FMおかざき76.3「心の宅急便」の70回目の放送です。
昨日の「針供養」にちなんだお話です。
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皆さんこんにちは。
色さめし 針山並ぶ 供養かな (高浜虚子)
という俳句がありますが、昨日2月8日は「針供養の日」でしたね。
「針供養」というのは、「女性が裁縫を休み、古針や折れた針を集めて、豆腐や蒟蒻などにさして供養する」年中行事です。
テレビのニュースや新聞等でも取り上げられることがありますので、ご存じの方も多いと思います。
でも、実際に針供養をされる方は、年々少なくなってきているのでしょうか?
皆さんは、いかがでしょうか?
さて、この「針供養」は、「針に感謝し、裁縫の上達を祈る行事」でもあります。
2月8日に行われることが多いのですが、地方によっては12月8日に行われるところもあります。
「針供養」の有名な社寺といえば、
和歌山の淡嶋神社(少彦名命をおまつりしている)
東京の浅草寺(淡島堂で行われる)
京都嵐山の法輪寺(虚空蔵菩薩をおまつりしている)
大阪天満宮(境内社の吉備真備をまつる吉備社で行われる)
などがありますね。
これ以外にも、全国の社寺で針供養、針まつりが行われたことだと思います。
岡崎天満宮は神社の祭事としては行っていません。
数年前までは、某女子高校の和洋裁部や某企業の洋裁部の皆さんが団体で御参拝になり、御神前で針に感謝する神事を行っていましたが、今は廃部になってしまったようです。
少し寂しい気がしますね。
そもそも「裁縫」「針仕事」は女性にとって重要な役目の一つでした。
神話の時代から、天照大御神さまをはじめ女神さまたちは機織りなどをされています。これは今でも、皇后陛下が養蚕から連綿と受け継いでみえます。
庶民においても「花嫁修業」の大切なものとして、「料理」や「裁縫」が挙げられますね。
江戸時代には「女訓物」「女式目」といった女性の徳目を記したもの(女はかくあるべしといった内容のもの)などを見ても、「裁縫」を婦道の一つにあげています。
私たちの生活に欠かせないものは「衣・食・住」ですが、その最初に「衣」がくるくらいですから、「裁縫」「針仕事」が如何に大切なものであるかは言うまでもありませんね。
ところで「針供養」は何故2月8日(12月8日)なんでしょうか?
これには「事八日(ことようか)」という年中行事が関わっていると考えられています。
「事八日」というのは、「陰暦12月8日と2月8日とに行なわれた年中行事」で、一方を「事始め」、もう一方を「事納め」とするものです。
「こと」には祭祀(おまつり)の意があり、家庭祭祀であるともいわれます。具体的には、年間の農耕儀礼のだったり、正月祭だったりします。その「物忌みの日」という意味合いもあったのでしょう。
この「事八日」の一連の行事の中に、「針供養」が含まれたので、「2月8日」であったり「12月8日」であったりするようです。
「針供養」の方言で面白いものもあります。
「ハリセンボン」ってわかりますか?
お笑いコンビじゃないですよ(笑)
普通「ハリセンボン」というと、フグ目ハリセンボン科の魚のことをいいますが、石川・富山など、北陸地方の方言では「ハリセンボン」=「針供養」のことなんだそうです。
豆腐や蒟蒻に針をたくさん刺した形状からでしょうか。またこの地方では、12月8日が針供養の日のようですが、この日には魚のハリセンボンが、この日に吹き寄せられるという伝承もあるようです。
もう一つ、北陸地方では「針供養」のことを「針歳暮(はりせいぼ)」ともいうようです。
12月8日の「針供養」のことですが、この日に女性の実家から婚家へ大きな大福餅を届ける慣わしがあるんだそうです。
「針供養」→「ハリセンボン」→「針歳暮」でしょうか?
ところ変われば風習も色々で面白いですね。
ちなみに、「裁縫」に関わる禁忌俗信とでもいいましょうか、タブーみたいなものはたくさん知られています。
例えば、・・・
「寅(とら)と八日にもの裁つな、いつも袖(そで)に涙あふるる」
という諺があります。「寅の日」と「8日」には布を裁ってはいけないというタブーですね。破ると常に不幸がつきまとうというものです。
由来は不明ですが、「8日」は先ほどお話しした「事八日」や「針供養」の「8日」からきているのでしょうか。
「寅の日」は分かりませんが、もしかしたら「鬼門(艮 うしとら)」と関係しているかもしれませんね。
これも地方によっては「申寅八日にもの裁つな」というところもあるようです。
「申の日」も出てきました。こちらは「裏鬼門(坤 ひつじさる)」からかもしれません。
他には、
「買い切り裁ち」・・・布を買ったその日のうちに裁つこと
「ひっぱり縫い」・・・二人で一つのものを縫うことや糸の尻を結ばずに縫うこと。
もタブーです。
何故だか分かります?
辞書をひけばすぐに分かります。
「買い切り裁ち」
死者に着せる帷子(かたびら)は、買った当日に急いで裁つところから、日常には忌みきらう。
「ひっぱり縫い」
死者に着せる白衣を、親類や近隣の女が寄り合い、ひっぱりあうようにして、糸尻はとめないままに縫うこと。いろぬい。
ともに、死者の衣を縫うことを連想させるからですね。まさに縁起の悪い事なんです。
他にも「出針(でばり)」といって外出直前に針を使うことや、裸で物を縫うこと、朝に針を使うこと、人に針を貸すこと、夜に針を買いに行くことも禁忌であったようです。
更に、着物の袖を縫ったり、袖付けをするときは、両袖を同じ明かりで縫わなければいけないともいわれます。昼と夜の明かりですることは駄目ということですね。袖の片方だけで仕事を中断すると、その着物は不幸をもたらすといわれていたようです。
衿付けも同様だったようです。途中でやめると幸福が逃げてしまうといわれています。
また、できあがった着物を、まず柱に着せると良いいう「着はじめ」の習俗も広く知られています。
話がだいぶそれました。
さて「針供養」で、「豆腐や蒟蒻にさした針は、その後どうするのか?」という質問をうけました。
これも色々あるとは思いますが、塩を掛けて(お祓いをするということですね)錆びさせ、土中に埋めて土に返すようにしたり(針塚のあるところもありますね)、川に流したりします。
間違ってもゴミ箱に棄ててはいけませんね。
この「針供養」ルーツについては、民間習俗と深く関わっていますので、分からないことも多いのですが、その一つに「淡嶋信仰」が考えられます。
和歌山の加太に鎮座する淡嶋神社を中心とする信仰です。
淡嶋神社の御祭神は少彦名命で、医薬の神様。特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかで、女性の苦しみを救う神様だとか、裁縫の道を初めて伝えた神様だとも言われています。。
3月3日の雛流しで有名な神社ですから、ご存じの方も多いと思います。
この淡嶋神社には近世、「淡嶋願人」という強力な宣教部隊?がいたそうです。
全国各地を回って、淡嶋大明神の御利益を説いて歩いたと言われています。
その中で、淡嶋神社あるいは淡嶋堂が各地にまつられたようです。
まさに浅草寺の淡嶋堂もそうだったのでしょう。
本地垂迹説(本地仏が神道の神さまに姿を変えて現れたとする考え方)の影響で「少彦名命と虚空蔵菩薩」が習合して広まっていたようです。
だから、淡嶋神をまつる神社や虚空蔵菩薩をまつるお寺で盛んに針供養が行われるんですね。
このように針供養が広まったのは近世、特に江戸時代です。
戦国乱世もおさまり、泰平の世になって、町人たち庶民の生活文化も向上していきます。
その中で、寺子屋などの学問や、子女としての資質を身につける裁縫教室もたくさん開設されました。
そのような流れの中で、針供養が広まっていったことも容易に想像できますね。
しかしながら、最近めっきり行われなくなったのもこの「針供養」です。
ライフスタイルの変化だといってしまえばそれまでですが・・・。
ものを大切にしなくなったのでしょうか?
或いは、裁縫そのものをしなくなった?
家事分担など男女平等の考えの影響なんでしょう?
いずれにしても、「針」という道具に感謝し、ものを大切にする心を養う「針供養」という文化は大切に子供たちにも伝えていきたいですね。
他の伝統行事でも同じ事ですが、現代の我々は改めて「針供養」について見直すことが必要かも知れません。
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