の草はない。」というお言葉があります。どの草にも名前があるということですが、常に国民一人一人の幸せを祈っておられたということを如実に示しています。
これこそ、昭和天皇の御威徳だとも思います。
あらためて、「昭和の日」に昭和天皇の威徳を偲びつつ、「昭和」の時代に思いを馳せ、改めて国の将来を考えたいと思います。
「昭和」の時代ににあって「平成」に無くなってしまったものは何か?
安心安全、義理人情、思いやり、助け合い、貞操観念、道義心、公共心、・・・・
逆に蔓延してしまっているものは何か?
個人主義、自由勝手主義、拝金主義、・・・・
さて、我々は何を為すべきでしょうか?
明日、我が家ではDSとWiiの禁止令を出そうかな・・・・^^;
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φ(.. )Facebook Comments♪♫•*¨*•.¸¸♪♫•*¨*•.¸¸♪♫•
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FMおかざき「心の宅急便」の28回目。
先週に引き続き、またまた上京するため、今日は豊橋駅からの電話対応となりました^^;
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先週に引き続き、これから東京に出張です。
豊橋駅から失礼します。
さて、岡崎天満宮では、今、牡丹の花が真っ盛りです。
牡丹と言えば、百花の王です。非常にゴージャスな花が境内を彩っています。
●天神さんには牡丹が何株くらいあるのですか?
悠仁親王殿下御誕生奉祝事業の一環として、100株植栽しました。
●いつ頃植えられたのですか?
平成18年の秋ですから、3年前ですね。
まだまだ、あまり知られていないと思います^^;
●いつまで楽しめそうですか?
例年だとゴールデンウィーク中まで楽しめるのですが、今年は開花が早いので、どうでしょうか。
もしかしたら連休まで持たないかも知れません。
●そういえば、天満宮の近くの徳王神社は藤が有名ですよね?
そうですね。こんぴらさんの長藤として、東海道随一と言われるのが、ウチのすぐ近くの徳王神社さんの藤ですね。徳王さんでは今週末藤まつりを開催されるようですので、そのついでに、牡丹の花見に足を伸ばしていただければと存じます。
牡丹といえば、全国に有名なところが沢山ありますが、東京上野の東照宮の牡丹もその中の一つですね。
●これから東京ということですが、まさか見に行かれるのですか?
いえいえ。会議のため上京するのです。
折角ですから、上野の東照宮にも行きたいのですが、今回はその時間もなさそうで、残念です。
●東照宮というと家康公ですので、親近感がわきますね?
岡崎の人間にとってはそうですよね。
●家康公といえば、今月さくらまつりの家康行列がありました。なぜ、さくらまつりに家康行列なのですか?また、家康行列はいつごろから始まったのでしょうか?
今年は4月の5日だったでしょうか。
岡崎のさくらまつりのメイン行事ですよね。
この岡崎の春の風物詩の「家康行列」。伊賀八幡宮から乙川河川敷までを練り歩く武者行列なんですが、そもそもは龍城神社の例大祭の神賑行事が起源なんです。
その証拠に、今でも龍城神社の御神輿が繰り出されています。
つまり、行列のメインは、○○さんが扮した家康公ではなく、本当は龍城神社の御神輿がメインなんですね。
だって、その御神輿で、龍城神社の御祭神家康公の御霊そのものが渡御されているのですから。
今の形になったのは昭和30年代くらいだときいたことがありますが、市や観光協会が中心になって執り行う家康行列になっていますから、龍城神社のお祭りという意識も薄れ、そのことを知らない方が増えてきました。
少し残念な気がします。
●何故、龍城神社の例祭がこの時期なんでしょうか?
4月17日が家康公の御命日だからです。
つまり、神さまになられた日ということですね。
今でもこの4月17日は、龍城神社、伊賀八幡宮、大樹寺などではそれぞれ大祭、法要が執り行われています。
ただ、この時期だと桜が終わってしまっていることが多いので、行列だけ少し早めに行うことが最近では多いですね。この辺も、龍城さんのお祭りだという意識が薄くなってしまう原因でしょうか。
いずれにせよ、家康行列=龍城神社のおまつりということを、岡崎市民の皆さんには、是非知っておいて欲しいことですね。
同じ事が、夏の花火大会にも言えるのですが、それはまた後日・・・・。
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牡丹が楽しめる期間も限られています。
是非多くの方にお楽しみいただければと思います。
先週に引き続き、またまた上京するため、今日は豊橋駅からの電話対応となりました^^;
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先週に引き続き、これから東京に出張です。
豊橋駅から失礼します。
さて、岡崎天満宮では、今、牡丹の花が真っ盛りです。
牡丹と言えば、百花の王です。非常にゴージャスな花が境内を彩っています。
●天神さんには牡丹が何株くらいあるのですか?
悠仁親王殿下御誕生奉祝事業の一環として、100株植栽しました。
●いつ頃植えられたのですか?
平成18年の秋ですから、3年前ですね。
まだまだ、あまり知られていないと思います^^;
●いつまで楽しめそうですか?
例年だとゴールデンウィーク中まで楽しめるのですが、今年は開花が早いので、どうでしょうか。
もしかしたら連休まで持たないかも知れません。
●そういえば、天満宮の近くの徳王神社は藤が有名ですよね?
そうですね。こんぴらさんの長藤として、東海道随一と言われるのが、ウチのすぐ近くの徳王神社さんの藤ですね。徳王さんでは今週末藤まつりを開催されるようですので、そのついでに、牡丹の花見に足を伸ばしていただければと存じます。
牡丹といえば、全国に有名なところが沢山ありますが、東京上野の東照宮の牡丹もその中の一つですね。
●これから東京ということですが、まさか見に行かれるのですか?
いえいえ。会議のため上京するのです。
折角ですから、上野の東照宮にも行きたいのですが、今回はその時間もなさそうで、残念です。
●東照宮というと家康公ですので、親近感がわきますね?
岡崎の人間にとってはそうですよね。
●家康公といえば、今月さくらまつりの家康行列がありました。なぜ、さくらまつりに家康行列なのですか?また、家康行列はいつごろから始まったのでしょうか?
今年は4月の5日だったでしょうか。
岡崎のさくらまつりのメイン行事ですよね。
この岡崎の春の風物詩の「家康行列」。伊賀八幡宮から乙川河川敷までを練り歩く武者行列なんですが、そもそもは龍城神社の例大祭の神賑行事が起源なんです。
その証拠に、今でも龍城神社の御神輿が繰り出されています。
つまり、行列のメインは、○○さんが扮した家康公ではなく、本当は龍城神社の御神輿がメインなんですね。
だって、その御神輿で、龍城神社の御祭神家康公の御霊そのものが渡御されているのですから。
今の形になったのは昭和30年代くらいだときいたことがありますが、市や観光協会が中心になって執り行う家康行列になっていますから、龍城神社のお祭りという意識も薄れ、そのことを知らない方が増えてきました。
少し残念な気がします。
●何故、龍城神社の例祭がこの時期なんでしょうか?
4月17日が家康公の御命日だからです。
つまり、神さまになられた日ということですね。
今でもこの4月17日は、龍城神社、伊賀八幡宮、大樹寺などではそれぞれ大祭、法要が執り行われています。
ただ、この時期だと桜が終わってしまっていることが多いので、行列だけ少し早めに行うことが最近では多いですね。この辺も、龍城さんのお祭りだという意識が薄くなってしまう原因でしょうか。
いずれにせよ、家康行列=龍城神社のおまつりということを、岡崎市民の皆さんには、是非知っておいて欲しいことですね。
同じ事が、夏の花火大会にも言えるのですが、それはまた後日・・・・。
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牡丹が楽しめる期間も限られています。
是非多くの方にお楽しみいただければと思います。
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FMおかざき「心の宅急便」の27回目。
上京中のため、J本庁からの電話対応となりました^^;
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先週末、4月10日(金)は何の日だったかご存知でしょうか?
そうです。
天皇皇后両陛下御結婚満50年のお祝いの日でした。
一般でいう金婚式ですね。
この日をお迎えになられる両陛下が記者会見でお互いに感謝状をお送りになられたというニュースには、本当に頭の下がる思いがいたしました。
この日、各地で奉祝行事も開催されたようですね。
記念切手も発行されています。
岡崎天満宮でも勿論ですが、実は、全国の神社でお祝いの奉祝祭を齋行されているんです。
さて、皇室で結婚記念日をお祝いになられるのは、明治天皇が最初なんだそうです。
明治27年の「大婚25年祝典」がそうなんですね。
もともと我が国にはなかった風習なんですが、明治に入り西洋の文化を取り入れた形です。
そして、それがきっかけとなって、一般に至るまで、銀婚式・金婚式を祝う習慣が広まったのだと言われています。
ここでちょっとした豆知識を・・・・
「大婚」というのは、「天子の結婚」という意味なんだそうです。
明治天皇は、御即位語に御結婚あそばされていますので、「大婚○○年」と申し上げるんだそうです。
これに対し、大正天皇、昭和天皇、今上陛下は皇太子時代に御結婚あそばされていますので、「大婚○○年」ではなく「御結婚○○年」と申し上げるのだとか・・・・。
実に皇室関係の用語は奥深いですよね^^;
更に、今年は御即位20年の年でもあります。
重ねての慶事なんですよね。
常に、国安かれ、民安かれと真摯な祈りを捧げられてみえる両陛下に対しましては、心からお祝いを申し上げたいと思います。
そもそも金婚式や銀婚式というのは、西洋から日本に入ってきたものですが、あちらではそれ以外にも沢山の結婚記念日を祝う風習があるんですね。
ちなみに、ネットなどで調べてみますと・・・・
両陛下に倣ってですね。
ところで、銅婚式は7年でしょうか?15年でしょうか?
私が子供の頃、両親の銅婚式のお祝いを15年でした記憶があるのですが・・・・。
上の表のように、ネットなどでは、7年としているものが多いんですね・・・。
不思議に思い辞書を調べてみますと、
その辺り、実際はどうなんでしょう?
詳しい方に一度聞いてみたいと思います。
さて、話はガラッと変わりますが、4月7日に天皇陛下が「お手まき」をされました。
皇居の苗代で、稲の種もみをまかれたのです。
この後、5月ごろに田植え、秋には稲刈りをされるんだそうです。
そして収穫された米は、宮中祭祀の供物として使われると聞いています。
天皇陛下は、御自らお米作りをされているんですね。
これに倣ってというわけではないですが、私がかかわっています神道青年全国協議会(全国の若手神職の会)では、「知ろう学ぼうお米作り」と題して、バケツ稲作りの活動を企画いたしました。
お米作りを通じて、食物の大切さ、自然の恵みの大切さ、神さまの恵みの大切さを一人でも多くのこどもに知ってもらいたいという活動です。
籾だね、肥料、作り方のマニュアルのセットを全国に配布中です。
また、収穫したお米の半分を伊勢神宮に奉納することも計画しています。
普段何気なく食べているお茶碗一杯のご飯が、いかに大切なものか、有り難いことか。
それを知るために、親子で体験していただきたいと思っています。
そして素直に「いただきます」と言えるこどもが増えてくれることが望みでもあります。
趣旨にご賛同いただき、やってみようかなと思った方は、是非岡崎天満宮までご連絡いただければと思います。
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最後は宣伝みたいになってしまいましたが・・・・。
お許しいただければと思います^^;
上京中のため、J本庁からの電話対応となりました^^;
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先週末、4月10日(金)は何の日だったかご存知でしょうか?
そうです。
天皇皇后両陛下御結婚満50年のお祝いの日でした。
一般でいう金婚式ですね。
この日をお迎えになられる両陛下が記者会見でお互いに感謝状をお送りになられたというニュースには、本当に頭の下がる思いがいたしました。
この日、各地で奉祝行事も開催されたようですね。
記念切手も発行されています。
岡崎天満宮でも勿論ですが、実は、全国の神社でお祝いの奉祝祭を齋行されているんです。
さて、皇室で結婚記念日をお祝いになられるのは、明治天皇が最初なんだそうです。
明治27年の「大婚25年祝典」がそうなんですね。
もともと我が国にはなかった風習なんですが、明治に入り西洋の文化を取り入れた形です。
そして、それがきっかけとなって、一般に至るまで、銀婚式・金婚式を祝う習慣が広まったのだと言われています。
ここでちょっとした豆知識を・・・・
「大婚」というのは、「天子の結婚」という意味なんだそうです。
明治天皇は、御即位語に御結婚あそばされていますので、「大婚○○年」と申し上げるんだそうです。
これに対し、大正天皇、昭和天皇、今上陛下は皇太子時代に御結婚あそばされていますので、「大婚○○年」ではなく「御結婚○○年」と申し上げるのだとか・・・・。
実に皇室関係の用語は奥深いですよね^^;
更に、今年は御即位20年の年でもあります。
重ねての慶事なんですよね。
常に、国安かれ、民安かれと真摯な祈りを捧げられてみえる両陛下に対しましては、心からお祝いを申し上げたいと思います。
そもそも金婚式や銀婚式というのは、西洋から日本に入ってきたものですが、あちらではそれ以外にも沢山の結婚記念日を祝う風習があるんですね。
ちなみに、ネットなどで調べてみますと・・・・
我が家ではなかなか照れくさくて特に何もしておりませんが、夫婦揃って年を重ねることは本当に有り難いことですよね。夫婦円満が家内安全の基本ですから、自省の念を含めて、私も努力していきたいと思います^^;1年目 紙婚式 紙製品(本,手帳)
2年目 綿婚式/わら婚式 木綿製品(ハンカチ、衣類)
3年目 革婚式 皮革製品(バッグ、靴)
4年目 花婚式/書籍婚式 花、書籍
5年目 木婚式 木製品(家具、観葉植物)
6年目 鉄婚式 鉄製品
7年目 銅婚式 銅、ブロンズ
8年目 青銅婚式 電気製品
9年目 陶器婚式 陶器(湯のみ茶碗、ペアカップ)
10年目 錫婚式 アルミ製品
11年目 鋼鉄婚式 鋼鉄製品(ゴルフ、台所用品)
12年目 絹婚式 絹、麻製品
13年目 レース婚式 レース製品(テーブルクロス)
14年目 象牙婚式 象牙、アクセサリー、印鑑
15年目 水晶婚式 水晶製品
20年目 磁器婚式 磁器製品(茶碗、花瓶)
25年目 銀婚式 銀製品
30年目 真珠婚式 真珠、アクセサリー
35年目 珊瑚婚式 珊瑚、翡翠
40年目 ルビー婚式 ルビー
45年目 サファイア婚式 サファイヤ
50年目 金婚式 金製品
55年目 エメラルド婚式 エメラルド
60年目 ダイヤモンド婚式 ダイヤモンド
両陛下に倣ってですね。
ところで、銅婚式は7年でしょうか?15年でしょうか?
私が子供の頃、両親の銅婚式のお祝いを15年でした記憶があるのですが・・・・。
上の表のように、ネットなどでは、7年としているものが多いんですね・・・。
不思議に思い辞書を調べてみますと、
と両説あるようです。夫婦が、結婚一五周年(一説に七周年)を記念して行なう祝い。(日国)
結婚7年目を祝う式。(広辞苑)
その辺り、実際はどうなんでしょう?
詳しい方に一度聞いてみたいと思います。
さて、話はガラッと変わりますが、4月7日に天皇陛下が「お手まき」をされました。
皇居の苗代で、稲の種もみをまかれたのです。
この後、5月ごろに田植え、秋には稲刈りをされるんだそうです。
そして収穫された米は、宮中祭祀の供物として使われると聞いています。
天皇陛下は、御自らお米作りをされているんですね。
これに倣ってというわけではないですが、私がかかわっています神道青年全国協議会(全国の若手神職の会)では、「知ろう学ぼうお米作り」と題して、バケツ稲作りの活動を企画いたしました。
お米作りを通じて、食物の大切さ、自然の恵みの大切さ、神さまの恵みの大切さを一人でも多くのこどもに知ってもらいたいという活動です。
籾だね、肥料、作り方のマニュアルのセットを全国に配布中です。
また、収穫したお米の半分を伊勢神宮に奉納することも計画しています。
普段何気なく食べているお茶碗一杯のご飯が、いかに大切なものか、有り難いことか。
それを知るために、親子で体験していただきたいと思っています。
そして素直に「いただきます」と言えるこどもが増えてくれることが望みでもあります。
趣旨にご賛同いただき、やってみようかなと思った方は、是非岡崎天満宮までご連絡いただければと思います。
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最後は宣伝みたいになってしまいましたが・・・・。
お許しいただければと思います^^;
φ(.. )Facebook Comments♪♫•*¨*•.¸¸♪♫•*¨*•.¸¸♪♫•
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FMおかざき「心の宅急便」の26回目。
新一年生へのメッセージです^^;

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今日は岡崎市内の中学校の入学式ですね。
私事ですが、ウチの真ん中の娘も中学校に入学です。
今朝は、町のあちらこちらで初々しい姿が目につきましたし、春休み中は当宮にも合格御礼のお参りや、真新しいランドセルにつけるお守りを受けに来られる方もたくさんお見えになりました。
新一年生の皆さんは、期待と不安が半分入り交じった気持ちでみえるんじゃないかと思います。
さて、今日はそんな新一年生に二つの詩を贈りたいと思います。
有名な坂村真民さんの詩です。
熊本生まれの方で、神宮皇學館(現:皇學館大學)を卒業されています。
夢や目標をしっかりと持つこと、
自分を信じて、努力を積み重ねていくこと、
それが大事です。
もちろん、新入学以外にも、新入社、転職、転居などで、新しい生活を始められた方も多いと思います。
折角の機会です。
自分の人生について、じっくりと考えてみては如何でしょう。
二度と無い人生ですから。
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13時からの放送のつもりで、ゆっくりしていたら、今週から番組表が15分早まっていました・・・・(汗)
いつもより早い電話に焦りました。
う~ん。
聞いてないんですが・・・(多分)。
今後は、12時45分からの放送になるようです。。。
新一年生へのメッセージです^^;
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今日は岡崎市内の中学校の入学式ですね。
私事ですが、ウチの真ん中の娘も中学校に入学です。
今朝は、町のあちらこちらで初々しい姿が目につきましたし、春休み中は当宮にも合格御礼のお参りや、真新しいランドセルにつけるお守りを受けに来られる方もたくさんお見えになりました。
新一年生の皆さんは、期待と不安が半分入り交じった気持ちでみえるんじゃないかと思います。
さて、今日はそんな新一年生に二つの詩を贈りたいと思います。
有名な坂村真民さんの詩です。
熊本生まれの方で、神宮皇學館(現:皇學館大學)を卒業されています。
【 念ずれば花ひらく 】
念ずれば 花ひらく
苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを
わたしも いつのころからか となえるようになった
そうして そのたび
わたしの花がふしぎと ひとつひとつ ひらいていった
いかがでしょう?【 二度とない人生だから 】
二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛を そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも 無心の耳を かたむけてゆこう
二度とない人生だから 一匹のこおろぎでも ふみころさないように
こころしてゆこう どんなにか よろこぶことだろう
二度とない人生だから 一ペんでも多く便りをしよう
返事は必ず 書くことにしよう
二度とない人生だから まず一番身近な者たちに できるだけのことをしよう
貧しいけれど こころ豊かに接してゆこう
二度とない人生だから つゆくさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめて みつめてゆこう
二度とない人生だから のぼる日 しずむ日 まるい月 かけてゆく月
四季それぞれの 星々の光にふれて わが心を あらいきよめてゆこう
二度とない人生だから 戦争のない世の実現に努力し
そういう詩を 一篇でも多く作ってゆこう
わたしが死んだら あとをついでくれる若い人たちのために
この大願を 書きつづけてゆこう
夢や目標をしっかりと持つこと、
自分を信じて、努力を積み重ねていくこと、
それが大事です。
もちろん、新入学以外にも、新入社、転職、転居などで、新しい生活を始められた方も多いと思います。
折角の機会です。
自分の人生について、じっくりと考えてみては如何でしょう。
二度と無い人生ですから。
-----------------------------------------------
13時からの放送のつもりで、ゆっくりしていたら、今週から番組表が15分早まっていました・・・・(汗)
いつもより早い電話に焦りました。
う~ん。
聞いてないんですが・・・(多分)。
今後は、12時45分からの放送になるようです。。。
名前:一文字
