黒き心を無くして、丹き心を以ちて、清潔く斎慎み、左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に廻る事も万事違ふ事なくして、太神に仕へ奉れ。
元を元とし、本を本とする故なり。
当ブログ管理人の一文字です。
愛知県岡崎市の田舎神主。
融通の利かない頑固者です。
神社のこと、神道のこと、
世の中のこと、日々の出来事、
家族のこと、などなど。
私、一文字が、
気分次第で記していきます。
尚、FirefoxとInternetExplorerの最新版で表示確認を行っています。(旧版で表示が乱れていたらゴメンナサイ。)またjavascriptを有効にしてご覧下さいませ。
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※只今、過去記事を整理中です^^;順次カテゴリーを細分化して過去記事にアクセスしやすいようにしていきたいと思います。気長にお待ち下さいませ。。。
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⇒03/17 by 水屋神社宮司さん
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⇒02/21 by 木霊さん
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⇒12/31 by 春美さん
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⇒11/13 by 通りすがりさん
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⇒10/28 by やましたさん
- ■あげまき結びの結び方
⇒08/16 by Hayashiさん
- ■あげまき結びの結び方
⇒08/12 by masaさん
- ■次数
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⇒03/11 by twitter@euporiaさん
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いつも御交誼ありがとうございます。

「心の宅急便」
毎週火曜日、お昼の12時45分から出演しています^^;
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- 2009年12月の記事
目次
12月31日:感謝 【つれづれ】
12月29日:もういくつ寝るとお正月 【心の宅急便】
12月27日:アクセス 1000件/日 【[PC・ネット備忘録]更新履歴】
12月23日:奉祝 天皇陛下御誕生日 【つれづれ】
12月22日:冬至 【心の宅急便】
12月15日:天皇陛下の特例会見について 【心の宅急便】
12月15日:こんなのアリ? 【つれづれ】
12月12日:嘆かわしい・・・ 【[気になるニュース]皇室のこと】
12月10日:twitter 【つれづれ】
12月09日:秋葉さん 【心の宅急便】
12月08日:支部12月々次祭 【[兼務社・その他]岡崎市の神社】
12月02日:東京大神宮 【[旅先から]神社参拝など】
12月01日:松平元康公 【心の宅急便】
12月29日:もういくつ寝るとお正月 【心の宅急便】
12月27日:アクセス 1000件/日 【[PC・ネット備忘録]更新履歴】
12月23日:奉祝 天皇陛下御誕生日 【つれづれ】
12月22日:冬至 【心の宅急便】
12月15日:天皇陛下の特例会見について 【心の宅急便】
12月15日:こんなのアリ? 【つれづれ】
12月12日:嘆かわしい・・・ 【[気になるニュース]皇室のこと】
12月10日:twitter 【つれづれ】
12月09日:秋葉さん 【心の宅急便】
12月08日:支部12月々次祭 【[兼務社・その他]岡崎市の神社】
12月02日:東京大神宮 【[旅先から]神社参拝など】
12月01日:松平元康公 【心の宅急便】
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今年も残りわずかとなりました。
と同時に私の厄年も無事明けることになります。
この一年、多くのご縁をいただき、色々と勉強させていただきました。
衷心より厚く御礼申し上げます。
どうぞ、良いお年をお迎え下さい。
と同時に私の厄年も無事明けることになります。
この一年、多くのご縁をいただき、色々と勉強させていただきました。
衷心より厚く御礼申し上げます。
どうぞ、良いお年をお迎え下さい。
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FMおかざき「心の宅急便」の64回目の放送です。
今年最後の放送になりました。
年末年始にちなんだお話です。
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今年も残すところあと3日となりました。
岡崎天満宮では、今日午前中に、氏子総代さんたちにお手伝いいただきながら、門松をたてました。
他の迎春準備も着々と進んでいます。
世間では、昨日(28日)が仕事納めだったでしょうか。
今日が仕事納めの方もおみえでしょうね。
いよいよ正月休みですね。
先ずは大掃除、そして迎春準備といったところでしょうか。
さて、お正月にはいろいろな正月行事があります。
正月は、単に年が変わるというだけでないからです。
新年を迎えるための正月行事は、そもそも「歳神(としがみ)さま」を家にお招きし、新年の幸福を祈願する行事なんです。
このことを押さえておくと、色々な正月行事・しきたりなどが理解できると思います。
「歳神さま」は、恵方にみえる歳徳神とも、ご先祖神とも、田の神(農耕の神)ともいわれています。色んな性格の神さまが一緒になって「歳神さま」と称されるわけです。
一年の幸福、五穀豊穣をもたらして下さる神さまであり、「福の神」と言った方がわかりやすいかも知れませんね。
昔から「数え年」という年齢の数え方があります。これは「歳神さま」から正月に、一つ「年」=「命」をいただくという信仰に由来します。だからこそお正月は、めでたいもので、ありがたいものなんですね。
来る新年は、是非とも「歳神さま」のお恵みに感謝しながら「あけましておめでとうございます。」と言いましょうね。
さて、大掃除ですが・・・
「今年の汚れ、今年のうちに。・・・」という某社のCMが浮かびますが、言うまでもなく、すがすがしい環境で新年を迎えるために普段はなかなか手の届かないところまで、家の隅々まで掃除することですね。
でも、よくよく考えてみると、一年の罪汚れを祓い清める意味もあるのではないかと思います。
有り難い「歳神さま」をお迎えするのですから、汚いところでは申し訳ありませんね。
神さまをお迎えするための大掃除と理解すると、大掃除のやりがいも増すのではないかと思います。
そして、隅々まで綺麗にしたら、清浄な場所ですよということを表すために、注連飾りを飾ります。
この注連飾りは神社の注連縄同じで、神聖な場所と俗世間との結界の意味もあります。
もう一つ「歳神さま」をお迎えするのに欠かせないのが「門松」です。
門松は歳神さまの依代(よりしろ)とも、歳神さまが訪れる目印とも言われます。
最近では、個人のお宅で門松を立てることは少なくなったかも知れませんが、門松の代わりにせめても、松竹梅の寄せ植えや、生け花は飾りたいものですね。
ところで、「松竹梅」にはどんな意味があるのでしょう。
これは「歳寒の三友(さいかんのさんゆう)」という、古代中国の画題に由来します。
昔から絵画や陶器の図柄としてよく用いられていたんですね。
高潔・節操・清純などの象徴だとも言います。
これが奈良時代以降日本に伝わり、おめでたいもの、縁起物になってきました。
「松」は常緑樹で1年中枯れることがなく、また1株に雄と雌を有することから大変めでたい樹とされ、日本では古くから神の宿る神聖な樹ともされてきました。何十年、何百年とその姿を保つことから、「節操・長寿・不老不死」を表します。また、二股に分かれている葉には殺菌効果があり、今でもお祝いの食事、お赤飯などの上に飾られることがあります。
「竹」も常緑で1年中枯れることがなく、根が周囲にはびこって次々と新芽を出して広がる様は「子孫繁栄」の象徴とされてきました。節の中の水は飲み水となり、葉は薬草ともなり、筍は食用になります。竹になってからは食器・家具・建築材・楽器・玩具など多用途に役立つことから、生活に密着した貴重な植物とされてきました。
「梅」は苔が生える程の樹齢となっても、早春に他の花より先駆けて気高い香りをともなって美しく花を咲かせる生命力の強さから、「気高さや長寿」の象徴とされてきました。熟すと健康に良いとされる梅酒や梅干しなどをはじめ、乾燥させて薬としても用いられます。
いずれも、有り難い植物なんですね。
余談になりますが、「松竹梅」は序列を表す時にも使われます。
これは寿司屋さんやおそば屋さんが、メニューの「上」とか「並」の代わりに用いたものが始まりと言われています。「上寿司」とか「並寿司」と頼むより「松」とか「梅」でと注文した方が、抵抗がないという理由からのようですが、これも固定化されてくると、意味をなさなくなってきます。
一般に「松」が一番上で、次が「竹」一番下が「梅」という順序でしょうか。「松竹梅」の言葉通りですね。
さらに余談になりますが、当宮では節分祭に福引きをしています。
その福引きで以前、「1等賞」「2等賞」「3等賞」の代わりに「松」「竹」「梅」を使ったことがあります。
勿論、最初は「松」=「1等賞」でしたが・・・。
ところが、当時の某総代さんから、「天満宮だから『梅』が1等賞の方が良いんじゃないか」という意見が出てきました。
なるほどということで、「梅」=「1等賞」、「竹」=「2等賞」、「松」=「3等賞」としたことがあります。
ところがところが、今度は「松」をひいた人からクレームが出ます。「松」を引いたのに一番悪い景品とは何事かと。
景品係も、どうも混乱してしまいます。「梅」が1等賞は間違えないのですが、「松」「竹」がどうしてもごっちゃになっちゃうんです。
結局、数字が一番間違いないということで、今では「1等賞」「2等賞」「3等賞」に戻しています。
ずいぶん話がそれてしまいましたね。
正月につきものと言えば「鏡餅」がありますね。
これも単なるお餅、飾りではありません。
「歳神さま」へのお供えであるということを忘れてはなりません。
鏡(神さまの御神体の丸鏡や、神事に使う丸鏡)の鏡の丸い形から「鏡餅」というのですが、丸い形は、家庭円満を表します。
お餅を重ねるのは、年を重ねるということですね。
二段重ねが一般的ですが、地方によっては三段重ねの所もあるようです。
様々な縁起物を併せて飾ることもありますね。橙、海老、ウラジロなど、それぞれに、子孫繁栄とか不老長寿とかのおめでたい意味が付されています。
歳神さまがメインですが、それ以外にもお正月には鏡餅を色々な神さまにお供えします。
神棚はもちろんのこと、玄関、台所、トイレ、などそれぞれの神さまにも小さくても良いですからお供えされると良いと思います。
森羅万象すべてのものに神さまが宿ると考えるのが日本人の信仰であり、文化ですからね。
さて、子どもたちにとってお正月の楽しみは「お年玉」でしょうか。
現代では金銭を渡すのが殆どだと思いますが、本来のお年玉は違います。
神様のお供えには、神霊がこもります。
神事などで神さまにお供えした神饌をお下がりとしていただくことで、神さまのお恵みを分けいただくと言うのが神道の信仰でもあります。
これは歳神さまへのお供えの鏡餅でも同じなんですね。
正月が終わって、鏡開き(鏡割り)の時に、家族親族みんなでそれを分けいただくのがお年玉の由来です。
「お年玉」の「年」は「歳神さま」の「歳(年)」。
「お年玉」の「玉」は「御霊(みたま)」の「霊(たま)」なんです。
つまり「お年玉」=「歳神さまの御霊」ということなんですね。
それが、時代と共に金銭に変わっていったんです。
「不況の昨今。本来のお年玉に立ち戻ろう!!」とキャンペーンをしたら、子どもたちの暴動が起きるでしょうかね。
話があちこち飛びますが、迎春準備で欠かせないものに「神棚」がありますね。
神棚におまつりする神札は、・・・
神宮大麻(伊勢神宮の御神札)・・・天下国家をお守り下さる神様
氏神さまの御神札 ・・・・・・・・・・・・・地域をお守り下さる神様
その他の崇敬する神社の神様・・・家族・個人をお守り下さる神様
です。一つだけでは駄目とは言いませんが、この三つをおまつりいただければ、相乗効果で、さらに神さまのお恵みが増加します。最高の新年を迎えるなら、せっかくですから、すべてを揃えておまつり下さることをおすすめします。
また、御神札は毎年新しいものに取り替えます。
毎年毎年、定期的に新しい御神札に替えることで、常に新しく常に瑞々しい御神徳を戴くことになります。
20年に一度御社殿を建て替える伊勢神宮の式年遷宮につながる思想ですね。
更新することで常に新しく最良の状態が保たれるという日本人の知恵です。
さて、新年となったら、まず初詣ですね。
先ずは一番身近な氏神さまへお参りするのがいいでしょう。
その後で、崇敬する神社へお参りいただければと思います。
そして出来るだけ多くの神社にお参りいただき、多くの神さまとご縁を結ばれることをおすすめします。
俗に言う「神さま同士が喧嘩する」ということはありませんので、ご安心を。
また「七所(ななとこ)まいり」をされる方も多くいらっしゃいます。
7社の神社に初詣をすることですが、岡崎は中心部にたくさんの神社が集中していますのでこれもお薦めです。
龍城神社、六所神社、伊賀八幡宮、能見神明宮、菅生神社、徳王神社、そして岡崎天満宮。
これらの神社は、いずれも神職が常駐しています。
丁度7社ですね。
最後に当宮・岡崎天満宮の初詣のご案内です。
1月1日午前0時より、参詣者の皆様に甘酒接待(無料)を行います。
大晦日から元旦にかけて寒波がくるような予報ですが、温かい甘酒で、温まっていただきたいと思います。
沢山用意しますが、無くなり次第終了となりますのでご了承下さい。
また、新春の特別祈祷(合格祈願、厄祓、家内安全など)は正月中随時受付いたします。
直接、社務所の御祈祷受付までお申し出下さい。
また1日午前9時から、 元旦祭を斎行し、天神さまに新年の寿詞を申し上げ、氏子崇敬者のご多幸をお祈りします。
宮司以下、皆様方のご参詣を心よりお待ち申し上げておりますので、ご家族ご友人お誘い合わせの上、多数御参拝下さいますようご案内申し上げます。
それでは皆さん。良いお年を!!
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今年最後の放送になりました。
年末年始にちなんだお話です。
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今年も残すところあと3日となりました。
岡崎天満宮では、今日午前中に、氏子総代さんたちにお手伝いいただきながら、門松をたてました。
他の迎春準備も着々と進んでいます。
世間では、昨日(28日)が仕事納めだったでしょうか。
今日が仕事納めの方もおみえでしょうね。
いよいよ正月休みですね。
先ずは大掃除、そして迎春準備といったところでしょうか。
さて、お正月にはいろいろな正月行事があります。
正月は、単に年が変わるというだけでないからです。
新年を迎えるための正月行事は、そもそも「歳神(としがみ)さま」を家にお招きし、新年の幸福を祈願する行事なんです。
このことを押さえておくと、色々な正月行事・しきたりなどが理解できると思います。
「歳神さま」は、恵方にみえる歳徳神とも、ご先祖神とも、田の神(農耕の神)ともいわれています。色んな性格の神さまが一緒になって「歳神さま」と称されるわけです。
一年の幸福、五穀豊穣をもたらして下さる神さまであり、「福の神」と言った方がわかりやすいかも知れませんね。
昔から「数え年」という年齢の数え方があります。これは「歳神さま」から正月に、一つ「年」=「命」をいただくという信仰に由来します。だからこそお正月は、めでたいもので、ありがたいものなんですね。
来る新年は、是非とも「歳神さま」のお恵みに感謝しながら「あけましておめでとうございます。」と言いましょうね。
さて、大掃除ですが・・・
「今年の汚れ、今年のうちに。・・・」という某社のCMが浮かびますが、言うまでもなく、すがすがしい環境で新年を迎えるために普段はなかなか手の届かないところまで、家の隅々まで掃除することですね。
でも、よくよく考えてみると、一年の罪汚れを祓い清める意味もあるのではないかと思います。
有り難い「歳神さま」をお迎えするのですから、汚いところでは申し訳ありませんね。
神さまをお迎えするための大掃除と理解すると、大掃除のやりがいも増すのではないかと思います。
そして、隅々まで綺麗にしたら、清浄な場所ですよということを表すために、注連飾りを飾ります。
この注連飾りは神社の注連縄同じで、神聖な場所と俗世間との結界の意味もあります。
もう一つ「歳神さま」をお迎えするのに欠かせないのが「門松」です。
門松は歳神さまの依代(よりしろ)とも、歳神さまが訪れる目印とも言われます。
最近では、個人のお宅で門松を立てることは少なくなったかも知れませんが、門松の代わりにせめても、松竹梅の寄せ植えや、生け花は飾りたいものですね。
ところで、「松竹梅」にはどんな意味があるのでしょう。
これは「歳寒の三友(さいかんのさんゆう)」という、古代中国の画題に由来します。
昔から絵画や陶器の図柄としてよく用いられていたんですね。
高潔・節操・清純などの象徴だとも言います。
これが奈良時代以降日本に伝わり、おめでたいもの、縁起物になってきました。
「松」は常緑樹で1年中枯れることがなく、また1株に雄と雌を有することから大変めでたい樹とされ、日本では古くから神の宿る神聖な樹ともされてきました。何十年、何百年とその姿を保つことから、「節操・長寿・不老不死」を表します。また、二股に分かれている葉には殺菌効果があり、今でもお祝いの食事、お赤飯などの上に飾られることがあります。
「竹」も常緑で1年中枯れることがなく、根が周囲にはびこって次々と新芽を出して広がる様は「子孫繁栄」の象徴とされてきました。節の中の水は飲み水となり、葉は薬草ともなり、筍は食用になります。竹になってからは食器・家具・建築材・楽器・玩具など多用途に役立つことから、生活に密着した貴重な植物とされてきました。
「梅」は苔が生える程の樹齢となっても、早春に他の花より先駆けて気高い香りをともなって美しく花を咲かせる生命力の強さから、「気高さや長寿」の象徴とされてきました。熟すと健康に良いとされる梅酒や梅干しなどをはじめ、乾燥させて薬としても用いられます。
いずれも、有り難い植物なんですね。
余談になりますが、「松竹梅」は序列を表す時にも使われます。
これは寿司屋さんやおそば屋さんが、メニューの「上」とか「並」の代わりに用いたものが始まりと言われています。「上寿司」とか「並寿司」と頼むより「松」とか「梅」でと注文した方が、抵抗がないという理由からのようですが、これも固定化されてくると、意味をなさなくなってきます。
一般に「松」が一番上で、次が「竹」一番下が「梅」という順序でしょうか。「松竹梅」の言葉通りですね。
さらに余談になりますが、当宮では節分祭に福引きをしています。
その福引きで以前、「1等賞」「2等賞」「3等賞」の代わりに「松」「竹」「梅」を使ったことがあります。
勿論、最初は「松」=「1等賞」でしたが・・・。
ところが、当時の某総代さんから、「天満宮だから『梅』が1等賞の方が良いんじゃないか」という意見が出てきました。
なるほどということで、「梅」=「1等賞」、「竹」=「2等賞」、「松」=「3等賞」としたことがあります。
ところがところが、今度は「松」をひいた人からクレームが出ます。「松」を引いたのに一番悪い景品とは何事かと。
景品係も、どうも混乱してしまいます。「梅」が1等賞は間違えないのですが、「松」「竹」がどうしてもごっちゃになっちゃうんです。
結局、数字が一番間違いないということで、今では「1等賞」「2等賞」「3等賞」に戻しています。
ずいぶん話がそれてしまいましたね。
正月につきものと言えば「鏡餅」がありますね。
これも単なるお餅、飾りではありません。
「歳神さま」へのお供えであるということを忘れてはなりません。
鏡(神さまの御神体の丸鏡や、神事に使う丸鏡)の鏡の丸い形から「鏡餅」というのですが、丸い形は、家庭円満を表します。
お餅を重ねるのは、年を重ねるということですね。
二段重ねが一般的ですが、地方によっては三段重ねの所もあるようです。
様々な縁起物を併せて飾ることもありますね。橙、海老、ウラジロなど、それぞれに、子孫繁栄とか不老長寿とかのおめでたい意味が付されています。
歳神さまがメインですが、それ以外にもお正月には鏡餅を色々な神さまにお供えします。
神棚はもちろんのこと、玄関、台所、トイレ、などそれぞれの神さまにも小さくても良いですからお供えされると良いと思います。
森羅万象すべてのものに神さまが宿ると考えるのが日本人の信仰であり、文化ですからね。
さて、子どもたちにとってお正月の楽しみは「お年玉」でしょうか。
現代では金銭を渡すのが殆どだと思いますが、本来のお年玉は違います。
神様のお供えには、神霊がこもります。
神事などで神さまにお供えした神饌をお下がりとしていただくことで、神さまのお恵みを分けいただくと言うのが神道の信仰でもあります。
これは歳神さまへのお供えの鏡餅でも同じなんですね。
正月が終わって、鏡開き(鏡割り)の時に、家族親族みんなでそれを分けいただくのがお年玉の由来です。
「お年玉」の「年」は「歳神さま」の「歳(年)」。
「お年玉」の「玉」は「御霊(みたま)」の「霊(たま)」なんです。
つまり「お年玉」=「歳神さまの御霊」ということなんですね。
それが、時代と共に金銭に変わっていったんです。
「不況の昨今。本来のお年玉に立ち戻ろう!!」とキャンペーンをしたら、子どもたちの暴動が起きるでしょうかね。
話があちこち飛びますが、迎春準備で欠かせないものに「神棚」がありますね。
神棚におまつりする神札は、・・・
神宮大麻(伊勢神宮の御神札)・・・天下国家をお守り下さる神様
氏神さまの御神札 ・・・・・・・・・・・・・地域をお守り下さる神様
その他の崇敬する神社の神様・・・家族・個人をお守り下さる神様
です。一つだけでは駄目とは言いませんが、この三つをおまつりいただければ、相乗効果で、さらに神さまのお恵みが増加します。最高の新年を迎えるなら、せっかくですから、すべてを揃えておまつり下さることをおすすめします。
また、御神札は毎年新しいものに取り替えます。
毎年毎年、定期的に新しい御神札に替えることで、常に新しく常に瑞々しい御神徳を戴くことになります。
20年に一度御社殿を建て替える伊勢神宮の式年遷宮につながる思想ですね。
更新することで常に新しく最良の状態が保たれるという日本人の知恵です。
さて、新年となったら、まず初詣ですね。
先ずは一番身近な氏神さまへお参りするのがいいでしょう。
その後で、崇敬する神社へお参りいただければと思います。
そして出来るだけ多くの神社にお参りいただき、多くの神さまとご縁を結ばれることをおすすめします。
俗に言う「神さま同士が喧嘩する」ということはありませんので、ご安心を。
また「七所(ななとこ)まいり」をされる方も多くいらっしゃいます。
7社の神社に初詣をすることですが、岡崎は中心部にたくさんの神社が集中していますのでこれもお薦めです。
龍城神社、六所神社、伊賀八幡宮、能見神明宮、菅生神社、徳王神社、そして岡崎天満宮。
これらの神社は、いずれも神職が常駐しています。
丁度7社ですね。
最後に当宮・岡崎天満宮の初詣のご案内です。
1月1日午前0時より、参詣者の皆様に甘酒接待(無料)を行います。
大晦日から元旦にかけて寒波がくるような予報ですが、温かい甘酒で、温まっていただきたいと思います。
沢山用意しますが、無くなり次第終了となりますのでご了承下さい。
また、新春の特別祈祷(合格祈願、厄祓、家内安全など)は正月中随時受付いたします。
直接、社務所の御祈祷受付までお申し出下さい。
また1日午前9時から、 元旦祭を斎行し、天神さまに新年の寿詞を申し上げ、氏子崇敬者のご多幸をお祈りします。
宮司以下、皆様方のご参詣を心よりお待ち申し上げておりますので、ご家族ご友人お誘い合わせの上、多数御参拝下さいますようご案内申し上げます。
それでは皆さん。良いお年を!!
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[PC・ネット備忘録]更新履歴
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久しぶりにアクセス解析を覗いてみたら、拙ブログの1日のアクセスが3日連続で1000件を超えています!!
びっくりするやら、うれしいやら・・・^^;
その原因は・・・・
門松関連の記事のようですね♪
びっくりするやら、うれしいやら・・・^^;
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FMおかざき「心の宅急便」の63回目の放送です。
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今日12月22日は「冬至」ですね。
「冬至」というのは、
誤解しやすいのですが、1年で日の出の時刻が最も遅い日・日の入りの時刻が最も早い日ではありません。
暦をよく見てみれば分かりますが、日の出が最も遅い日は冬至の半月後頃、日の入りが最も早い日は冬至の半月前頃になっています。
いずれにしても、「冬至から 畳の目ほど 日が延びる」と言われるように、冬至を過ぎると、わずかずつではあるが日一日と昼の時間が長くなっていきます。
ちなみに、旧暦(太陽太陰暦)では、11月であり、冬の真ん中にあたります。
さて、「冬至」といえば・・・
ゆず湯に入り、冬至がゆ(小豆がゆ)やカボチャを食べると風邪をひかない、などが思いつくでしょうか。
昼がもっとも短く、太陽のパワーももっとも衰える日ですから、植物も衰弱しますし、農耕生活に一種の危機が訪れる日でもあります。
同時に、この日からふたたび昼の日照時間が長くなり、太陽のエネルギーも徐々に回復していく節目でもあります。
世界の諸民族の中で、この日を陽気の回復、再生を願う日、また太陽の誕生日とする観念が多く見られます。
西洋のクリスマスも、もとは陽気回復を祝う風習がその背景にあると言われています。
クリスマスツリーやサンタさんの由来もここにあります。
「一陽来復」として、農耕の再生の力をもたらす神聖な旅人が村にやってくる日だとする信仰も世界中に見られますし、日本では弘法大師(こうぼうだいし)が村を巡るという伝承もあります。
「大師講」というもので、弘法大師の命日の旧暦11月24日に由来し、小豆粥(あずきがゆ)や団子をつくって供える慣習が各地に残っています。
いずれも、衰弱からの再生という冬至をめぐる観念に基づく儀礼といえるでしょう。
さて「朔旦冬至(さくたんとうじ)」という言葉をご存じでしょうか?
「朔旦」というのは「一日(ついたち)の朝」という意味です。
冬至の日が陰暦の11月1日にあたることで、19年に一度やってきます。
冬至が暦作成の基準であるため、この「朔旦冬至」は特に瑞祥(縁起が良い)とされ、宮中では祝宴が行なわれたそうです。
ちなみに、次の朔旦冬至は、平成26年(2014年)だそうです。
先ほど、冬至と言えば、「柚子湯」や「南瓜」と言いましたね。
まず、冬至とゆず湯の由来は何でしょう。
柚子(ゆず)=「融通」がきく、冬至=「湯治」の語呂合せからという説もありますが、もともとは運を呼びこむ前に厄祓いするための禊(みそぎ)かもしれません。
「一陽来復」の大事な日を迎えるために身を清めるというものです。
新年や大切な儀式に際しての入浴・潔斎ということですね。
冬が旬の柚子は、香りも強く、その強い香りで邪気を祓います。
端午の節句の菖蒲湯と同じですね。
また、柚子湯には血行を促進して冷え性を緩和したり、体を温めて風邪を予防する効果もあるそうですし、果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果や、芳香によるリラックス効果もあると言われます。
なるほどですね。
次に、冬至とカボチャの由来ですが・・・
冬至には「ん」のつくものを食べると「運」がつくんだそうです。
にんじん、だいこん、れんこん、うどん、ぎんなん、きんかん……などでしょうか。
縁起かつぎだけでなく、栄養をつけて寒い冬を乗りきるための知恵とも言えそうです。
カボチャに「ん」はつかないんじゃ・・・とお思いかもしれませんね。
カボチャは漢字で「南瓜」と書きます。音読みすると「なんきん」です。ちゃんと「ん」がつきますね。
特にかぼちゃはビタミンAやカロチンが豊富だと言われますし、風邪や中風(脳血管疾患)予防に効果的とも言われています。
また「ん」は50音の最後の音ですね。冬至の「一陽来復」につながります。
「一陽来復」というのは、「陰が窮まって陽にかえること。悪い事が続いたあと、ようやく好運に向かうこと。」です。
地方によっては、冬至にこんにゃくを食する習慣のあるところもあるようです。
「砂おろし」といって、こんにゃくを食べて体内にたまった砂を出すんだそうです。
これも、身体の中をきれいにするという意味では、柚子湯の禊ぎに通じるところがあるかもしれませんね。
宮中祭祀の中に、12月15日夕刻から行われる「賢所御神楽の儀」というお祭りがあります。
皇祖天照大御神さまに、御神楽を捧げ、神霊をお慰めするお祭りです。
当日黄櫨染御袍という正装をお召しになられた陛下が拝礼された後、6時間あまりも御神楽が奏されるそうです。
言うまでもなく天照大御神さまは日の大神さまです。
太陽の再生を願う冬至の行事とこの宮中の賢所御神楽の儀は無関係ではありません。
常に「神事を先にし、他事を後にす」という皇室の伝統を重んじられる陛下にとっては重要なお祭りです。
陛下御自ら身を清められ、この日は国事行為も行わず、外部の方とお会いになることも慎まれ、大事な神事に臨まれるのが慣例です。
にも関わらず、先週の15日は・・・・
敢えて申しません。
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今日12月22日は「冬至」ですね。
「冬至」というのは、
です。また、二十四節気の一つ。太陽黄経が270度のときで、12月22日ごろ。
ですね。北半球では太陽の南中高度が最も低く、昼が最も短く夜が最も長くなる日。
日の出・日の入りの方角が最も南寄りになる日。
誤解しやすいのですが、1年で日の出の時刻が最も遅い日・日の入りの時刻が最も早い日ではありません。
暦をよく見てみれば分かりますが、日の出が最も遅い日は冬至の半月後頃、日の入りが最も早い日は冬至の半月前頃になっています。
いずれにしても、「冬至から 畳の目ほど 日が延びる」と言われるように、冬至を過ぎると、わずかずつではあるが日一日と昼の時間が長くなっていきます。
ちなみに、旧暦(太陽太陰暦)では、11月であり、冬の真ん中にあたります。
さて、「冬至」といえば・・・
ゆず湯に入り、冬至がゆ(小豆がゆ)やカボチャを食べると風邪をひかない、などが思いつくでしょうか。
昼がもっとも短く、太陽のパワーももっとも衰える日ですから、植物も衰弱しますし、農耕生活に一種の危機が訪れる日でもあります。
同時に、この日からふたたび昼の日照時間が長くなり、太陽のエネルギーも徐々に回復していく節目でもあります。
世界の諸民族の中で、この日を陽気の回復、再生を願う日、また太陽の誕生日とする観念が多く見られます。
西洋のクリスマスも、もとは陽気回復を祝う風習がその背景にあると言われています。
クリスマスツリーやサンタさんの由来もここにあります。
「一陽来復」として、農耕の再生の力をもたらす神聖な旅人が村にやってくる日だとする信仰も世界中に見られますし、日本では弘法大師(こうぼうだいし)が村を巡るという伝承もあります。
「大師講」というもので、弘法大師の命日の旧暦11月24日に由来し、小豆粥(あずきがゆ)や団子をつくって供える慣習が各地に残っています。
いずれも、衰弱からの再生という冬至をめぐる観念に基づく儀礼といえるでしょう。
さて「朔旦冬至(さくたんとうじ)」という言葉をご存じでしょうか?
「朔旦」というのは「一日(ついたち)の朝」という意味です。
冬至の日が陰暦の11月1日にあたることで、19年に一度やってきます。
冬至が暦作成の基準であるため、この「朔旦冬至」は特に瑞祥(縁起が良い)とされ、宮中では祝宴が行なわれたそうです。
ちなみに、次の朔旦冬至は、平成26年(2014年)だそうです。
先ほど、冬至と言えば、「柚子湯」や「南瓜」と言いましたね。
まず、冬至とゆず湯の由来は何でしょう。
柚子(ゆず)=「融通」がきく、冬至=「湯治」の語呂合せからという説もありますが、もともとは運を呼びこむ前に厄祓いするための禊(みそぎ)かもしれません。
「一陽来復」の大事な日を迎えるために身を清めるというものです。
新年や大切な儀式に際しての入浴・潔斎ということですね。
冬が旬の柚子は、香りも強く、その強い香りで邪気を祓います。
端午の節句の菖蒲湯と同じですね。
また、柚子湯には血行を促進して冷え性を緩和したり、体を温めて風邪を予防する効果もあるそうですし、果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果や、芳香によるリラックス効果もあると言われます。
なるほどですね。
次に、冬至とカボチャの由来ですが・・・
冬至には「ん」のつくものを食べると「運」がつくんだそうです。
にんじん、だいこん、れんこん、うどん、ぎんなん、きんかん……などでしょうか。
縁起かつぎだけでなく、栄養をつけて寒い冬を乗りきるための知恵とも言えそうです。
カボチャに「ん」はつかないんじゃ・・・とお思いかもしれませんね。
カボチャは漢字で「南瓜」と書きます。音読みすると「なんきん」です。ちゃんと「ん」がつきますね。
特にかぼちゃはビタミンAやカロチンが豊富だと言われますし、風邪や中風(脳血管疾患)予防に効果的とも言われています。
また「ん」は50音の最後の音ですね。冬至の「一陽来復」につながります。
「一陽来復」というのは、「陰が窮まって陽にかえること。悪い事が続いたあと、ようやく好運に向かうこと。」です。
地方によっては、冬至にこんにゃくを食する習慣のあるところもあるようです。
「砂おろし」といって、こんにゃくを食べて体内にたまった砂を出すんだそうです。
これも、身体の中をきれいにするという意味では、柚子湯の禊ぎに通じるところがあるかもしれませんね。
宮中祭祀の中に、12月15日夕刻から行われる「賢所御神楽の儀」というお祭りがあります。
皇祖天照大御神さまに、御神楽を捧げ、神霊をお慰めするお祭りです。
当日黄櫨染御袍という正装をお召しになられた陛下が拝礼された後、6時間あまりも御神楽が奏されるそうです。
言うまでもなく天照大御神さまは日の大神さまです。
太陽の再生を願う冬至の行事とこの宮中の賢所御神楽の儀は無関係ではありません。
常に「神事を先にし、他事を後にす」という皇室の伝統を重んじられる陛下にとっては重要なお祭りです。
陛下御自ら身を清められ、この日は国事行為も行わず、外部の方とお会いになることも慎まれ、大事な神事に臨まれるのが慣例です。
にも関わらず、先週の15日は・・・・
敢えて申しません。
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FMおかざき「心の宅急便」の62回目の放送です。
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一昨日の13日は、「正月事始め」でした。
年末年始の準備を始められた方も多かったことでしょう。
それにちなんで、門松や正月にゆかりのある「松竹梅のお話」をさせていただこうと思っていましたが・・・
今日は、おめでたい話をする気にどうもなれませんので、急遽ですが、今般の天皇陛下の特例会見を巡る問題について思うところをお話しさせていただきたいと思います。
私は、政府がとんでもない過ちを犯してしまったと思っています。
ここ数日、マスコミを賑わしている問題ですから、ご存じの方も多いと思います。
今上陛下は、きのう14日に来日した中国の習近平国家副主席と今日午前11時ごろから20分間、ご会見になりました。ご案内の通り、「1か月ルール」をやぶり、強引に強行されたもので、「天皇の政治利用」との批判が強まっています。
このことについては、皇室のことについて大変造詣の深い、斎藤吉久先生がご自身のメールマガジンで、端的にその問題点をご指摘されています。
また、昨夜の小沢幹事長の発言には、正直激しい憤りを感じずにはいられませんでした。
小沢氏の発言には陛下への敬意が微塵もありません。
陛下に対する冒涜すら感じられます。
会見で記者たちに憲法講義をぶったようですが、その憲法には陛下は国民統合の象徴であると規定されているのですから、陛下を冒涜することは即ち国民を冒涜することに他なりません。
まるでどこかの国の独裁者になったかのような印象さえ感じられます。
また大国も小国も分け隔て無く対応するのが陛下のお立場です。公正無私であらせられる天皇陛下だからこそ、世界の尊崇を得ていらっしゃるわけです。
だからこそルールは厳格に守られるべきであると思います。
やむを得ず「特例」を設けるならば、そのやむを得ない理由を、しっかりと国民に説明しなければなりません。
「政治利用には当たらない」だけでは納得できない国民が多いのではないでしょうか。
もちろん今回の会見について、陛下御自らは是が非かなどということは何もおっしゃらないと思います。しかし中国という一国の都合、小沢幹事長や鳩山首相の思惑によって、無理矢理事を推し進めたことはまさしく「政治利用」だと言えるでしょう。
この中国共産党と鳩山政権の愚行は、断じて許されるべきではありません。
その責任の所在について、我々国民は徹底追求していかなければならないと思います。
「松竹梅のお話」また今度。
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一昨日の13日は、「正月事始め」でした。
年末年始の準備を始められた方も多かったことでしょう。
それにちなんで、門松や正月にゆかりのある「松竹梅のお話」をさせていただこうと思っていましたが・・・
今日は、おめでたい話をする気にどうもなれませんので、急遽ですが、今般の天皇陛下の特例会見を巡る問題について思うところをお話しさせていただきたいと思います。
私は、政府がとんでもない過ちを犯してしまったと思っています。
ここ数日、マスコミを賑わしている問題ですから、ご存じの方も多いと思います。
今上陛下は、きのう14日に来日した中国の習近平国家副主席と今日午前11時ごろから20分間、ご会見になりました。ご案内の通り、「1か月ルール」をやぶり、強引に強行されたもので、「天皇の政治利用」との批判が強まっています。
このことについては、皇室のことについて大変造詣の深い、斎藤吉久先生がご自身のメールマガジンで、端的にその問題点をご指摘されています。
今回の訪日の目的、天皇陛下との特例会見の目的を知ると、空恐ろしい感じがするのは私だけではないと思います。この国はどうなってしまうのでしょうか?□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
1 ポスト胡錦涛権力闘争に政治利用される皇室?
───習近平国家副主席「特例天皇会見」の意味
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
▽なぜ中国側の作業が遅れたのか
別項に資料として、マスメディアが伝えているご会見決定までの経緯をまとめてみましたので、ご覧いただきたいのですが、今回の特例会見設定で考えなければならないのは、次の3点かと思います。
(1)習近平国家副主席とは何者なのか? なぜ陛下との会見が設定されなければならないか?
(2)中国側は年初から「国家指導者」来日を打診してきたが、それが習近平国家副主席であるとの説明があったのは10月になってからだった。陛下との会見も希望されたので、日本の外務省は具体的日程の連絡を中国側に再三求めたが、遅れた。この中国側の遅れがなければゴリ押しも不要だったはずだが、なぜこのように作業が遅れたのか?
(3)首相官邸は12月7日、日中関係の政治的重要性、中国側の強い希望を強調して宮内庁に対応を試みたが、宮内庁は拒否した。2日後、小沢大訪中団の離日の前日に崔天凱中国大使が小沢幹事長に直接、要求し、小沢・胡錦涛会談の当日、会見が決まった。この背景に何があるのか?
つまり、ご会見の政治利用について、日本の国内問題としてだけでなく、中国の国内問題、国際的問題として理解する必要があり、そのように考えると、首相のいう「国際関係を好転させる」ためとはほど遠い、じつに恐るべきことが浮かび上がってくると私は考えます。
▽中国による皇室の政治利用
まず、習近平国家副主席について、です。
日本の一般メディアは、ポスト胡錦涛の最右翼、と繰り返し報じています。しかし権力闘争が日常的に休まることがない中国共産党内部で、後継者が簡単に定まることなどあり得ません。
昨年春、国家副主席となった習近平は、胡錦涛国家主席ら「団派」(共産主義青年団)と対立関係にある「上海派(江沢民派)」「太子党」であり、ポスト胡錦涛をめぐっては団派で胡錦涛直系の李克強との暗闘が繰り返されていると聞きます。
事実、今年9月、中国共産党第17期中央委員会第4回総会(4中総会)で習近平は軍事委員会副主席入りが確実といわれたものの、予想に反して実現しませんでした。
今年の初めからすでに「国家指導者」の来日が予告されながら、名前が伏せられ、10月になってようやく習近平の名前が告げられ、陛下との会見が希望されたのは、この期間の中国国内の権力闘争の激しさを想像させるのに十分です。
また、陛下との会見を希望する理由として、平成10(1998)年に当時、国家副主席だった胡錦涛が会見していることがあげられているのは、胡錦涛と同じ扱いを望み、天皇会見を利用して共産党内で巻き返しを図り、権力掌握に弾みを付けたいという思惑が感じられます。
だとすれば、これは中国による皇室の政治利用そのものです。
つまり、鳩山政権は、単に憲法に「国政上の権能を有しない」と定められているということではなくて、古来、日本の最高権威であり、それゆえ現実の権力政治から超然たる地位にあるべき天皇が、国内的に政治利用されるのではなくて、外国の政治闘争の道具として利用されることを、愚かにも許したということになります。
▽繰り返される政治利用
中国による皇室の政治利用はこれまで何度も繰り返されています。そもそも政治性のない中国人など聞いたことがありません。
たとえば平成4年の今上天皇の訪中は、3年前の血なまぐさい天安門事件以来、西側諸国がとるきびしい対中制裁を打破するのに大きく貢献した、と中国政府側は理解しています。
このおぞましい血の弾圧のあと、国際的な汚名をそそぐのに積極的役割を果たしたのが日本政府でした。西側首脳たちが「弾圧のシンボル」である人民英雄記念碑に献花を避けるなか、先進国首脳としてまっ先に花輪を捧げたのが海部首相だったのです。海部訪中は翌年の陛下の訪中の露払いでしたが、さすがに陛下は記念碑を表敬することはありませんでした。
天皇が日本の最高権威であることを、中国の権力者たちは、日本の政治家以上に熟知しているのでしょう。だからこそ、政治利用しようとするのです。それに対して、日本側はあまりに無防備で、完全に足元を見透かされています。
いや、日本の政治家もまた、天皇を政治利用しています。
ギリギリの段階での天皇会見の設定は、陳情窓口を一本化し、政治判断を一元化した民主党の小沢幹事長によって決まったようです。日米同盟が普天間基地移設問題で混乱し、危機に瀕するというとき、小沢幹事長および民主党のあからさまな中国重視の姿勢が中国による皇室の政治利用を許したのです。
600人を超える小沢大訪中団の1人1人と胡錦涛国家主席がにこやかに、無邪気に握手を交わし、いやが上にも小沢幹事長の政治的存在感が増すなか、天皇の政治利用は決められたのです。胡錦涛派と上海派との日中外交をめぐる主導権争いに、天皇会見が利用されたのではないかという疑いが、いよいよ濃厚です。
これに対して陛下を守るべき宮内庁が抗しきれなかったのは返す返すも残念ですが、宮内庁が内閣府の一外局に過ぎないことによる限界なのでしょう。羽毛田長官も記者に弁明する程度で、職を賭して天皇の政治利用を阻止するほどの気概はなかったのでしょう。
ご即位20年の記者会見で陛下は「我が国の安寧を願い,国民の健康と幸せを祈ります」と述べられています。昨年のご不例は、「皇室に関わるもろもろの問題をご憂慮」(羽毛田長官所見)になったというのではなく、百年に一度ともいわれる深刻な経済危機で国民の苦しみを思われてのことでしょう。この年末、不況にあえぐ多くの国民に陛下はどれほど心を痛めておられることか。
はるかに高い次元で国と民を思う天皇となまぐさい政治に明け暮れる権力者たちとは違います。だからこそ、天皇の政治的中立性が必要なのです。
(斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」vol.109より引用)
また、昨夜の小沢幹事長の発言には、正直激しい憤りを感じずにはいられませんでした。
小沢氏の発言には陛下への敬意が微塵もありません。
陛下に対する冒涜すら感じられます。
会見で記者たちに憲法講義をぶったようですが、その憲法には陛下は国民統合の象徴であると規定されているのですから、陛下を冒涜することは即ち国民を冒涜することに他なりません。
まるでどこかの国の独裁者になったかのような印象さえ感じられます。
また大国も小国も分け隔て無く対応するのが陛下のお立場です。公正無私であらせられる天皇陛下だからこそ、世界の尊崇を得ていらっしゃるわけです。
だからこそルールは厳格に守られるべきであると思います。
やむを得ず「特例」を設けるならば、そのやむを得ない理由を、しっかりと国民に説明しなければなりません。
「政治利用には当たらない」だけでは納得できない国民が多いのではないでしょうか。
もちろん今回の会見について、陛下御自らは是が非かなどということは何もおっしゃらないと思います。しかし中国という一国の都合、小沢幹事長や鳩山首相の思惑によって、無理矢理事を推し進めたことはまさしく「政治利用」だと言えるでしょう。
この中国共産党と鳩山政権の愚行は、断じて許されるべきではありません。
その責任の所在について、我々国民は徹底追求していかなければならないと思います。
「松竹梅のお話」また今度。
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[気になるニュース]皇室のこと
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「悪しき前例」 天皇陛下面会の一カ月ルールを逸脱した官邸のごり押し
2009.12.11 21:38
中国の胡錦濤国家主席の最有力後継者候補とされる習近平国家副主席の14日からの来日に合わせ、鳩山由紀夫首相は特例的に天皇陛下との会見ができるよう自ら動いた。中国政府のメンツに配慮した格好だが、「政治主導」という名のもとでの「天皇陛下の政治利用」だとの批判が出ている。
中国政府が日本側に会見を要請したのは11月下旬。外務省は希望日の1カ月前までに申請する「1カ月ルール」を理由に断ったが、首相は今週初め、平野博文官房長官に「何とかならないか」と調整を指示した。
平野氏は今月7日と10日の2度にわたって宮内庁に電話をかけ、会見実現を要請したという。その背景には、小沢氏一郎幹事長から首相への働きかけがあったとされる。首相自身は11日夜、記者団に「小沢氏から指示があったわけではない」と否定したが、関係者によると、小沢氏は8日ごろ、首相に電話で「会見はやらないとだめだ」と申し入れたという。
首相はまた、陛下が前立腺がんの手術を受けられた後は厳格に運用されてきた「1カ月ルール」については「杓子(しゃくし)定規でダメだということで国際親善の意味で正しいのか」と疑問を示した。
一方、宮内庁の羽毛田信吾長官は11日、「心苦しい思いで陛下にお願いした。こういったことは二度とあってはほしくないというのが私の切なる願いだ」と表明。「国の間に懸案があったら陛下を打開役にということになったら、憲法上の陛下のありようから大きく狂ってしまう」と懸念を示した。
日本には「天皇陛下の政治利用」をめぐり、苦い経験がある。(msn産経ニュース)宮沢内閣は平成4年、天皇、皇后両陛下ご訪中を決めた。当時の中国は天安門事件による国際制裁や国家イメージの悪化にあえぎ、両陛下のご訪中を度々要請し ており、それに押し切られた形だ。ご訪中について、中国の銭其●(=王へんに深のつくり)元外相は回想録で「西側の制裁を打ち破る最も適切な突破口になっ た」と、その政治的効果を評価した。ご訪中は中国に政治利用されたのだ。
今回の措置について、百地章・日大教授(憲法)は「明らかに陛下の政治利用そのものだ。1カ月ルールには、ご接見される陛下ご自身にも準備が必要だという理由もある。あしき先例になりかねない」と語る。
小沢氏ら民主党議員143人の訪中など、鳩山政権は対中傾斜を強めている。しかし、中国に特例を認めたことで今後、他国からも特例を求められかねない。
なんと言うことでしょう。
天皇陛下に対する非礼は許されるべきではありません。
鳩山政権の非常識を疑います。
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話題の?twitterですが・・・・。
実は先月から私も始めています^^;
右のカラムに「twitter」の項目が増えたことにお気づきでしたでしょうか?
今朝フジテレビの「とくダネ!」でも取り上げられて、今日から始めたと言う人も多いようです。
【とくダネ!のtwitter特集 まとめ】
私自身、まだ、右も左も分からないような状況ですが、なんか上手い使い方はないかと思案しています。
@negi17のアカウントでたわいもないことをつぶやいてますので、宜しければご覧下さい。
あ、それから、もしtwitterを始められたら、フォローもお願いしますね。
歓迎します^^;
実は先月から私も始めています^^;
右のカラムに「twitter」の項目が増えたことにお気づきでしたでしょうか?
今朝フジテレビの「とくダネ!」でも取り上げられて、今日から始めたと言う人も多いようです。
【とくダネ!のtwitter特集 まとめ】
私自身、まだ、右も左も分からないような状況ですが、なんか上手い使い方はないかと思案しています。
@negi17のアカウントでたわいもないことをつぶやいてますので、宜しければご覧下さい。
あ、それから、もしtwitterを始められたら、フォローもお願いしますね。
歓迎します^^;
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FMおかざき「心の宅急便」の61回目の放送です。
一日遅れのUPになりました。昨日の放送分です^^;
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今日はずいぶん寒く、師走らしいお天気ですね。
さて、「常夜燈」ってご存じですよね?
街道沿いなど、各町、各村に必ずと言っていいほどある石造りの「常夜燈」ですが、これらは江戸時代頃から、町内安全を祈願して建立されたものです。そしてこの三河地方では、その殆どが「秋葉山」の常夜燈と言っても過言ではないでしょう。ちなみに伊勢街道に行くと、殆どが「太神宮」の常夜灯ですが。
この秋葉さんの常夜燈ですが、岡崎市に153基もあるそうです。
みなさんのお家の近くにもきっとあるのではないでしょうか。
また、秋葉さんの御神札も各家庭でおまつりされているのではないでしょうか。
台所に貼られる御神札ですね。
「正一位秋葉神社火防守護」「秋葉三尺坊大権現」などの御神札です。
このように我々庶民にとって「秋葉信仰」はもっとも盛んな信仰の一つです。
そもそもこの「秋葉信仰」は「秋葉山本宮秋葉神社」(静岡県浜松市天竜区春野町領家841)を中心とする信仰です。
赤石山脈の最南端、天竜川の上流に位置する標高866mの秋葉山が御神体山で、初めて御社殿が建ったのは、今から凡そ1300年前の和銅2年(西暦709年)だそうです。
秋葉神社の神様は、火の幸を恵み、悪火を鎮め、火を司り給う神様で、お名前を「火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)」と申し上げます。
秋葉信仰の歴史ですが、明治以前は「秋葉大権現」と称していました。神仏混交の信仰でさらに各地の民間信仰とも結びついて様々なバリーエーションがあり分かりにくいですが、もとは天台宗系の修験道の霊場だったそうです。山岳信仰でもあり、修行の場でもあったわけですね。
時代と共にその霊場も廃れていきましたが、室町時代に「三尺坊」という修験者が再興します。
この三尺坊という方、信濃出身の方のようですが、観音の化身で火伏せの法に通じた天狗(てんぐ)ともいわれていました。越後国から飛来して秋葉山の鎮守となったという伝説もあり、「三尺坊大権現」と称して大登山秋葉寺に祀られたといわれています。
貞享2年(1685)頃には、各地で三尺坊大権現を祀ることが流行し、祠や常夜灯がたくさん作られたと言います。
この秋葉三尺坊大権現を信仰する神仏混淆の信仰は、中部地方を主として、東海道筋から関東地方にかけて講社を結成するなど庶民の信仰と深く結び付いていきました。
現在、各町内ごとに代参で御神札を受けに行くのも、この講の名残ですね。
また、お伊勢参りと併せて参詣されることも多かったといいます。
如何に信仰が深かったかがわかります。
さて、明治に入ると、明治初期の神仏分離令で。「秋葉神社」と改称します。
秋葉寺は廃寺となったため、三尺坊の像などは可睡斎(袋井市)に移したと伝えられています。
全国の秋葉大権現も「秋葉神社」や「秋葉山○○寺」「○○山秋葉寺」となりました。
神社になったところと、お寺になったところがあります。
熱田神宮のおとなりに「秋葉山円通寺」というお寺がありますね。
日本武尊が火攻めにあったときに、秋葉大権現が助けたという伝説に由来のお寺ですね。
さて御本宮の「秋葉神社」ですが、昭和27年に「秋葉山本宮秋葉神社」と改称し現在に至っています。
毎年12月15日、16日が例祭で、「火祭り」は有名ですね。
いずれにしても秋葉さんの信仰は「火防の信仰」です。
それ故「町内安全」を祈願し、防犯灯の役割と「防火の役割」を願って常夜灯が建立されたのですね。
何しろ火災が一番怖いですから。
そして、毎年常夜灯の前で神事を行い、祈りを込めることが重要です。
現代の街灯とはその意味ではひと味違うと言えましょうか。
さて、今年の秋葉神社は、御鎮座1300年を迎えています。
6月2日には、御鎮座1300年式年大祭が厳粛に斎行されたそうです。
記念事業としては、「西の閽(こん)の神門」が立派に竣功した由も聞いています。
同社々有林より産出された樹齢300年生の秋葉杉を主体に地元天竜杉だけを用い、平成14年より工事に着手したそうで、足掛け4年の歳月をかけ、高さ13mの重曹の神門が雲海に浮かび赫々と輝く姿を見ることができるそうです。
今年の火祭りにお出かけになってはいかがでしょうか?
余談ですが、東京のアキバ。正式には秋葉原(あきはばら)ですが、この地名も秋葉神社に由来しています。
また全国各地にも「秋葉」と名のつく地名がたくさんありますが、殆どが秋葉神社にちなむものです。
また、関東から中部地方に多く見られる秋葉信仰ですが、関西では、愛宕信仰が多いんだそうです。
愛宕神社(京都市右京区嵯峨愛宕町、愛宕山に鎮座。)の愛宕権現の信仰ですね。
そういえば「愛宕」という地名もたくさんありますし、岡崎にもありますね。
ともにご祭神は「火之迦具土神」
この神様は、伊弉諾神、伊弉册神の二柱の大神さまの国生み神話の中で最後にお生まれになります。
伊弉册神は、大八洲の国土をお生みになり、そして山川草木の神々をお生みになります。最後に火之迦具土神をお生みになったときに、大やけどをされ、伊弉册神はお亡くなりになります。
火は数々の恵みをもたらすと共に、取り扱いを一つ間違えれば、災いにもなりかねません。
これからの季節、皆さんくれぐれも火の元には十分ご留意されますようお願い申し上げます。
火の用心!
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一日遅れのUPになりました。昨日の放送分です^^;
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今日はずいぶん寒く、師走らしいお天気ですね。
さて、「常夜燈」ってご存じですよね?
街道沿いなど、各町、各村に必ずと言っていいほどある石造りの「常夜燈」ですが、これらは江戸時代頃から、町内安全を祈願して建立されたものです。そしてこの三河地方では、その殆どが「秋葉山」の常夜燈と言っても過言ではないでしょう。ちなみに伊勢街道に行くと、殆どが「太神宮」の常夜灯ですが。
この秋葉さんの常夜燈ですが、岡崎市に153基もあるそうです。
みなさんのお家の近くにもきっとあるのではないでしょうか。
また、秋葉さんの御神札も各家庭でおまつりされているのではないでしょうか。
台所に貼られる御神札ですね。
「正一位秋葉神社火防守護」「秋葉三尺坊大権現」などの御神札です。
このように我々庶民にとって「秋葉信仰」はもっとも盛んな信仰の一つです。
そもそもこの「秋葉信仰」は「秋葉山本宮秋葉神社」(静岡県浜松市天竜区春野町領家841)を中心とする信仰です。
赤石山脈の最南端、天竜川の上流に位置する標高866mの秋葉山が御神体山で、初めて御社殿が建ったのは、今から凡そ1300年前の和銅2年(西暦709年)だそうです。
秋葉神社の神様は、火の幸を恵み、悪火を鎮め、火を司り給う神様で、お名前を「火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)」と申し上げます。
秋葉信仰の歴史ですが、明治以前は「秋葉大権現」と称していました。神仏混交の信仰でさらに各地の民間信仰とも結びついて様々なバリーエーションがあり分かりにくいですが、もとは天台宗系の修験道の霊場だったそうです。山岳信仰でもあり、修行の場でもあったわけですね。
時代と共にその霊場も廃れていきましたが、室町時代に「三尺坊」という修験者が再興します。
この三尺坊という方、信濃出身の方のようですが、観音の化身で火伏せの法に通じた天狗(てんぐ)ともいわれていました。越後国から飛来して秋葉山の鎮守となったという伝説もあり、「三尺坊大権現」と称して大登山秋葉寺に祀られたといわれています。
貞享2年(1685)頃には、各地で三尺坊大権現を祀ることが流行し、祠や常夜灯がたくさん作られたと言います。
この秋葉三尺坊大権現を信仰する神仏混淆の信仰は、中部地方を主として、東海道筋から関東地方にかけて講社を結成するなど庶民の信仰と深く結び付いていきました。
現在、各町内ごとに代参で御神札を受けに行くのも、この講の名残ですね。
また、お伊勢参りと併せて参詣されることも多かったといいます。
如何に信仰が深かったかがわかります。
さて、明治に入ると、明治初期の神仏分離令で。「秋葉神社」と改称します。
秋葉寺は廃寺となったため、三尺坊の像などは可睡斎(袋井市)に移したと伝えられています。
全国の秋葉大権現も「秋葉神社」や「秋葉山○○寺」「○○山秋葉寺」となりました。
神社になったところと、お寺になったところがあります。
熱田神宮のおとなりに「秋葉山円通寺」というお寺がありますね。
日本武尊が火攻めにあったときに、秋葉大権現が助けたという伝説に由来のお寺ですね。
さて御本宮の「秋葉神社」ですが、昭和27年に「秋葉山本宮秋葉神社」と改称し現在に至っています。
毎年12月15日、16日が例祭で、「火祭り」は有名ですね。
いずれにしても秋葉さんの信仰は「火防の信仰」です。
それ故「町内安全」を祈願し、防犯灯の役割と「防火の役割」を願って常夜灯が建立されたのですね。
何しろ火災が一番怖いですから。
そして、毎年常夜灯の前で神事を行い、祈りを込めることが重要です。
現代の街灯とはその意味ではひと味違うと言えましょうか。
さて、今年の秋葉神社は、御鎮座1300年を迎えています。
6月2日には、御鎮座1300年式年大祭が厳粛に斎行されたそうです。
記念事業としては、「西の閽(こん)の神門」が立派に竣功した由も聞いています。
同社々有林より産出された樹齢300年生の秋葉杉を主体に地元天竜杉だけを用い、平成14年より工事に着手したそうで、足掛け4年の歳月をかけ、高さ13mの重曹の神門が雲海に浮かび赫々と輝く姿を見ることができるそうです。
今年の火祭りにお出かけになってはいかがでしょうか?
余談ですが、東京のアキバ。正式には秋葉原(あきはばら)ですが、この地名も秋葉神社に由来しています。
また全国各地にも「秋葉」と名のつく地名がたくさんありますが、殆どが秋葉神社にちなむものです。
また、関東から中部地方に多く見られる秋葉信仰ですが、関西では、愛宕信仰が多いんだそうです。
愛宕神社(京都市右京区嵯峨愛宕町、愛宕山に鎮座。)の愛宕権現の信仰ですね。
そういえば「愛宕」という地名もたくさんありますし、岡崎にもありますね。
ともにご祭神は「火之迦具土神」
この神様は、伊弉諾神、伊弉册神の二柱の大神さまの国生み神話の中で最後にお生まれになります。
伊弉册神は、大八洲の国土をお生みになり、そして山川草木の神々をお生みになります。最後に火之迦具土神をお生みになったときに、大やけどをされ、伊弉册神はお亡くなりになります。
火は数々の恵みをもたらすと共に、取り扱いを一つ間違えれば、災いにもなりかねません。
これからの季節、皆さんくれぐれも火の元には十分ご留意されますようお願い申し上げます。
火の用心!
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[兼務社・その他]岡崎市の神社
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FMおかざき「心の宅急便」の60回目の放送です。
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師走となりましたが、今日は師走らしくないくらい暖かい日ですね。
さて、昨日、松平元康公の石像の除幕式がありました。
岡崎葵ライオンズクラブの結成40周年記念事業で、JR岡崎駅の東口ロータリーに、元康公(若き頃の徳川家康公)の石像が寄贈されたのです。その除幕式があり、宮司と私でご奉仕させていただきました。当日の式典の様子は拙ブログでもご紹介させていただいております。
若き頃の家康はその当時何を見、何を考えていたのでしょうか?
松平元康と言う名前は、家康公が元服から21歳までの名前です。
まさに青年時代の家康公です。
ちなみに「元康」と言う名前は、今川義元の「元」を貰ったのだそうです。
さて、若き頃の元康公ですが、元服後・・・
永禄元年(1558)に、織田氏に寝返った寺部城主・鈴木日向守を攻めました。これが初陣です。
永禄2年(1559)3月には、長男(信康公)が誕生します。家康公17歳のことですね。
そして永禄3年(1560)5月、家康公にとって運命の時がやってきます。有名な「桶狭間の戦い」です。今川義元が織田信長に討たれるという戦です。
この時、今川軍本隊とは別働で前線の尾張国・大高城を攻略中であった元康は、大高城から撤退。今川軍が放棄した岡崎城に入ると、祖父・清康の代で確立した三河国の支配権回復を志し、今川氏から独立したとされています。
また、大樹寺で切腹を図ろうとしたとも伝わっています。しかし、住職より「泰平の世を築くべく生きよ」と諭された家康は切腹を思いとどまり、今川家からの自立を決意したというのです。
いずれにしても、大きく悩み、そして思い切った決断をしたことは確かでしょう。
2年後の永禄5年(1562)、信長との清洲同盟が成立します。今川から織田へ。まさに戦国の世の習いともいえましょうか。敵が味方に、味方が敵に、大変なドラマがあったことでしょう。
そして永禄6年(1563)には、「元」字を返上し、「家康」と改名します。
名実共に今川家と袂を分かつことになったのです。
また同じ頃、永禄6年(1563)~永禄7年(1564)には、三河一向一揆がありました。
本證寺(ほんしょうじ・安城市野寺町)、上宮寺(じょうぐうじ・岡崎市上佐々木町)、勝鬘寺(しょうまんじ・岡崎市針崎町)を拠点にした一向衆との戦いは、さぞ元康を悩ませたことと思います。
今回元康像が建立されたのも、勝鬘寺の近くですよね。なにか因縁めいたものを感じます。
当時の元康公は弱小大名です。如何に苦労が多かっことでしょうか。
また戦国の激動の時代を如何に見つめたのでしょうか。
そして、混沌とした現代の世情を如何に見つめているのでしょうか。
さて、石像の周りには松の木が植えられました。三河黒松は岡崎市の木(昭和46年12月21日告示第56号)ですね。そしてこの松の木は以前市役所前の太陽緑道に植えられていたものを移植したものです。
話は少し飛びますが、家康と門松の由来にちなんだおもしろい話があるのでご紹介します。
菊池貴一郎の『絵本江戸風俗往来』(一九六五年・平凡社東洋文庫)という本に載っている「将軍家吉例門松御飾り」という話です。
三方ヶ原の戦いで、徳川家康が武田信玄に敗れ、浜松の居城へ逃げこみました。
武田勢は、なぜか勢いに乗って浜松城を取り囲んだのですが、正月を迎えたため、一時休戦となりました。
このとき武田側からの使者が新年の挨拶にひとつの句をもってきたといいます。
これに対し徳川方の智将酒井忠次は、この句に少しだけ手を加えて信玄のもとに送り返しました。
この機知に富んだ対応に、こんな智将がいるのでは迂闊に城攻めはできないと考えたのかどうか、やがて信玄は兵を引く。あげくに、そのあと武田勢はどんどん衰えていくのです。
かたや、家康の武運はそれから開けて天下をとるにいたり、戦乱おさまり、泰平の江戸時代となります。
江戸城のすべての門には毎年、先(首)を切り落とした三本の竹でこしらえた縁起のよい門松が飾られるようになったというものです。
つまり門松の切り口が斜めになっているのは、敵対する軍勢の大将の首を切った形ということですね。
もうすぐお正月です。
門松にこんなエピソードがあると知って見つめると、趣が違ってくるかもしれませんね。
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師走となりましたが、今日は師走らしくないくらい暖かい日ですね。
さて、昨日、松平元康公の石像の除幕式がありました。
岡崎葵ライオンズクラブの結成40周年記念事業で、JR岡崎駅の東口ロータリーに、元康公(若き頃の徳川家康公)の石像が寄贈されたのです。その除幕式があり、宮司と私でご奉仕させていただきました。当日の式典の様子は拙ブログでもご紹介させていただいております。
若き頃の家康はその当時何を見、何を考えていたのでしょうか?
松平元康と言う名前は、家康公が元服から21歳までの名前です。
まさに青年時代の家康公です。
ちなみに「元康」と言う名前は、今川義元の「元」を貰ったのだそうです。
さて、若き頃の元康公ですが、元服後・・・
永禄元年(1558)に、織田氏に寝返った寺部城主・鈴木日向守を攻めました。これが初陣です。
永禄2年(1559)3月には、長男(信康公)が誕生します。家康公17歳のことですね。
そして永禄3年(1560)5月、家康公にとって運命の時がやってきます。有名な「桶狭間の戦い」です。今川義元が織田信長に討たれるという戦です。
この時、今川軍本隊とは別働で前線の尾張国・大高城を攻略中であった元康は、大高城から撤退。今川軍が放棄した岡崎城に入ると、祖父・清康の代で確立した三河国の支配権回復を志し、今川氏から独立したとされています。
また、大樹寺で切腹を図ろうとしたとも伝わっています。しかし、住職より「泰平の世を築くべく生きよ」と諭された家康は切腹を思いとどまり、今川家からの自立を決意したというのです。
いずれにしても、大きく悩み、そして思い切った決断をしたことは確かでしょう。
2年後の永禄5年(1562)、信長との清洲同盟が成立します。今川から織田へ。まさに戦国の世の習いともいえましょうか。敵が味方に、味方が敵に、大変なドラマがあったことでしょう。
そして永禄6年(1563)には、「元」字を返上し、「家康」と改名します。
名実共に今川家と袂を分かつことになったのです。
また同じ頃、永禄6年(1563)~永禄7年(1564)には、三河一向一揆がありました。
本證寺(ほんしょうじ・安城市野寺町)、上宮寺(じょうぐうじ・岡崎市上佐々木町)、勝鬘寺(しょうまんじ・岡崎市針崎町)を拠点にした一向衆との戦いは、さぞ元康を悩ませたことと思います。
今回元康像が建立されたのも、勝鬘寺の近くですよね。なにか因縁めいたものを感じます。
当時の元康公は弱小大名です。如何に苦労が多かっことでしょうか。
また戦国の激動の時代を如何に見つめたのでしょうか。
そして、混沌とした現代の世情を如何に見つめているのでしょうか。
さて、石像の周りには松の木が植えられました。三河黒松は岡崎市の木(昭和46年12月21日告示第56号)ですね。そしてこの松の木は以前市役所前の太陽緑道に植えられていたものを移植したものです。
話は少し飛びますが、家康と門松の由来にちなんだおもしろい話があるのでご紹介します。
菊池貴一郎の『絵本江戸風俗往来』(一九六五年・平凡社東洋文庫)という本に載っている「将軍家吉例門松御飾り」という話です。
三方ヶ原の戦いで、徳川家康が武田信玄に敗れ、浜松の居城へ逃げこみました。
武田勢は、なぜか勢いに乗って浜松城を取り囲んだのですが、正月を迎えたため、一時休戦となりました。
このとき武田側からの使者が新年の挨拶にひとつの句をもってきたといいます。
松は「松平」の松をさし、竹は「武田」をさしています。松平家は滅んで武田家のみが栄えゆく、よき年の始めであることよ、という意味でしょう。松枯れて竹たぐひなきあした哉
これに対し徳川方の智将酒井忠次は、この句に少しだけ手を加えて信玄のもとに送り返しました。
松(松平)は枯れずに武田信玄の首がとぶ、なんともめでたい元旦であることよ、と。松枯れで武田首なきあした哉
まつかれて たけたぐひなき あしたかな
よく比べてみてください。仮名で並べて書くと酒井忠次の返した句は、たんに濁点を加え、あるいは濁点の位置を変えただけのこと。澄むと濁るじゃ大違いですね。まつかれで たけだくびなき あしたかな
この機知に富んだ対応に、こんな智将がいるのでは迂闊に城攻めはできないと考えたのかどうか、やがて信玄は兵を引く。あげくに、そのあと武田勢はどんどん衰えていくのです。
かたや、家康の武運はそれから開けて天下をとるにいたり、戦乱おさまり、泰平の江戸時代となります。
江戸城のすべての門には毎年、先(首)を切り落とした三本の竹でこしらえた縁起のよい門松が飾られるようになったというものです。
つまり門松の切り口が斜めになっているのは、敵対する軍勢の大将の首を切った形ということですね。
もうすぐお正月です。
門松にこんなエピソードがあると知って見つめると、趣が違ってくるかもしれませんね。
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