FMおかざき「心の宅急便」の42回目の放送をしなければならないところですが・・・。
今日は運悪く根室行きの飛行機の中でしたので、電話が通じませんでした。
そこで、事前に原稿をお渡しし、パーソナリティの田野さんに読み上げていただきました。
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岡崎天満宮の伊奈です。
本日、北海道の根室で執り行われます北方領土早期復帰祈願祭に参列するため、飛行機で移動中です。生放送で応対できませんことを先ず以てお詫び申し上げます。
さて、今日は「命」について考えてみたいと思います。
皆さんご存知のように、今回の国会解散のドタバタの中で、臓器移植法の改定がなされてしまいました。「脳死」=「人の死」と定義するものです。非常に重要な問題にもかかわらず、性急に結論を出してしまったのではないかと思わざるを得ません。
「脳死」は本当に「人の死」を意味するのでしょうか?
臓器移植を心待ちにしてみえる患者さんやその家族からすれば、確かに歓迎すべき法改正かもしれません。しかし、一方で提供する側の「命」のことを考えると、諸手を挙げて喜ぶわけにはいきません。
幼い我が子が「脳死」になったときのことを想像してみてください。確かに意識はないかもしれません。反応もないかもしれません。でも心臓はしっかりと脈打っているのです。その心音を聞けば、何千万分の一かの奇跡を期待するのが親心だと思います。或いは、一分でも一秒でも長く命を延ばしてあげたいと思うのが素直な心情だと思います。
それでも愛しい我が子の「死」だと認識できるでしょうか?
本当に「脳死」=「死」でしょうか?
この問題は、「二つの命のうち、一つの命を助け、一つの命を絶つ、どちらの命を助けるべきか?」という究極の選択を、神ならぬ人間が行わなければならないところにあります。
どちらが正しいか自信を持って言える人がどのくらいいるのでしょうか?
人は「命」をもてあそぶことは決してしてはならないと思います。古くから、「人は神より出でて神に入るなり」と言われてきました。人は神さまから「命」をいただいて生まれてきます。そしてそれぞれに与えられた人生を精一杯生きて、「命」を全うするわけです。その「命」の長さは、まさに人それぞれです。いくら健康であっても、突然、事故にあったり、災害にあったりすることもあるかもしれません。それはその人の運命であり、神のみぞ知るところだと思います。
こんなエピソードを聞いたことがあります。
ある保育園に、四歳と二歳の仲良し姉妹が通っていました。二人とも明るい子で、お姉ちゃんは時々、妹のクラスを覗いては優しくお世話をする妹思いのよい子でした。お母さんも、明るくて優しい人柄が評判のお母さんでした。
ところが、ある時を境にしてお姉ちゃんが保育園を休みがちになり、お母さんの表情にもかげりが見えるようになってきました。
お姉ちやんのかわいいアゴに、ガンができて、難しい手術をしなければならなくなったのです。進行の速い小児ガンです。
しばらくたったある日、お母さんと下のちびちゃんが保育園に遊びに来ました。手術の結果報告を兼ねて、保育園に御挨拶に来たのです。ガンは転移していてお姉ちゃんの幼い命は間もなく消えてしまう可能性が高いとのこと。つらいつらい報告でした。
その時、園長先生は、お母さんが室内でも深くかぶった帽子を取らないことを不思議に思っていました。お母さんもふとそれに気づいて、照れくさそうに帽子を取られました。お母さんの頭はきれいに剃られていたそうです。
いつでもどこでも、「ハイッ」と返事をして元気なよい子のお姉ちやんも、手術が怖くてイヤだイヤだと駄々をこねたのでしょう。抗ガン剤で髪の毛が抜けることもいやがったに違いありません。それを自らの髪を剃って「お母さんも一緒だから心配しないで」と応援し、大きな愛で励まされたのでしょう。
その後、お姉ちゃんがどのような運命をたどったのかは知りません。しかし、「お母さんの子供で生まれてよかった。お母さんと一緒に過ごすことができて幸せだった。」と、この子は必ず思ったに違いないと思います。
いかがでしょう?
ガンという残酷な病に冒された幼い女の子と、一心に愛を注いで看病されたお母さん。色んな苦悩があったと思います。その結果、自分たちの運命を受け止め精一杯生きたんだと思います。
一人一人が「命」をどう受け止め、どう生きていくかが重要なことなんだと思います。勿論、私自身、実際に愛しい我が子が臓器移植の必要な病になったら、或いは脳死になってしまったら、相当苦悩すると思います。でもそれを運命だと受け入れることも必要なのではないでしょうか。そして与えられた「命」を如何に生きるかということこそ重要だと思います。
今回の「脳死」の問題で改めて強く感じるのは、「人の生死は神さまがお決めになること。」そういう謙虚さが現代の人々に必要なのではないかということです。
皆様は如何思われますか?
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