黒き心を無くして、丹き心を以ちて、清潔く斎慎み、左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に廻る事も万事違ふ事なくして、太神に仕へ奉れ。
元を元とし、本を本とする故なり。
当ブログ管理人の一文字です。
愛知県岡崎市の田舎神主。
融通の利かない頑固者です。
神社のこと、神道のこと、
世の中のこと、日々の出来事、
家族のこと、などなど。
私、一文字が、
気分次第で記していきます。
尚、FirefoxとInternetExplorerの最新版で表示確認を行っています。(旧版で表示が乱れていたらゴメンナサイ。)またjavascriptを有効にしてご覧下さいませ。
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「心の宅急便」
毎週火曜日、お昼の12時45分から出演しています^^;
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- 2009年09月の記事
目次
09月30日:招き猫 【心の宅急便】
09月22日:秋祭り 【心の宅急便】
09月16日:稲刈り 【知ろう学ぼうお米作り】
09月15日:岡崎三郎信康公御命日 【心の宅急便】
09月11日:提灯台の御奉納 【[岡崎天満宮]社務所から】
09月10日:神宮大麻頒布始奉告祭 【[兼務社・その他]岡崎市の神社】
09月08日:重陽の節供 【心の宅急便】
09月04日:戸隠神社 宝光社 【[旅先から]神社参拝など】
09月04日:戸隠神社 火之御子社 【[旅先から]神社参拝など】
09月04日:戸隠神社 奥社・九頭龍社 【[旅先から]神社参拝など】
09月04日:戸隠神社 中社 【[旅先から]神社参拝など】
09月04日:戸隠 【[旅先から]研修会・勉強会など】
09月01日:長月に思う 【心の宅急便】
09月01日:地鎮祭 【心の宅急便】
09月01日:終戦の日 【心の宅急便】
09月01日:お盆 【心の宅急便】
09月01日:長月 【つれづれ】
09月22日:秋祭り 【心の宅急便】
09月16日:稲刈り 【知ろう学ぼうお米作り】
09月15日:岡崎三郎信康公御命日 【心の宅急便】
09月11日:提灯台の御奉納 【[岡崎天満宮]社務所から】
09月10日:神宮大麻頒布始奉告祭 【[兼務社・その他]岡崎市の神社】
09月08日:重陽の節供 【心の宅急便】
09月04日:戸隠神社 宝光社 【[旅先から]神社参拝など】
09月04日:戸隠神社 火之御子社 【[旅先から]神社参拝など】
09月04日:戸隠神社 奥社・九頭龍社 【[旅先から]神社参拝など】
09月04日:戸隠神社 中社 【[旅先から]神社参拝など】
09月04日:戸隠 【[旅先から]研修会・勉強会など】
09月01日:長月に思う 【心の宅急便】
09月01日:地鎮祭 【心の宅急便】
09月01日:終戦の日 【心の宅急便】
09月01日:お盆 【心の宅急便】
09月01日:長月 【つれづれ】
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昨日、FMおかざき「心の宅急便」の51回目の放送です。
例大祭の疲れもあり(笑)、ちょっと軽めのお話しです。
----------------------------------------------------------------------
今日 9月29日は、来る(9)福(29)ということで、「招き猫の日」なんだそうですね。
招き猫といえば、・・・
真っ先に思いつくのが、右手を挙げたものと左手を挙げたもの。
(猫ですから手じゃなくて前足ですね(笑))
一般的に、・・・
右をあげた招き猫は、「お金」を招く招き猫
左をあげた招き猫は、「人(客)」を招く招き猫
と言われているようですが、最近では
両手(両前足)をあげた招き猫もあるようです。
正にダブルパワーということのようですが、でもこれでは「お手上げ状態」ともとれますね。ということでこれを嫌う人もいるようです。
欲張りすぎるのもダメだということでしょうか。
また、 右手挙げが「オス」で、左手挙げが「メス」なんて説もあります。
さらに挙げる手の高さでも、「 高ければ高いほど遠くの福を招く」と言うようですが、どうなんでしょう?
招き猫の色もいろいろありますね。
白、三毛が一般的ですが、中には・・・
黒・・・魔除け、家内安全?
赤・・・病気除け?
金・・・金運向上?
ピンク・・・恋愛運向上?
その他・・・風水関係の意味づけがなされたもの
などがあります。
実にバリエーションが豊富なので、コレクターも多いようですし、招き猫ばかりを集めた博物館や専門店もあるようですね。
この「招き猫」は、江戸時代からというのが通説のようですが、由来については諸説あるようですね。
ざっと調べてみると、
浅草の今戸神社、今戸焼き
世田谷区の豪徳寺 井伊直孝が雨を逃れた
新宿区の自性院 太田道灌が劣勢を挽回した
京都の壇王法林寺
養蚕農家のネズミ除け
金猫銀猫 遊郭での遊女(ネコ)の手招き
などがあるようです。
ちなみに、「猫が顔を洗うと雨が降る」といわれます。
ならば、猫が顔を洗うなど、落ち着かない行動をとるのは人が来る前兆かもしれません。
その様子を見た人が、猫が客を招いたと想像したのでしょうかねぇ。
さて、我が愛知県には常滑と瀬戸という焼き物のメッカがあります。ともに全国でも有数の陶器製招き猫の主要生産地です。瀬戸には「招き猫ミュージアム」もありますし・・・。
また、伊勢神宮のおかげ横町には、吉兆招福亭さんという招き猫専門店もあります。
9月29日の「招き猫」にちなんだイベントもあるようですので、興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。
蛇足ですが・・・
招き猫のおみくじ
岡崎天満宮にもあります。
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例大祭の疲れもあり(笑)、ちょっと軽めのお話しです。
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今日 9月29日は、来る(9)福(29)ということで、「招き猫の日」なんだそうですね。
招き猫といえば、・・・
なんですが、縁起物ゆえに実に色んなバージョンがあります。招き猫
猫が前足をあげて人を招くような形につくった縁起物玩具(がんぐ)。江戸時代、天明(てんめい)年間(1781~89)江戸・両国に「金猫銀猫」という売 色店(女郎屋)があり、金銀を彩色した招き猫を店頭に飾ったのがおこりという。その後、浅草の今戸で土製が盛んにつくられ、今戸焼の代表的なものになっ た。招き猫は客を呼び込み福を招く縁起から、現在も花柳界や飲食店などで喜ばれている。また関東地方などでは張り子製のものが達磨(だるま)市で売られ る。カイコの害敵のネズミを追い払う意味からおもに農家が買い求めるといわれる。(日本大百科全書(ニッポニカ))
真っ先に思いつくのが、右手を挙げたものと左手を挙げたもの。
(猫ですから手じゃなくて前足ですね(笑))
一般的に、・・・
右をあげた招き猫は、「お金」を招く招き猫
左をあげた招き猫は、「人(客)」を招く招き猫
と言われているようですが、最近では
両手(両前足)をあげた招き猫もあるようです。
正にダブルパワーということのようですが、でもこれでは「お手上げ状態」ともとれますね。ということでこれを嫌う人もいるようです。
欲張りすぎるのもダメだということでしょうか。
また、 右手挙げが「オス」で、左手挙げが「メス」なんて説もあります。
さらに挙げる手の高さでも、「 高ければ高いほど遠くの福を招く」と言うようですが、どうなんでしょう?
招き猫の色もいろいろありますね。
白、三毛が一般的ですが、中には・・・
黒・・・魔除け、家内安全?
赤・・・病気除け?
金・・・金運向上?
ピンク・・・恋愛運向上?
その他・・・風水関係の意味づけがなされたもの
などがあります。
実にバリエーションが豊富なので、コレクターも多いようですし、招き猫ばかりを集めた博物館や専門店もあるようですね。
この「招き猫」は、江戸時代からというのが通説のようですが、由来については諸説あるようですね。
ざっと調べてみると、
浅草の今戸神社、今戸焼き
世田谷区の豪徳寺 井伊直孝が雨を逃れた
新宿区の自性院 太田道灌が劣勢を挽回した
京都の壇王法林寺
養蚕農家のネズミ除け
金猫銀猫 遊郭での遊女(ネコ)の手招き
などがあるようです。
ちなみに、「猫が顔を洗うと雨が降る」といわれます。
なんだそうですが、いずれにせよ、猫は微妙な環境の変化を感じとって、顔を洗う行動をするみたいです。1. 低気圧が近づき、湿度が上がって来ると、猫のまゆやひげなどの触毛がべたついて来る。その大事な触毛の感度が鈍るのを防ぐために、まゆやひげの湿気を取るため顔を洗う。
2. 気圧や気温の変化によって、猫は物理的心理的ストレスを感じる。落ち着かない猫はやたらうろうろしたり、爪を研いだり、顔を洗うなどして、気を静めようとする。モリス博士が唱える、不安や動揺を感じたときの「転移行動」としての顔洗い行動である。
ならば、猫が顔を洗うなど、落ち着かない行動をとるのは人が来る前兆かもしれません。
その様子を見た人が、猫が客を招いたと想像したのでしょうかねぇ。
さて、我が愛知県には常滑と瀬戸という焼き物のメッカがあります。ともに全国でも有数の陶器製招き猫の主要生産地です。瀬戸には「招き猫ミュージアム」もありますし・・・。
また、伊勢神宮のおかげ横町には、吉兆招福亭さんという招き猫専門店もあります。
9月29日の「招き猫」にちなんだイベントもあるようですので、興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。
蛇足ですが・・・
招き猫のおみくじ
岡崎天満宮にもあります。
----------------------------------------------------------------------
FMおかざき「心の宅急便」の50回目の放送です。
昨年10月から始めて、もう既に50回になるんですね^^;
明日からの当宮例大祭にちなんで、「秋祭り」のお話しです。
----------------------------------------------------------------------
いよいよ、秋まつりシーズンが始まります。
おまつりと言えば、この童謡が頭に浮かびますね。
うちの娘に聞いたら、「知らない」とあっさり言われました(T_T)
お祭りと言えば学校が休みになった昔では考えられない話ですね。
そう言えば、小学校の総合学習でしょうか、時々こどもさんがお祭りのことについて調べに来られることがあります。その中で多いのが「なんでおまつりをするの?」というものです。
お祭りの意義が分からないこどもさんや親御さんが増えているんでしょうかね。
ならば、神社や神職がもっともっとアピールして行かなくてはなりませんね。
そもそも秋祭りは、・・・
秋の恵み(収穫)を神さまに感謝するため
日々の神さまのご加護に対して感謝するため
にとりおこなうお祭りです。
「神さま、ありがとうございます」とお礼をするのが秋祭りなんですね。
これに対して、五穀豊穣を祈るのが春祭りです。
さて、神社には「例大祭」とか「例祭」と呼ばれるおまつりがあります。
これは、それぞれの神社にとって、一年で一番大切なおまつりのことです。
「例」には、「恒例」「ためし」「ならわし」「しきたり」という意味があります。
これから10月、11月にかけてあちこちで例大祭が齋行さるわけです。
「毎年決まった日」ということですが、例祭日は、その神社に特別の由緒のある日があてられています。
御鎮座日、御祭神の縁日などですね。
この「毎年決まった日」ということが重要です。
しかしながら、最近、土日にあわせて行う例祭をおこなう神社が増えてきました。
「第●日曜」「第△土曜」などとしているところですね。
しかしこれは「本末転倒の話」と言えるでしょう。
日にちを変えた瞬間に「例祭」ではなくなる気もします。
よくよく考える必要がありそうですね。
先にも申しましたように、昔は、氏神さまの祭礼にあわせて、学校も仕事も休みになりました。
神さまの祭礼日に地域社会が都合を合わせてきたわけです。
神恩感謝が目的のお祭りですから、人間の都合ではなく、神さまにあわせるのが本来の形だと思います。
私のところの岡崎天満宮では、毎年日にちを変えずに例大祭を齋行しています。
出来る限り、これを続けていきたいですね。
さて、「おまつり」と言えば・・・
御神輿(おみこし)がありますね。
「輿」は「乗り物」の意味ですので、 「神輿」は「神さまの乗り物」ということです。
神さまを担いで、巡行することで氏子内を神さまがご覧になるという意味があります。
また、祭囃子(まつりばやし)もつきものです。
笛や太鼓の演奏ですが、文字通り「はやし立てる」意味で、おまつりを盛り上げる神賑わいの「神振行事」として重要な位置をしめますね。
三河地方のお祭りと言えば「花火」です。
打上げ花火、手筒花火、昼花火など色々なバリエーションがありますが、当宮の例祭ではかつて打ち上げ花火と昼花火が有名でした。
昼花火では、町内毎の色々な出し物があったようです。門前町のダルマとか、花崗町の将棋の駒とか・・・
落下傘にぶら下がって落ちてくるのを、みんなで奪い合ったと言う話をよく聞きます。
残念ながら、昨今の近隣の住宅事情により、打ち上げ花火も上げられなくなってしまいましたが、それでも手筒花火の奉納は行われます。
ちなみに花火を入れた花火長持ちを担いで練り込む時に歌う長持唄は、伊勢音頭がベースとなっているといわれています。
また、御神楽もありますね。ご神前に奏される歌舞のことですが、これは天岩戸神話の天鈿女命(あめのうずめのみこと)の舞が起源と言われています。
こどもさんにとっては、お祭りと言えば、露店・夜店でしょうか。
祭礼の参詣者をあてにした商売ですが、岡崎市内の神社の祭礼に出る露店も年々少なくなってきたように感じます。これも祭礼日の集中の影響でしょうか。
ちなみに露天商のことを「香具師(やし)」といいますが、一説には、売薬行商の元祖である彌四郎の名からきたとも言われています。また「的屋(てきや)」とも言いますね。「香具師的」の「的(てき)」とか、「当たれば儲かる」「的(まと)」からきたとか色々な説があるようです。
中には、神社が営業していると誤解してみえる方もありますが、基本的に神社とは無関係です^^;
「おたくのお祭りに夜店は出ますか?」
これ、結構多い質問なのですが、正確には「分かりません」としか答えられません。
「例年通りなら、多分出ると思いますが・・・」という答えが精一杯ですね(笑)
最後に明日からの岡崎天満宮例大祭の告知です。
9月23日
午後1時~ 奉納神楽舞
奉納剣道大会
午後2時~ 奉納こども腕ずもう大会
午後6時~ 奉納手筒花火
午後7時~ 奉納カラオケ大会
他に、福引きやリサイクルバザーあり。
午前中には、氏子各町からの花火長持ち、子供神輿の練り込み
24日
午前9時~ 奉納弓道大会
午後2時~ 奉賛会祈祷祭
午後6時~ ビンゴゲーム大会
午後7時~ 奉納「篠笛」演奏(ひろ美さん、竹林山水の会)
午後8時~ ビンゴゲーム大会(第2部)
他に、福引きやリサイクルバザーあり。
25日 午前10時~ 例大祭(本祭)
26日 午後5時~ 終祭
合い言葉は「天神さまに喜んでいただけるお祭りをしよう!!」です。
多くの皆さんのご参詣をお待ち申し上げております。
----------------------------------------------------------------------
昨年10月から始めて、もう既に50回になるんですね^^;
明日からの当宮例大祭にちなんで、「秋祭り」のお話しです。
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いよいよ、秋まつりシーズンが始まります。
おまつりと言えば、この童謡が頭に浮かびますね。
聴いているだけで、ウキウキするような感じがしますが、最近の小学校では教えないんでしょうかねぇ・・・。「村祭」 作詞不詳・南能衛作曲/文部省唱歌
♪ 村の鎮守の神様の
今日はめでたい御祭日
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
朝から聞こえる笛太鼓 ♪
♪ 年も豊年満作で
村は総出の大祭
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
夜までにぎわう宮の森 ♪
♪ 治まる御代に神様の
めぐみ仰ぐや村祭
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
聞いても心が勇み立つ ♪
うちの娘に聞いたら、「知らない」とあっさり言われました(T_T)
お祭りと言えば学校が休みになった昔では考えられない話ですね。
そう言えば、小学校の総合学習でしょうか、時々こどもさんがお祭りのことについて調べに来られることがあります。その中で多いのが「なんでおまつりをするの?」というものです。
お祭りの意義が分からないこどもさんや親御さんが増えているんでしょうかね。
ならば、神社や神職がもっともっとアピールして行かなくてはなりませんね。
そもそも秋祭りは、・・・
秋の恵み(収穫)を神さまに感謝するため
日々の神さまのご加護に対して感謝するため
にとりおこなうお祭りです。
「神さま、ありがとうございます」とお礼をするのが秋祭りなんですね。
これに対して、五穀豊穣を祈るのが春祭りです。
さて、神社には「例大祭」とか「例祭」と呼ばれるおまつりがあります。
これは、それぞれの神社にとって、一年で一番大切なおまつりのことです。
「例」には、「恒例」「ためし」「ならわし」「しきたり」という意味があります。
岡崎市を始め、西三河では、秋祭りがこの例祭になっている神社が数多くあります。例祭(れいさい) 毎年決まった期日に行う祭。(日本国語大辞典)
これから10月、11月にかけてあちこちで例大祭が齋行さるわけです。
「毎年決まった日」ということですが、例祭日は、その神社に特別の由緒のある日があてられています。
御鎮座日、御祭神の縁日などですね。
この「毎年決まった日」ということが重要です。
しかしながら、最近、土日にあわせて行う例祭をおこなう神社が増えてきました。
「第●日曜」「第△土曜」などとしているところですね。
しかしこれは「本末転倒の話」と言えるでしょう。
日にちを変えた瞬間に「例祭」ではなくなる気もします。
よくよく考える必要がありそうですね。
先にも申しましたように、昔は、氏神さまの祭礼にあわせて、学校も仕事も休みになりました。
神さまの祭礼日に地域社会が都合を合わせてきたわけです。
神恩感謝が目的のお祭りですから、人間の都合ではなく、神さまにあわせるのが本来の形だと思います。
私のところの岡崎天満宮では、毎年日にちを変えずに例大祭を齋行しています。
出来る限り、これを続けていきたいですね。
さて、「おまつり」と言えば・・・
御神輿(おみこし)がありますね。
「輿」は「乗り物」の意味ですので、 「神輿」は「神さまの乗り物」ということです。
神さまを担いで、巡行することで氏子内を神さまがご覧になるという意味があります。
また、祭囃子(まつりばやし)もつきものです。
笛や太鼓の演奏ですが、文字通り「はやし立てる」意味で、おまつりを盛り上げる神賑わいの「神振行事」として重要な位置をしめますね。
三河地方のお祭りと言えば「花火」です。
打上げ花火、手筒花火、昼花火など色々なバリエーションがありますが、当宮の例祭ではかつて打ち上げ花火と昼花火が有名でした。
昼花火では、町内毎の色々な出し物があったようです。門前町のダルマとか、花崗町の将棋の駒とか・・・
落下傘にぶら下がって落ちてくるのを、みんなで奪い合ったと言う話をよく聞きます。
残念ながら、昨今の近隣の住宅事情により、打ち上げ花火も上げられなくなってしまいましたが、それでも手筒花火の奉納は行われます。
ちなみに花火を入れた花火長持ちを担いで練り込む時に歌う長持唄は、伊勢音頭がベースとなっているといわれています。
また、御神楽もありますね。ご神前に奏される歌舞のことですが、これは天岩戸神話の天鈿女命(あめのうずめのみこと)の舞が起源と言われています。
こどもさんにとっては、お祭りと言えば、露店・夜店でしょうか。
祭礼の参詣者をあてにした商売ですが、岡崎市内の神社の祭礼に出る露店も年々少なくなってきたように感じます。これも祭礼日の集中の影響でしょうか。
ちなみに露天商のことを「香具師(やし)」といいますが、一説には、売薬行商の元祖である彌四郎の名からきたとも言われています。また「的屋(てきや)」とも言いますね。「香具師的」の「的(てき)」とか、「当たれば儲かる」「的(まと)」からきたとか色々な説があるようです。
中には、神社が営業していると誤解してみえる方もありますが、基本的に神社とは無関係です^^;
「おたくのお祭りに夜店は出ますか?」
これ、結構多い質問なのですが、正確には「分かりません」としか答えられません。
「例年通りなら、多分出ると思いますが・・・」という答えが精一杯ですね(笑)
最後に明日からの岡崎天満宮例大祭の告知です。
9月23日
午後1時~ 奉納神楽舞
奉納剣道大会
午後2時~ 奉納こども腕ずもう大会
午後6時~ 奉納手筒花火
午後7時~ 奉納カラオケ大会
他に、福引きやリサイクルバザーあり。
午前中には、氏子各町からの花火長持ち、子供神輿の練り込み
24日
午前9時~ 奉納弓道大会
午後2時~ 奉賛会祈祷祭
午後6時~ ビンゴゲーム大会
午後7時~ 奉納「篠笛」演奏(ひろ美さん、竹林山水の会)
午後8時~ ビンゴゲーム大会(第2部)
他に、福引きやリサイクルバザーあり。
25日 午前10時~ 例大祭(本祭)
26日 午後5時~ 終祭
合い言葉は「天神さまに喜んでいただけるお祭りをしよう!!」です。
多くの皆さんのご参詣をお待ち申し上げております。
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知ろう学ぼうお米作り
| 741 |
*
収穫の秋を迎えました。
当宮のバケツ稲もしっかり稲穂が頭を垂れています。


そこで先日の日曜日。
子供たちと稲刈りをしました。

慣れない手つきで、見ている方が怖いですね^^;
収穫した稲穂と記念撮影♪

今回の神青協の「知ろう学ぼうお米づくり」では、11月末に伊勢神宮に収穫米を奉納しますが、その時に併せて写真とメッセージをお伊勢さまに届けます。
本来ならバケツ稲でお米づくりをしてくれた子供たち自らの手で神宮に奉納していただきたいところですが、時期的に色々な制約があって、今回はそれが叶いません。
そこで、写真とメッセージを集めようということになりました。
バケツ稲をしてくれたみなさん。
収穫時にお子様と稲の写真を撮っておいて下さいね。
その写真(L板)の裏面に、神さまへの感謝の気持ちとお子様のお名前を記入して下さい。
そして、精米したお米と一緒に、当宮までお持ち下さいませ。
私が責任を持ってお伊勢さまにお届けいたします♪

刈り取った稲穂は、「はざかけ」をして暫し乾燥させます。
物干し竿が代用になりました^^;
当宮のバケツ稲もしっかり稲穂が頭を垂れています。
そこで先日の日曜日。
子供たちと稲刈りをしました。
慣れない手つきで、見ている方が怖いですね^^;
収穫した稲穂と記念撮影♪
今回の神青協の「知ろう学ぼうお米づくり」では、11月末に伊勢神宮に収穫米を奉納しますが、その時に併せて写真とメッセージをお伊勢さまに届けます。
本来ならバケツ稲でお米づくりをしてくれた子供たち自らの手で神宮に奉納していただきたいところですが、時期的に色々な制約があって、今回はそれが叶いません。
そこで、写真とメッセージを集めようということになりました。
バケツ稲をしてくれたみなさん。
収穫時にお子様と稲の写真を撮っておいて下さいね。
その写真(L板)の裏面に、神さまへの感謝の気持ちとお子様のお名前を記入して下さい。
そして、精米したお米と一緒に、当宮までお持ち下さいませ。
私が責任を持ってお伊勢さまにお届けいたします♪
刈り取った稲穂は、「はざかけ」をして暫し乾燥させます。
物干し竿が代用になりました^^;
FMおかざき「心の宅急便」の49回目の放送です。
今日9月15日にちなんだお話しです。
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今日9月15日は何の日か御存じでしょうか?
数年前までは、敬老の日でしたね。
でも、その話ではありません。
岡崎市民の皆さんには、是非とも意識していただきたいのですが・・・。
今日、9月15日は岡崎三郎信康(松平信康)公の御命日なんです。
信康公は、今から430年前の天正7年(1579)9月15日、遠州二股城で自害されました。享年21歳だったそうです。
信康って誰?という方のために・・・
お父さんは徳川家康。
お母さんは築山御前(今川義元の姪っ子で養女)。家康の正室です。
一口で言えば、徳川家康のご長男なんです。
通称は次郎三郎といい、後に岡崎城主となったため岡崎三郎ともいいました。
信康公の短い生涯についてざっと触れますと、お生まれになったのは、永禄2年(1559)3月6日です。
戦国時代真っ最中ですが、その頃の情勢はといいますと、岡崎の松平家は尾張の織田家(織田信長)と遠州の今川家(今川義元)の間に挟まれ、非常に微妙な立場にありました。
そのため、徳川家康が幼少の頃より今川家に人質となっていたことは、皆さんもよく知るところです。
徳川家康も、今川家にいた時代は松平元康と名乗っていました。
「元康」の「元」は「今川義元」の「元」なんですね。
そして、今川ゆかりの瀬名姫(築山御前)と結婚します。
松平家は益々今川家に逆らえない状況になるわけです。
そんな中、永禄2年(1559)3月6日、元康が17歳の時、長男・信康は駿府にて誕生なさいます。
そして、翌永禄3年(1560)5月19日、有名な『桶狭間の合戦』が起こります。
松平元康はこのとき、今川軍の先鋒として出陣します。勿論妻子を駿府に残したままですが・・・。
合戦の結果は皆さん御存じの通りですね。
織田信長軍の奇襲作戦により、今川義元が討ち取られ、今川軍は混乱のまま駿府に退却します。
この時、元康は駿府には戻りませんでした。
ふるさとの岡崎城に入城するのです。
このとき、今川との決別を決意したのかも知れません。
同じ年の9月、長女・亀姫が駿府で誕生します。
しかし奥さんの築山御前、信康、亀姫の二人のお子さんは未だ駿府に残したままになっています。
永禄5年(1562)正月15日、いわゆる「清洲同盟」が成立します。
正式に織田信長との同盟を結んだわけです。
翌月2月4日には、松平元康軍は、蒲郡の西郡城攻略し、鵜殿長照の子を人質にとります。
そして人質交換により、駿府から築山御前、信康、亀姫を呼び寄せることに成功するわけです。
翌年には、元康は「家康」と改名します。これは名実ともに今川家との絶縁を意味します。
時を同じくして、長男の信康は、永禄6年(1563)年3月2日、織田信長の娘・五徳姫(徳姫)と婚約をします。なんと数え5歳の時です。
そして数え9歳の永禄10年(1567)年5月27日、五徳姫(徳姫)とご結婚されるわけです。
元亀元(1570)年、信康は元服し、「次郎三郎信康」と称します。
「信康」の「信」は「織田信長」の「信」なんですね。
その年の6月、家康は浜松城へ移り、遠州攻略につとめます。
元服した信康は、留守を預かる形で岡崎城主となったわけです。
その後、天正元年(1573)年9月、武節城攻略戦という合戦がありました。これが信康の初陣ともいわれています。
以後、信康は家康と行動をともにし、武田軍との合戦にたびたび参戦しています。
武田勝頼をして「天下に旗を立つべし」と言わしめたほどの勇猛果敢な活躍を見せたといいます。
信康は勇将の片鱗を見せ、家康の片腕へと成長していったと言えるでしょう。
しかし信康の人生も順風満帆とは行きません。
運命の天正7(1579)年がやってきます。
かねてから、妻徳姫との不仲説が噂されていました。
政略結婚が当たり前の時代だったとは言え、9歳で結婚しています。
いろいろ難しいことがあったとも考えられます。
ましてお母さんの築山御前は今川方、奥さんの徳姫は織田信長の娘。嫁姑の関係も微妙だったはずです。
それがついには 「築山御前と信康が武田と密通」との嫌疑に発展してしまいます。
徳姫が父信長に送ったという「12箇条の手紙」がそれです。
そしてそれが信長の逆鱗に触れます。
同年7月16日、信長は、築山御前と信康の処罰を家康に厳命したのです。
そして、8月29日、築山殿が暗殺され、9月15日、信康公は浜松の二股城で自刃されるました。
いくら主君の命とはいえ、妻子を手にかけなくてはならなかった家康の思いは、いかばかりだったでしょうか?
志し半ばで、嫌疑をかけられ自刃した信康公の思いは、どうだったでしょうか?
万感こみ上げるものがありますね。
一節には、正室に嫡男のいない信長が、武勇に優れ、人望のある信康が将来の仇になることを怖れ、徳姫の訴状を口実に早めに芽を摘もうとしたとか、家康の忠誠心を試したとか色々な節がありますが、真実はわかりません。
でもやっぱり「戦国の世の習い」で片付けるには、あまりに哀れすぎますね。
もしこの事件がなかったら、歴史は変わっていたかも知れません。
さて、信康公の遺体は二股の清滝寺に葬られますが、御首は首実検のため、清洲の信長の元に送られます。
その後、岡崎に戻され、根石が原にひっそりと葬られます。
家康も信長の手前、息子の供養も盛大に出来なかったようです。
しばらく岡崎城内で怪奇事件が続き、これは信康公の祟りだと怖れられたこともあったようです。
そこで、名栗天神(今の若宮八幡宮)に首塚を建立し、信康公を合祀したのです。
全国には「若宮八幡宮」とか「若宮八幡社」と称する神社がたくさんあります。
その多くが、「八幡さま」の「若宮」という意味で、応神天皇(八幡さま)の皇子にあたる仁徳天皇をお祭りする神社です。名古屋の若宮大通りにある若宮八幡社もそうですね。
でもこの岡崎の若宮八幡宮は「家康公の若宮」つまり信康公をおまつりする神社なんです。
もちろん仁徳天皇もおまつりしていますので、織田家に対するカモフラージュの意味も多分にあったと思われます。
この若宮八幡宮は私が宮司を務める神社ですが、現在でも御命日の9月15日に慰霊のお祭りをご奉仕しています。今年も本日午後2時より「信康公御命日祭」を齋行いたしますので、是非多くの方におまいりいただきたいと思います。
ちなみに築山御前の首塚は、欠町の八柱神社にあります。
かつては築山神明宮といわれました。
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今日9月15日にちなんだお話しです。
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今日9月15日は何の日か御存じでしょうか?
数年前までは、敬老の日でしたね。
でも、その話ではありません。
岡崎市民の皆さんには、是非とも意識していただきたいのですが・・・。
今日、9月15日は岡崎三郎信康(松平信康)公の御命日なんです。
信康公は、今から430年前の天正7年(1579)9月15日、遠州二股城で自害されました。享年21歳だったそうです。
信康って誰?という方のために・・・
お父さんは徳川家康。
お母さんは築山御前(今川義元の姪っ子で養女)。家康の正室です。
一口で言えば、徳川家康のご長男なんです。
通称は次郎三郎といい、後に岡崎城主となったため岡崎三郎ともいいました。
信康公の短い生涯についてざっと触れますと、お生まれになったのは、永禄2年(1559)3月6日です。
戦国時代真っ最中ですが、その頃の情勢はといいますと、岡崎の松平家は尾張の織田家(織田信長)と遠州の今川家(今川義元)の間に挟まれ、非常に微妙な立場にありました。
そのため、徳川家康が幼少の頃より今川家に人質となっていたことは、皆さんもよく知るところです。
徳川家康も、今川家にいた時代は松平元康と名乗っていました。
「元康」の「元」は「今川義元」の「元」なんですね。
そして、今川ゆかりの瀬名姫(築山御前)と結婚します。
松平家は益々今川家に逆らえない状況になるわけです。
そんな中、永禄2年(1559)3月6日、元康が17歳の時、長男・信康は駿府にて誕生なさいます。
そして、翌永禄3年(1560)5月19日、有名な『桶狭間の合戦』が起こります。
松平元康はこのとき、今川軍の先鋒として出陣します。勿論妻子を駿府に残したままですが・・・。
合戦の結果は皆さん御存じの通りですね。
織田信長軍の奇襲作戦により、今川義元が討ち取られ、今川軍は混乱のまま駿府に退却します。
この時、元康は駿府には戻りませんでした。
ふるさとの岡崎城に入城するのです。
このとき、今川との決別を決意したのかも知れません。
同じ年の9月、長女・亀姫が駿府で誕生します。
しかし奥さんの築山御前、信康、亀姫の二人のお子さんは未だ駿府に残したままになっています。
永禄5年(1562)正月15日、いわゆる「清洲同盟」が成立します。
正式に織田信長との同盟を結んだわけです。
翌月2月4日には、松平元康軍は、蒲郡の西郡城攻略し、鵜殿長照の子を人質にとります。
そして人質交換により、駿府から築山御前、信康、亀姫を呼び寄せることに成功するわけです。
翌年には、元康は「家康」と改名します。これは名実ともに今川家との絶縁を意味します。
時を同じくして、長男の信康は、永禄6年(1563)年3月2日、織田信長の娘・五徳姫(徳姫)と婚約をします。なんと数え5歳の時です。
そして数え9歳の永禄10年(1567)年5月27日、五徳姫(徳姫)とご結婚されるわけです。
元亀元(1570)年、信康は元服し、「次郎三郎信康」と称します。
「信康」の「信」は「織田信長」の「信」なんですね。
その年の6月、家康は浜松城へ移り、遠州攻略につとめます。
元服した信康は、留守を預かる形で岡崎城主となったわけです。
その後、天正元年(1573)年9月、武節城攻略戦という合戦がありました。これが信康の初陣ともいわれています。
以後、信康は家康と行動をともにし、武田軍との合戦にたびたび参戦しています。
武田勝頼をして「天下に旗を立つべし」と言わしめたほどの勇猛果敢な活躍を見せたといいます。
信康は勇将の片鱗を見せ、家康の片腕へと成長していったと言えるでしょう。
しかし信康の人生も順風満帆とは行きません。
運命の天正7(1579)年がやってきます。
かねてから、妻徳姫との不仲説が噂されていました。
政略結婚が当たり前の時代だったとは言え、9歳で結婚しています。
いろいろ難しいことがあったとも考えられます。
ましてお母さんの築山御前は今川方、奥さんの徳姫は織田信長の娘。嫁姑の関係も微妙だったはずです。
それがついには 「築山御前と信康が武田と密通」との嫌疑に発展してしまいます。
徳姫が父信長に送ったという「12箇条の手紙」がそれです。
そしてそれが信長の逆鱗に触れます。
同年7月16日、信長は、築山御前と信康の処罰を家康に厳命したのです。
そして、8月29日、築山殿が暗殺され、9月15日、信康公は浜松の二股城で自刃されるました。
いくら主君の命とはいえ、妻子を手にかけなくてはならなかった家康の思いは、いかばかりだったでしょうか?
志し半ばで、嫌疑をかけられ自刃した信康公の思いは、どうだったでしょうか?
万感こみ上げるものがありますね。
一節には、正室に嫡男のいない信長が、武勇に優れ、人望のある信康が将来の仇になることを怖れ、徳姫の訴状を口実に早めに芽を摘もうとしたとか、家康の忠誠心を試したとか色々な節がありますが、真実はわかりません。
でもやっぱり「戦国の世の習い」で片付けるには、あまりに哀れすぎますね。
もしこの事件がなかったら、歴史は変わっていたかも知れません。
さて、信康公の遺体は二股の清滝寺に葬られますが、御首は首実検のため、清洲の信長の元に送られます。
その後、岡崎に戻され、根石が原にひっそりと葬られます。
家康も信長の手前、息子の供養も盛大に出来なかったようです。
しばらく岡崎城内で怪奇事件が続き、これは信康公の祟りだと怖れられたこともあったようです。
そこで、名栗天神(今の若宮八幡宮)に首塚を建立し、信康公を合祀したのです。
全国には「若宮八幡宮」とか「若宮八幡社」と称する神社がたくさんあります。
その多くが、「八幡さま」の「若宮」という意味で、応神天皇(八幡さま)の皇子にあたる仁徳天皇をお祭りする神社です。名古屋の若宮大通りにある若宮八幡社もそうですね。
でもこの岡崎の若宮八幡宮は「家康公の若宮」つまり信康公をおまつりする神社なんです。
もちろん仁徳天皇もおまつりしていますので、織田家に対するカモフラージュの意味も多分にあったと思われます。
この若宮八幡宮は私が宮司を務める神社ですが、現在でも御命日の9月15日に慰霊のお祭りをご奉仕しています。今年も本日午後2時より「信康公御命日祭」を齋行いたしますので、是非多くの方におまいりいただきたいと思います。
ちなみに築山御前の首塚は、欠町の八柱神社にあります。
かつては築山神明宮といわれました。
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[岡崎天満宮]社務所から
| 739 |
*
[兼務社・その他]岡崎市の神社
| 738 |
*
FMおかざき「心の宅急便」の48回目の放送です。
節供シリーズですね^^;
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明日9月9日は、「重陽(ちょうよう)の節供」です。
五節供の一つで、「菊の節供」ともいいます。
無病息災・健康長寿を祈る節供です。
何故「重陽」というのでしょうか。
陰陽五行説では、数にも陰陽があります。1,3,5,7,9の奇数は陽、2,4,6,8,の偶数は陰ですね。
中でも「9」は陽の極みの数なんです。究極の陽数とでも言えましょうか。
その陽数「9」が重なることから、「重陽」というのです。
また、「九」は「久」に通じます。「長久」「老熟」を意味するわけです。
そこから不老長寿を祈る行事になったと考えられています。
他の節供と同様、この「重陽の節供」も起源は中国にあります。
中国では、この日に小高い山に登り、長生きの効能があるとされる菊の花を浸した菊酒を飲んで不老長寿を願う風習があったそうです。
「登高の日」とも言ったようですね。
有名な杜甫の漢詩に「登高」という七言律詩があります。
さて、この「重陽の節供」は、日本には 天武天皇のころに伝わったと考えられています。
これが、我が国で最初の重陽の節供の行事だとも言われています。
そして、平安時代の嵯峨天皇のころには宮中行事として定着したんだそうです。
ちなみに、天武天皇の崩御は朱鳥元年(686)9月9日です。それ故9月9日はいわゆる国忌と規定されており、この規定が廃止される延暦10年(791年)までは重陽に関する儀式は行われなかったと考えられています。
宮中や、貴族の間で重陽の節供が盛に行われるようになったのは平安時代ということですね。
重陽の節会は「菊花の宴」とも称されました。
菊花を観賞し、杯に菊花を浮かべた菊酒を飲み、群臣が詩を賦すといったものです。
また、菊の花についた露で身体をぬぐい、厄災を祓い清めることも行われたようです。
時代が下るにつれ、それが武家社会にも広まり、江戸時代以降は、秋の収穫を感謝する祭と結びつき、庶民の間でも盛大に行われるようになりました。
地方によっては「栗の節供」ともいい、栗ご飯を食べる風習もあります。
「重陽」につきものの菊酒ですが、菊酒といえば、「加賀の菊酒」が有名です。
室町時代の中期以後、全国的に著名になったようですが、日本酒大好きの私にとって、「高砂」「菊姫」「萬歳楽」「天狗舞」「手取川正宗」などの銘酒が脳裏に浮かびます。
どのお酒も本当に美味しいですよね。
さて、江戸時代には五節供として盛大に行われた「重陽」ですが、残念なことに、明治の新暦採用後は、だんだん廃れていったのも否めない事実です。
陰暦9月9日は菊の花の季節です。本来は晩秋の行事なんですね。
新暦では約1ヶ月遅れの10月に当たります。(今年は閏月の関係で10月26日ですね。)
これならば、菊の季節にぴったりです。
ところが、新暦の9月9日は、まだ残暑が厳しい時分です。
菊とか栗はちょっと早い感じですね。
このことが大きく影響しているように思われます。
「上巳の節供(桃の節句)」「端午の節句」「七夕」などと比べると、まさに「忘れ去られた節供」とでも言えましょうか。
しかしながら現在でも、一部の寺社の行事にその伝統が生き残っています。
有名なのは京都の上賀茂神社の「重陽神事」ですね。
御神前に菊花を供え無病息災を祈願。当日は菊酒の無料接待もあるそうです。
あわせて烏相撲(からすずもう)も執り行われます。
烏相撲は、上賀茂神社の御祭神・賀茂別雷大神の祖父にあたる賀茂建角身命(八咫烏)が、神武天皇東征に際して先導役を果たした故事に由来し、宮中で行われていた悪霊退治の相撲節会とが合わさって祓いの行事となったものです。細殿前の土俵にて、左の禰宜方と右の祝方に分かれて子供たちによる相撲が奉納され、右は「カーカーカー」、左は「コーコーコー」と烏の鳴き声を真似て三度鳴くんだそうです。(京都市無形民俗文化財)
また「菊花展」を行う社寺も多いですね。
寺社で観賞用の菊花を展示。コンクールもおこなわれたりします。これこそ「菊合わせ」でしょうか。
重陽の節供の名残とも言えます。
そう言えば、「くんち」って御存じでしょうか?
「長崎くんち」「唐津くんち」の「くんち」です。
この「くんち」は、「9日」のことです。
重陽の節供の9月9日に行われたことから「くんち」「おくんち」と言うんだそうです。
(この長崎くんち。今は月遅れの10月9日に行われます。)
もう一つ、先日今月の小中学校の給食の献立表を見ていましたら、9月9日のメニューは「菊花ちらし」でした。
岡崎市の給食センターのメニューですが、行事食という特別メニューのようです。
子供たちに伝統行事について考えて貰うきっかけになるとイイですね。
その献立表に豆知識が載っていました。
食用菊は、愛知県の豊橋で栽培がさかんだそうです。愛知県は全国シェア90%以上とか。
渥美半島の電照菊は知っていましたが、食用菊もですか・・・。
う~ん。知りませんでした。勉強になりますね。
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節供シリーズですね^^;
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明日9月9日は、「重陽(ちょうよう)の節供」です。
五節供の一つで、「菊の節供」ともいいます。
無病息災・健康長寿を祈る節供です。
何故「重陽」というのでしょうか。
陰陽五行説では、数にも陰陽があります。1,3,5,7,9の奇数は陽、2,4,6,8,の偶数は陰ですね。
中でも「9」は陽の極みの数なんです。究極の陽数とでも言えましょうか。
その陽数「9」が重なることから、「重陽」というのです。
また、「九」は「久」に通じます。「長久」「老熟」を意味するわけです。
そこから不老長寿を祈る行事になったと考えられています。
他の節供と同様、この「重陽の節供」も起源は中国にあります。
中国では、この日に小高い山に登り、長生きの効能があるとされる菊の花を浸した菊酒を飲んで不老長寿を願う風習があったそうです。
「登高の日」とも言ったようですね。
有名な杜甫の漢詩に「登高」という七言律詩があります。
ちなみに、この「登高」の由来譚の一つにはこんなものもあるようです。「登高」
風急天高猿嘯哀
渚清沙白鳥飛廻
無邊落木蕭蕭下
不盡長江滾滾來
萬里悲秋常作客
百年多病獨登臺
艱難苦恨繁霜鬢
潦倒新停濁酒杯
風(かぜ)急(きゅう)に 天(てん)高(たか)くして 猿嘯(えんしょう)哀(かな)し
渚(なぎさ)清(きよ)く 沙(すな)白(しろ)くして 鳥(とり)飛(と)び廻(めぐ)る
無辺(むへん)の落木(らくぼく) 蕭蕭(しょうしょう)として下(くだ)り
不尽(ふじん)の長江(ちょうこう) 滾滾(こんこん)として来(き)たる
万里(ばんり) 秋(あき)を悲(かな)んで常(つね)に客(かく)と作(な)り
百年(ひゃくねん) 病(やま)い多(おお)くして独(ひと)り台(だい)に登(のぼ)る
艱難(かんなん) 苦(はなは)だ恨(うら)む 繁霜(はんそう)の鬢(びん)
潦倒(ろうとう) 新(あら)たに停(とど)む 濁酒(だくしゅ)の杯(はい)
風は激しく吹きよせ 野猿の鳴く声が哀しくひびき
川辺の水は清く砂は白く あたりには鳥が飛び巡っている
果てしもなく続く落葉の木々は、蕭々と落葉を散らし
尽きることなき長江の流れは 滾々と湧きかえるように流れている
万里遠く故郷を離れ、この悲しい秋景色のなかで、私は常に旅人だった
来る年も来る年も、私は病気がちであり、めっきり髪が白くなっている
老い衰えた今の私は心を楽しませる濁酒も絶つようになってしまった
※故郷を離れ、独りで重陽の節供を迎える境遇を詠ったもの
何か、我が国の蘇民将来の話に通じるものもありますね^^;中国に伝説あり。
昔、桓景(かんけい)と言う男の所に仙人が現れ、お前の家には凶の易が出た、何か災いが起こるに違いない。それは九月九日だ。その日は高い所に登り、菊酒(菊の花びらを浮かべた酒)を飲むがよいと言って立ち去った。
言われた通りにして帰って見ると災いで家畜が全部死んでいた。
桓景が災難から逃れるのとが出来た事から中国では、9月9日には高台に登り菊酒を飲む登高飲酒の習慣が出来た。
その後9月9日は重陽(ちょうよう)の節句として人々は高台に登って酒やご馳走を食べる行事が行われるようになった。
さて、この「重陽の節供」は、日本には 天武天皇のころに伝わったと考えられています。
九月九日に天皇が宮中で宴を催したという内容ですね。『日本書紀』巻二九天武天皇十四年(六八五)九月壬子《九》
九月甲辰朔壬子。天皇宴于舊宮安殿之庭。
これが、我が国で最初の重陽の節供の行事だとも言われています。
そして、平安時代の嵯峨天皇のころには宮中行事として定着したんだそうです。
ちなみに、天武天皇の崩御は朱鳥元年(686)9月9日です。それ故9月9日はいわゆる国忌と規定されており、この規定が廃止される延暦10年(791年)までは重陽に関する儀式は行われなかったと考えられています。
宮中や、貴族の間で重陽の節供が盛に行われるようになったのは平安時代ということですね。
重陽の節会は「菊花の宴」とも称されました。
菊花を観賞し、杯に菊花を浮かべた菊酒を飲み、群臣が詩を賦すといったものです。
また、菊の花についた露で身体をぬぐい、厄災を祓い清めることも行われたようです。
時代が下るにつれ、それが武家社会にも広まり、江戸時代以降は、秋の収穫を感謝する祭と結びつき、庶民の間でも盛大に行われるようになりました。
地方によっては「栗の節供」ともいい、栗ご飯を食べる風習もあります。
「重陽」につきものの菊酒ですが、菊酒といえば、「加賀の菊酒」が有名です。
室町時代の中期以後、全国的に著名になったようですが、日本酒大好きの私にとって、「高砂」「菊姫」「萬歳楽」「天狗舞」「手取川正宗」などの銘酒が脳裏に浮かびます。
どのお酒も本当に美味しいですよね。
さて、江戸時代には五節供として盛大に行われた「重陽」ですが、残念なことに、明治の新暦採用後は、だんだん廃れていったのも否めない事実です。
陰暦9月9日は菊の花の季節です。本来は晩秋の行事なんですね。
新暦では約1ヶ月遅れの10月に当たります。(今年は閏月の関係で10月26日ですね。)
これならば、菊の季節にぴったりです。
ところが、新暦の9月9日は、まだ残暑が厳しい時分です。
菊とか栗はちょっと早い感じですね。
このことが大きく影響しているように思われます。
「上巳の節供(桃の節句)」「端午の節句」「七夕」などと比べると、まさに「忘れ去られた節供」とでも言えましょうか。
しかしながら現在でも、一部の寺社の行事にその伝統が生き残っています。
有名なのは京都の上賀茂神社の「重陽神事」ですね。
御神前に菊花を供え無病息災を祈願。当日は菊酒の無料接待もあるそうです。
あわせて烏相撲(からすずもう)も執り行われます。
烏相撲は、上賀茂神社の御祭神・賀茂別雷大神の祖父にあたる賀茂建角身命(八咫烏)が、神武天皇東征に際して先導役を果たした故事に由来し、宮中で行われていた悪霊退治の相撲節会とが合わさって祓いの行事となったものです。細殿前の土俵にて、左の禰宜方と右の祝方に分かれて子供たちによる相撲が奉納され、右は「カーカーカー」、左は「コーコーコー」と烏の鳴き声を真似て三度鳴くんだそうです。(京都市無形民俗文化財)
また「菊花展」を行う社寺も多いですね。
寺社で観賞用の菊花を展示。コンクールもおこなわれたりします。これこそ「菊合わせ」でしょうか。
重陽の節供の名残とも言えます。
そう言えば、「くんち」って御存じでしょうか?
「長崎くんち」「唐津くんち」の「くんち」です。
この「くんち」は、「9日」のことです。
重陽の節供の9月9日に行われたことから「くんち」「おくんち」と言うんだそうです。
(この長崎くんち。今は月遅れの10月9日に行われます。)
もう一つ、先日今月の小中学校の給食の献立表を見ていましたら、9月9日のメニューは「菊花ちらし」でした。
岡崎市の給食センターのメニューですが、行事食という特別メニューのようです。
子供たちに伝統行事について考えて貰うきっかけになるとイイですね。
その献立表に豆知識が載っていました。
食用菊は、愛知県の豊橋で栽培がさかんだそうです。愛知県は全国シェア90%以上とか。
渥美半島の電照菊は知っていましたが、食用菊もですか・・・。
う~ん。知りませんでした。勉強になりますね。
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[旅先から]神社参拝など
| 736 |
*
[旅先から]神社参拝など
| 735 |
*
[旅先から]神社参拝など
| 734 |
*
[旅先から]神社参拝など
| 733 |
*
[旅先から]研修会・勉強会など
| 732 |
*
ようやく本日の放送分に辿り着きました。
FMおかざき「心の宅急便」の47回目の放送です。
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カレンダーも9月に入りました。
いよいよ「長月」ですね。
「長月」というのは御存じの通り、陰暦九月の異称です。
その語源を調べてみますと、
稲穂に絡めた語源説などは興味深い物がありますね。
そう言えば、以前からお話ししていますバケツ稲も稲穂が垂れ下がってきました。
収穫が待ち遠しいですね。
秋は私自身一番好きな季節でもあります。秋には満喫する物が沢山ありますしね。
読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、・・・そして秋祭り、収穫の秋、・・・
皆さんはどんな秋を満喫されるのでしょうか。
さて、虫の音をBGMに聞きながら、秋の夜長にじっくりと物事を考えることも良いことだと思います。
そこで、総選挙で民主党が圧勝し、政権交代が行われようとしている今、じっくりとこの国のことについて考えてみたいと思います。
今回の総選挙の結果について、皆さんはどのような印象を持たれたでしょうか。
私は率直に言って、民主党は勝ちすぎたと思います。
今後どう行った結果を引き起こすかかは分かりませんが、期待よりも不安の方が大きいのが率直な感想です。
嘗てギリシャ・アテネの民主制は堕落をしました。
アリストテレスはそれを衆愚政治と揶揄いたしました。
それは、多数の貧民による貧民のための政治だったそうです。
貧しく、教養が低く、富貴を嫉み、買収と扇動を受けやすい体質が原因だったようです。
民主制は必然的に衆愚制へと堕落していく要素を常に孕んでいるとも言われます。
愛する日本という国がそのような方向に進んでいくことは、やはり避けなければなりません。
国民の真価が問われているといっても過言ではないでしょう。
国のあり方についてですが、改めて「日本という国」はどういう国でしょうか。
一言で言えば、「万世一系の皇室を戴く国である」と言えると私は思います。
この国のあり方こそが、二千六百有余年続いている世界にも類を見ない国柄なんだと思います。
長い歴史の中で、藤原氏が実権を握った時代もありました。源氏や北条氏、足利氏が実権を握った時代もありました。戦国時代のような混乱の時代や、徳川幕府の時代もありました。
そのような歴史の中でも、常に歴代の天皇陛下が国安かれ、民安かれと無私の祈りを捧げ続けてこられたことが、実に有り難いことなんです。
そしてそれは、今後も守り続けていかなくてはならない日本国のアイデンティティだとも思います。
国家と国民の関係を考えるときに、欧米のような支配と被支配の関係を考えがちです。
ロックやルソーの社会契約説的な考え方ですが、これはどうも我が国には馴染まない物のような気がします。
一方、プラトンやスペンサーが唱えた国家有機体説のような考え方が日本社会には馴染みやすいのかも知れません。
「国」「国家」という言葉にもよくよく考えてみると色々な側面があります。
良く言われるのが「Nation(国民国家)」と「State(政府)」の違いですが、この「Nation」にあたるのが我が国の国家と国民の関係にしっくりくるとも思います。
「公(おおやけ)」という言葉があります。
元々は「大きな家」という意味です。
日本国全体が、一つの大きな家であり、そこに住む国民はみんな家族なんです。
天皇陛下を元首と仰ぎ、陛下はひたすら国民の幸せを祈られる。国民はそれに応えるべく叡智を絞り勤労する。そして我が国に暮らす人の共同体が形成されていく。
「和を以て尊しとなす」としてきた日本人の国家観そのものだとも言えます。
従って、日本という国を考えるときには、国=国家≠国家権力=政府と考えるとスッキリするような気がします。
とすれば「愛国心」という言葉にアレルギー反応を起こす人も少なくなるような気もしますね。「愛国心」と行った場合の「国」は「麻生自民党政権」でも「鳩山民主党政権」でもありません。天皇陛下も国民一人一人もみんなひっくるめた上での「国」なんです。
スポーツの国際試合で「頑張れニッポン」と声援をかけるときの「ニッポン」なんです。
それが我が国の歴史であり、伝統でもあります。
「改革」「変革」「change」が声高に叫ばれていますが、「変えること」が全て正しいとは限りません。「変えること」により悪くなってしまうことも多々あるでしょう。そして決して変えてはならないこと、取り返しのつかないこともあると思います。
「変えること」には熟慮と膨大なエネルギーを注ぐことが必要です。
改めて、私自身、今年の秋は我が国の歴史を勉強し直してみたいと思います。
虫の音をBGMにしながら。
今回御当選された衆議院の先生方には、多くの国民が「日本に生まれて良かった」「日本人で良かった」と思える国づくりを是非していただきたいと存じます。
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FMおかざき「心の宅急便」の47回目の放送です。
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カレンダーも9月に入りました。
いよいよ「長月」ですね。
「長月」というのは御存じの通り、陰暦九月の異称です。
その語源を調べてみますと、
とあります。【補注】
語源は明らかでない。「拾遺‐雑下」に、「夜昼の数はみそぢにあまらぬをなど長月といひはじめけむ(五二二)」「秋深み恋する人のあかしかね夜を長月といふにやあるらん(五二三)」とした、伊衡と躬恒との問答の歌があり、また、夜がだんだん長くなるから「夜長月」というのを誤ったものだと、「奥義抄」にあるので、このような語源解が中古以来広く信じられていたことがわかる。ほかに、稲熟月(いなあがりつき)、稲刈月(いなかりづき)、穂長月(ほながづき)などの変化したものとする説もある。折口信夫によれば、五月と九月とは長雨の時季で、「ながめ」と称する物忌(ものいみ)の月だという。ちなみに、中古には、九月は婚姻や洗髪を忌む月とされていた。
【語源説】
①イナカリツキ(稲刈月)の略〔語意考・兎園小説外集・百草露・日本語原学=林甕臣〕。イナアガリツキ(稲熟月)の約か〔古事記伝・大言海〕。ナガ(長)は稲の毎年実るを祝う意で、稲を刈り収める時であるところから〔嚶々筆語〕。
②ヨナガツキ(夜長月)の略〔奥義抄・和爾雅・日本釈名・類聚名物考・古今要覧稿・菊池俗言考・紫門和語類集〕。
③ナカは、ナガキヨ(長夜)の反ナコの転。またニハキク(庭菊)の反ナクの転。またナクマ(無隈)月の義。またナカは、ナラキバ(楢黄葉)の反〔名語記〕。
④ナコリノツキ(名残月)の略〔和語私臆鈔〕。(日本国語大辞典)
稲穂に絡めた語源説などは興味深い物がありますね。
そう言えば、以前からお話ししていますバケツ稲も稲穂が垂れ下がってきました。
収穫が待ち遠しいですね。
秋は私自身一番好きな季節でもあります。秋には満喫する物が沢山ありますしね。
読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、・・・そして秋祭り、収穫の秋、・・・
皆さんはどんな秋を満喫されるのでしょうか。
さて、虫の音をBGMに聞きながら、秋の夜長にじっくりと物事を考えることも良いことだと思います。
そこで、総選挙で民主党が圧勝し、政権交代が行われようとしている今、じっくりとこの国のことについて考えてみたいと思います。
今回の総選挙の結果について、皆さんはどのような印象を持たれたでしょうか。
私は率直に言って、民主党は勝ちすぎたと思います。
今後どう行った結果を引き起こすかかは分かりませんが、期待よりも不安の方が大きいのが率直な感想です。
嘗てギリシャ・アテネの民主制は堕落をしました。
アリストテレスはそれを衆愚政治と揶揄いたしました。
それは、多数の貧民による貧民のための政治だったそうです。
貧しく、教養が低く、富貴を嫉み、買収と扇動を受けやすい体質が原因だったようです。
民主制は必然的に衆愚制へと堕落していく要素を常に孕んでいるとも言われます。
愛する日本という国がそのような方向に進んでいくことは、やはり避けなければなりません。
国民の真価が問われているといっても過言ではないでしょう。
国のあり方についてですが、改めて「日本という国」はどういう国でしょうか。
一言で言えば、「万世一系の皇室を戴く国である」と言えると私は思います。
この国のあり方こそが、二千六百有余年続いている世界にも類を見ない国柄なんだと思います。
長い歴史の中で、藤原氏が実権を握った時代もありました。源氏や北条氏、足利氏が実権を握った時代もありました。戦国時代のような混乱の時代や、徳川幕府の時代もありました。
そのような歴史の中でも、常に歴代の天皇陛下が国安かれ、民安かれと無私の祈りを捧げ続けてこられたことが、実に有り難いことなんです。
そしてそれは、今後も守り続けていかなくてはならない日本国のアイデンティティだとも思います。
国家と国民の関係を考えるときに、欧米のような支配と被支配の関係を考えがちです。
ロックやルソーの社会契約説的な考え方ですが、これはどうも我が国には馴染まない物のような気がします。
一方、プラトンやスペンサーが唱えた国家有機体説のような考え方が日本社会には馴染みやすいのかも知れません。
「国」「国家」という言葉にもよくよく考えてみると色々な側面があります。
良く言われるのが「Nation(国民国家)」と「State(政府)」の違いですが、この「Nation」にあたるのが我が国の国家と国民の関係にしっくりくるとも思います。
「公(おおやけ)」という言葉があります。
元々は「大きな家」という意味です。
日本国全体が、一つの大きな家であり、そこに住む国民はみんな家族なんです。
天皇陛下を元首と仰ぎ、陛下はひたすら国民の幸せを祈られる。国民はそれに応えるべく叡智を絞り勤労する。そして我が国に暮らす人の共同体が形成されていく。
「和を以て尊しとなす」としてきた日本人の国家観そのものだとも言えます。
従って、日本という国を考えるときには、国=国家≠国家権力=政府と考えるとスッキリするような気がします。
とすれば「愛国心」という言葉にアレルギー反応を起こす人も少なくなるような気もしますね。「愛国心」と行った場合の「国」は「麻生自民党政権」でも「鳩山民主党政権」でもありません。天皇陛下も国民一人一人もみんなひっくるめた上での「国」なんです。
スポーツの国際試合で「頑張れニッポン」と声援をかけるときの「ニッポン」なんです。
それが我が国の歴史であり、伝統でもあります。
「改革」「変革」「change」が声高に叫ばれていますが、「変えること」が全て正しいとは限りません。「変えること」により悪くなってしまうことも多々あるでしょう。そして決して変えてはならないこと、取り返しのつかないこともあると思います。
「変えること」には熟慮と膨大なエネルギーを注ぐことが必要です。
改めて、私自身、今年の秋は我が国の歴史を勉強し直してみたいと思います。
虫の音をBGMにしながら。
今回御当選された衆議院の先生方には、多くの国民が「日本に生まれて良かった」「日本人で良かった」と思える国づくりを是非していただきたいと存じます。
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FMおかざき「心の宅急便」の46回目の放送(8月25日)分です。
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一昨日の8月23日は「処暑」でした。
処暑というのは、二十四節気の一つで、立秋ののち15日。つまり、8月22、23日ごろにあたります。『暦便覧』には「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」とあります。
文字通り、秋を感じ始める頃なんですね。
そう言えばここ数日、朝夕は随分涼しい日が続いていますね。
さて、今日は「地鎮祭」の話をさせていただきます。
というのも最近「地鎮祭」が減ってきているような気がするのです。
不景気の影響かという気もしますが、「地鎮祭」をそもそも知らないとか、何をどうすればいいのか分からないという人が増えてきているという話も耳にします。
そこでざっくばらんに「地鎮祭」の話をしてみたいと思います。
まず「地鎮祭」と書いて「じちんさい」と読みます。
建築・土木の工事に着手する前に、その土地の神さまに「おことわり」を入れて、工事の安全を祈る神事なんです。
「これからこの土地に○○という建物を建てさせていただきます。工事が安全に取り進み無事に竣功できますように」とお祈りする神事なんですね。
「とこしずめのまつり」とか「地祭り」とも言ったりします。
●地鎮祭ではどんな神さまをおまつりするのでしょうか?
地鎮祭などの神社以外で行うお祭りは、主に「神籬祭典(ひもろぎさいてん)」というかたちで神事を行います。
「神籬(ひもろぎ)」というのは、神さまの依代になるもので、主に榊を使います。祭場に榊を立て、それを「神籬」にして、神さまをお招きするのです。
お招きする神さまは、それぞれの神事によって違いますが、地鎮祭の場合は、
大地主神(おおとこぬしのかみ)
産土神(うぶすなのかみ)
などが一般的です。
他にも、屋船二柱大神(やぶねふたはしらのおおかみ)や猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)もおまつりすることもあります。
●地鎮祭ではどんなことをするの? 式次第は?
地域によって、また神社や神主さんによって色々なバリエーションがありますが、概ね
一、修祓(しゅばつ)
一、降神(こうしん)
一、献饌(けんせん)
一、祝詞奏上(のりとそうじょう)
一、四方祓(しほうばらい)
一、地鎮行事(じちんぎょうじ)
一、玉串奉奠(たまぐしほうてん)
一、撤饌(てっせん)
一、昇神(しょうしん)
という流れで神事を行います。
先ず、祭場や参列者、お供え物などを祓い清め、神さまをお招きします。
次に、お供え物をたてまつり、神主さんが祝詞(のりと)を奏上します。
祝詞は神主さんがその都度作文して奏上するものですから、仏教のお経のように決まった形の物はありません。その内容は地鎮祭の趣旨そのものです。簡単に言えば「これからこの土地に施主某が施行業者某に発注して○○という建物を建てさせていただきます。どうか工事が安全に取り進み、無事に竣功できますようにお守り下さい。」というような内容になります。
次に、土地の四方を切麻(きりぬさ)などで祓い清め、その後地鎮行事を行います。草刈り初めとか鍬入れといったものです。大規模工事の鍬入れの様子をテレビ等でご覧になったことのある方もあるでしょう。アレです。施主や施行業者の代表が行います。
地方によっては、この後に「鎮め物の儀」を行いますが、愛知県では行わないのが慣例です。
次に、神主さんに続いて、施主以下参列者が「玉串(たまぐし)」という榊の小枝を神前にたてまつっておまいりします。作法は「二拝二拍手一拝」の作法になります。
参拝が終わったら、お供えをお下げし、神さまをお送り申し上げて、地鎮祭は終了となります。
●地鎮祭で準備する物は?
祭壇やお供え物、など種々ありますが、施工業者や神主さんと相談された方が間違いないと思います。
●地鎮祭を依頼する神主さんは?
その土地の氏神さまの神職さんにお願いするのが基本です。
その地域に家を建てさせていただくんですからね。
引越し先などで、「氏神さまが分からないときはどうしたらいいのですか」という質問も時々受けますが、隣近所への挨拶回りも兼ねて、近隣の方に聞いてみるのが手っ取り早いと思います。
それでも分からない場合は、タウンページやネットで近そうなお宮を調べてみることでしょうか。それでもダメな場合は・・・、私あてにご相談いただければと思います。
なぜ、こんなことを申し上げるのかと言いますと、実は最近、胡散臭い神主さんもどきがいるようなのです。
営利活動で神事を行うグループがあるようで、祭式作法もデタラメ、祝詞もデタラメなようです。私も全く見たこともないような神主さん?と現場で鉢合わせしたこともあります^^;
業者に神主さんの手配を依頼するときは、気をつけられると良いかとも思います。
●地鎮祭の日取りは?
大安吉日にこだわらないのが神道のたてまえです。そもそも六曜は明治以降の民間信仰ですので、気にしすぎる必要はないとも思います。それよりも、家族の都合のつく日時を最優先にして氏神さまの神主さんと日程調整をされるのがよろしいかと思います。
●地鎮祭に参列するときの服装は?
これもよくある質問ですが、「不敬にならぬ服装」がよろしいかと存じます。
男性の場合はスーツ・ネクタイ、女性はこれに準じた服装、こどもさんは制服などということでしょうか。
必ずしもこれでなくてはいけないということではありませんが、神さまにお願いするそれも一生のうちにそう何度もあるわけではないお願いをするのですから、それなりの節度で望みたいものです。
就職試験の面接や、結婚前の両親への御挨拶に、Tシャツ・短パン・サンダル履きで行く人はいないと思いますが・・・。それを考えれば分かりますよね。
私のよく知る某建設会社の社長さんは、地鎮祭の時には必ず略礼服でご参列されます。
そういった心構えで地鎮祭をされる建設業者は信頼できるというものです。
●地鎮祭に関わる費用は?
これも気になる方が多いと思います。
1.神主さんにお渡しする初穂料。
2.お供え物などの費用。
3.祭壇やテントなどの借用費用。
4.車代や祝儀など。
5.お茶代など。
などが考えられますが、2、3、5については実費でしょうから工夫次第で節約もできます。
4の車代や御祝儀などは、最近では省略されることが多いようです。
となると一番気になるのは、1でしょうか。
地方によって異なりますし、そもそもお志でお包みするものですから、金額については明示できません。この地方では2万円~5万円が相場といったところでしょうか。
これについても、建築業者さんにお問い合せされるのとお教え下さると思います。
●神主さんへのお礼? のし袋の表書きの書き方は?
これは「初穂料」とか「玉串料」と書くのが一般的です。
ともに神さまへのお供えという意味になります。あくまでも神主さんへの謝礼ではないんですね。
(のし袋の書き方については、別にこちらの記事もご参照下さい。)
●地鎮祭をする上で気をつけなければならないことは?
細かい点を挙げればきりがありませんが、
1.まず、屋外での神事であることを充分考慮することでしょうか。
当日の天候への配慮が必要になってきます。暑さ寒さ、雨風などへの配慮ですね。それによって、テントの準備や防寒対策なども必要になってきます。建築業者との打ち合わせが必要な部分でもあります。
2.次に祭場の整理です。中には草ボウボウの荒れ地状態のこともありました。まるで田んぼのような土壌のこともありました。事前に草取り、清掃に心がけることも重要です。やはり清浄な場所に神さまをお招きしたいものですね。
●地鎮祭に関連して・・・
立て替え工事の場合は、旧家屋の解体工事のお祓いもあります。永年の感謝をこめたおまつりですね。或いは、井戸のお祓いや樹木伐採のお祓いなども併せて行う場合があります。これについても神主さんや施工業者と事前に相談されるとよろしいかと思います。
●上棟祭や竣功祭などについて
一般に「建前(たてまえ)」と呼ばれる「上棟祭(じょうとうさい)」は、神主さんを呼ばずに大工の棟梁が行う場合が多いようです。勿論、神主さんに依頼することも間違いではありません。
重要なのは、建物が完成した後の「竣功祭(しゅんこうさい)」だと思います。
地鎮祭で工事の安全を祈願し、無事完成したことを御礼申し上げる神事です。
お願いしっぱなしでは失礼ですもんね。
キチンとお礼を申し上げることが、更なるご加護にもつながります。
その他、ご不明な点はご遠慮なくお問い合せ下さい。
出来る限り、わかりやすくお答えしていきたいと思います。
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一昨日の8月23日は「処暑」でした。
処暑というのは、二十四節気の一つで、立秋ののち15日。つまり、8月22、23日ごろにあたります。『暦便覧』には「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」とあります。
文字通り、秋を感じ始める頃なんですね。
そう言えばここ数日、朝夕は随分涼しい日が続いていますね。
さて、今日は「地鎮祭」の話をさせていただきます。
というのも最近「地鎮祭」が減ってきているような気がするのです。
不景気の影響かという気もしますが、「地鎮祭」をそもそも知らないとか、何をどうすればいいのか分からないという人が増えてきているという話も耳にします。
そこでざっくばらんに「地鎮祭」の話をしてみたいと思います。
まず「地鎮祭」と書いて「じちんさい」と読みます。
建築・土木の工事に着手する前に、その土地の神さまに「おことわり」を入れて、工事の安全を祈る神事なんです。
「これからこの土地に○○という建物を建てさせていただきます。工事が安全に取り進み無事に竣功できますように」とお祈りする神事なんですね。
「とこしずめのまつり」とか「地祭り」とも言ったりします。
●地鎮祭ではどんな神さまをおまつりするのでしょうか?
地鎮祭などの神社以外で行うお祭りは、主に「神籬祭典(ひもろぎさいてん)」というかたちで神事を行います。
「神籬(ひもろぎ)」というのは、神さまの依代になるもので、主に榊を使います。祭場に榊を立て、それを「神籬」にして、神さまをお招きするのです。
お招きする神さまは、それぞれの神事によって違いますが、地鎮祭の場合は、
大地主神(おおとこぬしのかみ)
産土神(うぶすなのかみ)
などが一般的です。
他にも、屋船二柱大神(やぶねふたはしらのおおかみ)や猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)もおまつりすることもあります。
●地鎮祭ではどんなことをするの? 式次第は?
地域によって、また神社や神主さんによって色々なバリエーションがありますが、概ね
一、修祓(しゅばつ)
一、降神(こうしん)
一、献饌(けんせん)
一、祝詞奏上(のりとそうじょう)
一、四方祓(しほうばらい)
一、地鎮行事(じちんぎょうじ)
一、玉串奉奠(たまぐしほうてん)
一、撤饌(てっせん)
一、昇神(しょうしん)
という流れで神事を行います。
先ず、祭場や参列者、お供え物などを祓い清め、神さまをお招きします。
次に、お供え物をたてまつり、神主さんが祝詞(のりと)を奏上します。
祝詞は神主さんがその都度作文して奏上するものですから、仏教のお経のように決まった形の物はありません。その内容は地鎮祭の趣旨そのものです。簡単に言えば「これからこの土地に施主某が施行業者某に発注して○○という建物を建てさせていただきます。どうか工事が安全に取り進み、無事に竣功できますようにお守り下さい。」というような内容になります。
次に、土地の四方を切麻(きりぬさ)などで祓い清め、その後地鎮行事を行います。草刈り初めとか鍬入れといったものです。大規模工事の鍬入れの様子をテレビ等でご覧になったことのある方もあるでしょう。アレです。施主や施行業者の代表が行います。
地方によっては、この後に「鎮め物の儀」を行いますが、愛知県では行わないのが慣例です。
次に、神主さんに続いて、施主以下参列者が「玉串(たまぐし)」という榊の小枝を神前にたてまつっておまいりします。作法は「二拝二拍手一拝」の作法になります。
参拝が終わったら、お供えをお下げし、神さまをお送り申し上げて、地鎮祭は終了となります。
●地鎮祭で準備する物は?
祭壇やお供え物、など種々ありますが、施工業者や神主さんと相談された方が間違いないと思います。
●地鎮祭を依頼する神主さんは?
その土地の氏神さまの神職さんにお願いするのが基本です。
その地域に家を建てさせていただくんですからね。
引越し先などで、「氏神さまが分からないときはどうしたらいいのですか」という質問も時々受けますが、隣近所への挨拶回りも兼ねて、近隣の方に聞いてみるのが手っ取り早いと思います。
それでも分からない場合は、タウンページやネットで近そうなお宮を調べてみることでしょうか。それでもダメな場合は・・・、私あてにご相談いただければと思います。
なぜ、こんなことを申し上げるのかと言いますと、実は最近、胡散臭い神主さんもどきがいるようなのです。
営利活動で神事を行うグループがあるようで、祭式作法もデタラメ、祝詞もデタラメなようです。私も全く見たこともないような神主さん?と現場で鉢合わせしたこともあります^^;
業者に神主さんの手配を依頼するときは、気をつけられると良いかとも思います。
●地鎮祭の日取りは?
大安吉日にこだわらないのが神道のたてまえです。そもそも六曜は明治以降の民間信仰ですので、気にしすぎる必要はないとも思います。それよりも、家族の都合のつく日時を最優先にして氏神さまの神主さんと日程調整をされるのがよろしいかと思います。
●地鎮祭に参列するときの服装は?
これもよくある質問ですが、「不敬にならぬ服装」がよろしいかと存じます。
男性の場合はスーツ・ネクタイ、女性はこれに準じた服装、こどもさんは制服などということでしょうか。
必ずしもこれでなくてはいけないということではありませんが、神さまにお願いするそれも一生のうちにそう何度もあるわけではないお願いをするのですから、それなりの節度で望みたいものです。
就職試験の面接や、結婚前の両親への御挨拶に、Tシャツ・短パン・サンダル履きで行く人はいないと思いますが・・・。それを考えれば分かりますよね。
私のよく知る某建設会社の社長さんは、地鎮祭の時には必ず略礼服でご参列されます。
そういった心構えで地鎮祭をされる建設業者は信頼できるというものです。
●地鎮祭に関わる費用は?
これも気になる方が多いと思います。
1.神主さんにお渡しする初穂料。
2.お供え物などの費用。
3.祭壇やテントなどの借用費用。
4.車代や祝儀など。
5.お茶代など。
などが考えられますが、2、3、5については実費でしょうから工夫次第で節約もできます。
4の車代や御祝儀などは、最近では省略されることが多いようです。
となると一番気になるのは、1でしょうか。
地方によって異なりますし、そもそもお志でお包みするものですから、金額については明示できません。この地方では2万円~5万円が相場といったところでしょうか。
これについても、建築業者さんにお問い合せされるのとお教え下さると思います。
●神主さんへのお礼? のし袋の表書きの書き方は?
これは「初穂料」とか「玉串料」と書くのが一般的です。
ともに神さまへのお供えという意味になります。あくまでも神主さんへの謝礼ではないんですね。
(のし袋の書き方については、別にこちらの記事もご参照下さい。)
●地鎮祭をする上で気をつけなければならないことは?
細かい点を挙げればきりがありませんが、
1.まず、屋外での神事であることを充分考慮することでしょうか。
当日の天候への配慮が必要になってきます。暑さ寒さ、雨風などへの配慮ですね。それによって、テントの準備や防寒対策なども必要になってきます。建築業者との打ち合わせが必要な部分でもあります。
2.次に祭場の整理です。中には草ボウボウの荒れ地状態のこともありました。まるで田んぼのような土壌のこともありました。事前に草取り、清掃に心がけることも重要です。やはり清浄な場所に神さまをお招きしたいものですね。
●地鎮祭に関連して・・・
立て替え工事の場合は、旧家屋の解体工事のお祓いもあります。永年の感謝をこめたおまつりですね。或いは、井戸のお祓いや樹木伐採のお祓いなども併せて行う場合があります。これについても神主さんや施工業者と事前に相談されるとよろしいかと思います。
●上棟祭や竣功祭などについて
一般に「建前(たてまえ)」と呼ばれる「上棟祭(じょうとうさい)」は、神主さんを呼ばずに大工の棟梁が行う場合が多いようです。勿論、神主さんに依頼することも間違いではありません。
重要なのは、建物が完成した後の「竣功祭(しゅんこうさい)」だと思います。
地鎮祭で工事の安全を祈願し、無事完成したことを御礼申し上げる神事です。
お願いしっぱなしでは失礼ですもんね。
キチンとお礼を申し上げることが、更なるご加護にもつながります。
その他、ご不明な点はご遠慮なくお問い合せ下さい。
出来る限り、わかりやすくお答えしていきたいと思います。
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FMおかざき「心の宅急便」の45回目の放送(8月18日)分です。
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先日8月15日は終戦の日でした。言うまでもなく大東亜戦争終結の日ですが、これは「大東亜戦争終結ノ詔書」の玉音放送がラジオで放送された日なんですね。
(「第二次世界大戦」とか「太平洋戦争」という言葉もありますが、当時日本は「大東亜戦争」と呼称していましたので、この言葉を使います。)
正式に8月15日がいわゆる終戦の日になったのは、昭和57年の閣議決定によります。
この閣議決定により、ことしも全国戦没者追悼式が執り行われました。
いずれにしても、真摯に慰霊と感謝の誠を捧げることが肝要です。
先週もご紹介した愛知縣護國神社では、8月16日に献灯祭が斎行されました。
私自身参列させていただきましたが、境内一面に五千余の雪洞が灯され、暫しの間、御英霊の御心に触れることが出来ました。
県内若手神職の朝日舞という神楽舞が奉納され、愛宗青の青年僧による神前読経が行われたこともご報告させていただきます。
さて、今年の8月15日、靖國神社には、小泉、安倍両氏らを含め、本人出席で計41人(前衆院議員29人、参院議員12人)がおまいりされたそうです。衆院選公示を控え、昨年の53人(衆院40人、参院13人)を大幅に下回ったんだとか。麻生太郎首相は、中国など対外関係などに配慮して参拝せず、鳩山民主党代表は、政権交代後も参拝しないことを明言しています。
本当にこれでいいのでしょうか。
先の大戦において国は、尊い生命を捧げられた数多の戦歿者に対し、永遠に靖国神社にお祀りすることを約束しているはずです。
御英霊はその約束を信じ、家族や戦友に対して「死んだら靖国に会いにきて欲しい」と言い遺して散華されたんです。
国は、戦歿者に対する約束を守る責務があるはずだと思うのですが・・・。
一方で、靖國神社に代わる無宗教の国立追悼施設建設の議論があります。
平成14年以降出てきたものですが、民主党の政策集にもこれが明記されています。
本当に必要な施設なんでしょうか。
まず、間違いなく、政府自ら靖國神社の存在意義を否定することになります。
英霊への冒涜行為とも言えるでしょう。
次に、恐らく厳格な政教分離を念頭に置いているのでしょうが、無宗教の慰霊施設が存在し得るかという問題もあります。
宗教的でない慰霊行為が本当に慰霊たり得るのかという本質的な問題です。
それは単に慰霊のまねごとに過ぎないと思うのは私だけでしょうか。
さらには、仮に特定の諸外国への外交的な配慮であるとするならば、それは日本政府自らが主権を放棄したということに他ならないと思います。
日本の首相がどこに行き、何をするかは、諸外国からとやかく言われる筋合いの物ではないはずです。
もう一つ、いわゆるA級戦犯の分祀論というのもあります。
「霊璽簿から名前を削除するだけだ」という不謹慎極まりない暴論もあるようですが、そもそも戦後、国会が全会一致で戦争受刑者の復権を成し遂げてきたことと矛盾します。
いわゆるA級戦犯とされた方々は本当に罪人なのかを慎重に検証し直すことも必要だと思います。
ちなみに、愛知県の三ヶ根山山頂には、「殉国七士廟」がありA級戦犯として処刑された七名の遺骨が葬られています。
昭和53年に靖國神社に合祀された「昭和殉難者」といわれる14名の方々は次の通りです。
総選挙の結果次第で、どうなるか分からない問題ですが、軽視できない問題ですから、議論の行方をしっかりと見ていきたいと思います。
最後に一つだけ申し上げたいのは、靖國神社では毎日神職が、お供えを捧げ、祝詞を奏し、毎日慰霊のおまいりをしています。
そこにあるのは、形骸化した偽りの慰霊ごっこではなく、本物の慰霊の祈りなのです。
新しく考えられている慰霊施設でそれが果たして可能でしょうか。
多くの方にそのことをご理解いただきたいと思います。
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先日8月15日は終戦の日でした。言うまでもなく大東亜戦争終結の日ですが、これは「大東亜戦争終結ノ詔書」の玉音放送がラジオで放送された日なんですね。
(「第二次世界大戦」とか「太平洋戦争」という言葉もありますが、当時日本は「大東亜戦争」と呼称していましたので、この言葉を使います。)
この詔勅(詔勅というのは天皇陛下の御言葉、「みことのり」のことです)は、昭和20年8月14日の御前会議にて発せられたものです。それを録音し翌15日に放送したわけです。その後9月2日にポツダム宣言受諾の降伏文書に調印し、名実ともに米軍の進駐が始まるわけです。「大東亜戦争終結ノ詔書」
朕深ク 世界ノ大勢ト 帝國ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ 時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ 忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ 帝國政府ヲシテ 米英支蘇 四國ニ對シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨 通告セシメタリ
抑々 帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ 萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ 皇祖皇宗ノ遣範ニシテ 朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦 實ニ帝國ノ自存ト 東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ 他國ノ主權ヲ排シ 領土ヲ侵カス如キハ 固ヨリ朕カ志ニアラス
然ルニ 交戰巳ニ四歳ヲ閲シ 朕カ陸海将兵ノ勇戰 朕カ百僚有司ノ勵精 朕カ一億衆庶ノ奉公 各々最善ヲ盡セルニ拘ラス 戰局必スシモ好轉セス 世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之 敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ 頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所 眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ 尚 交戰ヲ繼續セムカ 終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ
是レ 朕カ帝國政府ヲシテ 共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ 帝國ト共ニ 終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ 遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
帝國臣民ニシテ 戰陣ニ死シ 職域ニ殉シ 非命ニ斃レタル者 及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内為ニ裂ク
且 戰傷ヲ負ヒ 災禍ヲ蒙リ 家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ
惟フニ 今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ 固ヨリ尋常ニアラス
爾臣民ノ衷情モ 朕善ク之ヲ知ル
然レトモ朕ハ 時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ為ニ 大平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ 國體ヲ護持シ 得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ 常ニ爾臣民ト共ニ在リ
若シ夫レ 情ノ激スル所 濫ニ事端ヲ滋クシ 或ハ同胞排儕 互ニ時局ヲ亂リ 為ニ 大道ヲ誤リ 信義ヲ世界ニ失フカ如キハ 朕最モ之ヲ戒ム
宣シク 擧國一家子孫相傳ヘ 確ク神州ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ道遠キヲ念ヒ 總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏クシ 誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
爾臣民 其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
そういえば、甲子園でも、正午の時報直前にプレーを中断し、選手・観客らが1分間の黙祷を捧げますね。「戦没者を追悼し平和を祈念する日」(昭和57年4月13日閣議決定)
1. 趣旨 先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を設ける。
2. 期日 毎年8月15日とする。
3. 行事 政府は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に、昭和38年以降毎年実施している全国戦没者追悼式を別紙のとおり引き続き実施する。
別紙 全国戦没者追悼式の実施について
1. 全国戦没者追悼式は、天皇皇后両陛下の御臨席を仰いで、毎年8月15日、日本武道館において実施する。
2. 本式典における戦没者の範囲及び式典の形式は、昭和56年の式典と同様とする。
3. 本式典には、全国から遺族代表を国費により参列させる。
4. 式典当日は、官衙等国立の施設には半旗を掲げることとし、地方公共団体等に対しても同様の措置をとるよう勧奨するとともに、本式典中の一定時刻において、全国民が一斉に黙とうするよう勧奨する。
この閣議決定により、ことしも全国戦没者追悼式が執り行われました。
いずれにしても、真摯に慰霊と感謝の誠を捧げることが肝要です。
先週もご紹介した愛知縣護國神社では、8月16日に献灯祭が斎行されました。
私自身参列させていただきましたが、境内一面に五千余の雪洞が灯され、暫しの間、御英霊の御心に触れることが出来ました。
県内若手神職の朝日舞という神楽舞が奉納され、愛宗青の青年僧による神前読経が行われたこともご報告させていただきます。
さて、今年の8月15日、靖國神社には、小泉、安倍両氏らを含め、本人出席で計41人(前衆院議員29人、参院議員12人)がおまいりされたそうです。衆院選公示を控え、昨年の53人(衆院40人、参院13人)を大幅に下回ったんだとか。麻生太郎首相は、中国など対外関係などに配慮して参拝せず、鳩山民主党代表は、政権交代後も参拝しないことを明言しています。
本当にこれでいいのでしょうか。
先の大戦において国は、尊い生命を捧げられた数多の戦歿者に対し、永遠に靖国神社にお祀りすることを約束しているはずです。
御英霊はその約束を信じ、家族や戦友に対して「死んだら靖国に会いにきて欲しい」と言い遺して散華されたんです。
国は、戦歿者に対する約束を守る責務があるはずだと思うのですが・・・。
一方で、靖國神社に代わる無宗教の国立追悼施設建設の議論があります。
平成14年以降出てきたものですが、民主党の政策集にもこれが明記されています。
本当に必要な施設なんでしょうか。
まず、間違いなく、政府自ら靖國神社の存在意義を否定することになります。
英霊への冒涜行為とも言えるでしょう。
次に、恐らく厳格な政教分離を念頭に置いているのでしょうが、無宗教の慰霊施設が存在し得るかという問題もあります。
宗教的でない慰霊行為が本当に慰霊たり得るのかという本質的な問題です。
それは単に慰霊のまねごとに過ぎないと思うのは私だけでしょうか。
さらには、仮に特定の諸外国への外交的な配慮であるとするならば、それは日本政府自らが主権を放棄したということに他ならないと思います。
日本の首相がどこに行き、何をするかは、諸外国からとやかく言われる筋合いの物ではないはずです。
もう一つ、いわゆるA級戦犯の分祀論というのもあります。
「霊璽簿から名前を削除するだけだ」という不謹慎極まりない暴論もあるようですが、そもそも戦後、国会が全会一致で戦争受刑者の復権を成し遂げてきたことと矛盾します。
いわゆるA級戦犯とされた方々は本当に罪人なのかを慎重に検証し直すことも必要だと思います。
1952年6月9日参議院本会議にて「戦犯在所者の釈放等に関する決議」
1952年12月9日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
1953年8月3日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
1955年7月19日衆議院本会議にて「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」
戦犯の国内での扱いに関して、それまで極東国際軍事裁判などで戦犯とされた者は国内法上の受刑者と同等に扱われており、遺族年金や恩給の対象とされていなかったが、1952年(昭和27年)5月1日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われる事となった。
これにより1952年(昭和27年)4月施行された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」も一部改正され、戦犯としての拘留逮捕者について「被拘禁者」として扱い、当該拘禁中に死亡した場合はその遺族に扶助料を支給する事になった。
1952年6月9日「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、1952年12月9日「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」、1953年8月3日「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が可決された。そして「恩給改正法」では受刑者本人の恩給支給期間に拘禁期間を通算すると規定され、1955 年には「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がされた。そして国際的にも、サンフランシスコ講和条約第11条の手続きにもとづき関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は1956年に釈放された。
A級戦犯として有罪判決を受け禁固七年とされた重光葵は釈放後、鳩山内閣の副総理・外務大臣となり勲一等を授与された。1954年に外務大臣に就任し日ソ国交回復と国連加盟も成し遂げている。また、終身刑とされた賀屋興宣は池田内閣の法務大臣を務めた。更にA級戦犯元被指定者の岸信介は内閣総理大臣になった。ウィキペディアより
ちなみに、愛知県の三ヶ根山山頂には、「殉国七士廟」がありA級戦犯として処刑された七名の遺骨が葬られています。
板垣征四郎 - 軍人、陸相(第1次近衛内閣・平沼内閣)、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長
木村兵太郎 - 軍人、ビルマ方面軍司令官、陸軍次官(東條内閣)
土肥原賢二 - 軍人、奉天特務機関長、第12方面軍司令官
東条英機 - 軍人、第40代内閣総理大臣
武藤章 - 軍人、第14方面軍参謀長(フィリピン)
松井石根 - 軍人、中支那方面軍司令官(南京攻略時)
広田弘毅 - 文民、第32代内閣総理大臣(近衛内閣外相)
昭和53年に靖國神社に合祀された「昭和殉難者」といわれる14名の方々は次の通りです。
机上で議論する前に、現地に赴き、御霊の声を肌で感じることも大切かも知れませんね。* 板垣征四郎 * 梅津美治郎 * 木村兵太郎 * 小磯国昭 * 白鳥敏夫
* 土肥原賢二 * 東郷茂徳 * 東條英機 * 永野修身 * 平沼騏一郎
* 広田弘毅 * 松井石根 * 松岡洋右 * 武藤章
総選挙の結果次第で、どうなるか分からない問題ですが、軽視できない問題ですから、議論の行方をしっかりと見ていきたいと思います。
最後に一つだけ申し上げたいのは、靖國神社では毎日神職が、お供えを捧げ、祝詞を奏し、毎日慰霊のおまいりをしています。
そこにあるのは、形骸化した偽りの慰霊ごっこではなく、本物の慰霊の祈りなのです。
新しく考えられている慰霊施設でそれが果たして可能でしょうか。
多くの方にそのことをご理解いただきたいと思います。
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FMおかざき「心の宅急便」の44回目の放送(8月11日)分です。
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本日午前5時7分ごろ、静岡で震度6弱の大きな地震がありました。
地震で被害に遭われた方々には、心からお見舞い申し上げますと共に、一日も早い復旧をお祈り申し上げます。
神社界でも情報収集につとめておりますが、・・・
伊豆山神社(熱海市)では、社務所玄関白壁一部損壊
焼津神社(焼津市)では、玉垣倒壊、飛び地境内神社の玉垣倒壊
神部神社・浅間神社・大歳御祖神社(静岡浅間神社 静岡市)では、石灯籠一基損壊、玉垣倒壊
などの情報が入ってきています。
神社は、鳥居や燈籠、玉垣などの石製品が多く、被害の報告が今後多くなることが心配されます。
台風9号の被害とあわせ、自然災害の恐ろしさをつくづく感じます。日頃の対策について改めて考え直さなくてはいけませんね。
さて、今日はお盆の話をさせていただきます。
「お盆」というのは、仏教でいう「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略で、仏教語なんですが、もともとは日本古来の祖先崇拝の行事がそのベースになっています。
我が国では、仏教伝来以前から、神祭りとご祖先の御霊をおまつりする祖霊祭祀がさかんにおこなわれていました。
神さまとご先祖様のご加護をいただいて、平穏な暮らしを営んでいたんですね。
このご先祖様はずうっと遡ると神さまにつながります。その意味では、ご祖先のお祭りも神さまのお祭りも同じですね。
「盆と正月」は年中行事の中でも現代まで大切にされています。
正月が神さまをまつり(神さまに詣で)、お盆がご祖先のおまいりをする。
その心は大切に受け継がれているんですね。
ところで、仏教で言う「盂蘭盆会」は「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」というお経によるものとされています。
また、施餓鬼(せがき)といったこともおこなわれます。
なんだそうです。
これが、日本古来の祖霊祭祀と結びついて、今に至っているわけですね。
いずれにしても、祖先を敬い、鄭重なおまつりをすることが、家族・親族の絆を深めることにもつながります。大切にしていきたい伝統だとも思います。
ただ、最近では、葬儀の簡略化やお墓まいりの代行業者まであるようです。少し寂しいような気もしますね。
もう一つ、8月15日と言えば、終戦記念日ですね。
お盆の時期は、戦没者慰霊の季節でもあります。
毎年、靖國神社の参拝をめぐって騒々しくなりますが、国のため、子や孫を守るために散っていった多くの御英霊の犠牲の上に、今の日本が成り立っていることを、決して忘れてはならないと思います。
心静かに慰霊と感謝の誠を捧げたいものですね。
勿論、靖國神社だけではなく、各都道府県には護国神社が、各市町には招魂社や忠魂碑が建立されています。是非多くの方にお近くの所にお出かけいただき、おまいりいただきたいと思います。
ちなみに・・・
名古屋の丸の内にあります愛知縣護國神社では、8月16日に献灯祭が行われます。
岡崎公園には、岡崎市出身の御英霊を慰霊する忠魂碑があります。
それぞれの町の鎮守の杜にも忠魂碑がきっとあると思います。
小学生のお子さんの自由研究にもなるかも知れませんね。
お盆は、日本の伝統行事に親しむ良い機会でもあります。
「改革」「チェンジ」と変えることが叫ばれる昨今ですが、そんな中でもしっかりと守っていかなければならない物があることを、決して忘れてはいけませんよね。
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本日午前5時7分ごろ、静岡で震度6弱の大きな地震がありました。
地震で被害に遭われた方々には、心からお見舞い申し上げますと共に、一日も早い復旧をお祈り申し上げます。
神社界でも情報収集につとめておりますが、・・・
伊豆山神社(熱海市)では、社務所玄関白壁一部損壊
焼津神社(焼津市)では、玉垣倒壊、飛び地境内神社の玉垣倒壊
神部神社・浅間神社・大歳御祖神社(静岡浅間神社 静岡市)では、石灯籠一基損壊、玉垣倒壊
などの情報が入ってきています。
神社は、鳥居や燈籠、玉垣などの石製品が多く、被害の報告が今後多くなることが心配されます。
台風9号の被害とあわせ、自然災害の恐ろしさをつくづく感じます。日頃の対策について改めて考え直さなくてはいけませんね。
さて、今日はお盆の話をさせていただきます。
「お盆」というのは、仏教でいう「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略で、仏教語なんですが、もともとは日本古来の祖先崇拝の行事がそのベースになっています。
我が国では、仏教伝来以前から、神祭りとご祖先の御霊をおまつりする祖霊祭祀がさかんにおこなわれていました。
神さまとご先祖様のご加護をいただいて、平穏な暮らしを営んでいたんですね。
このご先祖様はずうっと遡ると神さまにつながります。その意味では、ご祖先のお祭りも神さまのお祭りも同じですね。
「盆と正月」は年中行事の中でも現代まで大切にされています。
正月が神さまをまつり(神さまに詣で)、お盆がご祖先のおまいりをする。
その心は大切に受け継がれているんですね。
ところで、仏教で言う「盂蘭盆会」は「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」というお経によるものとされています。
また、施餓鬼(せがき)といったこともおこなわれます。
目連の施餓鬼は「盂蘭盆経」によるといわれる。この経典によると、釈迦仏の十大弟子で神通第一と称される目連尊者が、神通力により亡き母の行方を探すと、餓鬼道に落ち、肉は痩せ衰え骨ばかりで地獄のような苦しみを得ていた。目連は神通力で母を供養しようとしたが食べ物はおろか、水も燃えてしまい飲食できない。目連尊者は釈迦に何とか母を救う手だてがないかたずねた。すると釈迦は『お前の母の罪はとても重い。生前は人に施さず自分勝手だったので餓鬼道に落ちた』として、『多くの僧が九十日間の雨季の修行を終える七月十五日に、ご馳走を用意して経を読誦し、心から供養しなさい。』と言った。目連が早速その通りにすると、目連の母親は餓鬼の苦しみから救われた。これが盂蘭盆の起源とされる
なんだそうです。
これが、日本古来の祖霊祭祀と結びついて、今に至っているわけですね。
いずれにしても、祖先を敬い、鄭重なおまつりをすることが、家族・親族の絆を深めることにもつながります。大切にしていきたい伝統だとも思います。
ただ、最近では、葬儀の簡略化やお墓まいりの代行業者まであるようです。少し寂しいような気もしますね。
もう一つ、8月15日と言えば、終戦記念日ですね。
お盆の時期は、戦没者慰霊の季節でもあります。
毎年、靖國神社の参拝をめぐって騒々しくなりますが、国のため、子や孫を守るために散っていった多くの御英霊の犠牲の上に、今の日本が成り立っていることを、決して忘れてはならないと思います。
心静かに慰霊と感謝の誠を捧げたいものですね。
勿論、靖國神社だけではなく、各都道府県には護国神社が、各市町には招魂社や忠魂碑が建立されています。是非多くの方にお近くの所にお出かけいただき、おまいりいただきたいと思います。
ちなみに・・・
名古屋の丸の内にあります愛知縣護國神社では、8月16日に献灯祭が行われます。
岡崎公園には、岡崎市出身の御英霊を慰霊する忠魂碑があります。
それぞれの町の鎮守の杜にも忠魂碑がきっとあると思います。
小学生のお子さんの自由研究にもなるかも知れませんね。
お盆は、日本の伝統行事に親しむ良い機会でもあります。
「改革」「チェンジ」と変えることが叫ばれる昨今ですが、そんな中でもしっかりと守っていかなければならない物があることを、決して忘れてはいけませんよね。
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ブログの更新も随分怠っていました。
気付けば「長月」。
言い訳をすれば・・・
いややめときます。
改めて、8月放送分の「心の宅急便」記事だけは、順次UPしていきます。
遅くなり、ご心配をお掛けした各位に、心からお詫び申し上げます。
気付けば「長月」。
言い訳をすれば・・・
いややめときます。
改めて、8月放送分の「心の宅急便」記事だけは、順次UPしていきます。
遅くなり、ご心配をお掛けした各位に、心からお詫び申し上げます。
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