黒き心を無くして、丹き心を以ちて、清潔く斎慎み、左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に廻る事も万事違ふ事なくして、太神に仕へ奉れ。
元を元とし、本を本とする故なり。
379
石垣港から高速船で65分。
波照間島につきました。
早速、島の最南端へ。
ここには、日本最南端の碑の他、波照間の碑、聖寿奉祝の碑などがあります。
波照間の碑は、昭和47年5月15日の沖縄本土復帰を記念して、全国各都道府県の名石を集めて、それを礎石として建設された碑で、SSKの他有志青年団体で建立したものです。
当時の建設趣意書には「全国の青年代表が各地から寄せられた石を持ち寄り、神青沖縄の出発を祝し、またわが国の礎となることを願って参加します」とあります。当時の先輩諸賢の意気込みが感じられます。
主碑の周りには、2頭の竜を象って螺旋状に石積が施され、その間に全国から寄せられた石がはめ込まれています。参加者一同で、草を取り、砂を払いのけて清掃奉仕をいたしました。
愛知県からの石もありました。
以下、N副会長の思い出話です。
6歳の頃だったか、ある日突然、我が家に全国から「石ころ」が次々と送られてきました。訳も分からないまま、仕分けと梱包作業を手伝わされたなぁ・・・N副会長の父君がこの碑の建立に尽力されていたんですね。
あの石がこれだったんだ・・・。
とても感慨深げでした。
聖寿奉祝の碑は、昭和天皇の御在位60年を奉祝して建立したもので、それまであった国旗掲揚塔(昭和52年)が、現地の強風等で損傷も酷く、国旗ももたないので、日の丸を銘板形式に改めたものです。
清掃終了後、一同で国歌を斉唱。
聖寿奉祝の碑を通し、国の安寧を祈願いたしました。
この日の宿泊は「みのる荘」
前日の役員会に引き続き、熱い議論が交わされたのは言うまでもありません。
唯一の心残りは、生憎の曇天で、星空が見られなかったこと・・・。
これは次回?のお楽しみ??
377
那覇の翌朝。
石垣島にやって参りました。
そう言えば、石垣市は岡崎の姉妹都市だったなぁ・・・と思いつつ。
集合時間まで、2時間ほどの空き時間があったので、六弦師さんとともにタクシーに乗って暫し市内観光。
今回、石垣観光は全く予定していなかったので、予習は全く無し(T_T)
タクシーのウンちゃんに全てお任せで回ってもらいました^^;
具志堅用高記念館、船蔵公園(かつて連合国軍の駐屯地だったとか)を車中から横目に見つつ・・・
まずは、唐人墓です。

過去の悲しい歴史の遺産ですが・・・
イデオロギー的なことはともかく、島民の優しさ暖かさを感じます。
詳しくはコチラをご覧下さい。
続いて桃林寺。

権現堂は国の重要文化財に指定されています。
今は臨済宗妙心寺派のお寺ですが、権現というくらいですから神仏混交の名残もあります。
波上宮と同じく、熊野権現だったような・・・ちがったかな?
続いて、宮良殿内(みやらどぅんち)へ。
ここも重要文化財です。

八重山の頭職にあった宮良親雲上当演(みやらぺーちんとうえん)が、琉球の貴族屋敷を模して建てたもので、琉球王府に身分不相応として取り壊しを命じられたとか。しかし・・・
それに従わなかったために検使の譴責にあい、葦葺きに改めたものの、廃藩置県後に現在の本瓦葺きに戻したとか。
現在も宮良家の住居だそうです。
行ったときは、奥でテレビがついてました^^;
そして、フルスト原遺跡へ・・・。
ウンちゃんも迷うくらい分かりにくい場所でした^^;
(写真は撮り忘れましたゴメンナサイ)
遠弥計赤蜂(おやけあかはち)の居城跡と伝承されている史跡で、現在も発掘調査が進行中とのことでした。
我々が行ったときには誰もいませんでしたし、立ち入り制限もされてませんでした。(恐るべし・・・)
復元された石積が彼方此方にあり、整備されれば立派な史跡公園になるでしょうね・・・
そうこうするうちに、おなかも空いてきたので、ソーキそばで腹ごしらえ。
味噌味のスープで、美味しかったです。
さて、イイ時間になってきたので、集合場所の石垣港旅客ターミナルへ向かいます。
石垣島にやって参りました。
そう言えば、石垣市は岡崎の姉妹都市だったなぁ・・・と思いつつ。
集合時間まで、2時間ほどの空き時間があったので、六弦師さんとともにタクシーに乗って暫し市内観光。
今回、石垣観光は全く予定していなかったので、予習は全く無し(T_T)
タクシーのウンちゃんに全てお任せで回ってもらいました^^;
具志堅用高記念館、船蔵公園(かつて連合国軍の駐屯地だったとか)を車中から横目に見つつ・・・
まずは、唐人墓です。
過去の悲しい歴史の遺産ですが・・・
イデオロギー的なことはともかく、島民の優しさ暖かさを感じます。
詳しくはコチラをご覧下さい。
続いて桃林寺。
権現堂は国の重要文化財に指定されています。
今は臨済宗妙心寺派のお寺ですが、権現というくらいですから神仏混交の名残もあります。
波上宮と同じく、熊野権現だったような・・・ちがったかな?
続いて、宮良殿内(みやらどぅんち)へ。
ここも重要文化財です。
八重山の頭職にあった宮良親雲上当演(みやらぺーちんとうえん)が、琉球の貴族屋敷を模して建てたもので、琉球王府に身分不相応として取り壊しを命じられたとか。しかし・・・
それに従わなかったために検使の譴責にあい、葦葺きに改めたものの、廃藩置県後に現在の本瓦葺きに戻したとか。
現在も宮良家の住居だそうです。
行ったときは、奥でテレビがついてました^^;
そして、フルスト原遺跡へ・・・。
ウンちゃんも迷うくらい分かりにくい場所でした^^;
(写真は撮り忘れましたゴメンナサイ)
遠弥計赤蜂(おやけあかはち)の居城跡と伝承されている史跡で、現在も発掘調査が進行中とのことでした。
我々が行ったときには誰もいませんでしたし、立ち入り制限もされてませんでした。(恐るべし・・・)
復元された石積が彼方此方にあり、整備されれば立派な史跡公園になるでしょうね・・・
そうこうするうちに、おなかも空いてきたので、ソーキそばで腹ごしらえ。
味噌味のスープで、美味しかったです。
さて、イイ時間になってきたので、集合場所の石垣港旅客ターミナルへ向かいます。
374
昨日の御慶事。
実に盛大な宴でした。
ご当人は、札幌の弥彦神社のN禰宜さん。
SSKの遷宮委員として3年、現在も理事さんとしてお付き合いさせていただいています。

参列者は350名ほど。媒酌人は太宰府のN宮司さんご夫妻。
来賓には、皇大のO前学長、J本庁T副総長を始め、錚々たるメンバーです。
我が愛知県からも、O庁長とH副庁長が揃ってご臨席。
SSKからは、正副会長揃い踏み。
新旧の遷宮委員も多く出席してました。
会場のホテルも、格式の高い一流ホテル。
さすがです。
ただ・・・
挨拶、挨拶、挨拶と・・・・^^;
開演から乾杯までが1時間40分。
祝宴も・・・
O庁長の締めの乾杯までが更に2時間半。
入場の長持ち唄も、口上を述べてから行う鏡割りも驚きでした。
う~~む。
ある意味、記憶に残る披露宴でした。改めて、N君の偉大さを思い知らされました^^;
心からお祝い申し上げます。おめでとう!
(祝儀少なかったかな…)
二次会以降も、北海道の諸先輩方にご馳走になってしまいました。
更新が遅くなったのは、そのためです。(笑)
せっかく札幌まで来たので、いくつかのお社にお参りさせていただきました。
北海道神宮です。

T監事さんのお社、新琴似神社です。

今回の主役Nくんの弥彦神社です。

遷宮委員のMくんのお社、厚別神社です。

勿論、札幌ビール園にも、旧遷宮委員のみんなと行きました^^;

帰り際、札幌駅に怪しい行列が・・・・。
何かと思えば、クライマックスシリーズのチケットを買うための行列でした。
発売は明日?
実に盛大な宴でした。
ご当人は、札幌の弥彦神社のN禰宜さん。
SSKの遷宮委員として3年、現在も理事さんとしてお付き合いさせていただいています。
参列者は350名ほど。媒酌人は太宰府のN宮司さんご夫妻。
来賓には、皇大のO前学長、J本庁T副総長を始め、錚々たるメンバーです。
我が愛知県からも、O庁長とH副庁長が揃ってご臨席。
SSKからは、正副会長揃い踏み。
新旧の遷宮委員も多く出席してました。
会場のホテルも、格式の高い一流ホテル。
さすがです。
ただ・・・
挨拶、挨拶、挨拶と・・・・^^;
開演から乾杯までが1時間40分。
祝宴も・・・
O庁長の締めの乾杯までが更に2時間半。
入場の長持ち唄も、口上を述べてから行う鏡割りも驚きでした。
う~~む。
ある意味、記憶に残る披露宴でした。改めて、N君の偉大さを思い知らされました^^;
心からお祝い申し上げます。おめでとう!
(祝儀少なかったかな…)
二次会以降も、北海道の諸先輩方にご馳走になってしまいました。
更新が遅くなったのは、そのためです。(笑)
せっかく札幌まで来たので、いくつかのお社にお参りさせていただきました。
北海道神宮です。
T監事さんのお社、新琴似神社です。
今回の主役Nくんの弥彦神社です。
遷宮委員のMくんのお社、厚別神社です。
勿論、札幌ビール園にも、旧遷宮委員のみんなと行きました^^;
帰り際、札幌駅に怪しい行列が・・・・。
何かと思えば、クライマックスシリーズのチケットを買うための行列でした。
発売は明日?
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