またまた続きです。
「
拾芥抄」によれば、
13,25,37、49,61,85,99 (便宜上「拾芥抄A」とします)
あるいは、
13,25,37,49,61,73,97 (便宜上「拾芥抄B」とします)
ということが分かりました。
今日は、昨日紹介した「
日国オンライン」で、「厄」を検索してみましょう。
やく【厄】
(中略)
「やくどし(厄年)」の略。
*色葉字類抄〔1177~81〕「厄 ヤク 十三・廿五・卅七・
九・六十一・七十三・八十五・九十七 謂之厄年」
*水鏡〔12C後〕上・序「三十三を過ぎ難く、相人なん共申し合たりしかば、岡寺は厄を転じ給ふと承りて参てそめしより」
*吾妻鏡‐寛元二年〔1244〕五月三〇日「今年令
当
太一定分厄
給、可
被
行
厄御祈
之由、助法印
誉依勘申也」
*実隆公記‐延徳二年〔1490〕二月七日「当年御厄之間別而御願云々」
*宗長手記〔1522~27〕下「数ふれば我が八十の雑事銭、やくとていかが落としやるべき」
*雑俳・柳多留‐二二〔1788〕「品川でやくをよけてるふとい奴」
*社会百面相〔1902〕〈内田魯庵〉犬物語「嬢様漸と安心して先づ是で十九の厄(ヤク)を免れて」
(後略)
「
色葉字類抄」にも記載があるようですね。
平安末期の古辞書です。
早速調べてみましょう。
今回は、
早稲田大学の古典籍総合データベースにお世話になります。
請求記号:ホ02 00596
出版書写事項:文政10[1827] 光棣(写), [京都]
形態:3冊 ; 27cm
外題:伊呂波字類鈔
享保8年日野資時書写本の写本
朱書入あり
和装
印記:竹屋蔵書
竹屋光棣旧蔵
上,中: 巻上. 下: 8
右ページの真ん中あたりです。ありますね。
拡大してみましょう。
確かに、13,25,37,49,61,73,85,97 ですね。
85以外は「拾芥抄B」といっしょです。
また、85は「拾芥抄A」にありますね。
・・・・
何かお気付きですか?
そう、13歳から12刻みです。
ということは・・・・
これって今で言う「年男」「年女」ですね。
例えば、今年は丑年ですが、数え歳のこの年齢の人はすべて「丑年」になります^^;
これが厄年の元々の形なんでしょうか。
だとしたら、とっても分かりやすいですね^^;
干支が一回りするたびに厄年なんですから・・・。
でも何か忘れているような・・・。
そうそう、昨日の記事で書きました。
「拾芥抄」にあった「太一定分」です。
A) B)
「日国オンライン」の「太一」の小見出しに「たいいつの厄」があります。
たいいつの厄
「定分」は、
定められた運命。定められた分(ぶん)。
*空華日用工夫略集‐応安四年〔1371〕一二月一九日「凡人間福祿等、皆有
定分
」
ですから、「太一定分」というのは「太一の厄」のことでしょう。
「拾芥抄A」では、
2,9,15,21,27,33,39,45,51,57,63,69,75,81,87,93,99,109
「拾芥抄B」では、
3,9,15,21,27,33,39,45,51,57,63,69,75,81,93,99,105
となっています。
Bに87が無いのと、2と3、109と105が違いますが、あとは同じですね。
「二」と「三」、「百九」と「百五」は誤写しやすいですから仕方ないでしょうか。
9から99まで見てみると・・・
そうですね。基本的に6歳刻みです^^;
ならば、両方を合わせて、
3,9,15,21,27,33,39,45,51,57,63,69,75,81,87,93,99,105
というのが正しいんでしょうか?三歳から6刻みということですね。
う~ん。
具体的には、陰陽道でいうところの「太一星の遊行する方角とその年の干支」についても調べなくてはいけませんが、干支がらみということであれば、規則的に6刻みなのも納得できますね。
というわけで、今日はここまで。
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