黒き心を無くして、丹き心を以ちて、清潔く斎慎み、左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に廻る事も万事違ふ事なくして、太神に仕へ奉れ。
元を元とし、本を本とする故なり。
当ブログ管理人の一文字です。
愛知県岡崎市の田舎神主。
融通の利かない頑固者です。
神社のこと、神道のこと、
世の中のこと、日々の出来事、
家族のこと、などなど。
私、一文字が、
気分次第で記していきます。
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「心の宅急便」
毎週火曜日、お昼の12時45分から出演しています^^;
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- 2009年09月15日の記事
FMおかざき「心の宅急便」の49回目の放送です。
今日9月15日にちなんだお話しです。
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今日9月15日は何の日か御存じでしょうか?
数年前までは、敬老の日でしたね。
でも、その話ではありません。
岡崎市民の皆さんには、是非とも意識していただきたいのですが・・・。
今日、9月15日は岡崎三郎信康(松平信康)公の御命日なんです。
信康公は、今から430年前の天正7年(1579)9月15日、遠州二股城で自害されました。享年21歳だったそうです。
信康って誰?という方のために・・・
お父さんは徳川家康。
お母さんは築山御前(今川義元の姪っ子で養女)。家康の正室です。
一口で言えば、徳川家康のご長男なんです。
通称は次郎三郎といい、後に岡崎城主となったため岡崎三郎ともいいました。
信康公の短い生涯についてざっと触れますと、お生まれになったのは、永禄2年(1559)3月6日です。
戦国時代真っ最中ですが、その頃の情勢はといいますと、岡崎の松平家は尾張の織田家(織田信長)と遠州の今川家(今川義元)の間に挟まれ、非常に微妙な立場にありました。
そのため、徳川家康が幼少の頃より今川家に人質となっていたことは、皆さんもよく知るところです。
徳川家康も、今川家にいた時代は松平元康と名乗っていました。
「元康」の「元」は「今川義元」の「元」なんですね。
そして、今川ゆかりの瀬名姫(築山御前)と結婚します。
松平家は益々今川家に逆らえない状況になるわけです。
そんな中、永禄2年(1559)3月6日、元康が17歳の時、長男・信康は駿府にて誕生なさいます。
そして、翌永禄3年(1560)5月19日、有名な『桶狭間の合戦』が起こります。
松平元康はこのとき、今川軍の先鋒として出陣します。勿論妻子を駿府に残したままですが・・・。
合戦の結果は皆さん御存じの通りですね。
織田信長軍の奇襲作戦により、今川義元が討ち取られ、今川軍は混乱のまま駿府に退却します。
この時、元康は駿府には戻りませんでした。
ふるさとの岡崎城に入城するのです。
このとき、今川との決別を決意したのかも知れません。
同じ年の9月、長女・亀姫が駿府で誕生します。
しかし奥さんの築山御前、信康、亀姫の二人のお子さんは未だ駿府に残したままになっています。
永禄5年(1562)正月15日、いわゆる「清洲同盟」が成立します。
正式に織田信長との同盟を結んだわけです。
翌月2月4日には、松平元康軍は、蒲郡の西郡城攻略し、鵜殿長照の子を人質にとります。
そして人質交換により、駿府から築山御前、信康、亀姫を呼び寄せることに成功するわけです。
翌年には、元康は「家康」と改名します。これは名実ともに今川家との絶縁を意味します。
時を同じくして、長男の信康は、永禄6年(1563)年3月2日、織田信長の娘・五徳姫(徳姫)と婚約をします。なんと数え5歳の時です。
そして数え9歳の永禄10年(1567)年5月27日、五徳姫(徳姫)とご結婚されるわけです。
元亀元(1570)年、信康は元服し、「次郎三郎信康」と称します。
「信康」の「信」は「織田信長」の「信」なんですね。
その年の6月、家康は浜松城へ移り、遠州攻略につとめます。
元服した信康は、留守を預かる形で岡崎城主となったわけです。
その後、天正元年(1573)年9月、武節城攻略戦という合戦がありました。これが信康の初陣ともいわれています。
以後、信康は家康と行動をともにし、武田軍との合戦にたびたび参戦しています。
武田勝頼をして「天下に旗を立つべし」と言わしめたほどの勇猛果敢な活躍を見せたといいます。
信康は勇将の片鱗を見せ、家康の片腕へと成長していったと言えるでしょう。
しかし信康の人生も順風満帆とは行きません。
運命の天正7(1579)年がやってきます。
かねてから、妻徳姫との不仲説が噂されていました。
政略結婚が当たり前の時代だったとは言え、9歳で結婚しています。
いろいろ難しいことがあったとも考えられます。
ましてお母さんの築山御前は今川方、奥さんの徳姫は織田信長の娘。嫁姑の関係も微妙だったはずです。
それがついには 「築山御前と信康が武田と密通」との嫌疑に発展してしまいます。
徳姫が父信長に送ったという「12箇条の手紙」がそれです。
そしてそれが信長の逆鱗に触れます。
同年7月16日、信長は、築山御前と信康の処罰を家康に厳命したのです。
そして、8月29日、築山殿が暗殺され、9月15日、信康公は浜松の二股城で自刃されるました。
いくら主君の命とはいえ、妻子を手にかけなくてはならなかった家康の思いは、いかばかりだったでしょうか?
志し半ばで、嫌疑をかけられ自刃した信康公の思いは、どうだったでしょうか?
万感こみ上げるものがありますね。
一節には、正室に嫡男のいない信長が、武勇に優れ、人望のある信康が将来の仇になることを怖れ、徳姫の訴状を口実に早めに芽を摘もうとしたとか、家康の忠誠心を試したとか色々な節がありますが、真実はわかりません。
でもやっぱり「戦国の世の習い」で片付けるには、あまりに哀れすぎますね。
もしこの事件がなかったら、歴史は変わっていたかも知れません。
さて、信康公の遺体は二股の清滝寺に葬られますが、御首は首実検のため、清洲の信長の元に送られます。
その後、岡崎に戻され、根石が原にひっそりと葬られます。
家康も信長の手前、息子の供養も盛大に出来なかったようです。
しばらく岡崎城内で怪奇事件が続き、これは信康公の祟りだと怖れられたこともあったようです。
そこで、名栗天神(今の若宮八幡宮)に首塚を建立し、信康公を合祀したのです。
全国には「若宮八幡宮」とか「若宮八幡社」と称する神社がたくさんあります。
その多くが、「八幡さま」の「若宮」という意味で、応神天皇(八幡さま)の皇子にあたる仁徳天皇をお祭りする神社です。名古屋の若宮大通りにある若宮八幡社もそうですね。
でもこの岡崎の若宮八幡宮は「家康公の若宮」つまり信康公をおまつりする神社なんです。
もちろん仁徳天皇もおまつりしていますので、織田家に対するカモフラージュの意味も多分にあったと思われます。
この若宮八幡宮は私が宮司を務める神社ですが、現在でも御命日の9月15日に慰霊のお祭りをご奉仕しています。今年も本日午後2時より「信康公御命日祭」を齋行いたしますので、是非多くの方におまいりいただきたいと思います。
ちなみに築山御前の首塚は、欠町の八柱神社にあります。
かつては築山神明宮といわれました。
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今日9月15日にちなんだお話しです。
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今日9月15日は何の日か御存じでしょうか?
数年前までは、敬老の日でしたね。
でも、その話ではありません。
岡崎市民の皆さんには、是非とも意識していただきたいのですが・・・。
今日、9月15日は岡崎三郎信康(松平信康)公の御命日なんです。
信康公は、今から430年前の天正7年(1579)9月15日、遠州二股城で自害されました。享年21歳だったそうです。
信康って誰?という方のために・・・
お父さんは徳川家康。
お母さんは築山御前(今川義元の姪っ子で養女)。家康の正室です。
一口で言えば、徳川家康のご長男なんです。
通称は次郎三郎といい、後に岡崎城主となったため岡崎三郎ともいいました。
信康公の短い生涯についてざっと触れますと、お生まれになったのは、永禄2年(1559)3月6日です。
戦国時代真っ最中ですが、その頃の情勢はといいますと、岡崎の松平家は尾張の織田家(織田信長)と遠州の今川家(今川義元)の間に挟まれ、非常に微妙な立場にありました。
そのため、徳川家康が幼少の頃より今川家に人質となっていたことは、皆さんもよく知るところです。
徳川家康も、今川家にいた時代は松平元康と名乗っていました。
「元康」の「元」は「今川義元」の「元」なんですね。
そして、今川ゆかりの瀬名姫(築山御前)と結婚します。
松平家は益々今川家に逆らえない状況になるわけです。
そんな中、永禄2年(1559)3月6日、元康が17歳の時、長男・信康は駿府にて誕生なさいます。
そして、翌永禄3年(1560)5月19日、有名な『桶狭間の合戦』が起こります。
松平元康はこのとき、今川軍の先鋒として出陣します。勿論妻子を駿府に残したままですが・・・。
合戦の結果は皆さん御存じの通りですね。
織田信長軍の奇襲作戦により、今川義元が討ち取られ、今川軍は混乱のまま駿府に退却します。
この時、元康は駿府には戻りませんでした。
ふるさとの岡崎城に入城するのです。
このとき、今川との決別を決意したのかも知れません。
同じ年の9月、長女・亀姫が駿府で誕生します。
しかし奥さんの築山御前、信康、亀姫の二人のお子さんは未だ駿府に残したままになっています。
永禄5年(1562)正月15日、いわゆる「清洲同盟」が成立します。
正式に織田信長との同盟を結んだわけです。
翌月2月4日には、松平元康軍は、蒲郡の西郡城攻略し、鵜殿長照の子を人質にとります。
そして人質交換により、駿府から築山御前、信康、亀姫を呼び寄せることに成功するわけです。
翌年には、元康は「家康」と改名します。これは名実ともに今川家との絶縁を意味します。
時を同じくして、長男の信康は、永禄6年(1563)年3月2日、織田信長の娘・五徳姫(徳姫)と婚約をします。なんと数え5歳の時です。
そして数え9歳の永禄10年(1567)年5月27日、五徳姫(徳姫)とご結婚されるわけです。
元亀元(1570)年、信康は元服し、「次郎三郎信康」と称します。
「信康」の「信」は「織田信長」の「信」なんですね。
その年の6月、家康は浜松城へ移り、遠州攻略につとめます。
元服した信康は、留守を預かる形で岡崎城主となったわけです。
その後、天正元年(1573)年9月、武節城攻略戦という合戦がありました。これが信康の初陣ともいわれています。
以後、信康は家康と行動をともにし、武田軍との合戦にたびたび参戦しています。
武田勝頼をして「天下に旗を立つべし」と言わしめたほどの勇猛果敢な活躍を見せたといいます。
信康は勇将の片鱗を見せ、家康の片腕へと成長していったと言えるでしょう。
しかし信康の人生も順風満帆とは行きません。
運命の天正7(1579)年がやってきます。
かねてから、妻徳姫との不仲説が噂されていました。
政略結婚が当たり前の時代だったとは言え、9歳で結婚しています。
いろいろ難しいことがあったとも考えられます。
ましてお母さんの築山御前は今川方、奥さんの徳姫は織田信長の娘。嫁姑の関係も微妙だったはずです。
それがついには 「築山御前と信康が武田と密通」との嫌疑に発展してしまいます。
徳姫が父信長に送ったという「12箇条の手紙」がそれです。
そしてそれが信長の逆鱗に触れます。
同年7月16日、信長は、築山御前と信康の処罰を家康に厳命したのです。
そして、8月29日、築山殿が暗殺され、9月15日、信康公は浜松の二股城で自刃されるました。
いくら主君の命とはいえ、妻子を手にかけなくてはならなかった家康の思いは、いかばかりだったでしょうか?
志し半ばで、嫌疑をかけられ自刃した信康公の思いは、どうだったでしょうか?
万感こみ上げるものがありますね。
一節には、正室に嫡男のいない信長が、武勇に優れ、人望のある信康が将来の仇になることを怖れ、徳姫の訴状を口実に早めに芽を摘もうとしたとか、家康の忠誠心を試したとか色々な節がありますが、真実はわかりません。
でもやっぱり「戦国の世の習い」で片付けるには、あまりに哀れすぎますね。
もしこの事件がなかったら、歴史は変わっていたかも知れません。
さて、信康公の遺体は二股の清滝寺に葬られますが、御首は首実検のため、清洲の信長の元に送られます。
その後、岡崎に戻され、根石が原にひっそりと葬られます。
家康も信長の手前、息子の供養も盛大に出来なかったようです。
しばらく岡崎城内で怪奇事件が続き、これは信康公の祟りだと怖れられたこともあったようです。
そこで、名栗天神(今の若宮八幡宮)に首塚を建立し、信康公を合祀したのです。
全国には「若宮八幡宮」とか「若宮八幡社」と称する神社がたくさんあります。
その多くが、「八幡さま」の「若宮」という意味で、応神天皇(八幡さま)の皇子にあたる仁徳天皇をお祭りする神社です。名古屋の若宮大通りにある若宮八幡社もそうですね。
でもこの岡崎の若宮八幡宮は「家康公の若宮」つまり信康公をおまつりする神社なんです。
もちろん仁徳天皇もおまつりしていますので、織田家に対するカモフラージュの意味も多分にあったと思われます。
この若宮八幡宮は私が宮司を務める神社ですが、現在でも御命日の9月15日に慰霊のお祭りをご奉仕しています。今年も本日午後2時より「信康公御命日祭」を齋行いたしますので、是非多くの方におまいりいただきたいと思います。
ちなみに築山御前の首塚は、欠町の八柱神社にあります。
かつては築山神明宮といわれました。
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